§177 兆し 2/26 (tue)
遠い場所で、雨が降っている。
それが、軒先から規則正しく落ちて、地面をたたく音がする。
それが、だんだん大きくなって――
「ガブッ」
「いってぇ!」
ベッドの上で飛び起きた俺は、頭にかみついていた小さな物体を両手で外すと、目の前に持ってきた。
「ケン!」
軒先から落ちる水の音の正体はこいつか。
「お前が俺の額を叩いてたのか。そろそろ時間か?」
「ケン!」
グレイサットは、特に俺に対して反抗的というわけではない。グラスの奴は、どこでああなったのだろう。思えば最初からそうだった気もするが。
俺はグレイサットの頭をなでながら、素早くメイキングを立ち上げると、本日の参加者の希望に沿ったステータスにSPを配分した。
「はー、これもだんだん面倒になって来たな」
とは言え、すぐにやめるわけには行かないだろう。
なにしろ、一応、利益還元事業なのだ。赤字になりましたという言い訳で閉めることも難しい。
「まあ、そうなったら、料金を上げて続けろと言うやつらが出てきそうなんだけどな」
代替の利かない人間が含まれたシステムは、最初からシステムとして成立していない。
このシステムもどきは、俺がいなくなれば当然、キャシーがいなくなっても成立しなくなるかもしれなかった。
「期間限定にするべきかなぁ……」
ぼんやりとそんなことを考えながら、ふと夢のことを思い出した。
そういえば、夢の中で何かをやってたような気が……
夢は意識が覚醒した後、急速にその痕跡が失われていく。起きてすぐ、夢をメモする人たちがいるのはそのためだ。
外部からの経験として、短期記憶領域に書き込まれたりせず、直接脳の中で再生されているからだろうか。
いかに明晰夢とは言え、その呪縛からは逃れられない。多少は有利かもしれないが。
「なんだっけ。三好とダンジョンに潜って、あいつが木の棒を振り回していたような……」
それって、リアルと一緒だな。
俺は、苦笑を浮かべながらそう思ったが、そういえばこれは夢だった。リアルの経験が反映されていて当たり前か、と思い直した。
それから、腹痛を起こして――なんか変なものでも食べたかな。
そして、手の中の石が――
「消えてなくなった」
何か驚いていたような気がするが、どうしてだっけ……
そういえば、その時何かを思いついたような……
夢の記憶は、すでに脳のあちこちで発火する茫漠たる電気信号の向こう側に失われようとしていたが、その部分だけは、妙に頭の隅にこびりついていた。
俺は立ち上がって、シャワーを浴びにバスルームに向かった。
体のだるさはまだあるが、あのやたらと眠い感じは薄れていた。
バスルームに入って、お湯のハンドルをひねり、少し高めの温度に設定されたシャワーを頭から浴びながら、思いついた何かについて考えていた。
「消えてなくなった石……なんで、消えてなくなったんだっけ?」
俺は、ハンドルを元に戻してシャワーを止めると、立派なバスルームに似つかわしくない、昔ながらの安いポリエステルのボディタオルで体を洗い始めた。
柔らかなスポンジよりも、昔ながらのボディタオルの方が、こすった感じがして好きなのだ。
「何かこう、いろんなものを使ってたような……使って……あー、もうちょっとで思い出しそうなんだけどな!」
思わず地団太を踏んだ瞬間、泡を踏んで足を滑らせた。
「うわっ!」
俺はそのまま浴室内の壁に後頭部をぶつけ、腰をしたたかに打ち付けた痛みにうめく。
「痛って……バスルームで転ぶとか、子供か――」
そうして見上げたシャワーヘッドから、夢の名残のように、ぽとんとおちた水滴を見たとき、俺はすべてを思い出した。
「そうだ! 転移石だ!」
俺は転移石の作られ方を見たとき、それをリアルなダンジョンでもやってみようと考えていたのだ。
俺は素早く泡を洗い落としてバスルームを出ると、ひげもそらずにチノパンとTシャツだけのラフな格好で、事務所へと下りる階段に向かった。
夢のダンジョン内のアイテムは魔力を込めることで、別の何かに変化した。
リアルのダンジョン内のアイテムにDファクターを込めることで、別の何かに――込めるって、どうやって?
俺たちの麦は、ダンジョンシステムを利用した自然科学の一端だと言ってもいいだろう。だれでも再現可能な手続きを確立しているし、検証も可能だ。
しかし、筑波にできた黄金の木はどうだ? あれは地球の自然科学のルールに、ダンジョンアイテムを適用した例だと考えていた。だがおそらくは違う。
あの後、カゲロウが、木と一緒に、枝も持ち出していたらしい。それはとっくにどこかに渡されたはずだが、いまだに黄金の木が生えたという話は聞こえてこない。
あれは、ダンジョンアイテムに偶然魔結晶が反応した例だが、それが反応した原因は、おそらくそれをなした人間にあったんだ。
そう、佐山さんは、あの実が地上でも採れるように、そして大きく育つように「祈った」んだ。
ダンジョン内のアイテム使った魔結晶の利用法――
「祈り、か」
俺は、急いで階段を下りながらそう呟くと、目の前にあった、事務所の扉を勢いよく開けた。
「先輩?! いきなりどうしたんです? もう大丈夫なんですか?」
「三好! 袂を分かった科学と宗教は、もう一度ダンジョンの中でひとつになるかもしれないぞ!」
「はぁ? アインシュタインですか?」
アインシュタインが言ったとされる、"Science without religion is lame, religion without science is blind."は、今では直訳できなさそうなその内容から、いろいろと要約されて伝わっている。
そのうちの一つが、『いずれ科学と宗教は一つになる』だ。アインシュタインがそんなことを考えていたとは思えないが。
「違うよ。……いや、違わないのかな?」
俺は三好に、今しがた考えていた仮説を話した。
「先輩。言いたいことはわかるんですけど、例えば黄金の木の問題は、ネミの森の伝説を解釈したダンツクちゃんの仕業かもしれませんよ?」
「佐山さんが森の王で、彼が死ななきゃ次の黄金の木は現れないって?」
「そうです」
確かに、そういう可能性もあるだろう。
「だけど、俺にあんな変な夢を見せたのは、魔結晶利用に行き詰っているのをみた誰かのアドバイスだと思うんだよな」
あまりにも内容がおかしかったのだ。どう考えても外部からなんらかの影響を受けたとしか思えなかった。
「先輩。話が非科学的どころか、神がかってますよ。論理がシャーマンです」
三好が、耳かきでろー、はどうかと思いますけどねと茶化したが、そう言われれば、これって、夢のお告げだと言っているのと同じか。
「でも、そればかり考えているときの研究者の直感は侮れませんからね」
三好はそう言って立ち上がった。
「なんだ?」
「すぐに確かめられることを、確かめずに、仮説ばかり議論していても始まらないでしょう?」
「さすみよ。分かってるな」
「さすみよって、何ですか……」
◇◇◇◇◇◇◇◇
そうして俺たちは、もう夕方だというのに、とるものもとりあえず、代々木の1層へとやってきた。
「病み上がりだっていうのに、こんなことをしていていいんですかね?」
「気になって、おちおち寝てもいられないだろ」
「これだから、ブラック体質の人は……」
三好には呆れられたが、それでも俺たちは、その辺りの適当な石を拾いつつ、1層の人のいないエリアへと向かって歩いて行った。
5分ほど進んだ後、適当の広さのある部屋で、三好がラウンドテーブルと、椅子をふたつ取り出して、テーブルの上にろうそくを3本まとめて立てた。
「なんでろうそくなんだよ?」
確かに薄暗いが、灯りを出すのならLEDライトだろ。
「雰囲気ですよ、雰囲気。だって先輩、考えてみてください。私たちこれから、祈りを捧げるんですよ?」
「しかし、誰かが来たら、これってまるっきり怪しい集団じゃないか?」
「大丈夫。LEDライトでも十分怪しいですから」
そう言われれば確かにそうだ。
薄暗いダンジョンの奥で、テーブルを囲んで座っている男女。しかも、人知れず怪しい実験をしていて、テーマは「祈り」なのだ。
どこからどう見ても、怪しい秘密結社そのものだ。
「それで、どうするんです?」
テーブルに拾ってきた石と、魔結晶をおいた三好がそう訊いた。
「この石って鑑定できるか?」
「えーっと……『ダンジョンの石』ですね」
「ビンゴ! なんだか信憑性が増してきたぞ!」
夢の中の石も、確かそんな名前だった。
「私には、なにがなんだかさっぱりですけど」
「ほら、以前佐山さんに相談されたとき、『奇跡を起こすために、魔結晶とダンジョン産の触媒が必要だとしたら』と話したことがあっただろ?」
「ああ、枝の拡散の時ですね」
「そうだ」
あの時は、枝を触媒だと考えていた。成長はしたが、木は木だからだ。奇跡の元は魔結晶、何にでも姿を変えられそうなDファクターだと考えていたのだ。
しかし、奇跡の元はダンジョン産のアイテムと魔結晶の両方で、触媒は祈りだった可能性が高い。
「祈り、ですか?」
「そう、俺たちは意識の反映なんて言ってたけどな」
「祈りが、ダンツクちゃんに意思を伝える手段?」
「の、ひとつって感じかな」
三好は腕を組んで、祈り、祈りか……なんて、ぶつぶつ呟いていた。
「先輩。あの寓話みたいな碑文の話、覚えてます?」
「雨が降りすぎてなんとかってやつか? それが?」
「あの中には意味不明なフレーズがいくつも出てくるんですが、『プネス*$プリュ#%プリナにお願いする』ってフレーズがあるんですよ」
「プネスプリュプリナ?」
「そこは、なんというか意味の分からない文字の並びなんですが、読める音だけ取り出すとそんな感じなんです」
「つまり地球に無い概念だから、音素がそのまま並べられたってことか」
「たぶん。それで、慣用句のように使われるそのフレーズのモニカ訳が――pray、なんです」
寓話の登場人物が何かに――地球なら神だろうが――祈るなんてことは、別に珍しくはないだろう。文明が発達する前なら、祈りは普通の行為だったはずだ。
しかしたとえそうだとしても――
「そりゃまた、さらに信憑性アップって感じだな」
「自分に都合のいい情報をピックアップして、恣意的につないだだけですから、信憑性もくそもありませんよ」
「どうせ体系的な研究なんてないんだ。アマチュア研究者然とした、ただの思い付きもたまにはいいさ。んじゃ、後は、祈りを捧げるだけだな」
そう言って俺は、目の前に並んでいる魔結晶と石に触れて、祈りを――
――俺はそこで、はたと固まった。
「……三好」
「なんです?」
「俺……無神論者だよ! 祈る神がないじゃん!」
三好がいまさら何を言ってるんですかと言った顔で、言った。
「別に神様に祈らなくてもいいんじゃないですか? じゃあ、私が銀行口座に祈りを捧げましょう」
「銀行口座ぁ?」
「中身があれば何でもできる、現代の神の器じゃないですか。ダンジョンの石よ~、他のフロアに転移するアイテムになれっ!」
「それで成功したら、口座からお金が消えるんじゃないか?」
「ええ?!」
慌てた三好をよそに、当たり前だが石は石のままだった。
こんなふざけた祈りでDファクターが操作できるのなら、もうとっくに誰かがことをなしているはずだ。絶対に。
「それに、今のって命令じゃないの? 祈りじゃないじゃん」
何かを命令することと、何かを祈ることは違う。
「むー。じゃあ、先輩。祈りってなんですか?」
「いきなり哲学的な問題だな」
俺は腕を組んで、背もたれに体を預け、ろうそくの炎で揺らめく影を映した暗い天井を見上げた。
「祈りの本質は、自らの中の神と繋がるための行為であり――言ってみれば、儀式だろうな」
「先輩。それって祈りは、超個人的なものだって言ってるようなものですよ」
「まあそうだ」
「それって、科学に落とし込めるんですか? 個人の祈りを他者が再現できないなら、それは科学じゃなくて能力ですよ」
「しかも、自分ですら再現ができない可能性があるんだな、これが」
人間のような複雑な装置が、移り変わる条件下で、常に同じ何かをできるなんてことはまずないだろう。はっきりと認識できない、精神的な領域なら、なおさらだ。
どんなに練習を積んだところで、音楽家がいつも同じ演奏を繰り返せるはずがないのだ。精神性がゼロっぽい斎藤さんなら可能かもしれないが。
「そうなったら、それはもうただの偶然じゃないですか」
「そうでなければ、まさに神の御業だな」
祈りを定量的に定義することは難しい。というよりは不可能だろう。
科学の果てにあったのが、祈りだなんて、どっかの寓話系SFかよと思えるような結末だ。
「いやー、盲点だったな。祈りがこんなに難しいだなんて」
「意識しちゃうからダメなんですかね」
「ありそうだ」
「願いと、祈りは違うんでしょうか?」
「祈りには願い以外もあるだろう。だから違う気がするな。よくわからないけれど」
「もういっそのこと友達に頼むみたいに頼んでみるとか」
「誰に?」
「Dファクターくん」
Dファクターくん? 見えるくんです以来のゆるキャラだな。
「はぁ? じゃあなにか? 『そこのDファクターくん。ちょっとその石を転移石にしてくれないかな』って、言えばいいとでも――」
そのとき、目の前の魔結晶が光と共に音もなく空気に溶けると、机の上の石ころがかすかに光を帯びた。
「せ、先輩――?」
それは一瞬の出来事だった。三好が声を上げた瞬間には、もうその光は失われていた。
「――うそだろ」
そこにあった魔結晶がなくなったっているってことは、何かが起こったってことだ。それは間違いない。
「み、三好。鑑定」
「……了解」
三好は机の上の石ころを、恐る恐る人さし指でつつきながら、鑑定結果を報告してくれた。
「転移石、だそうです」
「詳細はあるか?」
「代々木1層に転移する、そうです」
「1層で作ったからかな?」
「たぶん」
「ちょっと待ってろ」
俺はその石をすべて保管庫に格納すると、その辺りからいくつかの石を拾ってきて、もう一度机の上に並べて置いた。
そうして、魔結晶をひとつ取り出して机の上に置くと、三好に向かって言った。
「今度は、三好がやってみてくれ」
比較実験は重要だ、もっとも条件がガバガバすぎて、厳密な意味があるかどうかは怪しいが、少なくとも誰にでもできることかどうかは調べられるだろう。
「分かりました――『そこのDファクターくん。ちょっとその石を転移石にしてくれないかな』――」
三好は、まじめな顔でそういったが、机の上の石や魔結晶はなんの反応も示さなかった。
「何も起こらないな」
「そりゃ、本来、起こる方がおかしいんですから。先輩、もう一度できます?」
そう言われて、俺は、友達に話しかけるような雰囲気で、机の上に向かって話しかけた。
「そこのDファクターくん。ちょっとその石を転移石にしてくれないかな」
すると、目の前の魔結晶は、さっきと同様、光と共に空気に溶けた。つまり現象は再現したのだ。
「先輩……どう見ても個人のプロパティですよ、これ」
三好の鑑定でも、さっきと同じものができていたようだった。
「――メイキングの仕業?」
「他に可能性があるのなら、言ってみてください」
三好はダンジョンの不思議に関しては、俺とほぼ同じ経験をしているし、ほぼ同じスキルオーブを使っている。
大きな違いがあるとしたら――
「それしかないか……しかし、耳かきはでなかったぞ?」
「魔結晶もありませんでしたし、お願いでもなかったですし。しかし本当に仕事をさせる能力があったとは」
「これ、どうすりゃいいんだ?」
「どうするといわれても、なにしろ個人の能力ですからね。当面は、何ができるのかを調べるしかないんじゃないですか?」
「お前な、他人事みたいに」
「100%他人事ですもん。それに、すんごい面白そうです。だって人類が未だ経験したことのない自然科学の領域ですよ!」
三好が興奮して身を乗り出してきた。
俺だって当事者じゃなかったら、興奮しただろうよ。
「ま、まあ、その話は置いておいてだな。ほら、佐山さんが黄金の木を作り出した以上、メイキングを持っていない人間でも同じことができる可能性はあるだろ?」
「あるでしょうね。だけど先輩。仮にそれが出来たとしても、所詮は個人的な技術ですよ」
「産業革命は起こしようがないな」
近代の工業は、産業革命を経て、手工業から大工業へとその手法を変化させた。
そうして大量の商品が生産されるようになったのだ。
だから、もしもこれで魔結晶の利用方法が確立したとしても、その手法を大工業的に展開することは不可能だろう。何しろ祈りには人が必要なのだ。
「それに、先輩。これ、売れますかね?」
三好が再び作られた転移石をつつきながらそう言った。
「需要はあるだろ?」
「そりゃ需要はありますよ。だけどもしも祈りでメイキングの力が模倣できるんだとしたら、これって、ダンジョンで石を拾って祈るだけで出来るんですよ? それって、自分の分は自分で作りませんか?」
ああ――なるほど。
そりゃそうだ。河原の石ころを商品にすることは確かに難しいだろう。
「祈りって特許の対象か?」
「絶対違うと思います」
「まあ、そこは売れなくてもいいよ。こんな技術を独り占めとかありえないし。ただなぁ……これ、公開できるか?」
「なんですか、突然。この実験は先輩が勢い込んで始めたんですよ? そりゃ、超能力みたいなもので、出来ない人は出来ないかもしれませんし、出来る人は何かのトリックだと言われる可能性はありますけど……」
「そこじゃないんだ」
「そこじゃない?」
「俺もまさか、本当にできるとは思わなかったから――」
「先輩!」
あんたは今更何を言っているんだという、三好の視線が痛い。
「――いや、だってそうだろ? だから、まともに考察していなかったんだが」
「誰かが、蝙蝠のモンスターの羽から空を飛ぶアイテムを作り出して、デビルウィング!とか言いながら空を飛び回る様子をYouTubeにアップして、『はは、さすがニッポン。やることが漫画だ』なんて、世界中の人から生暖かい目で見られるとか?」
「実にありそうな話だが、そんな平和的な話なら悩まないよ」
俺は真面目な顔で、三好の目を見ながら言った。
「いいか。世界にはいろんな人間がいるだろう?」
「はい」
「行き過ぎた過激思想は、社会的にマイナーなこともあって、それを実現する手段や力がないという理由で、現実の社会に大きく影響していないわけだが、それが簡単に手に入るとしたら――どうなると思う?」
「散歩のついでにテロを起こそうなんて奴が出てくる時代が来るかもしれないってことですか」
ステータスにもその危険性はあった。
だが、これはつまり、祈りと言う超個人的な技術で、ダンジョンアイテムに関連させることができるなら、どんなものでも生産できる工場を得るのと同じってことだ。
原子爆弾の例を挙げるまでもなく、科学の発展は、ポジティブ・ネガティブ両方の面があるわけだが、こいつはそれを究極のレベルで問われる技術になりかねない。
「それに、この技術が使えるものと、使えないものの間にできる溝は、ステータスの比じゃないぞ」
「超人とそれ以外に分かれるわけですね」
「ニーチェが考えていたそれとは違うだろうが、畜群側はより酷いことになるだろうな」
俺たちはしばらく無言でそのことを考えていた。
「でも包丁や金属バットの使い方を、それを考案した人間が心配するというのも違うと思うんですけど」
「よく言われるレトリックだが、アインシュタインは、あらかじめ広島や長崎のことを知っていたら、発見した公式は破り捨てただろうって言ってたぞ」
「もしも本当にそうしたら、別の誰かが発見していただけだと思いますけどね」
「まあそうだな」
俺たちは調子に乗って、いろんなことを試しているが、毎回発見した内容にまつわる問題の大きさに悩むことになってる気がする。
しかも、今回の奴は特大だ。
「この国で育った俺たちって、極端に影響の大きい何かを決めなきゃいけない時に、何も決められない性質が植え付けられてるんじゃないかって思うよ」
「国家陰謀論ってレベルじゃなくて、結果としてそうなってるってことでしょうけど、それが、テロや過激な社会的扇動が起こりにくくて、平和だってことに繋がってるわけですから」
「羊飼いに御された羊たちの、まさに神の国だな」
ろうそくがかすかに揺らめいて、三好の顔の影がより深くなったように見えた。
きっと俺の顔の影もそうなのだろう。
「でも祈りのテストは続けるんでしょう?」
気を取り直したように、三好がそう言った。
公開するかどうかと、実験で詳細を確認するかどうかの間に直接的な関連はない。それでも大発見をしてしまえば、公開したくなるのは確かなのだが……
「祈りで同じことができることを確認したら、公開したくならないか?」
「それはまたその時考えるってことで」
実に科学者らしい先送りだ。
「わかった。でも、俺じゃ試せないから、三好さんに一任しますよ」
「ずるい!」
だって、俺だと成功した結果が、メイキングのせいなのか祈りのせいなのか分からないという問題があるのだ。これは正当な理由なのだよ三好君。
「それよりさ。これ、どうする?」
俺は、机の上の転移石をつつきながらそう言った。
「本当に使えるなら、帰還石なんて名前で売り出せば、探索者の事故を相当減らせると思いますけど」
「だよなぁ。ともかく一度使ってみるか。鑑定結果的には大丈夫なんだろう?」
「ネガティブに見える記述はありませんね」
「だけどこれ、どうやって使うんだ?」
夢の中のように、メニューが出るわけではないのだ。
「きっと、こうして持って」
三好がそれを持ち上げて行った。
「でもって、『使おう』って意識すれば――」
そう言った瞬間、三好の手の上にある石が淡く輝いた。
「三好!!」
俺は思わす彼女の名を呼んで立ち上がり、慌ててその腕をとったが――
「はい?」
――そこには、驚いた顔をしている三好が座っているだけだった。
「何も起こらなかったのか?」
「いえ。石が――」
三好の手の上にあった石は、最初からそこに無かったかのように消え失せていた。
「そんなところまで再現しなくてもいいだろ!」
俺は思わずそう叫んだが、三好は訳も分からずにポカンとしているだけだった。




