§169 金枝篇 その後
ちょっと駆け足だったので、もしかしたら修正が入るかもしれません。
侵略か――
「なあ、三好。お前、どう思う?」
「侵略と言えば、侵略と言えなくもないでしょうけど……」
三好は、居間のテーブルの上を片付けながら言った。
「でも先輩、これって、TVがラジオの地位を奪ったり、新しく作られた、おいしくて生産性の高い品種が、生産性の低い品種を置き換えたりするのと同じだと考えても、それほど間違いじゃないですよね」
まあ、同じと言えば同じだな。それがダンジョンからもたらされたという点に目をつぶることができるなら、だが。
「それに、どうせ私たちは侵略の先兵ですから」
「洒落にならなくなってきたよな、それ」
問題がないならあるものは利用するって立場だったけど、こう話が大きくなるとなぁ。
「オーバルな麦刈り機もおんなじことが言えますからね」
貧困地域の食料分布改善が、いつの間にか世界の食糧市場の暴落につながるかもしれないとか、さっきのみかんの枝じゃないけれど、生産量をきちんと計算しておかないとヤバそうだ。
もっとも主食は、みかんなんかと必要な量が違うから、大丈夫だという気もするが……
「産業構造が変化するときは、必ず何かの没落が付きまとうものでしょう。昔の繊維業とか」
「それはそうだろうけれど、変化が急激すぎるだろ。しかも、その引き金を自分が引くと思うと、躊躇しないか?」
「ネイサン博士みたいに、まったくそれを気にしていないっていうのも凄いですけど」
「あれは、どうせ流通が行き届いていない場所で生産したって、現在の流通に与える影響は小さいだろうと、完全に割り切ってるんだよ」
蒙昧な人々の心理的な影響を考慮せず、事実だけで物事を考えるのは、科学者の悪い癖だ。
しかし、ここ100年ちょっとで急速に進歩した人類の心のとある部分には、科学の説得を拒む場所がある。
神様を信じるのと科学を信じることが同等だと考える人は、人々が考えているよりも遥かに多い。
「そもそも、ダンツクちゃんが望んでいるのは奉仕を捧げることだって、タイラー博士が言ってましたし」
「タイラー博士そっくりのダンジョンが作り出した何かが言ってたんだろ。裏も取れないような話を真に受けるなよ」
「私は結構信じてるんですけどね」
「理由は?」
「帰納的な推論、でしょうか」
「事象の数が少なすぎて、推論の精度が悪すぎるだろ」
「だけど、今のところ100%それで説明が付きますよ。いくら精度が悪くても、100%は無視できません」
確かに、ダンジョンによってもたらされた恩恵のすべては、ダンジョンが人類に奉仕したがっているという情報を否定していない。
だがなぁ……
「んじゃ、訊きたいことをまとめて、もう一度タイラー博士に会いに行くか?」
「会いにって……館ですか?! 対象はどうするんです??」
「いや、ほら、忘れてたけど、俺たちスケルトンを使ってないだろ」
「ああ!」
異界言語理解の時は、時間が早すぎて手加減していたら、11層へ追い立てられて(*1)リセットされたのか登場しなかったし、グラスたちの召喚の時は、GBの救出があったりしてそれどころじゃなかったのだ。
「NYのイベントが終わったら、かな」
「いいですね。大統領との約束は、どうせ32層の区割りができてからでしょうし。ついでにアイボールの水晶もゲットしたいですね!」
「あー、あれなぁ……」
「ほら先輩、極炎魔法で、いっぺんにドカーンと!」
「館が燃えてなくなったりしないか?」
「あの玄関の丈夫さを見る限り大丈夫って気もしますが……タイラー博士に訊いてみましょう」
「そうだな」
もっとも、仮に半壊したとしても、次に登場するときは元に戻ってるって気はするけどな。
「しかし、前にも言ったが、侵略するにしろ、奉仕するにしろ、どうしてこんなに迂遠なんだ?」
最初は人類のことをまるで知らないわけだから、ある程度迂遠なのもわかるが、すでに3年も全探索者から人類の情報を得ているはずだ。
「それなんですけど、先輩」
「なんだ?」
「例の、意味不明な碑文、覚えてます?」
見つかっている碑文は、さまよえるものたちの書に属するものと、それ以外の2種類に分類されている。それ以外の部分には、奇妙な歴史のようなものが刻まれていたはずだ。
「歴史っぽいやつか?」
「そうです。あれって、なんだか寓話のパーツみたいなところがあるんですよ」
「寓話?」
「とは言っても、私たちの世界の寓話とは全然違うんですけど」
そりゃ、世界が違うのだ。道徳のありようが異なれば、ストーリーの作り方はちがうだろう。
普遍的なモチーフにだって差があるに違いない。もっとも異界言語理解が、その部分を吸収している可能性はあるが。
「いくつかの話の結末だろうと思う部分は、大抵主体になっているものが滅ぶというか消えるというか、いなくなるというか……例えば、『水が必要な場所に雨が降った、皆が喜んだが、雨が降りすぎて誰もいなくなった』って、そんな感じなんですよ」
「なんだそりゃ? 過ぎたるは及ばざるがごとしってことか?」
「なにかそういうのとちょっと違う感じなんですよね。異界言語理解は所有者の知見に、大きな影響を受けますから……」
鳴瀬さんとモニカの訳は、さまよえるものたちの書に関する部分はほぼ一致するが、そうでない部分はかなりの違いがあるそうだ。
「先輩が言ってた、ダンジョンの先の世界の自己紹介ってのが正しかったりしたら、向こうの世界はなんだか変ですよ」
「いや、ただの寓話集かもしれないからな。地球だってグリム童話を全部リアルだと解釈したら、相当おかしな世界になるぞ」
「それはそうなんですけど……」
「よし!」
俺は膝を叩いて立ち上がった。
「なんです?」
「いや、腹が減ったろ? BLTサンドでも作ろうかなと。ほら、帰納的な話をしていたら、ベーコン(*2)が食べたくなってくるだろ?」
「イギリス産の?」
「イギリス産の。ないけど」
三好は笑いながら、カップを手に、シンクへと向かって行った。
◇◇◇◇◇◇◇◇
その後、俺たちが、NYへ行く常磐ラボの人たちを見送るまでの数日で、実に様々なことがあった。
まずは、鳴瀬さんに、件のオレンジの木がフランスに持ち出されたと聞いて驚いた。
「メゾン=アルフォールにある、とあるカルトの拠点の中庭に植えられたそうです」
「中庭って……それじゃあ、地上に生えてるんですか? あれが?」
「そのようです」
ダンジョンから切り離されたダンジョン産の木は、ダンジョンの外でリポップするのだろうか。
どんなふうになっているのかものすごく興味があるが、一般には公開はされていないらしい。
「生命の木と呼ばれているようですよ」
「そりゃまた……その中庭がパラダイスってことでしょうか?」
「知恵の木も生えてるんですかね?」
「温室にバナナとかか?」
「なんでですか。リンゴじゃないんですか?」
「エデンがあったとされる場所は、気候的にリンゴが生えないんだそうだぞ。それにイチジクとも言われてるが、当時のイチジクはバナナのことらしいじゃないか。アレクサンドロス大王もそう言ったそうだし」
「へー。でもなんだか絵面がよくないですね、バナナ」
「だって、ラファエロもクラナッハも、フロリスもルモワーヌも、渡そうとしている実をバナナにしただけで、吹き出しそうな絵面になりません?」
確かに、イヴがバナナを差し出して、アダムがそれをくわえてたりしたら実に馬鹿っぽい。
俺はそれを想像して、思わず吹き出しそうになった。しかし――
「いやいや、イヴがバナナを食べて、出産の苦しみを得るようになるって、なんとも象徴的じゃないか」
「先輩……」
三好の冷たいジト目が俺を貫いた。いいじゃん、ちょっとくらい。
鳴瀬さんが、慌ててフォローしてくれた。
「そ、それはともかく、一応FrDA(フランスダンジョン協会)が監視の対象にしたようですので、何かあったら情報は伝わってくると思います」
「何事もなければいいんですけどね」
心の底からそう祈っている。侵略然とした展開になるのは勘弁だ。
そういえば、つくばから持ち出された枝は、大部分が回収されたが、最後の4本はいまだに見つかっていないそうだ。
そして、ステータス計測デバイスの前に、Dカード所有者のチェッカーが発表された。
番組制作会社メディア24の氷室とかいうディレクターの単独インタビューによる発表だった。
最近すっかり三好の広報扱いされている彼だが、本人は悪態をつきながらも、そのポジションにまんざらでもないようだった。
チェッカーは、パーティに属しているかどうかのチェックも行える高機能な商品だが、ステータス計測デバイスに比べればずっと安かった。
「予約の受付状況が大変なことになっているみたいですよ」
「もう予約を受け付けてるのか?」
「どれくらいの潜在需要があるのかなと思いまして……」
「潜在需要?」
「EMS(*3)メーカーの選定が問題なんですよ。近場でUMCエレやOKIさんに頼もうかとも思ったんですが、世界需要が発生したりしたら数の問題が……やっぱ、台湾メーカーですかね」
世界最大のEMSメーカーは、台湾勢だ。
ぶっちぎりで世界最大のフォックスコンを始めとして、ペガトロン、クアンタ、コンパルといったメーカーがしのぎを削っている。
「UMCエレさんは、なにかちょっと変ですし」(*4)
「そんなに数が多いなら、台湾メーカーだろうな」
「一応、OKIさんにも話を持って行ってみます」
「なんとなく日本製って安心感がある感じ?」
「いまや、気のせいみたいなものなんですけどね」
三好はそう言って笑った。
まあ、実際トップエンドの製品も台湾で作られているわけだしな。
ついでに、この発表に合わせて、三好は御殿通工の株を主に時間外取引で売り飛ばしたらしかった。
「つなぎ売りを使いつつ、売り圧力を強めてみたんですけど、凄い頑張ってましたよ」
つなぎ売りと言うのは、要するに自分が所有している株を空売りすることだ。
手放したくはないが、一時的な下り局面が明らかなところで一端損益を確定させるために使うのが普通だ。
「長期トレンドが下降することが分かっていて、短期トレンドが爆上げしているときにつなぎ売りって……普通は逆だろ」
「そうなんですけど、いろいろとあるんですよ」
「あんまりあくどい真似は――」
「しませんって。だけど、誰が買ってるんですしょう、これ? 9000円くらいから売り始めて、今のところ平均6500円くらいで消化されてるんですけど……」
「待て、お前700円ちょっとで、800億くらい使ったって言ってなかったか?」
「言いました」
「で、平均6500円くらいで売り飛ばした?」
「そうです。今のところは4000円台くらいですけど」
それってつまり、1億株を平均6500円で売り飛ばしたってことか?
ライブドアがニッポン放送を買収しようとして買い占めたときの金額の8倍以上だぞ、それ。
「それって、6500億ってことか?! どーすんだそれ。異界言語理解の時よりも大きいじゃん。税金ってどうなるんだ?」
「株式の売却益は、実はダンジョン税と大差ありません」
「そんなに優遇されてんの?」
「申告分離課税だから、復興特別所得税を入れて、税率は20.315%ですね」
ダンジョン税+JDA手数料で20%なので、確かに大体同じだ。ちょっと待てよ?
「会社で買ってるんじゃないのか」
申告分離課税は、個人に対する課税だ。法人の場合は総合課税になるから、こんなに儲けたら税率はもっと高いはずだ。
「そんなお金、会社にありませんって。パーティの資金だから、個人扱いですよ」
JDAの登録パーティは、あくまでもJDA内で法人っぽく振る舞うだけで、税務上は個人扱いだ。
行ってみればリーダーを世帯主とした全員が配偶者の集まりみたいな取り扱いになるそうだ。重婚かよ。
「つまり、三好がパーティの資金を利用して個人で取引を行ったって形になるわけか」
「そうです。目玉が飛び出る住民税になりますよ! 鳥山先生気分が味わえます!」
「味わいたくない」
行政サービスが気に入らなかったら、引っ越すぞって脅せるレベルだ。
実際にそんなことをする人がいるかどうかは知らないが。
「しかし、いったい誰が買ってるんだ? 内部留保が1兆円以上ありそうな企業?」
「さあ?」
「さあってな……俺達、また変なところから恨まれるんじゃないだろうな」
「私たち、何もしてませんよ?」
三好が無垢な笑顔を浮かべながら、そう嘯いた。
悪魔っていうのは無垢な仮面をかぶっているものだとは、言い古されている表現だが……まさにそんな感じだ。
「今何か、失礼センサーに反応があったんですけど」
「き、気のせいじゃね?」
「ともかく、実際に発売されるか、EMSで発注するまでには、完全に手じまいする予定ですから」
「やっぱ、発注したら、部品についてもばれるかな?」
「こんだけ財力のある誰かですからね、ばれないと思うほうがどうかしてますよ」
知財関係の書類が公開されたところでもばれるかもしれないな。
「そっから暴落?」
「それはわかりません。今だって普通の人にとっては、どうして高騰しているのかわからないでしょうし……できるだけ一般投資家に押し付けつつこっそり撤退するんじゃないですかね」
「慌てて売りに出して、暴落させたら大損だもんな」
「空売りのチャンスですね!」
「もう十分だろ。やめとけ」
「はーい」
こいつは放っておくと、どこまでもやっちゃうタイプだからな。
仕事の時もそうだったし。ブレーキを掛けないと、予算があっという間に食いつぶされかねなかったっけ。
おかしい、俺のサポートに雇ったはずなのに……
そうして、US東部時間で23日、ついに探索者の祭典みたいなイベントがNYで開催された。
*1)11層へ追い立てられて
55話では自発的に下りていますが、書籍版2巻ではとある国のチームの追跡から逃れるために11層に下ります。
*2)ベーコン
帰納法を提唱したのは、フランシス=ベーコンで、イギリス人。
*3)EMS
Electronics Manufacturing Service。電子機器を受託して生産してくれるサービス。
*4)UMCエレクトロニクス
2019年、中国連結子会社における不適切な会計処理が発覚して外部調査委員会が設置され、12月、東証の特設注意市場銘柄に指定された。
丁度このころ、株価が昨年来安値を更新したり、株主優待制度を導入したりしていた。




