§165 金枝篇 収穫の規制 2/17 (sun)
投稿する、日付間違えてました orz
急遽公開。
筑波山の斜面温暖帯には、多くの取材陣の車で溢れていた。
季節外れの豊作のあとは、瞬時に実をつける不思議なみかんがSNSに投稿され、再び取材が殺到していたのだ。
それらの車や人を、クラクションで追い散らしながら、ダンジョン庁職員、名塚義弘は小さく舌打ちしていた。
人を避けさせるたびに、あちこちで怒号が上がる。
「この国のマスコミはこんなもんだよ」
助手席に座って資料を見ながら、農水省から出張って来た、やや恰幅の良い男が言った。
名塚は、仏さんみたいな顔をして、なかなか辛辣なことを言う人だ、と、出発前に交換した名刺を思い出していた。
確か、折衝とマスコミ対策のエキスパートみたいな紹介をされたっけ、名前は――そうだ、三橋さんだ。
「しかし、大騒ぎですね。こんなところへ乗り込んで規制をかけたりしたら、一躍、大悪人にされませんか?」
「そうは言っても、仕事だからね」
三橋はクールにそう言うと、さらに資料を展開していた。
「しかし、法的根拠が難しい案件だな」
出てくる前に、ダンジョン庁の旗振りで各省庁間の話し合いがもたれていた。
ダンジョン産の食品に関する法整備は、食品衛生法上に、ダンジョン産食品としての項目が拡張されていて、WDA(世界ダンジョン協会)のDFA(食品管理局)勧告に準拠するようになっていたが、今回の対象は、これまで通りの定義では、ダンジョン産の食品とは言えなかったため、この枠の適用が行えなかった。
それでも、最も有力だったのは、東電福島第一原発の事故に起因する食品の出荷制限と同じフレームで処理しようという案だった。お役所と言うのは前例主義なのだ。
当時、国内で生産された食品中の放射性物質に関する食品衛生法上の規制は存在しなかったが、厚生労働省は原子力安全委員会が示していた放射性物質の飲食物摂取制限に関する指標値を食品衛生法上の暫定規制値として設定することで、法的根拠とした。
今回もこれを使ってなんとかならないかと考えたのだ。
当時の原子力災害対策本部の役割をダンジョン庁に受け持たせ、法的根拠等の支援を厚生労働省が、検査や実務支援を農林水産省が行い、関係都道府県等への指示をダンジョン庁が行うことで、実務を行わせるという仕組みだ。
とは言え、時間がなさ過ぎて茨城県側が対応不可能だったため、今回は、ダンジョン庁と農林水産省に面倒が押し付けられることになった。
もしもこの問題が拡大するなら、いずれはもっとしっかりとした法整備が行われるだろう。
しかし、食品衛生法は、『飲食によって生ずる危害の発生を防止するための法律』だ。
つまり、規制対象は『営業』や『販売』なのだ。そして、今回の規制対象は『収穫』だ。
果たして、自分の畑の生産物――消費するためでも、出荷するためでもないそれ――の、収穫そのものを規制できるものだろうか?
三橋は、大きなため息をひとつつくと、資料を閉じて、親指と人さし指で鼻根を挟んで、睛明を揉み解した。
「どうしました?」
「いや、どう考えて『収穫』を規制するのは無理なんじゃないかと思ってね」
「その件は散々話し合ったんじゃないんですか?」
事態を重く見たダンジョン庁は、週末をものともせずに各省庁に働きかけ、緊急の対策をひねり出した。
結局、商品作物である以上『販売』を規制すれば、『収穫』のコストをかける意味はない。だから一般的に言って『販売』の規制は『収穫』の規制と、ほぼ同義だと言っていいだろう。
会議はそう結論付け、日曜の午後にもかかわらず彼らを休日出勤で送り出したのだ。しかし――
「あたりの様子を見てみろよ」
目的の家に近づくほどに、混雑は増していた。マスコミ関係者以外にも、相当数の野次馬がいるようだった。
「収穫しつくせば、すぐに花が咲き、再度実が生る? その画を撮るためだけにこいつらは群がってるんだぞ。こいつらにとって、収穫は作物を得るのが目的じゃないんだ」
許可が得られなければ、こっそりと木を丸裸にしても画を撮っていくような、そういう連中は冗談じゃなくいるのだ。しかも悪いことをしているなどとは、毛ほども感じていないのだ。
彼は長い対応経験から、そのことをよく知っていた。
つまりはオーナーに、販売の禁止ではなく収穫の禁止を理解させなければならないのだ。
そうでなければ、ちょっと再現してみてくださいよと言うマスコミのお願いに、ほいほいと許可を出す可能性が高い。
タフな交渉になりそうだ。彼はそう考えていた。
「雅尊みかん園――ここだな」
「すげぇ名前ですね」
「ご主人の名前が、三谷さんと言うんだ」
「はぁ」
それに何の関係があるのかと、名塚は思ったが、かろうじて相槌だけは打っておいた。
しかし、その後、その主人と面会して名刺を交換したとき、三橋の言いたいことが分かって、なるほどと思うと同時に少しおかしかった。
名刺には、『三谷 美尊』とあったのだ。
最初の話は、三橋が受け持ってくれた。一応本日は農水省からの収穫自粛要請が主体だからだ。
「つまり、あんたらは、いきなり押しかけて来て、収穫するなって言うのか?」
「あくまでもお願いですが、そういうことになりますでしょうか」
「お願いってね、あんた。したっけ、お国が補償でもしてくれるのか?」
「補償と言われましても、対象がありませんけれども」
「うちの畑のみかんだよ。出すところに出せば、それなりの金になるものを収穫するなとおっしゃるんだろ?」
「そうですが、つくばのみかんシーズンは終わっていますし、御社はみかん狩りの会社で、それを収穫して売ることが主体事業ではありませんし」
「ほった、やっちゃごっちゃやーれてもしんにぇ!」
三谷は興奮すると、茨城弁が強く出るようで、そうなると、名塚には何を言っているのか分からなかった。
「あのー」
話し合いがエキサイトしてきたのを遮るように、それまで黙って聞いていた名塚が、横から恐る恐る声をかけた。
「あんたは?」
「先ほどお名刺を差し上げました、ダンジョン庁の職員です」
「ダンジョン庁? うちのみかんとなんの関係があるんだ? ちょっと、黙っててくれないか」
「それがそうもいかないのです。もしも、このまま収穫を続けられますと、三谷さんには窃盗の容疑がかかるかもしれません」
「窃盗?」
三谷は、予想もしなかった単語に、ポカンとしてその言葉を繰り返した。
「先日から問題になっている、つくばの研究所での魔結晶の消失が、あなたが収穫するみかんと関連がある可能性があるのです」
そう切り出した名塚は、推測も含めた今回の現象の説明をできるだけ分かりやすく行った。
「そりゃつまり、なにか? うちのみかんが、そのま――」
「魔結晶です」
「――そいつの消失と関係があるってことか?」
「農家の方に分かりやすく例えるなら、魔結晶が実を生らすための肥料になっているということでしょうか」
「いやっどーも」
三谷は、今聞いた話を咀嚼するように、テーブルの上にある煙草の箱に手をかけるた。
「吸っても?」
「遠慮してください」
「はっ?」
思わずいつもの調子で返事をしてしまった名塚は、我に返ると、ごまかすように笑って言った。
「あ、いえ、どうぞ」
――ダンジョン庁には、能力はあっても扱いにくい人材がそろっている――
まことしやかに霞が関で流れる噂には、一定の真実が含まれていた。
設立の経緯上、各省庁から出向した人員でスタートしたダンジョン庁は、出向先で省庁間の利権の壮絶な奪い合いをしなければならないかったため、能力の非常に高い人間が集められていた。
しかし能力の高い人間を各省庁が簡単に手放すはずがない。そして、安定した集団は、使いにくい天才よりも、従順な秀才を重用するのは世の常だ。
結果、ダンジョン庁は、各省庁で持て余していた、能力だけは、ずば抜けた人員の集団となっていた。
もしも三橋と一緒でなかったら、ごまかすどころか、「拒否されることを想定していないなら、尋ねるのは無駄じゃありませんか?」くらいは言っていたはずだ。
しかしこれは、基本的に農水省案件で、それを調整する立場の組織にいる自分の発言でぶち壊しにするわけにはいかないことくらいは、彼にも分かっていた。
三谷は、紺色に金色の枝をくわえた鳩がデザインされた箱を手に取ると、慣れた手つきで煙草を1本取り出して口にくわえた。
そうして、それにライターで火を付けて、深く煙を吸い込んでから、一気に吐き出した。
「つまり、その肥料を、どこかの研究所から勝手に使ってると言うことか?」
「かなり高い確率で、そうです」
もちろんここで、証拠がないじゃないかと突っぱねることも出来るだろう。
しかしこの話を聞いた後で行った行為は、未必の故意にあたる可能性があった。そうすれば過失ではなく故意とみなされる。
三谷はもう一度、煙草を吸い込み、それを吐き出してから言った。
「わがった」
それを聞いた、三橋はほっとしたように、いくつかの書類を取り出した。
「すでに収穫されているみかんは、販売できませんが、今回に限り、ダンジョン庁が引き取らせていただきます」
三谷は、それらの書類の説明を受けながら書名捺印していったが、とある書類のところで手を止めた。
「こりゃあ、無理だっぺ」
それは契約内容の守秘義務に関する契約だった。
「無理?」
「TVの連中が、実が生るところを撮らせてほしいと散々言ってくるが、それを断る理由を説明できないってことだ?」
「……まあ、そうなりますね」
「そしだら、金の亡者みたいに言われるのもいじやけるが……収穫が禁止されたからだと伝えてもえが?」
三橋は名塚と目を見合わせると、仕方がないと頷いた。
「分かりました。そこは、ダンジョン庁の要請で――」
「いや、農水省の要請ってことにしましょう」
そう言って名塚が割り込んだ。
「名塚君?」
「この時点でダンジョンが関わっているような情報は、いかにもまずい」
名塚の言い草に三橋は眉をひそめて言った。
「それで、農水省に取材が来たら?」
「そこはノーコメント……というより、こんな怪しい現象で生まれる作物を調査もなしに拡散するなんて許されないとかなんとか、けむに巻いてください」
収穫と販売をすり替える論理だけれど、省庁のコメント何てこんなものだ。
「あのー……」
三谷が答えを促した。
「その件につきましては、農水省の要請で禁止されたとだけお伝えください。三谷さんに責任はありません」
「わかりました」
三谷は安心したように、その書類に署名捺印した。
「そんで、魔結晶のことですが……」
「現時点までは、防ぎようのない事故ですから、国で処理しましょう」
「はぁ、それはどうも」
「ただし、以降のことは……」
暗にあなたの責任ですよと言われて、三谷は恐縮してペコペコと頭を下げた。
「も、もちろんです」
こうして、対象農園の収穫禁止は、なんとか形になって行った。
しかし、この時彼らは失念していたのだ。みかんの取引が、実は果実だけではないことを。
ちょい、リハビリ気味に始めてみます。
twitterには書きましたが、全快は少し先になりそうです。
まあ、ぼちぼちとお付き合いいただけると助かります。
そういえば、高熱にうなされながら思いついたアイデアをメモ書きした8章が意外とぶっ飛んでいたので、予定にはなかったのですが挿入することにしました。
転んでもただでは起きないのです(ふんす)
メモの文章を見てると、世界を蒼く染めている月光の下で、歯茎の下をナメクジが這うとか書いてあって、お前は日夏耿之介やラブクラフトかー、と、思わず笑っちゃいました。
いや、体験に基づいているメモなんですけどね……そのうち大腸の襞がとか言い始めたらどうしよう。




