§191 行政府 3/12 (tue)
その報告がもたらされた後の、日本の行動は早かった。
連絡を受けた村北内閣情報官が内谷国家安全保障局長と共に官邸の門をくぐったのは、田中たちが話を聞いてからわずか30分後の11時12分だった。
急遽内谷が呼び出されたのは、ダンジョンの向こう側と外務省が直接接触するのは拙いという田中の報告を受けてのものだった。
内谷は外務事務次官出身者だ。そのため、現在の国家安全保障局は、外務省ルートでは接触しづらい相手に接触して関係構築を行う役割も担っていたのだ。
村北が、田中からもたらされた情報を、一通り説明した後、総理は開口一番こう言った。
「まいったな。先月の頭に接触はしていないと公式に返答したばかりだぞ?」
「それは問題ありません。接触したのは国ではありませんし、そうでなくても、この1か月の間に接触したとすればいいだけですから」
「そりゃ胡散臭い」
「胡散臭すぎて、事実だと認識されますよ」
総理は処置なしとばかりにため息を吐くと、気持ちを切り替えて、内谷に向かって言った。
「それで、どうでしょう。やっていただけますか?」
「相手は人類ではありませんし、それどころか地球上に生息してすらいない。そことなんらかの関係を築くわけですか?」
内谷は、聞いた説明を反芻しながら、鑑定の天井を眺めて、しばし考えこんでいた。
果たしてそんなことが可能なのかどうかは分からなかったが、外務畑を歩んできた男にとっては、実に面白そうな案件であることは確かだった。
「それでも言葉が通じるなら、何らかの関係を築くことは可能でしょう。この件に関しては、うちマターでよろしいんですね?」
内谷が内容以上に気にしていたのは、内閣危機管理監とダンジョン庁だった。
この事態を国防とみなさないなら、担当は内閣危機管理監だろう。元警視総監の橋高氏に振られるべき案件だ。
また、ダンジョン庁は、省庁間の総合調整という意味では、同じような機能を持った庁だが、向こうはJDAとの連絡機関としての性格が強い。
当初は、国家安全保障局の中にダンジョン系の部署を作る意見も有力だったが、各省庁間の綱引きの結果、新たな庁となることが決まった経緯があった(*1)
この話がダンジョン庁マターになるか、国家安全保障局マターになるかは微妙なところで、妙な面子のこじれで足を引っ張られることになるのは御免こうむりたかったのだ。
「ことは国民の生命にかかわる問題というよりも、外交に近い領域にありますから、ぜひ、内谷さんにお願いしたい」
「分かりました。ではすぐに、相手の分析と交渉プランの立案に入ります。しかし相手の情報が少ない。コンタクトしたものの審問は行われるのですよね?」
「あなたのところの防衛省出身の局次長が、細かい話を持ってくるはずですから、そちらとすり合わせてください」
「承知しました。では、私はこれで」
そうして11時19分、内谷は急ぎ足で官邸を後にした。
その後ろ姿を見送った後、井部は改めて村北に向かって尋ねた。
「しかし、転移だと? これは本当に事実なのか?」
「JDA内ではすでに試験が行われたようです。田中の報告ですと、現在はともかく、将来は地上でも利用できる可能性があるかもしれないとか」
井部は思わず腰を浮かせて身を乗り出した。
「それは拙い! 実に拙いよ!」
「拙いでしょうね」
経済面では旅客運送業に、防衛面では、テロ対策や軍に根本的なパラダイムシフトが発生するだろう。
しかし相手は未知の技術だ。少なくとも序盤には対抗策がない。意識的なパラダイムがシフトしても、技術的にはシフトのしようがないのだ。
「敵が爆弾を持ってテレポートしてくるなんて話は、SF漫画の中だけで十分だろう」
そのSFにおいても、その攻撃の対処はまともに描かれていないのだ。
せいぜいが、爆発は防げないから、その爆弾から身を守るバリアのようなものを使ったり、ジャマーのようなものでテレポートそのものを阻害したりする程度だ。
現実なら、首相官邸だろうがホワイトハウスだろうが、場所が分かっている限り暗殺など、し放題だろう。
「それに、個人の移動を国家が管理できなくなる日が来ると言うのは、先進国にとっては悪夢だな」
ただでさえ、難民や不法移民の問題は、ヨーロッパやアメリカにとって頭の痛いところだ。
国民の安全と人権という大義の狭間で、あらゆる民主国家が揺れているし、全体としてはそれを規制したりコントロールしたりしようとしている国がほとんどだ。
にもかかわらず、人間が自由にどこへでも移動できる?
密輸も密入国もやりたい放題で、刑務所などなんの役にも立たない施設に成り下がるわけだ。
どんな厳重な施設からも、あらゆるものが盗み出され、対策と言えば、貴金属や現金を集積しないことや場所を秘匿すること、ただその一点しかないわけだ。
すぐに転移石そのものが価値を持ち、軍備に至っては、現在の核兵器にとって代わることは想像に難くない。
なんなら相手国のミサイルサイトに転移して、自爆させることだってできるだろう。戦争の抑止力たる核兵器は、所有しているだけで危険な爆弾に様変わりするわけだ。
「核軍縮は進みそうだな」
「まだ先の話です。それに結局地上では使えないかもしれませんし。実際現状では使えないようです」
「それを信じてくれる国があるといいな」
自分の国にない超技術を実用化した国が現れるが、その国は他国に超技術を移転しない。ただし、その結果だけは公開する、か。
どこかの異界言語を理解するためのオーブと、とても似通った現状がそこにはあった。
「いっそのことJDAに、発表をやめさせるというのは?」
「総理。すでに代々木ダンジョンでは、通信が可能になっています。諸外国がそれに注意を向けるのは時間の問題でしょう。オーブの競売の件と言い、今回の件と言い、もはや言い逃れするのが難しい現状では、情報を隠した方が、暗躍を認める結果になりませんか?」
「言い逃れじゃないんだがなぁ……」
井部はぼやくようにそう言った。
「『放置してJDAに便宜を図っておくのが、国益を最大にする最高の手段』か。国益は確かに最高なのかもしれないが、外交は最高に難しくなったぞ」
「では、いっそのこと、なにか濡れ衣でもかぶせて、拘束しますか?」
村北の発言に、井部は思わず言葉を飲み込んで、難しい顔をして腕を組んだ。
「最終的には、それもやむを得ないかもしれないが――」
相手は、ダンジョンの向こう側へコンタクトを取ったかもしれない唯一の存在だ。
ついでに、その利益を大衆に還元していて、ついには奇跡のような転移などと言うものまで実現したわけだ。
もしも政界にうって出られたりしたら、今は誰にも対抗できるはずがない。相手はアピールするところが無数にあるのだ。
それに、政治家は誰しも後ろ暗いところが多少はあるものだ。最初から最後まで清廉潔白などと言う人間は、政治家でなくてもほとんどいないだろう。
もしもそれを〈鑑定〉でほいほいと見破られたりしたら? そうでなくても、〈鑑定〉で確認しましたとばかりに、あることないこと公表されたりしたら?
政治家にとって、民衆に対するイメージは非常に重要だ。初期のころは、それ以外は不要だと言っても過言ではない。
選挙は政治に対する能力で当選するわけではなく、民衆に対するイメージで当選するのだ。だから、能力的に優秀な者ばかりがそろうわけではないのは、ある程度はやむを得ないことだ。
だがそれをステータスとやらで数値化されたらどうだろう? 数値の低い人間に、大衆が投票するだろうか?
今年の夏の参院選は、もしかしたら、その影響を被ったりしないだろうか。
彼女たちの行動は、我々政治家にもパラダイムシフトを要求してくる可能性が高い。
結局、政治家だのなんだと言ったところで、人は、自分たちのことが一番大切なのだ。
井部はなにかを諦めたように肩を落として村北に言った。
「――先に取り込むことを検討するべきだな」
そういえば今晩は、パレスホテルで行われる、京都大特別教授のノーベル医学生理学賞受賞祝賀会の後、『かわむら』で党の会食があったはずだ。そこで、相談してみるべきだろうか。
彼は、次の予定が来るまで、そのことを考え続けていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「なんだこの問題は?」
思わずそう呟いた彼の気持ちは、その選抜試験に臨んだすべての人間の総意に違いなかった。
外務省を中心に行われた、新設の内閣直属の部署へのスタッフ選定に応募した者たちが受けた選抜試験。そこにはとても正気とは思えない問題が並んでいたのだ。
日本が未知の宇宙人と接触して、魔法のような技術によって作られたアイテムを得た。諸外国はそのことを、おぼろげにしか知らないが、いずれは既知となるだろう。
その状況で、次の2点について政策を立案して、概要を述べろ?
1.宇宙人との外交政策
2.地球上の他国との外交政策
提出期限は3月18日。
「ラノベかよ!?」
ライトノベルと言われるジャンルの書籍には、宇宙人がやって来て、日本とだけ交流を持つなんて話がそれなりにある。
しかし、なんで新部署の試験がこんなバカげた――
「まさか、こういったシチュエーションが現実に?」
この問題に真剣に取り組んだのは、そう考えた柔軟な思考の持ち主と――そういう話が大好きな、やや偏った志向を持った人々だった。
*1) 書籍版1巻で登場します。




