§194 ヴィクトールたちの遺産 3/14 (thu)
その日の朝早く、俺はかかってきた電話で起こされた。
「……ふわぃ」
「芳村さんですか! 鳴瀬です!」
「ふわぃ」
「寝ぼけてる場合じゃないんです! すぐお邪魔しますから、事務所に下りといてください!!」
「ふ……はい?」
気が付いたときにはすでに電話は切れていた。
時計を見れば、まだ6時だ。一体何が起ったのだろう。
「地球が×2、大ピンチ、なのかね」
布団から出た俺は、思わず身をすくめた。その日は、とても冷え込みの厳しい朝だった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「ほふぁようございます」
「おはよう。なんだなんだ三好、身だしなみのダメな子になってるぞ」
ツンツンした寝癖をつけた三好が、眠そうな顔で階段を下りてきた。
「ええー。でも、もういいんです。どうせ先輩しかいませんし」
そういうと、おもむろにダイニングテーブルにほほをぺたんとつけて目を閉じた。
「なんだよ。お前いつ寝たんだ?」
「4時過ぎれす。世界の時差死んじゃえって気分ですね」
「チェッカー製造の件か。朝の4時ってことは、ロンドンは19時、アムステルダムは20時、サンフランシスコは11時、ニューヨークは14時か」
俺は各国の時差を考えながらそう言った。
「まあそうれす。でも先輩――」
そこでがばっと身を起こすと、ぱっちりと目を開けてにやりと笑った。〈超回復〉が仕事を始めたってか?
もっとも、寝癖はついたままだが。
「サンフランシスコは12時で、ニューヨークは15時ですよ」
「あれ?」
日本との時差は東側が14時間で、西側が17時間じゃないの?
「ふっふっふ。アメリカの夏時間は、3月の第2日曜日の午前2時からです」
「んじゃ今年は……10日からなのか」
「そうです」
そう言って立ち上がると、ヤカンに水を入れて沸かし始めた。
「アメリカってやつは、ヤードだのポンドだのに飽き足らず、夏時間の境界までひねくれてんな。4月1日からにすればいいのに」
「不思議な国ですよね」
三好は、コーヒー豆を取り出して、今日の分を手で挽きながらぼんやりと視線を空中に漂わせていた。
「一見合理的な思考をする国のように見えて、科学や医学、それに国際関係を除いて、未だにメートル法を採用していないんですよ。そんな国は、リベリアとミャンマーだけですからね」
「リベリアだって、いまはほとんどメートル法表記だって言うぞ。それに、アメリカは特別合理的な国じゃないだろ。ただ、自分の利益になることが好きなだけで」
一部の科学的な思考を除けば、合理性とはかけ離れているように見える行動も多い。
個人の利益を追求したら合理化に行きついちゃいましたって感じだ。それに組織が巨大化すれば、それを支えるシステムは嫌でも効率を要求するから合理的にならざるを得ない。
「イギリスの道路標識のマイルとヤード、ついでにパイントやポンドもどうかと思いますけど」
「あー、ステーキの量をポンドで言われてもピンと来ないよな」
重さと体積の単位と言う違いこそあれ、元はと言えば、一人が1日に消費する食料から考えられた単位だから、日本の石と同じ発想だ。
コミュニティ全体で、何人の人間が養えるのかを考えるときには、こういう単位が便利だったのだろう。
「だけど、パイントは好きだな。なんかビールって感じがするだろ?」
「パイントこそアメリカとイギリスで体積が違うとか、ふざけてると思いますけど」
「パイントつったら、英パイントが正義だろ。米液量パイントなんか100ミリ近く少ないじゃん。大体だな、店によってはパイントとか言いながら米液量パイントのグラスを使ってる店が――」
「はぁ。まあいいですけど」
寝ぼけた頭で、バカみたいな話をしていると、呼び鈴も鳴らさずに大きな音を立ててドアを開けた鳴瀬さんが、事務所へと飛び込んできた。
「た、たいへ……ん、なんです!」
息を切らしながらそう言う彼女に、三好が水を差しだした。英パイントグラスで。
「あ、どうも……」
その水を、一息で飲み干すと、彼女はカバンの中からタブレットを取り出して、テーブルの上に置いた。
「こ、これを見てください!」
「碑文……ですか?」
そこに表示されていたのは、完全な形を保った、碑文だった。
「実はこれ、昨日フランスの捜索隊が10層から持ち帰ったもので、まだ公開されてません」
「え? じゃあ、もしかして――」
「例の館に安置されていたはずのページじゃないですかね?」
鳴瀬さんは大きく頷いた。
「問題はその内容なんです」
「内容?」
彼女は震える指先で、タブレットの碑文を指さしながら、早口で言った。
「これ、Dファクターからエネルギーを取り出す方法が書かれているんですよ!」
「なんですって?」
「とはいえ、比較的小さな電力なんですけど」
そう聞いた瞬間、三好は、がたりと音を立てて椅子から立ち上がると、小躍りする勢いで、くるりと一回転した。
「マニュアル、キターーーーーーー!!」
「マニュアル?」
おいおい、こりゃ、徹夜明けハイ状態の三好じゃないか。まあ、2時間も寝てないんじゃしょうがないか。
ともあれ、丁度一昨日、あればなぁと話をしていたマニュアルが目の前にあるのだ。
あまりのタイミングの良さに、なんだか不思議な気さえした。そう言えばバッテリーの話をしたのは、フランスのチームが碑文を取得する少し前だ。もしかしたら、何かのサービスなんだろうか。
「それよりそのページ、ノンブルのところって、なんて書いてあります?」
「ノンブル?」
ノンブルと言うのは、本のページ数が書かれている部分のことだ。
鳴瀬さんは、どうしてそんなところを気にするんだろうといった様子で首をかしげながらも、タブレットを取り上げてその部分を拡大した。
「……アペンディックス 1?」
「やっぱり」
appendixは、本の付録、追加情報だ。
つまり、もともと本編に用意されたいなかった情報と言うやつだ。
「やっぱりって何ですか?」
「あー、なんというか、つまりそれは、俺たちが持って行ったノートPCを動かすために急遽作られた機能じゃないかと思います」
「はい?」
そこで、最後に博士とやったやり取りを彼女に話した。
彼女に渡した動画は、例によって音声が含まれていないものだったのだ。
「ではこれは、タイラー博士が?」
「というより、ダンツクちゃんでしょうけど、おそらく」
「それでこれ、公表しても?」
「碑文はフランスが持ち帰ったものですから隠せませんし、我々が公開しなくてもロシアとアメリカはそれを知ることが出来ます。そしてそれを隠ぺいすることは無理でしょう」
隠したところで、ヒブンリークスがある限り、いずれはそこで公開されかねない。
つまり、二つの国にとって、隠したところで無駄なのだ。隠したところで非難されるのが関の山では、各国に公開せざるを得ないだろう。
「だけど、碑文が一般に公開されてからにしてくださいよ」
「それはもちろん」
鳴瀬さんは苦笑した。
何しろ新規の碑文なのだ。もしも先に公開したりしたら、翻訳しているのがDAの関係者であることがバレバレだし、公開された後も、ある程度アクセスが増えてからでないと、アクセス記録から調べようと思えば調べられることになる。
翻訳の公開は、なるべく世界中のDAにデーターが広がってからにした方がいいだろう。
◇◇◇◇◇◇◇◇
フランスが派遣した捜索隊は、開発企業に頼まれたポーターの残骸を運び出す部隊を残して、先にブラックボックスと碑文を持ち帰っていた。
碑文は、条約に基づいてJDAに提出されているが、後日フランスへ返却される。
そして今、フランス大使館のとある部屋では、アルテュール=ブーランジェ中佐が、ダッソーから派遣されてきた技術者が取り出したブラックボックスの中身を見て絶句していた。
『なんだ、これは?』
一緒にそれを見ていた、駐日フランス大使のローラン・ピカールが、あまりの映像に思わずそう口走っていた。
前半は、絶え間なく襲い来るアンデッドの群れとの戦闘が記録されていた。方舟はそれなりに役に立っていたが、それが彼らを先に進ませてしまった原動力になっていたのかもしれない。
バーゲストが登場して、ヘルハウンドに襲われたところで、アームが曲がりそうな強烈なアタックが繰り返され、ポーターが潰されたのはこの攻撃でか? と思った次の瞬間、モンスターたちは潮が引くようにいなくなっていた。
そうして、前を行く何かを追いかけるように丘の上に登った時、その尖塔が遠くに見えたのだ。
彼らは、それでも引き返さずに、少し動きがなめらかではなくなった(移動すると画面が揺れていた)ポーターを連れて、その館へと近づいた。
あれほど溢れていたアンデッドたちは、嘘のように鳴りを潜め、それはまるで訪れた恐怖におののいて、どこかへ隠れたようにすら見えた。
そうして館に潜入してから、画面がブラックアウトするまでは、まさしく地獄絵図と呼ぶのがふさわしかった。
『なんなんだ、これは?』
思わず目を背けた大使が、神に祈るようにそう呟くと、ブーランジェ中佐は映像を停めさせて言った。
『館の門をくぐったところをもう一度見せてください』
技術者が頷いてそのシーンを再生すると、ブーランジェ中佐はモニタの前に立って2階の窓を指さした。
『ここです』
そこには、窓に人のようなものが映りこんでいた。
大使がそれを見て呟いた。
『人影?』
『この館に先に入った探索者がいると聞きましたが?』
『それは想像にすぎない。実際に追跡対象だったパーティがこの屋敷に入ったという証拠はない』
『夜の10層に、さまよえる館とやらが登場しているんですよ? それを出現させたのがヴィクトールたちのチームでなければ、追跡対象以外の誰だっていうんです?』
『それはただの推測だ』
大使の慎重なセリフに肩をすくめたブーランジェは、技術者に向かって『洗えるか?』とだけ聞いた。
ダッソーから派遣されている技術者は、そのセリフに頷くと、それが映っている10秒ほどのコマを利用して、静止画の解像度を上げていった。
『ここでは、これ以上無理ですね』
そう言って表示した、お世辞にも鮮明とは言えない拡大画像には、二人の人物が映っていた。
一人は東洋人に、もう一人は――
『西洋の人間に見えるな。追いかけていたパーティは日本人の二人組と聞いていたが』
ではこの西洋人っぽい男はいったい誰なんだ? ブーランジェがそう考えた瞬間、部屋の電話が音を立て、部下の一人がそれを取った。
しばらく向こう側と話をしていた部下が、ブーランジェを振り返ると、受話器を差し出して『お電話です』とだけ言った。
相手を告げない部下を訝しげに思いながら、受話器を取ってそれを耳に当てた。
『ブーランジェです』
『ブラックボックスの中身は見せてもらったよ』
電話の向こうにいたのは、彼も良く知っている高官だった男だった。
『中佐、君は、アルトゥム・フォラミニスのデヴィッドを知っているか?』
『話だけは。あの噂の聖女様がいる教団の代表ですよね?』
『そうだ。私は彼の要請で、とあるパーティを追いかけさせたのだ』
『マイニングの任務を中断してまで、一体なにを?』
『神の元まで案内させると言っていたな』
『神? ですか?』
電話の向こうから、含み笑いが漏れた。
『君が懐疑的になるのはよくわかる。私だってそんなものを信じてなどいない』
80年代の終わり頃、フランスは歴史的なこともあって、人口の8割はカトリックの信者だった。
しかし今では、キリスト教全体でも人口の半分にしか過ぎない。4割は無宗教。つまり宗教など信じてはいないのだ。
『なんのレトリックにせよ、彼はそう言った。それはダンジョンの向こうにいる何かを指しているような示唆もあったな』
『ダンジョン教団らしいと言えば、らしいです』
『はっ、あの男はそんな玉ではないよ』
デヴィッドが信奉しているのは、もっと現実的ななにかだ。例えば金といった。
『たとえ、さまよえる館とやらに住んでいる誰かがいたとしても、それがダンジョンの向こうにいる誰かだという保証はありません』
むしろ、なんらかのモンスターだと考える方が自然だと、ブーランジェ中佐は思った。
例えば、ヴァンパイアのような。
『あの男が言うには、日本はすでにその何かと接触しているそうだ』
『なんですって?』
ブーランジェは、未だ画面に表示されたままの、二人の人影を見た。
では、この東洋人風の男は、やはり日本の探索者なのだろうか?
もしもそうだとしたら、西洋人のような影は――
『代々木ダンジョン内で通信ができるようになった話は聞いたかね?』
『はい。信じがたいことですが事実でした』
『ヴィクトールたちが追いかけた誰かが、何かに接触した後、通信が可能になったとは?』
『時間的にはその可能性がありますが……まさか』
『真実は私にも分からんよ』
もしもそれが本当だとしたら、ダンジョンを作り出すなどと言う超常的な技術を持った何かと接触をもって、しかもなんらかのリターンを得ているということだ。
それを秘密にしているとしたら、世界の安全保障上も看過できないところだろう。
『そうだ。奴はその証拠があると言っていたな』
電話の向こうの男は、何かを思い出したかのようにそう言った。
『証拠?』
『それが何かは知らないがね』
もしもそれが本当なら、デヴィッドに問いただす必要があるだろう。
ことはフランスどころか、地球全体に関わる話かもしれないのだ。
『現在奴は、DGSE(対外治安総局)が代々木に構えたマンションにいるはずだ』
『イワツバメの営巣地ですか』
各国の諜報部が一つのマンションに集って拠点を築いているところが、まるでイワツバメたちの巣のように見えるのだろう。
電話の向こうからは、また含み笑いをするような雰囲気が漂ってきた。
『そうだ。後のことはよろしく頼む』
『分かりました』
『これが、私が君に残せる最後の情報になるだろう』
『被害が大きすぎましたね』
『残念なことだ』
そう言って、彼は受話器を置いた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「なあ、三好」
「なんです?」
「この、マニュアルだけどさ、なんだか胡散臭くないか?」
「あ、先輩もそう思われました?」
俺は、テーブルの上に散らばっている、鳴瀬さんが書きだした、Dファクターを電気に変えるための設備についての説明を見て言った。
「水晶でできた球形のフラスコ? 変わった形の炉?」
「説明を読む限りでは、やっぱりアタノールっぽいですよね、これ」
三好が炉の説明が書かれた部分を指で指し示しながら、苦笑した。
もしも鳴瀬さんに錬金術の知識があったとしたら、「哲学者の卵」とか「アタノール」とかと書かれていた可能性は高い。
俺は鳴瀬さんが書きだした訳文をコピーした紙を平手で叩いた。
「賢者の石かっての!」
「さまよえる者たちの書の最後のページに、クリンゴン語を書いちゃう人ですからねぇ」
三好は頬杖をつくと、そのページをひらひらと振って見せた。
ここに書かれている情報は、ほとんどが意味のないゴミで、大部分はタイラー博士の悪ふざけの可能性が高い気がする。
触媒にプラチナや金が多用されていて、「安定が必要だ」とか、もっともらしいことが書かれているところが、実にそれっぽい。
「現代の化学者連中を、中世の錬金術師にしてしまうつもりだぜ、あの先生」
「でも先輩。これを見て思ったんですけど、Dファクターって確かにちょっと賢者の石っぽいですよね」
「まあ、そう言われればそうかもなぁ」
賢者の石は、単に卑金属を金にしたり、卑金属を銀にしたり、ついでに人間を不老不死にしたりするだけのものではない。
16世紀ごろパラケルススが書いた、「ヘルメスの啓示(The Book of the Revelation of Hermes)」には、賢者の石で作られる永遠に燃え続けるランプが登場する。これなんか、考えてみれば永遠に電気が取り出せるのと同じことだな。
体が治るなんてのも、アルカナの秘儀みたいなものだろうし。
「霊魂を錬金して神と一体化すると、Dファクターがひざまずいて、なんでも言うことを聞いてくれるんですよ」
「はぁ」
「それで、冥王なんですかねー」
「いや、お前。それはいくらなんでもこじつけが過ぎるだろう」
とにもかくにも俺たちは、そこに書かれている方法をヒントに、別のアプローチを検討してみることにしたのだ。




