§168 金枝篇 2/20 (wed)
昨日とは打って変わって穏やかな陽射しを感じながら、斎賀は足早にJDAのロビーへと出て辺りを見回すと、部屋の隅のソファーで目的の人物を見つけて歩み寄った。
「どうも、すみませんね、こんなところまで」
「いや、目と鼻の先ですし」
寺沢はそう言うと、ふと思い出したかのように斎賀に尋ねた。
「そういえば、三好さんへの伝言の件は?」
寺沢がそう訊いてくるからには、Dパワーズの連中は連絡をしてないんだなと、斎賀は確信した。あの連中のことだ、さもあらんというやつだろう。
「あの後すぐに、専任管理官から、連絡先と魔法の呪文は伝えましたよ。その後のことは分かりませんが」
「それはどうも」
誰かに聞かれて困る話でもないし、そのまま、彼らはロビーの隅に陣取った。
寺沢は角型2号の封筒を取り出して、斎賀に渡した。
「早速ですが、問題の木は国外へ流出しました」
「国外?」
寺沢は頷いて言った。
「新潟東港から昨日出港したそうです」
「そりゃまた、素早い」
「まったくですね」
「植物なら、輸出国の規制のためのチェックがあるのでは?」
「防疫は、輸入は厳しいですが、輸出は大変甘くてね……」
「では目的地は、ロシアか中国、そうでなければ、韓国や台湾ってところですか」
「いや、持ち出したやつが嘘をついていなければ、最終目的地はフランスでしたよ」
「フランス? 新潟東港から?」
新潟東港から出る貨物船は、直接的には、ロシアか中国、あとは、韓国や台湾、それに香港だ。フランスへ荷物を運ぶのにここを使うことは稀だろう。
「それなら、JALカーゴ辺りを使って運べばすぐなんじゃ?」
「出来るだけ早く日本を出たかったか、そうでなければ――」
「飛行機は規制が厳しい?」
斎賀のセリフに、寺沢は、かもね、と手を広げて見せた。
「むこうなら融通が利く」
「融通ね」
「まあ、ウラジオストクからアエロフロートでシェレメーチエヴォへ飛べば、あとはシャルル=ドゴールまで一本ですから。とは言え、問題はルートよりも取引相手なんですよ」
「受取人も分かってるんですか?」
「どういうわけか、書類にきちんと記載されていました」
「それで?」
「アルトゥム・フォラミニスって、ご存じですか?」
「なんですそれ? 商社か何か?」
「いいえ。正式名称は、アルトゥム・フォラミス・サクリ・エッセ。言ってみればカルト――宗教団体ですよ」
「カルト?」
寺沢がその団体について詳しく知っていたのは、篠崎に頼んでいた人事教育局長の交友関係者の背後でちらついていた団体を調べたからだった。
ここで同じ名前が出て来た時は、驚いたものだ。
「どうも、セレブの間で人気の団体らしくってね。結構あちこち食い込んでるみたいですよ。分かってることは、そのレポートに書いておきましたから」
「いや、それはありがたいが……」
斎賀は宗教とは無縁の男だ。
まさかここで、カルトと関わることになるとは全く思っていなかっただけに、面食らっていた。
「それと、あなたのところの幽霊男ですが――」
「探索者ランキング1位の?」
「それです。連中、どうもそいつに興味があるようで、かなり執着してるようです」
斎賀は、以前、ザ・ファントムに関する妙な問い合わせが、防衛庁からあったことを思い出した。
出所の組織が同じってことは、この辺に何かがありそうだ。
「執着? なぜ? そもそもどうやってそれを知ったんです? 自衛隊員倫理審査会と関係が?」
寺沢はそれには答えず、立ち上がった。
「ともかく、異界言語理解の時の借りは、これで返しましたよ」
「5丁目のアドバイスの分は?」(*1)
「調子に乗るな」
寺沢は口元だけで笑うと、そのままJDAから出て行った。
斎賀は苦笑しながらそれを見送ると、そのまま貰った資料に目を走らせた。
「やはりWDA一括買い上げのシステムを構築するべきだったんじゃないかな」
一通り読み終わって、ため息をつきながらそう言った後、「ま、これも自由主義ってやつの、避けがたい弊害か」と呟いて、ダンジョン管理課へと戻って行った。
◇◇◇◇◇◇◇◇
そのころ、Dパワーズの事務所には、農研機構の佐山さんが訪れていた。
「それで、今日はどうなさったんです?」
「いえ、ちょっとアドバイスをいただきたいと思いまして」
「アドバイス?」
「はい、正式にJDAを通してもいいんですが、ちょっと緊急で」
「みかんの話なら、もう農水省やダンジョン庁が動いているんじゃないんですか?」
「もちろんです。ただ――」
俺は、彼の語った話を聞いて唖然とした。
ダンジョン庁の要請は、収穫の禁止だ。それは守られたらしいが、他に、当のニュースが出た瞬間、日本中のミカン農家から枝を譲ってほしいという問い合わせが殺到したというのだ。
そして、農水省やダンジョン庁がそれに気が付いたときには、すでに相当数の枝が配られた後だった。
配送したものは、送り先が分かっているが、取りに来たものは、受取手がはっきりしない場合も多く、その後の対応は芳しくないそうだ。
「根本の木は、ダンジョンの枝を直接接いだものですが、あれはたった一晩で大木に育ちました。問題になっている温州みかんの枝を接木したとき、そんなことが起こる可能性があるでしょうか?」
そんなことを訊かれても、分からないとしか言いようがない。
「それはさすがに分かりませんが、もしも奇跡を起こすために、魔結晶とダンジョン産の触媒が必要だとしたら、そういうことは起こらないと思いますが……」
俺が自信なさそうにそう言った時、三好が真剣な顔をして割り込んだ。
「先輩。1863年、ヨーロッパにフィロキセラ禍が起こった時、最終的には北米系ブドウの根っこに、ヴィティス・ヴィニフェラ種を接木して、ヨーロッパ系の品種を守ったんですよ」
「なんだよ、いきなり」
ワインに携わる者としては、世界一番有名な事件だけに知らないものはいないだろうが、逆に携わらないものにとっては、まったく知らない話だろう。
「つまり、繋がりさえすれば、接ぎ木の先は接いだ品種の性質を、ほとんど保っているってことです」
「おい、まさか――」
「つないだ枝には、魔法がかかったままかもしれません」
魔法がかかっているのは、空間か対象か。もしも対象ならその可能性は十分にあるだろう。
さすがに農研機構のオレンジがもう1本できるってことはないだろうが、魔結晶さえあれば、無限収穫可能な枝になる可能性はあるってことか。
「やっぱり……」
佐山さんはがっくりと肩を落として、そう呟いた。
「もちろん、周囲に、十分な量の魔結晶が存在しない場合、そういうことは起こらないと思いますが……もしかしてすでにどこかで?」
佐山さんは、残念そうにうなずいた。
やはりそうか。そうでなければ、突然うちまでアドバイスを求めに来ないだろう。
「京都の木津川で、地球環境産業技術研究機構の魔結晶が消失したそうです」
「けいはんな学研都市か」
けいはんな学研都市――正式名称は、関西文化学術研究都市だ。バブル華やかかりしころ、京都大学の学長の提言で始まった都市計画で、理工系に偏らないようにとの横やりが入った結果、文化の文字が追加された場所だ。
つくばに比べると、やや中途半端な感じが否めないが、地球環境産業技術研究機構の側には、オムロンのイノベーションセンターやNTTコミュニケーションの科学基礎研究所を始めとして、研究開発系の施設が数多く存在している。
少し北には同志社が、西側には、奈良先端科学技術大学院大学も存在している。魔結晶の量はそれなりにあるだろう。
「京都や奈良のみかん生産量はほぼゼロなんですが、大阪は結構ありますし、あの辺には観光農園がそこそこあるんです」
原因は、おそらくつくばと同じだろう。
ただ、黄金の木がそんなところまで影響するとは思えない。ほぼ間違いなく、誰かが勇み足で枝を接いだことが原因に違いなかった。
あまりにも結果が出るのが速すぎるが、そこはDファクターの影響に違いない。何しろ黄金の木は1日でああなったのだ。
「消失が起こるから、接ぎ木はやめろという勧告を出した方がよくないですか?」
「そうなんですが、まだ因果関係が確定していないので、なかなか……」
うーん、科学的な裏付けがない状態で、それを禁止する法的根拠もない訳か。
「あれ? でもつくばでは禁止したんですよね」
「あれはお願いです。しかも、半分は脅したみたいなものだそうですよ」
「結局、同じことが起こっている場所を特定して、個別にお願いするしかないと?」
「今のところは、そのようですね」
「それに、もしそんな勧告を出したりしたら、ばらまかれた枝自体が高値で取引されて、行方が辿れなくなりそうで……」
所有者がはっきりしない状態なら、それも十分あり得るか。
「いまでもはっきりしないわけですから、こうなったら、ダンジョン庁にお願いして、研究者側に注意勧告を出すしかないでしょう。それで消失が起こったら、その周辺を探して歩くくらいしか」
「そうですよね」
「でも先輩。意外と簡単に見つかるかもしれませんよ」
「どうやって?」
「あの枝を接ぎたがるのは、趣味の人か、後は観光農園だと思うんですよね」
「観光農園?」
「いわゆる市場に出荷するみかん農家は、枝を接木したところで大した収穫にならないでしょう。小規模多品種農家くらいですよ、可能性があるのは」
それを聞いて、佐山さんがぴくりと片眉を上げた。
「それに比べて、観光農園にとっては、枝1本でもバランスブレイカーの神アイテムですからね、あれは」
そう言われれば、確かにそうだ。
採っても、採っても、早送りのような速度で実が生りなおす枝。そりゃ観光資源になるだろう。
「ま、誰でも情報を発信できる現代、そういう場所は、すぐ話題になると思いますから、SNS等の監視をちゃんとやってれば大事になる前に、場所も特定できるし、規制もできるでしょう」
「そんな単純な話じゃないんですよ……」
佐山さんが震える声で、そう言った。
「に、日本の柑橘農家を、農研機構がぶっ潰したなんてことになったら……」
「ぶっ潰すって、そんな大げさな」
「大げさじゃないんですよ!」
佐山さんは、こぶしを握り締めて力説した。
「いいですか、三好さんは大した収穫にならないとおっしゃいましたが、実は、みかんの木1本には、大体600~700個くらいの実が生るんです。もっとも出荷を考えた手入れをした場合、500個ってところでしょう」
「はぁ」
「そして、1個の平均的な大きさは、大体100グラムってところです」
「つまり1本から50キロくらいの実が取れる?」
なにしろ理想的な実が生るシステムなのだ、実際はもっと重くなるかもしれなかった。
「そうです。そうして、もしも10分で1本の木の実が収穫しなおせるとしたら――」
そう言われて、彼の言いたいことが理解できた。
「1時間で300キロ、24時間で7.2トン、1年なら――」
「2628トンですね。もしも機械化して1分で収穫出来たら、なんと26280トンですよ」
三好が冷静に計算して言った。
「それって、どのくらいなんだ?」
「26000トンというと、広島県の生産量を上回って、全国でも軽く10位以内に入ります」
佐山さんがそう教えてくれた。
「1本の木から?」
「1本の木から。そもそも、去年の日本のみかん生産量は、全体で77万トンくらいなんです」
「ということは――」
「木が29本あれば、ほとんど賄えちゃいますね」
俺はそこで、ふと気が付いた。
「……なあ、それって、もしかして、枝の方が恐ろしいことになるんじゃないか?」
「え?」
「考えても見ろよ、接いだ枝に、もしも10個の実が生ったとしたら、その収穫速度は1本の木どころの騒ぎじゃないだろ」
「もしも、いつも同じ場所に実が生るとしたら、収穫は簡単に自動化できますよね。1秒で収穫、1秒で復活ってことになったら……1分で300個ですよ」
つまり――
「枝2本で、木1本分以上ってことか」
2秒で1キロの収穫だから、1時間で1800キロだ。つまり1日43.2トン。1年で15768トンってことになるのだ。
「枝が49本あったら、日本のみかん生産量を、完全に賄えることになりますね」
再び三好が冷静に計算した。
「大変じゃん!」
「いや、だから、大変なんですってば」
今は、この実の出荷は食の安全性が確認できないという理由で禁止されているが、WDAのDFA(食品管理局)が安全だという結果を公表したらそれを禁止する手段がない。
なにもしなければ、市場が大混乱に陥いるだろう。
「先輩、もう一つ問題がありますよ」
「魔法が飛び火するかどうか、か?」
三好は頷いて行った。
「黄金の木と同じ能力が枝にあったら、もうだれにも止められませんよ」
「魔結晶を規制してもだめか?」
「むしろ因果関係を明らかにして、損害賠償の対象にしたほうがましじゃないでしょうか」
俺はタブレットに、日本地図を呼び出した。
「みかんの産地と言うと、和歌山、愛媛、熊本、静岡、ってところか?」
「北九州周辺と静岡周辺。後は愛媛広島ラインですね」
「和歌山や愛媛には、魔結晶を備蓄しているような研究機関が集まっている場所はないでしょう」
「北九州には、北九州学術研究都市があるけど……」
「あそこは、ほとんど情報系に偏っていますから、少しはマシだと思いますが……いかんせん施設は多いですからね」
「研究施設の集中でヤバそうなのは、播磨ですかね」
「播磨?」
「播磨科学公園都市です。SPring8やSACLA(*2)がありますし、ダンジョンができて以来、エネルギー関連の研究施設もそれなりにできてますよ」
兵庫の山の中か。
「あの辺のみかん畑は、大抵瀬戸内海に面した場所だろ? SPring8って、凄い山の中ってイメージがあるぞ」
「それに兵庫は千葉と並んでみかんの生産量は全国最下位レベルですから」
瀬戸内に面している県がすべてみかんを作っていると思っていたが、ほとんど兵庫はみかんを作っていない。岡山に至ってはほぼゼロだそうだ。
山中だし観光農園もなさそうだから大丈夫かもしれない。予断は許されないが。
「静岡の研究施設は、ほとんどが環境や農林水産業系ですから。工業技術研究所もありますが、規模としてはそれほどでもありません」
「ただまあ、たった1本の木があれば問題は起こりますから、北九州と京阪奈には特に注意を回しておいた方がいいでしょう」
佐山さんは頷きながら呟いた。
「しかしこれは、まるでダンジョン種による地球種への侵略ですね」
自分もそれに手を貸したことが明らかな彼は、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「問題は、もしも人体に悪影響がないとしたら、人類にとってのマイナス要素が何もないってことなんです」
むしろ生産性の話をするなら、ぶっちぎりでプラスだろう。
既存の農家にとって、それが福音なのか悪夢なのかは難しいところだが。
「通常は既存種を守るために、外来種を排除したりするわけですが――」
言いたいことはとてもよくわかる。
なにしろダンジョンが絡んでいるというだけで、対象は温州みかんなのだ。おそらくどんな検査でも温州みかんということになるだろう。例のせとかのように。
ただ出来が抜群に良いだけなのだ。
「マイナス要素のない侵略行為って、果たして侵略として排除できるものなんでしょうか?」
佐山さんは、難しい顔をしてそう言った。
そうして、「そもそも種としては、侵略にすらなっていませんし」と、泣きそうな顔で笑った。
*1) 5丁目のアドバイスの分
書籍版2巻に登場するシーン。新宿5丁目で、斎賀が寺沢に、異界言語理解の取り扱いについてのアドバイスをします。
四角形の斎賀ファンは買いですよ(そんなやつはいない)
*2)SPring8・SACLA
Spring8(Super Photon ring-8Gev)。加速器と放射光利用の実験施設からなる大型放射光施設。
日本原子力研究所と理化学研究所が共同で建設して、高輝度光科学研究センターに委託している。商用利用も盛んにおこなわれている。
SACLAは、SPring8と実験設備の一部を共用する、X線自由電子レーザー施設。
#このご時世、おかげさまでGW(カレンダー通り)は手すきなので書き溜められ……るといいなあ。




