§166 金枝篇 2/18 (mon)
そのころ雪山層を抜けて、21層へと降り立った6人組のパーティがいた。
「はぁ、やっと21層だぜ」
「俺たちじゃ、この辺でいっぱいいっぱいだな」
「ついこの間までは、最深部だったからなぁ」
「シングル連中が大挙して押し寄せやがって、俺たちカゲロウもすっかり影が薄くなっちまって」
「カゲロウだけにな」
そう言った、コクブンと呼ばれている背の低い男が、誰がうまいこと言えと……と、仲間たちに小突き回されていた。
「渋チーの連中は、TVでヒーローみたいに取り上げられるし、俺たちもなにかテコ入れが欲しいね」
「林田はともかく、喜屋武がオリンピックとか世も末だ」
「景浦さんも行けるんじゃないの?」
景浦はカゲロウのリーダーだ。
カゲロウは、3年前、大学の同級生だった景浦と浪川が作ったチームで、元はダンジョン研究会というインターカレッジ・サークルだった。
今では、渋チーと並んで代々木では有名なチームだが、渋チーほど、個々のメンバーが有名なわけではない。それは彼らが、その出自から、一種のクランを形成しているのが原因だった。
渋チーは、単なる1パーティだが、カゲロウは、独自にランク分けされた個人の集まりで、それが適宜パーティを組んで代々木を攻略しているのだ。
ややエクスペディション寄りの攻略姿勢であるため、『カゲロウ』と呼ばれるよりも『カゲロウの連中』などと呼ばれることの方が多かった。
もっともその分、渋チーよりもカゲロウの方が安定感があると言われていて、企業からの依頼なども多かった。
「よせよ。インカレでまじめに練習しているやつらを見てるからなぁ……そいつらの頭越しにでしゃばるってのはちょっとな」
「でたよ、リーダーの『いいひと』が」
コクブンがそう言った途端、左の方から風を切る音が聞こえて来た。
「伏せろ!」
景浦の檄で、全員が身を伏せる。その上を、1メートル近い何かが風を切りながら通り過ぎて行った。
「ウィッチニードルか?! しかも、デカいぞ!」
通常、ウィッチニードルは50センチくらいだ。1メートル級は珍しい。
「トンボに好かれてるんだろ、カゲロウだけに」
蜻蛉と書いて、蜻蛉とも読むのだ。
「コクブンがなんか言ってやがるぞ」
「かくありし時すぎて、世中にいとものはかなく、とにもかくにもつかで世にふるチームありけり」(*1)
「いや、頼りないってことはないだろ」
「少しくらいは、あるよな」
こいつら結構余裕あるように見えるよな、と、景浦は、頼もしいんだかなんだかよく分からない、いつものメンバーを背中に感じながらそう思った。
もっとも、ピンチになればなるほど、くだらない話で場を乗り切ろうとするのは、カゲロウのカラーでもあった。
内心、全員緊張しているのだ。
景浦は、旋回してきたウィッチニードルに、透明なバリスティックシールドを構えた。
通常バリスティックシールドは、軽量なアラミド繊維等を使ったものが多いが、景浦は視野や重さも含めて透明なものが好みだった。
「ゴッ!」
凄い勢いで飛んできた巨大なトンボに、盾を叩きつけると、その勢いでたたらを踏んだ。
「くそっ! あらかじめ構えててもこれかよ!」
それでも、勢いを殺したウィッチニードルを囲んで、仲間たちが次々と獲物を振り下ろして始末した。
「かー、ホント、21層はきついな」
「なにか新しい武器が欲しいところだよな」
「あと、あのポーターも使ってみたいし」
ついさっき、18層のショールームで見たポーターも役に立ちそうだった。
「まあ、そういうものを手に入れるためにも、今回の依頼は成功させなきゃならないわけだ」
「そりゃそうか。なにしろ枝1本が2千ドル、木なら500万ドルだっけ? なんとも豪気なことだね」
「だがなぁ、木なんて持ち出せるのかよ? ポーターでもあればともかくさ」
「いや、それより持ち出しても問題にならないのか? ライセンス取り消しは勘弁だぜ」
「俺たちが入ダンした時点で、JDAの規制はかかっていなかった。もっとも、今後はわからないけどな。いずれにしろ、規制前に潜っておけば、規制の適用は次の入ダンからってルールがあるから、少なくとも今回は大丈夫のはずだ」
「もしも規制されたら、初回こっきりの仕事ってことか。しかし、何に使うのか分からないが、二度と持ち出せないなら、もっと高額で引き取るやつらもいるんじゃね?」
「……まだ死にたくないだろ?」
なにしろサークルの延長にある組織なのだ、緊急の場合は、特に取引相手のことを調べてから引き受けたりしない。
なんどかヤバそうなやつらの仕事も引き受けたことがあるが、今回の依頼主の胡散臭いニヤケ顔ほど、ヤバい匂いがするやつはいなかった。
とはいえ、本来カゲロウは、こういった怪しげな依頼は引き受けない。
なにしろ、東アジアや東南アジアの裏組織には、金の前には他人なんか、ただの『モノ』だと言わんばかりの連中が大勢いるそうだ。お近づきになりたくはない。
ただし、今回は早急に新しい装備が必要で、金が必要だったのだ。
セーフエリアが発見された以上、区画オークションが終わったら、そこまでの護衛依頼が殺到することは確実だ。
だが、現時点でのカゲロウでは、ここから10層先へ行くのは難しいと言わざるを得なかった。
「だ、だけどよ、数は指定されていないぜ? 最低1つ渡しておけば、ルールには違反してないだろ?」
「おいおいお前ら、まだ捕まえてもいない狸の話はそれくらいしておけよ」
そう言って景浦は、あらかじめ印刷しておいた21層の地図を広げた。
「問題は、その木とやらが、どこにあるのか分からんってことだな」
21層は、さっきのウィッチニードルも厄介だが、いきなり襲ってくるウォーターリーパーも脅威だし、ラブドフィスパイソンに絡まれたら、それこそ総力戦になる。
つまり、歩き回る範囲は最小にしたかったのだ。
「ルート上にはないと思うぜ。いくら人通りが少ないったって、自衛隊にだって下っ端の連中はいるはずだ。まったく漏れてこないってのはどうもな」
「ウエキヤはどう思う?」
ひょろりとした若者は、園芸という渋い趣味の持ち主で、仲間内ではウエキヤと呼ばれていた。
今回のターゲットが植物ってことで、専門家の彼がメンバーに選ばれたのだ。
「普通は日当たりのよい温暖な斜面が候補としてはいいんだろうけど……」
「まあ、こんな等高線もろくにない地形図じゃわかんねーか」
「まあね」
景浦は、ため息を一つつくと、仕方ないとばかりに地図をたたんだ。
「じゃあ、探索が終わっている領域で、見た目丘陵部に続くような方向へ向かうってことで」
「異議ナーシ」
◇◇◇◇◇◇◇◇
「ミスター・アーガイル。日本から特別便でお荷物が届いています」
「日本?!」
それまで、死にそうな顔で書類と格闘していたネイサンは、がばっと顔を上げると、目を輝かせてその箱を受け取った。
「なんだこれ?」
箱を空けると、そこには緩衝材に包まれたいくつかのオレンジ色の果実が入っていた。
「サツマですね」
「サツマ?」
「マンダリンの一種で、日本では、温州みかんと呼ばれているようです」
「温州みかん? なんでそんなものが特別便で?」
温州ミカンは海外でも栽培されていたり輸出されていたりするが、最初は鹿児島から西洋にもたらされたらしく、『サツマ』と呼ばれている。
アメリカやイギリスで、マンダリン・サツマと言えば、温州みかんのことなのだ。
添付されている書類に目を通した、シルキーは、思わず「WOW!」とくちにした。
「ミス・サブウェイ?」
「あ、すみません。……それって、ダンジョン外で実体化した果物だそうです」
「実体化?」
「経緯がこちらに」
ネイサンは、シルキーが差し出した書類をひったくるようにして受け取ると、読み進むにつれて興奮するように顔を書類に近づていった。
「こ、これ、なにかの冗談か?」
「動画も添付されているようですが」
「み、見る。すぐ」
興奮して、失語症になったかのような彼の発言に、苦笑しながらシルキーは添付されていてメモリカードをタブレットにセットして、再生を始めた。
それは日本のニュースのクリップだった。
シルキーはそれを博士に見せながら、同時通訳を行った。
「こいつは興味深いな。花が咲き実が生るのか……リポップとは大分違うな」
「まるで映像を早送りしているようですね」
映像を見終わるころには、プロの顔に戻った博士が、シルキーに指示を出した。
「一応標準の検査には回しておいてくれ」
「わかりました」
「だが、これはJDAからだろう?」
「そうですが?」
「なら、アズサからの鑑定書が付いていただろう」
シルクリーは、ふうとため息をつくと、仕方ないですねと言った顔で、別の書類を差し出した。
「まったく。もっと早く渡してくれ給えよ」
「それがあると、博士が仕事をしませんから」
そこには三好の鑑定結果が書かれていて、最後の行に『食用』とあった。
「よし、安全だ!」
「ミスター・アーガイル!」
「じょ、冗談だ。一般的な検査はラボでやらせるとして、私は現地を視察――」
「ミスター・アーガイル。溜まっている仕事も引継ぎも、何一つ終わっておりません」
「ぐっ。こ、こういうのってアシスタントが――」
「作業できるところはすでに終わらせてあります。ミスター・アーガイルの処理が必要なものだけが、あそこに」
シルキーが指さすデスクの先には、このIT時代に前時代的な様子で、それなりに大量の書類が積み上げられていた。
「えーっと、研究員の誰かに――」
彼はこの研究室で最も偉い立場だ。他の研究員に処理を回しても許される程度には。
しかし、彼のアシスタントはそれを歯牙にもかけなかった。
「みなさん、ご自分の作業で手一杯です」
「DFAって、まだ本格稼働してないはずだが――」
「なのに、突然検証が増えたから人手不足なんでしょう? 各機関へ出向されている方もいきなりは呼び戻せませんし」
「よ、代々木分室の設立が――」
「まだ、準備段階です。一応向こうの国際協力課を通して、ミハルの協力を得られるように連絡してあります」
「でかした! 流石は、ミス・シルクリー! よし、すぐ日本に――」
「ミスター・アーガイル」
博士は怒られた子供のように、しぶしぶとデスクに戻ると、猛然と仕事を再開した。
新規の検査プランをチェックし、赤を入れ、そうして承認する。そのずば抜けた能力は、他の追従を許さなかった。だからこそ彼はここの主なのである。
「FAO(国際連合食糧農業機関)との連携もあるしー、行こうよー、日本にー」
「お仕事が終わりましたらね」
どうやら、能力は、人格や性格とあまり関係ないようだった。
しかしながら、ここは世界中のダンジョンから、日々鑑定やテストを行うための素材が送られてくる場所だ。
果たして仕事は終わるのか。シルキーは、次席研究員のアシスタントと仕事の割り振りについて協議するために部屋を出て行った。
◇◇◇◇◇◇◇◇
その日、みかん騒動のニュースを見ながら、デバイス納品終盤の調整をしていた時、俺の携帯が鳴った。
ちょうどこの時間は、キャンプ真っ最中のはずのキャシーからだった。
『なんだよ、キャシー。珍しいな。何かあったのか?』
『いえ、キャンプは順調で、何の問題もありません。受講者の心が折れそうなのはいつものことですし』
『ひどっ』
『実は、ネットフリックスの委託を受けたスタッフがいらっしゃってまして』
『ネットフリックス?』
『はい、なんでも取材をしたいんだそうですが、そちらに連絡がつかないので直接来たんだとか。それで一度こちらへ来ていただければ』
『取材ってなんの取材だ?』
『"D: The Beginnig"だそうです』
ディー:ザ・ビギニングは、ダンジョンができた原題を舞台にしたアニメで、主人公たちのモデルはサイモンのチームだと言われている。
制作は日本の会社らしいから、そこから来たんだろう。
『なんでも、強敵が現れて、日本で秘密の訓練を受けて一段階強くなるという設定で、修行シーンのために取材したいということらしいです』
キャシーは意外とオタクだから、結構乗り気になっているようだ。
考えてみれば、主人公たちを導く教官の役だもんな。だけどなぁ……
「止めといたほうがいいよな」
「止めといたほうがいいですよね」
俺と三好は、顔を見合わせあって、そう言った。
まさか、穴冥で気が狂っている様子だの、針に糸を通す修行だのをヒーローにやらせるわけにはいかないだろう。ベスト・キッドよりもずっと酷い絵面になることは間違いない。
キャシーには悪いが、リアルに取材させたりしたら、キャシー教官とゆかいな仲間たちになってしまう。
『やめとこうぜ』
『ええー?』
『だってさ、キャシー。協力したいのはやまやまだが、あの修行現場を見せられるか? シリアスなシーンだよな?』
『うっ、そう言われれば……』
『ま、キャシー教官がモデルになりそこなうのは、ちょっと残念だけどな』
『しょ、しょうゆうわけでは』
『噛んでるぞ。まあ、カリキュラムは企業秘密だから見せられないとか言っとけ。外から取材するのは、邪魔しなければOKってことで』
『うー、わかりました』
『そうだ、せっかくだから、向こうの角のキャンプでも紹介してやったら? もうやってるんだろ?』
『え? 敵に塩を送るんですか?』
『いや、敵ってなぁ……別に何もされてないし、うちの事業にも全然影響ないだろ』
『まあ、今のところは』
『ただ、うちとはまったくの無関係だって強調しとけよ』
『了解しました』
「でも、ちょっと見てみたい気もしますよね」
「針の穴に糸を通しているヒーローたちを?」
「そうそう」
「昔のミクロ決死隊くらいぶっ飛んでれば許されそうな気もするけど、現代のスタイリッシュな映像であれは無理だろう」
「なんですそれ?」
その後、YouTubeで、ミクロ決死隊を見つけた三好は、謎のインド人が手をかざして、ねんりきーと叫ぶシーンで腹を抱えて転がっていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
その日、6営業日連続ストップ高を記録した御殿通工は、3430円で引けた。
*1) 蜻蛉日記の冒頭のもじり




