§159 金枝篇 胎動 2/12 (tue)
金枝篇は、もうちっとだけ続くんじゃ。
もちろん6年は無理。
3/12 斎藤さんの連絡を忘れていたので、十数行追加しました。
「おお、佐山君! ダンジョンはどうだった?」
佐山が帰ってきたと聞いて、いそいでやってきた主任の水木が、開口一番そう訊いた。
「ええ、まあ。なかなか面白かったですけど、植物相なんかは目茶苦茶で、植物生化学あたりは発狂しそうになるんじゃないでしょうか」
「ほう」
「それでも皆、一度は行ってみるといいんじゃないでしょうか。なんだか世界の見方が変わる気がするんです」
海外旅行に初めて行って、感銘を受けた若者のようなセリフを聞きながら、水木は、彼がずいぶん積極的になったことに驚いていた。
「そんなに面白そうなものがあったのかね?」
「それはもう。21層にはイギリス風の春のムーアが広がっていて、湖にはスチールヘッドが泳いでいるんですよ」
クリアウォーターのスチールヘッドにシーズンは、確かに春のど真ん中だ。ただし、アラスカなら、だが。
「それはまた、なんというか……」
水木はダンジョンに魚がいるかどうかなどは知らなかったから、その事実自体には驚かなかったが、イギリスにスチールヘッドはミスマッチだなと思った。
佐山はそれらのことについて、ほとんど気にしていなかったから、食べながらアーガイル博士が妙に興奮していたことしか覚えていなかった。
「件のオレンジはもちろん、他にもいろいろと採取してきましたから、可能なら育ててみたいと――そういえば、どこで実験するんです?」
「君が出張している間に、陰圧温室を一部屋用意しておいた。まあ、花粉を外へ逃がさない程度のものだが」
「では早速接いでみましょう」
「今からか? いくらなんでも早すぎるだろう?」
「ダンジョンの中と外では、環境もまるで違いますから。とりあえず低温で寝かせて、こちらの季節に合わせた接ぎ木もやりますが、そうでないものもやってみたいんです」
水木は何かを言おうとしたが、確かに世界の常識が通用しないから、わざわざダンジョンの中まで人を派遣したのだということを思い出して、好きにやらせることにした。
「一応1~3年木をいくつかと、高継ぎ用のものを用意しておいた」
「ありがとうございます。いろいろやってみます」
「いくつかは静岡に回してくれよ」
静岡には、果樹茶業研究部門のカンキツ研究拠点があるのだ。
「もちろんです」
そう言って頭を下げると、佐山は、そそくさと用意された部屋へと向かっていった。
それを見送りながら、出張の報告書を作るのが先じゃないのかと、水木が苦笑いしていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「はい、JDAダンジョン管理課、課長の斎賀です」
「やあ、斎賀さん。先日はどうも」
「なんだ、寺沢さんか」
「なんだはひどいな」
斎賀はJDAの自分の部屋で、寺沢からかかってきた電話をとっていた。
「あなたからの直電は、異界言語理解の時から、大抵ろくな話じゃないですからね」
冗談めかして言った斎賀のセリフに、寺沢は、受話器の向こうで苦笑した。
「あの時は、確かに世話になった。あなたのおかげで日本はうまく立ち回れたようなものだ」(*1)
「そりゃどうも。それで今回のご用件は?」
「あー、……実は、三好梓にアポを取りたいんです」
それを聞いて斎賀は目を細めた。
自衛隊がDパワーズに独自に接触する? いい予感など、新月の夜の月のようなもので、それは、どこにも見えなかった。
「寺沢さん。うちはDパワーズの受付じゃないんだ。アポなら直接――」
「あの会社に電話して、もしもそれがつながったなら、かけた番号を間違えた時だけだと聞きましたが」
そう聞いて、今度は斎賀が口を歪めた。
酷い言いようだが、あながち間違ってはいない。
「そうおっしゃられても、こちらから探索者の個人情報をお教えするわけには行きませんよ」
「そこは分かっています。連絡先を渡しますから話だけでも通してもらえないだろうか。そちらの専任なら連絡が付くでしょう?」
ずいぶんと粘るところを見ると、かなり重要な話があるのだろうか。
しかし、相手はあのDパワーズだ。国家の面倒な話なんて全スルーしてもおかしくもなんともない。話を持って行っても、おかしな軋轢が生まれるだけだろうと斎賀は頭を振った。
「それはそうでしょうが、仮にそうしたとしても、彼女たちがそちらに連絡を入れるとは限りませんよ」
むしろ、連絡をしたら驚くレベルだ。
「それで結構。ただし『8センチの球』と付け加えていただけますか」
「『8センチの球』? なんですそれは」
「魔法の呪文ですかね」
寺沢は、笑い含みにそう答えた。
「呪文ね。自衛隊はいつから秘密結社に?」
「ま、軍ってやつは、そういう面もあるんで――」
「いや、軍はまずいんじゃないの?」
斎賀が思わず突っ込むと、寺沢は、声を立てて笑った。
「確かに」
斎賀は、少し考えた後、まあ伝言するだけならいいかと折れた。
「わかりました。では連絡があったことと、連絡先、それに魔法の呪文を伝えればいいんですね」
「それで結構です」
「まあ、あなたに貸しを作っておくのも、そう悪くない」
「借りが積みあがりすぎて潰れそうですね。利息はなしということで」
「善処します」
笑いながらそう言って電話を切ると、今の内容をついさっき出たばかりの美晴へとメールした。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「先輩。斎藤さんから連絡が入ってますよ」
「斎藤さん? なんだって?」
「えーっと、『一体、私に何をしたんですか?!』って……ええ?!」
「は?」
アメリカ大統領から余計な仕事を引き受けて、スケジュールを調整しながらメッセージボックスを確認していた三好が、驚いたように俺を振り返った。
「芳村さんでも、女性との間にトラブルを起こすんですねぇ」
今回の詳細な報告書を、うちの事務所で書いていた鳴瀬さんが顔を上げてそう言った。
JDAで書くよりも、ここで書いた方が、疑問点がすぐに聞けて能率がいいのだそうだ。
「いや、ちょっと待て、何か変だぞ、そのメッセージ!」
俺はかなり焦って、手を振った。
「いたずら! そうだ、絶対、あいつのいたずらだって!」
「詳しい話を聞きたいし、用事もあるから14日の夜にいらっしゃるそうですよ」
三好がジト目でそう言うと、鳴瀬さんが「修羅場ね!」と楽しそうにつぶやいていた。
いや、キミたちね……
「あら?」
俺たちのドタバタを、楽しそうに見ていた鳴瀬さんが、振動したスマホを取り上げて声を上げた。
「どうしました?」
「あ、いえ。課長からのメールで、三好さんに伝言が」
「伝言?」
ジト目で俺を責めていた三好が、鳴瀬さんの方を振り返った。
「はい。自衛隊の寺沢さんが、連絡が欲しいということです」
「寺沢って……」
「ほら、先輩。最初に自衛隊がオーブの受け取りに来た時、某田中さんを紹介してくれた人ですよ」
「ああ、あの軍人っぽい……なんの用だ?」
「まあ、なんの用でもいいんじゃないですか? どうせスルーするわけですし」
「いや、お前。いくら何でもそれはヤバくないか? 営利企業ならスルーでいいけど、相手は親方日の丸の組織だぞ」
企業ならスルーでも大した問題はないが、お役所の呼び出しをスルーしたりしたら、あとでひどい目にあうこともあるだろう。主に、税務署とか税務署とか税務署だ。
「だけど先輩。そういう時って、組織名で連絡が来ませんか?」
「ああ、そうか。個人ってのは珍しいな」
「珍しいというか、ありえないと思いますけど」
確かにそうだ。
「だからこれは、きっと何かの厄介ごとですよ。知らんぷりしときましょう」
「了解」
俺たちのやり取りを、仕方のない人たちだなぁと言う、生暖かいまなざしで見ていた鳴瀬さんは、話の区切りがついたところで、伝言にくっついてた謎の言葉を伝えてきた。
「あ、後ですね。なんといいますか、意味は分からないのですが、伝言がくっついています。斎賀は魔法の呪文だと書いていますが……」
「魔法の呪文?」
「『8センチの球』だそうです」
「へー」
俺は、平静を装ってそう相槌を打っておいたが、内心はバクバクだった。
(おい、三好! 8センチの球って……)
(あの鉄球ですよね)
(なんで自衛隊が知ってるんだよ。どっかでバレるようなこと……あっ)
俺は、自衛隊と接点があって、あの球が使われたことが一度だけあったことを思い出した。
(キメイエスの時か)
(あー、あの時ファントム様が使った鉄球を回収したんですかね)
(いや、しかしな。ファントムが使っていた鉄球の話をなんで三好のところへ持ってくるんだ? 特注ってわけじゃないし、あれに指紋は付いてないはずだぞ)
(うーん。可能性があるとしたら、製造元へ問い合わせたとか?)
(問い合わせ? 何て?)
(ほら、先輩。あれって調子に乗って1万個も発注したじゃないですか)
(ああ、個数か。だけどそれくらいの発注はあってもおかしく――いや、ベアリング向けみたいなのならともかく、8センチは珍しいか)
(ですね)
(後は、メーカーに片っ端から電話でもして、『先日8センチの鉄球をまとめて注文したものですけど』みたいに言えば――)
(ぽろっと名前をこぼしちゃうかもしれませんよね)
(確認は?)
(後でF辺精工さんに連絡して、私から連絡があったかどうか聞いてみます)
「もしかして、これって……」
鳴瀬さんが、心配そうに言葉を継いだ。
彼女はファントムの事も知っているし、キメイエスの動画も見ているから見当がついたのだろう。
「いや、大丈夫ですよ。一応連絡先は頂いておきますけど、鳴瀬さん的にはそれでお仕事終了ですよね?」
「はい。さすがに返事までもらって来いと言う依頼は、うちの課も引き受けませんから。……それで、なにかお力になれることがありますか?」
「ありがとうございます。何か困ったことができたらご相談します」
「はい」
そう言って笑った彼女は、報告書の作成に戻って行った。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「うーん」
農研機構の果樹茶業研究部門では、静岡のカンキツ研究拠点へと資料を発送した後、今回の枝を2年目の温州みかんに接ぎ木した佐山が腰を伸ばしていた。
思ったよりも手際よく接ぎ木できたことに気をよくした彼は、その木を眺めながら呟いた。
「さあ、うまく接がれて大きくなってくれよ。あの実が地上でも採れるようになったりしたら、柑橘の世界が一変するぞ」
彼はそう祈ったのだ。
*1) 書籍版2巻に登場するシーンです。斎賀課長が暗……もとへ、活躍します。ここではスルーして大丈夫です。




