§184 会談(1)
そうして、今、俺たちは、代々木の8層で、いつもの焼過ぎた豚串をかじっている。
豚串には、梅風味という新製品が追加されていて、梅干しの酸が豚串に爽やかさを加えていた。どんなものでも、人の営みは進化するものだ。
「それで、何時ごろ実体化させる?」
スケルトンを373体倒すのは、簡単とは言わないが集中してやれば可能だろう。特に夜なら下手すれば4時間かからない。
「早いうちから、300くらいは片付けておいて、夜に調整するくらいがいいですよね」
「魔結晶のこともあるからな、三好も300くらいは倒せよ」
「そんなに数がいて、時間が余ってればやりますけど……私が倒してもちょっとしか出ませんからねー」
去年試したLUCのテストによると、魔結晶ドロップ率は、BDR*(LUC/100)くらいだと判明している。
スケルトンのBDR(基本ドロップ率)は、経験的に0.25くらいだと分かっているから、LUC100の探索者なら、4体に1個程度手に入るわけだ。
LUCが10だと、その1/10、つまり40体に1個くらいのドロップ率になる。
「それは仕方がないな。ついでだから、アルスルズ方式で経験値もがっぽり稼いどけ」
「10層であれをやるには、ドリーが要りますね」
どうも、あの新方式を使うと、認識が途切れ途切れになるせいか、周囲への注意がおろそかになるのだ。
1層ならなんの問題もないが、10層だと少し拙い場合があるかもしれなかった。
「昼間はドリーに入ってると、あまりモンスターが寄ってこない感じだしなぁ」
「先輩が屋根の上で踊ってれば、わらわらですよ!」
「あれはあれで、アーチャーの的にされるからな……」
「先輩、AGIが200もあるんだから躱せるんじゃないですか?」
「気が付けばな」
問題は飛んでくる矢に気が付かないってことだ。不意を突かれると、いくらステータスがあっても――もしかしたらVITの100で跳ね返せるのかもしれないが――危ないことに変わりはない。
「生命探知x2じゃ矢には反応できませんか」
「飛んでくる矢が生きてりゃ別だがな」
「それ、よけても追いかけてきそうですよ」
生きている矢。リビングアローか。もはや矢じゃなくてモンスターだな、そんなのがあったら。
「私の、〈危険察知〉なら行けるんじゃないですかね」
「かもな。とっとけばよかったかなぁ」
〈危険察知〉は、ウルフで取得するオーブだ。
やる気にさえなれば、大体20日に1個取得できるのだが、ウルフに会うには2層や3層に下りる必要があるので、ちょっと面倒なのだ。人も多いし。
それに、三好の〈危険察知〉は、俺やアルスルズが近くにいると、ほとんど反応しないことが分かっている。
危険を感じていないという事なのだろうが、非常に主観的な話なので、護衛の時に危険なものや事象から護衛対象を引き離すためには、全然役に立たなかった。
「なにかこう、武道の達人みたいに気配を察知するスキルはないものかね」
「感に優れた感じのモンスターですか……」
「海外製のデザインなんだから、カラテカとかニンジャとか居てもいいのにな」
だが、そういうモンスターは見つかっていなかった。
「向こうのRPGでは、ニンジャは強敵ですからね。もっと深いところにいるんじゃないですか?」
「なるほど。そういうこともあるか」
「ドラゴンもヴァンパイアも見つかってませんしね」
「確かに」
ゲームだとしたら、どちらもボスキャラ級の強敵だろう。
「まあ、ないものねだりをしても始まりません」
「そりゃそうだ。ともかく、書斎へ行くまでにどのくらいかかるかってことだ」
「外見通りのマナーハウスなら、全部の部屋を見まわったとしても、30分もあれば十分だと思いますが……」
「こないだ走り回った感じじゃ、なんとも不条理な迷路みたいだったからなぁ」
廊下は直線だし、部屋も普通に並んでいるだけなのだが、2階建てのはずなのに、2階分階段を下りたら1階だったりするのだ。意味が分からない。
もっとも、館がぐにょぐにょになった影響と言う可能性もあるが、あの時はまだちゃんとしていたように思えた。
「それに、どこから入るのかも問題ですよ。玄関の碑文をどうにかするまで攻撃されることはないと思いますけど」
正面玄関から入った場合、碑文に触れずにあの部屋を出ることができるのかどうかわからない。
かといって、勝手口から入った時は、正面玄関から逃げられなかった。
「先輩がロザリオをナンパした窓、まだ開いているといいですけどね」
「ナンパなんかしてないだろ! なあロザリオ?」
ひょいと俺の小さなバックパックから顔を出した小鳥が、ピルルとかわいらしい声で鳴いた。
里帰りって訳じゃないけど、隠されたものを見つける力が役に立つかもと、今回は連れて来たのだ。
「しかし、あまりに早い時間から放置しておくと、どこかの誰かがやってくるかもしれないしな……」
夜の10層だからと言って、安心することは出来ないだろう。
酷い目にあったとは言え、GBの斥候も入って来たし、異界言語理解の時は、中国のチームも追いかけてきていたらしい。
館に入るのは構わないが、最初の時の俺たちと同様、いきなり正面玄関で碑文にアタックされたりすると、こちらの計画が台無しになる。
「書斎の位置は、きっとロザリオが案内してくれますよ」
そう言って三好が両掌を広げると、右掌の上にはYESが、左掌の上にはNOが、まるで子供のいたずら書きのように描かれていた。
ロザリオはそれをみると、右掌の上にパタパタと舞い降りた。
「ほらね?」
ダンジョンの中では、悠長にキーボードを打たせるわけにもいかず、簡易の意思疎通手段として三好が考案したのは、実にローテクな方法だったのだ。
「はいはい。んじゃ、3時間くらいでいいか」
「十分じゃないでしょうか。後は先輩……」
「なんだよ?」
「頑張ってくださいね。代々木――いえ、世界の命運は、先輩に掛かってるんですから」
「ええ!? これってそんな話だっけ?!」
第一もしもそうなら、お前にだって半分くらいは責任が――
「なんです?」
「いや、なんでも。なら21時ごろだな。バーゲストはどうする?」
「数合わせで、バーゲスト待ちが出来たとして、先輩使うんですか?」
「俺に生き物係は無理」
アルスルズたちは、放置しておけば便利に使えると思ったら大間違いで、それなりにケアが必要らしかった。
なにしろ、留守番役を続けさせると拗ねるのだ。それで入れ替わりなどと言う非常識な技術を身に着けるのだから拗ねさせた方がお得だったのかもしれないが……
小麦さんは喜々として世話をしているようだし、三好の奴も、これでマメなところがある。もっともそれは自分の興味の範囲にあるものに対してだけなのだが。
ペットのケアって、水と餌をやってりゃいいんじゃないの? くらいの認識しかないわけだが、あいつらには水も餌も必要ない訳で、じゃあ何をすればいいのかさっぱりわからない。
放置した挙句、ペットにかみ殺されてニュースになりそうな気さえするのだ。サボテンのトラウマは伊達じゃないのだ。
「〈闇魔法(Ⅵ)〉だけじゃなくて、(Ⅱ)と、あと〈病気耐性(4)〉がありますよ」
つい先日寝込んでしまい、〈超回復〉が病気には無力なんじゃないかと思った身には、なかなかよさそうなお誘いだ。
「それは2個欲しいな」
「クールタイムが7日ですから、一度には無理ですね」
「片方が、〈状態異常耐性(2)〉 なら行けるだろ」
確か病気も状態異常の一つだといってたような気がするし。
「うまく数値が合わせられるなら、検討しましょう」
「ゾンビとスケルトンにはろくなオーブがないんだよな。昼の10層は、ほぼその2種類しか出ないし」
理想は、100匹目と200匹目と300匹目で、バーゲスト×2とモノアイを拾い、残りを調整しながら館を出したら、400匹目で、館の中の何かを倒すってところだろう。
そんなにうまくいくかどうかは分からないが。特にモノアイ。未だに本体を見たことすらないぞ。
「アイボールの〈鑑定〉も取っておきたいですよね。あ、でもあれは水晶のために、ごっそりと倒す予定でしたっけ」
「それなんだけどさ。以前11層でインフェルノを使った時、凄く広い範囲で何もなくなってただろ?」
「ドラゴンが暴れた後みたいでしたね」
「だけど、アイテムはほとんど手に入らなかったし、オーブもしかりだ。もしかしたら――」
「まさか、アイテムもオーブも、ある程度一緒に蒸発する?」
「――それか、普通と計算式が違うってことも考えられるんじゃないかと思うんだ」
ゲームのような世界だからこそ、強力な範囲魔法に違う式が適用されるなんてこともあるかもしれなかった。実際、あの時ほとんど何も手に入らなかったことは事実なのだ。
もちろんモンスターがいなかったという可能性も十分あり得るのだが。
「10層で、先に試してみればいいんじゃないですか?」
「倒した数が分からなくなるだろ」
「……意外と面倒ですね。いっそのこと転移石で21層へ行って、ダッシュで18層へ戻るとか」
「転移石10を作ってか? だがゲノーモスもオーブ以外何も落とさなかった気がするぞ」
むーっと腕を組んで考えてはみたが、テストに適当なフロアは思いつかなかった。
「意外と準備が足りてませんね、私たち」
「怠りがないのは、食べ物と飲み物くらいなものだな」
「そこは、重要ですから。ちょー重要ですから」
「仕方がない、一通り手数でしのいで、最後っ屁でインフェルノってテストって路線でいくか」
「了解です」
今日の日没は17時45分だ。
その日、俺たちは、17時頃10層へと下りた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
『おい、ヴィクトール。連中、10層へと降りて行ったぜ』
『くそ。だからこんなイレギュリエな仕事は引き受けたくないんだよ』
小さく舌打ちしたヴィクトールは、10層へ下りる階段を睨みつけた。
突然うけた大使館からの呼び出しには、嫌な予感しかしなかった。
わざわざ18層に連絡をよこしてまでの呼び出しだ。何か面倒が起きたに違いなかったが、まさかこんなスパイじみたことをやらされるとは思わなかった。
世界ランク10位のヴィクトールを筆頭に、13位のティエリと15位のクァンタンを擁するこのチームは、世界でも有数の探索者チームだ。
これがサイモンなら、相手が大統領でなければ、逃げ回るところだろうが、フランスのダンジョン攻略部隊は、フランス軍のCOS(特殊作戦司令部)の直轄で、隊員はフランス中の組織から集められたが、その身分は軍属扱いだ。
軍人でなくとも軍に属している以上、上から命令が来れば逆らえない。
『で、日没は?』
『あと45分ってところだな。追うのか?』
ティエリが、リーダーのヴィクトールに向かって、嫌そうな顔で尋ねた。
『去年、CNの連中が全滅しかかったって、自衛隊に救助されたって聞いたぜ』(*1)
ティエリは、CNの連中と、同じ轍を踏まされるのは勘弁してほしかった。
『代々木の10層は、モンスターの数が多いそうだ。特に夜は。銃だとおそらく弾が足りなくなる。CQC(非常に近い距離で行われる戦闘。近接格闘)になるが――』
『ゾンビとスケルトンが主体だそうだから、ま、なんとかなるだろ。こいつもあるしな』
チームのエンジニアで、情報担当でもあるクァンタンが、そばに置かれた1台のポーターを叩いた。
『都合よくそんなものが出てくる時点で、ついでにテストをやれって意図が見え見えだろ』
そこにあったのは、フランス産のポーター、というよりも簡易トーチカと呼んだほうがよさそうなポーターだった。
内部には、予備の弾丸も保持されているようだったが、無尽蔵と言う訳には行かないだろう。
『ダッソー、タレス、スネクマとルノーの共同開発だとさ』
『なんだそりゃ。空でも飛ぶのか?』
フランスの軍事産業は、航空機と船舶に偏っている。初めの3社は主に戦闘機やそのエンジンを作っているのだ。
『アルデバランがソフトバークに買収されちまってから、うちの国の新興ロボット産業はちょっとあれだろ』
『説明によると、多くの、あまり強力ではないモンスターに囲まれたときに威力を発揮するそうだ』
そのテストに、代々木の10層――それなりの数のゾンビとスケルトンが登場する層――が丁度よさそうに見えることは確かだ。しかし、彼らはその数を見誤っていた。
『あまり強力ではないってところに、そこはかとない不安を感じるんだが……そういうテストは、専任のプレイヤーにまかせろよ」
ヴィクトールはそう言って立ち上がると、大きなナイフを取り出して、腰に差した。
『しかたない、俺のクラヴ・マガを見せる時が来たか』
『あんた、GIGN(国家憲兵隊治安介入部隊)の出身だったのか』
ティエリも続いて立ち上がりながらそう言った。
1年以上チームを組んではいたが、お互い出会う前のことは、ほとんど知らないも同然だったのだ。外人部隊以来のフランスの伝統だろうか。
『クラヴ・マガは人間相手の格闘術だろう? ゾンビ相手に抱きつくのはごめんだし、弱点を叩いたくらいじゃ連中怯みもしないぜ。あいつらの、首を刈り取るならこれさ』
そう言って、ティエリが取り出したのは、ハンドアックスだった。
『あんたが、木こり出身だったとは、さすがに想像していなかったよ』
ヴィクトールがお返しとばかりに、そう言って笑いながら、彼に同化薬を投げて渡した。
『ま、日が沈むんじゃ、気休めだがな』
クァンタンもそれを受け取りながら立ち上がると、『仕方がない、行けるところまで行ってみますか』と言って、ポーターを起動した。
ポーターは、思ったよりもずっと静かな音を響かせながら、立ち上がった。
『思ったより動作音は小さいんだな』
『防音には気を使ったらしい』
『ラファールみたいなエンジン音だったらどうしようかと思ったぜ』
三人は口々に勝手なことをいいながら、10層へ向かう階段を下りて行った。
*1) 中国が自衛隊に救助された話
書籍版2巻に登場するエピソードです。




