§167 金枝篇 2/19 (tue)
「おい、あれじゃないか?」
結局昨日のうちに見つけることは出来ず、18層まで引き返して夜を明かしたカゲロウの面々は、翌日の昼過ぎになって、やっとカーブを描く道らしきものの向こうに、オレンジ色の果実をつけた木を見つけた。
「って、ありゃ、なんだ?」
カーブを曲がり切って、視界が開けたところで、森の向こうの丘の上に、天文台みたいな建物が立っていた。
「ダンジョン内に建物? って、スライムはどうなってるんだ??」
ダンジョン内の建造物は、モンスター、特にスライムによって破壊されることは周知の事実だ。
コクブンが目をごしごしとこすってみたが、それで建物が消えるようなことはなかった。
「自衛隊か何かの管理施設じゃないのか」
自衛隊なら、常駐することで施設を維持することも可能だろう。実際チームIの攻略中は、連絡員のチームが、各階層の出入り口に拠点を作ったりしていた。
「管理? って、このオレンジのか? それだと、オレンジの木の採取ってまずいんじゃね?」
それまであり得なかった食用植物の森だ。JDAや国の管理下に置かれていてもおかしくはなかった。
その場合、入ダン時間が適用されるのか、管理下に置かれた時間が適用されるのか、はっきりとは分からなかったが、もしもあそこに人が常駐しているとしたら、管理下に置かれた時間が適用されるに違いなかった。
「こいつは予想外だ……が、まあ、ここまで来たんだ。文句を言われたら考えるってことで、予定通りものは採取するぞ」
景浦は、何か言われたら『知りませんでした』で逃げ切るつもりで、予定通りの行動を始めた。
ここまで来るのに使ったポーション代だけでも稼がなければ大赤字なのだ。
「了解。じゃ、辺りの安全を確保するから、ウエキヤは持って帰れそうな木を選んでくれ」
ウエキヤと呼ばれた男は、辺りを見回して途方に暮れた。
「そう言われても……」
基本的にここに生えているオレンジの木は大きかったのだ。
根回しされているならともかく、ここにある木は自然木だ。つまり根は自然に伸びているだろう。
大きな木は枝の量に合わせて、必要な根毛の量も多くなる。つまり、根の周辺を大きく切り取る必要があるのだ。
6人で運んで帰ることを考えれば、2メートルくらいまでの木が望ましいのだが……ざっと見まわした中に、そういう木はなかった。
「なるべく小さな木を探してほしいんだ。4メートル以上ありそうな木は持ち帰るのが難しい」
「そうか、階段の鳥回しもあるしな……よし、小さな木を探すぞ。草むらのパイソンと竜カエルには気をつけろ」
そうして、彼らは小さな木を探しながら、森へと分け入っていった。
ウエキヤの指示で、あまり日の当たりそうにない斜面の端を確認しに行くことにしたのだ。
「しかし、うまそうなオレンジだよな」
辺りを注意しながら、コクブンが、目の前のオレンジをひとつもぎ取った。
「やめとけ」
「へ?」
「まだ安全かどうかの情報がJDAから出ていない」
「えー? 食えるっしょ、これ」
「6人しかいないんだ。腹が痛くて動けないような奴が出たら、仕事に支障をきたすだろ。せめて帰ってからにするんだな」
そう言われて、コクブンは仕方なさそうにオレンジを見つめ、「時計仕掛けだっての?」と呟いて、バックパックに突っ込んだ。
「なんだ、エイブンに鞍替えか?」
Clockwork Orange は、ロンドン東部の労働者階級のスラングで、まともに見えるが、実はおかしい奴のことを意味している。
それを聞いたコクブンは、「背筋の溝」(*1)とおどけて言って笑った。
「なんだそれ?」
「いくら国文でも、バーナード・ショーくらいは読むから」
「ショー?」
突っ込みどころ満載のドヤ顔に呆れた瞬間、先頭にいた斥候が声を上げて、右斜め前方を指さした。
「パイソン!」
2列目の前衛が、ボア用の捕獲棒を取り出した。
単体のラブドフィスパイソンは、巻き付かれたりかみつかれたりしなければ対処確立していて、比較的倒しやすい大型モンスターだ。
ボア用の捕獲棒で、頭を押さえてしまえば、いかに巨大な蛇と言えども、棒にくるくると巻き付いて逃げようとするため、相手から攻撃されることがないのだ。
後は寄ってたかって頭をつぶせばOKだ。
ただし戦闘中にほかのモンスターが混じる場合と、急襲された場合は、途端に危険度が跳ね上がるため、注意が必要だった。
「気の抜けない森だが、下草が短いのが幸いだな」
景浦は、乱入するモンスターを警戒しながら、そう呟いた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
その日の午後、俺たちは事務所でロザリオに額をつつかれながら、だらけていた。
丁度雨がぱらついていたし、つくば行以降、溜まっていた雑務に駆け回っていたが、それが一段落したところなのだ。
「オーバルな麦刈り機、早くできるといいですよね」
「進めとかないと、ネイサン博士が介入してきそうだもんなぁ」
「そういえば、鳴瀬さんが協力を要請されたらしいですけど」
「JDAも大変だねぇ」
まるで他人事のように言って、グータラを満喫していた俺たちに、雨の日の午後の呼び鈴が災いの訪れを暗示するかのごとくに響いた。
「誰だ?」
「翠先輩です」
「何かあったっけ?」
「なんでも納品が今日で終わりだから、NYイベントの打ち合わせと、榊さんのお友達に依頼していた件も兼ねて寄るって、朝連絡がありましたよ」
「榊さんのお友達?」
三好がドアを開けると、地味目の男性を連れた翠さんが、外套を脱ぎつつ部屋に入ってきた。
「おお、梓。やっと終わったぞ例の納品、結局2400台納品したからな」
「おおー、すごい!」
「20%増しって、受け取る方は大丈夫なんですか?」
「契約は2000台以上で、出来るだけたくさんだから大丈夫のはずだ」
「国立だけで86校、国公立なら200校以上ありますからね。それでも1校あたり10台確保なら、ギリギリいけるか」
「ですね」
「その代わり、中島がミイラになってるけどな。4800万~とか言いながら」
どうやら作りためていた機器のパッケージに、早朝からキャシーがDADの待機組を大量に引き連れてやってきたらしい。
こりゃまたサイモンに何か要求されそうな事案だな。
「じゃあ、次はきっとあれが問題になるな」
「なんです?」
「Dカードの偽造」
他人のDカードを利用する方法は、Dカード偽造までのつなぎだ。
なにしろDカードの素材は、特に特殊な金属ではないことが判明している。その表示システムはいまだに謎だが。
当初謎だった画面上部に刻まれている14文字の文字列は、USの解読班――つまり、モニカだ――が解読して、IDだということを発表していた。
例のランキングに使われている文字盤で想定はされていたが、それが証明された格好だ。
意味不明な文様の創作は難しいだろうが、今回は手元に本物がある状態で行われる偽造コピーだ。
見た目だけなら、意外と簡単に再現できそうな気がする。
そのカードを置いておけば、試験前程度のチェックなんかオールクリアだろう。
「……先輩って、ほんと発想が犯罪者っぽいですよね」
「せめて、名探偵と言ってくれよ」
とはいえ、名探偵の思考過程は、犯罪者と大差ない。そこには、実際に犯罪を犯すかどうかの違いしかないのだ。
「深淵を覗くなら、ってやつですか?」
「そんな大層な話じゃないだろ。そのうち誰でも思いつくだろうし、つてさえあれば他人のDカードを利用するよりも簡単だし。それにダンジョンのモンスターならともかく、ニーチェが言うような怪物と渡り合うつもりはないぞ」
「ウンゲホイエルン(*2)ですからね!」
「ドイツ語って、厨二心をくすぐるよなぁ」
「ハンデルスカマー(商工会議所)とかラントヴィルト(農家)とか、ユーゲントヘルベルゲ(ユースホステル)とか、無駄にかっこいいです」
「ま、それはともかく、完璧を期すなら、偽のDカードを見分けることができる必要があるな」
なにしろあの不思議な表示が行われているのだ、そこには絶対Dファクターの活動があるはずで、中島さん製のリファレンス機でそれが判断できる可能性は高い。
「それもいいですけど、パーティを組んでいるかどうかが分かればいいんじゃないですか?」
確かにこの場合はそれで問題ない。というよりいちいちカードを調べなくていいなら、それに越したことはないわけだ。
「そりゃそうだな。しかもなんらかの変化はありそうだ」
「ですよね。先輩で値の変化だけ取り出しておいて、あとはNYのイベントで一般化しましょう」
すでに本物のDカード所有判定機のリファレンス機は中島さんが合間に作成しているそうだ。
なにしろ2台だけなので、ガワも3Dプリンタで生成したそうだ。
「むふふ。これはますますアドバンテージですね。ドイツ語なら、フォータイルです」
「むふふってな……お前の方が、よっぽど犯罪者っぽいぞ」
「失礼な、せめて起業家って言ってくださいよ」
成功する起業家の思考過程は、ルールにとらわれていないという点で犯罪者と大差ない。そこには、逮捕されるかどうかの違いしかないのかもしれない。
「いや、その悪だくみ笑いは、起業家っぽくないだろ」
「ぶー」
「いや、お前ら、楽しそうなところ悪いが、脱線のし過ぎだ」
翠さんが割り込んで、地味な痩せた男を紹介した。
「それで、こちらが、田之倉 亮介君。榊君の知り合いで、分析化学が専門領域だ」
「田之倉です。よろしくお願いします」
「芳村です、こちらこそよろしく。もしかして、屈折率の件ですか?」
アイボールの水晶が液化した謎の物質が、純水に与える屈折率の変化についての分析を翠さんにお願いしたら、榊さんを通じて、分析化学の専門家を紹介してくれたのだ。
しかし、まだ10日くらいしか経っていないのに、もう何かしらの結論が出たんだろうか。
「そうです」
「わざわざおいで行かなくても、結果だけレポートしてくれれば――」
「トンデモありません!」
「おお?!」
田之倉さんは、思わず体を乗り出してそう言った。
それに驚いたロザリオが、頭の上から、梁にある板の上へと飛んで行った。って、俺、今まで頭の上にロザリオを乗っけたままだったのか。客観的に言って、変な奴だな、それ……
「どうどうどう。落ち着いて」
翠さんが苦笑しながら彼をなだめる。
「こ、この物質って、一体なんなんです?!」
「いや、それが分からないから依頼したわけで」
勢い込んで話をする田之倉さんに、苦笑しつつ言ったあまりの正論に、彼は少し落ち着いた。
「そ、そりゃそうですね。お預かりしてから10日ですから、ほとんど測定結果から類推するのが精一杯だったんですけど――」
彼はそこで一息ついてから言った。
「この液体は、一言でいうと誘電分散をなくしてしまうんです」
「どゆこと?」
「つまり、誘電関数の振動数依存性をなくしてしまうんです」
「余計分からん」
田之倉さんは、んーっと眉を顰めると、とうとうと説明を始めた。
「屈折率と言うのは、ご存じの通り媒質の中を進む光の速度を計算するための係数で、(比透磁率×比誘電率)の平方根で計算されます。つまり、比透磁率か比誘電率が大きくなれば大きくなります」
「我々は最初、この液体が磁性流体で、比透磁率を引き上げるのではないかと想定したのですが、磁界には全く反応しませんでした。つまり、比誘電率を引き上げるということは確実なわけです」
田之倉さんは自分の鞄から資料を引っ張り出した。
「理科年表にもありますけど、本来純水の比誘電率は、気温20度で80.36くらいあるんです」
「え? 比透磁率って、ほぼ1だと考えていいんですよね」
「はい。ほぼ透明なので、消光係数も0だと仮定してかまいません」
「なら、水の屈折率って、9近くあるって事?」
80.36の平方根だ。
「8.964ですね」
「ええ?」
7.9どころの騒ぎじゃないぞ、それ。
「ただし、十分に低い周波数領域において、というのが曲者なんです」
田之倉さんはそう言うと、紙の上に水分子を描いた。
「分子に極性がある液体では、外部から電場が印加された時に、電場と同じ方向に分極が形成されます」
「つまり、分子が同じ方向を向くってこと?」
「そうです、そうです」
「その分極には、配向分極、イオン分極、電子分極なんかがあるんですが、ともかく、周波数の低い帯域では、それがすべて有効になって比誘電率を形成するんです」
紙の上に、描かれた水分子を整列した状態にする。なかなか上手いな。
「分極と言うのは、ものすごく適当にいうと、何かが、波形の上側で右を向いて、波形の下側で左を向くと考えてもらえればいいかと思います」
「つまり、高周波になればなるほど、右を向いたり左を向いたりする速度が速くなるってことか」
「そうです。大体電波の領域になると、電界の反転に分子の動き――つまり配向分極の反転に遅れが出始めます。それでもそれに追従しようと分子が激しく運動して、熱が発生します。つまりは電子レンジですね」
「ははぁ」
分子が右を向いたり左を向いたりするのには、物理的な時間がかかる。
周波数が低い場合は、分子の動きが十分間に合って綺麗に整列するが、分子の移動時間よりも電界の反転が速くなると分子がきれいに並ばなくなって、誘電率に影響が出るわけか。
この時の分子の不規則な運動が熱エネルギーを発生させる。この原理を利用するのが電子レンジだ。
「そうして、その帯域を超えると、電界の反転に配向分極の反転がまったく追従できなくなって、配向分極はなくなるわけです」
この場合の屈折率の対象は可視光だ。
反転に遅れが出る、つまり誘電加熱が起こる電波の周波数は10の6乗オーダーくらいから、10の10乗オーダーくらいだ。なお、電子レンジは10の9乗オーダーだ。
それに対して、可視光は400~800テラヘルツ、つまり10の14乗オーダーになる。そりゃ、配向分極はなくなるだろう。
「それって、周波数が高くなると配向分極がなくなって、イオン分極や電子分極のみが残るって事?」
「最終的には、電子分極のみになります」
「つまり、誘電関数の振動数依存性をなくしてしまうっていうのは――」
「周波数が上がっても、配向分極がそのまま残るってことです」
「どんな原理で?!」
田之倉さんは、暗い目をして頭を振った。
「わかりません。現象面の測定と推定だけで背一杯でした」
そりゃそうか。まだ10日しか経ってないんだ、そんなところまで調査できる方がどうかしている。
「ともかく、この液体は比較的難溶性なのですが、20度で1%程度の濃度まで純水に溶けます。それで、濃度と周波数ごとに屈折率を計測したのがこちらです」
その表を確認する限り、0.002%程度の濃度まで屈折率に大きな変化はないようだった。しかも周波数ごとの違いがほとんどなかったのだ。
「先輩、これって……」
「5万倍の量の液体が作れるってことだな」
「もしも蒸留で回収、再利用出来たりしたら――」
「少量でもエライことになるかもな。7ナノメートルのArF液浸露光装置が実現するぞ。NIKONにでも持ち込んでみるか?」
NIKONは、液浸露光装置にこだわっているメーカーだ。
もしもこの液体が実用化する可能性があるなら、それをもっとも高く評価してくれるに違いない。
「あのー、できれば継続して研究させていただきたいんですが……実は今日はそのお願いに上がったのです」
田之倉さんが、おそるおそる手を挙げてそう言った。
「研究と言っても、どんな研究をされるんです?」
「いや、そりゃ、この物質の作用機構だとか、分子の同定だとか、最終的には合成まで視野に入るでしょう」
「うーん……」
(三好、どう思う? もしもDファクター絡みだとしたら、そんな分析無駄になるんじゃないか?)
(もしも分子が同定できたとして、同じ分子を合成しても、同じ効果にならない可能性は高いかもしれません)
(だよなぁ……)
(だけど先輩。たとえ無駄でもチャレンジする価値はあると思いませんか? 基礎は重要ですよ)
まあ、確かにそうだ。
「わかりました。どうなるかは分かりませんけど、しばらくお預けしましょう」
「おお! ありがとうございます!」
「ただし、外部への流出はNGですよ」
「それはもう! 資料は置いていきますから、後のことはよしなに! 早速実験を……あ、連絡先はこちらです!」
田之倉さんは、今頃名刺を取り出してテーブルに置くと、そそくさと挨拶をして帰って行った。
「なんともあわただしい人ですね」
俺が苦笑しながら翠さんにそう言うと、彼女は三好にいつものセリフを繰り返した。
「な、理系の男は……だろ?」
「説明のところは、結構まともっぽかったんですけどね。なかなか侮れません」
「なにを侮るんだよ」
うるさい話はもう終わった? とばかりにソファーのよこからグラスが顔を出すと、そのままソファーの上で丸くなって、尻尾をはたはたと振った。
「あ、そうそう。翠先輩。NYへの出発は21日ですから」
それを聞いて俺は驚いた。
「え、日程ってもう決まってたのか?」
「当たり前ですよ、大きな展示場が1か月ちょっと前に借りられたのだって奇跡みたいなもんですからね」
そりゃそうか。国際展示場なんか1年前から埋まってるそうだもんな。
「そういえば、エミレーツにしたって聞きましたけど、わざわざドバイ周りで行くことに、みんなよく納得しましたよね」
「まあ、その辺は押し切られたっていうか……」
そう翠さんが言葉を濁した。
「ああ、都築さんでしたっけ」
「そうなんだよ。縁のやつに全員が押し切られてな。深夜便で食事がしょぼいのだけが問題だから、帰りは晩ご飯が出る便を使うそうだ」
「はー、マニアは伊達じゃありませんね」
彼女は、飛行機の乗り鉄だということだ。飛行機の場合はなんていうんだ? 乗りトビ? 乗りプレ? どれもピンとこないな。
「それはともかく、翠先輩たちが出発してすぐ、Dカードの所有機器を発表する必要があるんです。リファレンス機は完成させておいてくださいね」
「起きたら最終調整をやるとか言ってたから大丈夫だろ」
「お願いします。報酬は旅行前に振り込んでおきますからって、中島さんの個人口座じゃなくていいんですか?」
「一応会社としての収入にしておいたほうが、税金が少なくて済むんだ。なにしろうちの会社赤字だしな」
翠さんは、笑いながらそう言った。たしかにこれはダンジョン税で躱すわけには行かないからな。
それからしばらくNYのイベントについて打ち合わせを行い、翠さんは、夕方ごろ帰路に就いた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「オレンジの木が持ち出された?!」
ギルド課から緊急扱いで回ってきた情報に、斎賀は驚きのあまり思わず復唱していた。
「はい。カゲロウだそうです」
「持ち出し禁止アイテム扱いにしたんじゃなかったのか?」
「持ち出し禁止アイテム扱いにされたのは、ダンジョン庁の収穫禁止要請に合わせた措置でしたので、日曜日の朝なんです」
「ダンジョン規制適用ルールか……」
「はい、カゲロウのみなさんが入ダンしたのは、土曜日なんです」
ダンジョンに休日はない。そして、ダンジョン内では連絡のつけようがない。
そのためダンジョンでの規制事項は、規制された時点以降の入ダンからそのルールが適用されるという決まりがあった。
「水曜の時点で規制できてりゃなぁ……」
悔やんだところで後の祭りだ。
「しかし、よく21層から木を抱えてこれたな。というより、抜いたとたんに消えなかったのか」
「まだ生きてるからじゃないでしょうか」
「ああ」
そう言われれば確かにそうだ。魔物だって外に連れ出せるって話もある。でなければスタンピードなど起こりようがないはずだ。
「それにしたって、ダンジョンの地面をよく掘れたもんだ」
「ラッキーでしたね」
ダンジョンの地面や壁は破壊不能アイテム扱いだが、例えば土がある場所などは、ある程度掘ることができる。
木々の根っこが、ダンジョンの破壊不能部分に食い込んでいるのかどうかは、場所次第だ。
「しかし、持ち出しが禁止できないとしても、せめて行き先くらいは把握しておく必要があるぞ。なにしろ、枝1本でさえ、つくばの騒ぎだ。木1本ともなると、何が起こるかわからん」
とは言え、それがダンジョン管理課の仕事かと言われると、微妙なところだ。
これからはこういったグレーゾーンの問題が増えそうな気がしたが、本来ダンジョン庁はそのために作られたはずだった。問題は話し合いのために素早い判断や行動ができないということだ。
時にダンジョンが引き起こす問題では、それが致命傷になりかねなかった。
「一応、売却時のライセンスで、最後の販売までは辿れますが……」
「その先はごまかせるな」
JDAは捜査機関でも暴力装置でもない。ダンジョン出口で取り締まれなかった場合、後は各国の法律に任せるしかないのだ。
だがしかし――
「ライセンスを追いかけて、ルートを特定しておいてくれ」
「わかりました。その後は?」
斎賀はわざとらしく肩をすくめた。
「捜査機関にコネのありそうなやつに任せるよ」
そう言って、受話器を上げると、斎賀は寺沢の番号を押した。
*1) 背筋の溝
バーナード・ショーのピグマリオンの話。ロンドン東部の労働者階級なまり(コックニーなまり)では、ei の発音が ai になる。
つまり、レイン・イン・スペインが、ライン・イン・スパインになる。これを、the rhine in spineとしたジョーク。
突っ込みどころについては、長くなるので、https://d-powers.com/dgen3_supplementary.html の「WEB版7章向け解説へ」の最後の方にある「背筋の溝」を参照。
ところで、実は、the rain in Spain stays mainly in the plain.というセンテンスは、オリジナルの戯曲には登場しなかったりする(w
*2) ウンゲホイエルン
Ungeheuern。ドイツ語で「怪物」。
二人が話している有名なセリフは、「善悪の彼岸 / Jenseits von Gut und Böse」に登場する。




