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Dジェネシス ダンジョンができて3年(web版)  作者: 之 貫紀
第7章 変わる世界

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144/218

§143 濫觴(後編) 2/4 (mon)

「――というわけで、先ほどDパワーズさんから、2次ロットの300台が納品されました」


斎賀の部屋では、JDAの大学入試対策委員会の対策委員に抜擢された、ダンジョン管理課の主任――坂井(さかい)典丈(のりたけ)29歳――が報告していた。


「300台? そりゃまた早かったな。1次ロットから、まだ数日だろう?」


私大の数は多い。

基本的に希望する大学からの連絡を受けて予定を組んでいるが、機器の個数もあるから、早い者勝ち……というよりも営2が恣意的に選んでいるようだった。結果として、難易度で選別されているようにも見える。

1次ロットは、昨日、順天堂の医学部と、上智で使用された。その結果、思った以上に受験生のDカード取得者は多かった。


「昨日の結果が速報で流れてからは余計ですね。各医学系私大から、2次試験だけでもという依頼が殺到しているようです」


医学系大学の1次試験は早いところが多い。2次試験も2月の一桁日に集中していた。


「他の大学からも、派遣して貰えるのかと、矢のような問い合わせが殺到していたところなので、そこのところは大変ありがたいのですが……」

「どうした?」

「……これ、本当に役に立ってるんですかね?」


坂井は、目の前に置かれた、いかにもアマチュアの電子工作ですと言わんばかりのアイテムを指差した。


「納品時に、委員会の方でテストしたんだろ? 昨日の動作も正常だったようだし」

「はい。実行すると、たしかにDカード所有者は緑の、非所有者は赤の発光ダイオードが点灯しました。JDA内で試した限り精度は100%でした」

「なら問題ないだろう」

「しかし――これ、10万でしたっけ?」


斎賀は彼の言いたいことを理解して苦笑した。

なにしろ外側は、100円ショップで買えそうな食品保存用のPPパックなのだ。10万円と言われれば、何事かと思うだろう。


「オーダーしたのが数日前じゃ、そりゃ外側までは手が回らないだろう。間に合わせてきただけでも驚愕ものだからな」

「はぁ……」

「それで、機器の管理と人員の派遣は、どうなってる?」


外側がPPパックである以上、簡単にふたを開けて中を確認できる。部品だってむき出しなのだ、見るものが見れば何が使われているのかは一目瞭然だ。


「そこは、営2任せですね。結局うちは常磐ラボさんとのリース部分のみで、大学とJDA間は営2が仕切ってます。なにしろ対象が全国に散らばっていますから」


営業2課は地方管轄の営業課だ。

地方の主要都市に対する人員の派遣という意味では、商務課と並んで相応しいのは確かだ。


「機器の管理という意味では、倉庫や店舗、それに販売員を確保している商務課の方がいいという話もあったのですが、なにしろ出先が全国に広がっていますので、ダンジョンの位置で偏っている商務課よりも、全国の都市部に散らばる2課の方が利便性が高いと主張されました」

「アイテムの数も大きさも大したことはないし、事務所でも充分置いておけるからな」

「はい」

「しかし、派遣人員はどうするんだ?」


常に販売員を確保している商務課と違い、営2ではアルバイトを雇うツテがないだろう。


「懇意の派遣会社に依頼するとのことです」

「大丈夫なのか、それ? ……JDAが情報漏洩の片棒を担ぐなんてのは御免だぞ?」


営業部にどんな思惑があったのかは知らないが、結局機器はファイナンスリースして、JDAが大学へとサービスを提供する契約になった。

営業の主張で1年のリースを行おうとした時、Dパワーズの三好梓に、気の毒そうな顔でお勧めしませんよと言われて、急遽ワンシーズン、年度内のリースに切り替えたのだが、あれで大分営業に文句を言われた。

年間を通して、いろいろな場所と契約しようとしたのだろうが、個々の機器だって間に合わせなのだ。こんなものを1年にわたって使わせることの危険性に斎賀は目をつぶれなかったのだ。


「それに、Dパワーズの連中の顔がなぁ……」

「なんです?」


斎賀の呟きに坂井が反応したが、斎賀は慌ててそれをごまかした。


「あ、いや、なんでもない。それで、足りるのか?」

「私大は数が多いと言ってもそれなりにばらけてますけど、25日~27日は確実にJDA職員だけでは手が足りなくなると思われます」

「国公立の2次試験か……やはり、もっと対象大学を絞った方がいいんじゃないか?」

「営2は営2で、その地域に関する(しがらみ)がありますからね」

「おいおい。絞らないってのか? それじゃ最低、全国立大学への派遣が必要になるだろう。人員はともかく機器も足りないだろう?」

「国立だけで86大学ありますから、予定通り1000台が揃ったとしても、1カ所10台ちょっとですね」

「微妙だな。公立はどうするんだ?」


学部毎に試験会場が異なっていたりしたら、確実に足りないだろう。


「93大学あります。札幌・福島・京都・奈良・和歌山には医科大学もありますし、全くフォローしないわけには……おおっぴらには言えませんが、やはり偏差値の高い大学への重点配備は避けられないと思います」

「営2がそれを理解してればいいけどな」


2月後半の派遣スケジュールは、未だに確定していない。

いろいろな部署の綱引きがあるようだが、状況だけ見ればこの機器の情報は確実に漏れるだろう。鳴瀬の話を聞く限り、それを分からない連中じゃないはずなんだが、実に無防備に思える。


「まあ、あのお嬢ちゃん達が何を考えているかは知らないが、機器を用意してしまえば、ダンジョン管理課としては not my business だ」


斎賀は気味の悪い現実を振り払うようにそう呟くと、坂井に向かって言った。


「じゃ、引き続き、そちらの方はよろしくたのむ」

「分かりました。しかしセーフエリアの件で天手古舞だってのに、うちも大変ですよね」


彼は失礼しますと頭を下げると、他人事のように独りごちながら、自分の席へと戻っていった。


斎賀は、それを見届けると、彼が来るまでに見ていた報告書に目を通し始めた。


「……結局Dパワーズから忠告を受けたとおりの展開になってきたな」


それは、先月のダンジョン産アイテムリストの一覧だった。

自力でアイテムを取得して、自力で売りさばいている商業ライセンス持ちのアイテム取得報告は提出までにラグがあるが、それ以外の一般探索者は、JDAの買い取り受付で売ることが多い。


JDAの買い取り受付は、ダンジョン管理部商務課の管轄だ。

商務課は別名ギルド課と呼ばれているように、いわゆるフィクションのギルドの業務から探索者の管理を除いた部分を扱っている課で、企業や他国などの特別なチームについては、探索毎の商務課への報告が義務づけられていた。

そういったわけで、ダンジョン管理課でも、ある程度リアルタイムにダンジョン産アイテムの動向を調べることが出来るのだ。


斎賀が見ているリストには、すでに4つのマイニングが発見されていることが報告されていた。

その分価値が下がったかというと、そんなことはない。なにしろ絶対数が少ないからだ。

そう言えばJDAが保持しているマイニングは、使用予定者だった六条小麦が勝手にマイニング保持者にされてしまっていたので宙に浮いたままだった。

小麦に使ったことにして、Dパワーズに返還するという案もあったが、Dパワーズから拒否された。


「遠慮というよりも六条さんの自由度を下げたくないって感じだったな」


JDAからそれを貸与されてしまえば、彼女の行動はJDAに縛られることになる。それを避けたという印象が強かった。


「それにしても――」


マイニングを取得したのは、サイモンチームと、ドミトリーを中心にしたロシアのチーム。後は、ミズ・エラを擁するオーストラリアのチームと、イギリスのチームだ。やはり、集団を相手にまとめて処理できる能力のあるチームが有利なようだった。

中でも、エラ=アルコットのスキルは集団戦に向いているらしい。


「オーストラリア政府が協力を依頼するはずだ」


マイニングを確保したチームからは、引き続き代々木での探索期間の延長が申請されていた。

どうやら、22層でマイニングの試験と、ついでにプラチナで経費の回収を行いたいってところだろう。


「USとRU、それにGBとAUか」


いかに優秀でも、攻略組のトップや国家と関係ない民間人に使わせたりはしないだろう。

WDAに提出したレポートのこともあるし、それなりに優秀で学識の深い人物が選ばれたはずだ。つまり武器は銃器が中心にならざるを得ない。


「しかし、22層は湿地帯だからな」


銃器でウォーターリーパーやウィッチニードルにあてるのは相当難しいだろうし、ラブドフィスパイソンも小銃程度で相手をするのは中々骨が折れるはずだ。


「事故用にポーションをいくつか確保しておくか……」


そう呟いて、申請書類を用意したとき、パーティションの入り口をノックする音がした。


「あの、課長……今よろしいですか?」

「ああ、どうかしたのか?」

「いえ、参議院議員の方が見えられていまして。アポがないのでお断りしようとしたのですが、どうしてもと」

「参議院議員?」

「はい。葉山議員と仰るそうです」


大臣や自分の住んでいる選挙区ならともかく、何百人もいる議員の名前などいちいち覚えているはずがない。

葉山と言われても、斎賀にはぴんと来なかった。


「瑞穂常務あたりの間違いじゃないのか?」

「いえ、直接探索者の管理を行っている部署の長ということですので、こちらで間違いないと思います」


ダンジョン管理部は探索者の管理以外の業務も多数ある。

直接と言うことなら、確かにダンジョン管理課の課長がその長と言うことになるだろうが……


寺沢あたりからデミウルゴスの報告への意趣返しがあってもおかしくはなかったが、それにしたって事前の連絡が一切無いというのはいかにも変だ。

とはいえ、政治家と直接関わる案件なんて、他には思い当たるふしがなかった。


「探索者の直接管理ね。わかった、会おう。あいている小会議室へ案内しておいてくれ」

「わかりました」


斎賀は、手早く申請書類を書き上げて送信すると、はてさてどうしたものかと考えながら立ち上がった。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇


「キミが、探索者管理の責任者なのかね?」


小会議室に行くと、いきなりそう言われたので、斎賀は型どおり名刺を差し出して挨拶した。


「直接的にはそう言うことになりますでしょうか。それで、本日はどういったご用件でしょう?」

「時間もないので単刀直入に申し上げる。ダンジョンブートキャンプの席を日本のために用意していただきたい」

「は?」


斎賀はいきなりの要求に、思わず変な声を上げていた。


「用意していただきたいと仰られましても、あれはJDAとは何の関係もありませんが……」

「そんなことは分かっている」


どうやら、先にスポーツ庁を通じてダンジョンパワーズへと接触を図ったらしい。


「あの会社はどうなっているのだ。電話をしても一向に誰も出ないそうではないか」


そういや、線が抜けたままにされたまま忘れられているようですと鳴瀬が言ってたな。連絡は個人所有の携帯なので、何一つ困らないのが困ったところだ。なにしろあの会社、社員はひとりしかいない。

最近、契約社員も入れると全部で3人だか4人だかになったらしいが……


「商業ライセンスが公開されていますから、登録メールアドレスは公開されていますよ」

「なしのつぶてだ!」


葉山議員は、怒り心頭と言わんばかりの表情で顔を赤くしながらそう告げた。


どうやら、散々日本のためを吹聴したあげくに席を要求するメールを送ったらしい。

斎賀は、そりゃスルーされるだろと内心苦笑していた。鳴瀬に言わせれば、攻める場所が違うのだ。


確かに、議員だろうがなんだろうが、返事を返す義務はない。面倒くさいことをスルーするのは彼らの流儀だ。

会社の姿勢としてはいかがなものかとも思うが。


「一体どうなっているんだ?!」

「そのようなことをJDAに仰られましても、ダンジョン関連とは言え、民間企業の業務そのものは管轄外ですよ。お話はそれだけですか?」


そう問い返すと、葉山議員は眉間にしわを寄せて言った。


「キミは、今までの話を聞いて、なんとも思わないのかね?」


大変だなぁとしか感想はないが、そんなことを口に出せるのは、あの二人だけだろう。


「ええと……JDAの業務とは特に関係ありませんし、コメントする立場にないのですけれども」

「なんと、嘆かわしい! 日本のために一肌脱ごうとは思わんのか!」

「先生が愛国心に溢れているのはよく分かりましたが、実際問題、これは民間企業の業務の話ですから、JDAではまったくお力になれないと思います」


ただでさえ今はホイポイカプセルの件で微妙な時だ。これ以上、面倒な案件は抱えたくないというのが本音だった。


「そうかな? キミたちは、専任管理監というのをおいていると聞いたが?」


誰だよ、そんな話をこいつに伝えたのは。

斎賀は心の中で苦虫をかみつぶしながらも、しれっと言った。


「何処でお聞きになったのか知りませんが、それはパーティに対して専任の者をつけただけで、会社とは無関係ですよ」

「なんだと?」


更に憤った葉山は、その後も、自分の時間が尽きるまで、延々と罵倒を交えながら斎賀と不毛な会話を繰り返した。

これは流石に業務妨害だろうと、斎賀はダンジョン庁へと苦情を上げることにした。ダンジョン庁は、省庁関係だけでなく、民間と政府との調整機関の役割も担っているのだから。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇


「あれ、課長。どうしたんですか?」


今朝聞いた麦畑の件を報告しに斎賀のもとを訪れた美晴は、ダンジョン管理課へ向かう廊下で斎賀を見つけて呼び止めた。


「ああ、鳴瀬か。いや、ちょっと面倒なお客があってな。ちょうどいい、お前にも関係ありそうな話だから……少し、いいか?」

「はい。私も課長に報告が」


それを聞いて、また面倒ごとじゃないだろうなと、鼻白んだ斎賀は、今度はこっちの相談も面倒ごとかと苦笑した。

美晴はそれを見て、課長の一人百面相はナシね、と失礼なことを考えていた。


課長のブースへ戻ると、さっそく斎賀はさっき会ったブートキャンプがらみの問題を美晴に話した。


「葉山議員、ですか?」

「ああ。詳しいことは知らなかったが、調べたところ、文科省畑出身の参議院銀らしい」

「それでどうしろと?」

「どうしようもないが、そういう事実があったという報告だな。何かあるかもしれんし、Dパワーズの連中に、気を付けるように言っておいてくれ」

「何にです?」

「そりゃ、何かに、だろうな」


そう訊いた美晴に対して、斎賀は露骨に肩をすくめて見せた。


地位のある議員が、直接的な行動に出るとは思えないが、世界はとても複雑だ。どこで何がどうつながって、どんな影響が出るのか予想することは難しい。

だが、何かが起こるかもしれないということだけは知らないよりも知っておいた方がいいだろう。噴火前の地震みたいなものだ。


「雲をつかむような話ですけど……まあわかりました」


美晴は切り替えるように座りなおすと、今度は自分の番だとばかりに、小麦畑の件を報告した。


「と、いうわけなんですが……」


報告が終わるまで、じっと腕を組んだまま、黙って口を挟まなかった斎賀が、その腕をほどいた。

しかし、眉間に刻まれたしわは、そのままだった。


「あのな、鳴瀬。現在うちの課は、セーフエリアの競売と、大学入試対策でいっぱいいっぱいなんだぞ? フロアを見てみろ、ゾンビが量産されているだろうが」


彼が指さしたフロアでは、透明なパーティションの向こう側で、ダンジョン管理課の面々が、足取りも重くうごめいていた。

週明けの月曜日だというのにこのありさまでは、週末どころか終業時間まで彼らが生きていられるのかどうかも怪しかった。もっとも、終業時間が来るかどうかは、もっと怪しいところのようだったが。


「スライムの件が公開された後の準備も後回しにはできないし、代々ダン情報局の方も止めるわけにはいかん。商務課も一杯一杯で、ダンジョン管理課へのヘルプも満足には送れない。スタッフ持ち回りの監視セクションなんか、スタッフゼロで風来が直接監視しているありさまだ」


美晴は、風来さんのところはどうせ警報がでるまで、ほとんど見てるだけだしそれでいいんじゃないの? と身も蓋もないことを考えたが、それ以外は、手伝えるところは手伝おうと心に決めていた。

斎賀は首を振って、ためを作った後、身を乗り出して言った。


「それが今度はなんだって? ダンジョン内での小麦栽培? しかも無限リポップだ?」


そのままがっくりと首を落とした斎賀は、そのまま呟くように言った。


「その話は、セーフエリアだの入試問題だの、ついでに言うならスライム対策だのを全部吹っ飛ばすくらいの大物だぞ……勘弁してくれ」


彼の脳裏には、それを発表したときに生じる問題や、社会に与える大きなインパクトのリストが、軽く1ダースは並んでいた。

とにもかくにも、先物市場が大変な嵐に見舞われることだけは間違いない。


勢いよく頭を上げた斎賀はきっぱりと言った。


「どうにもならん! はっきり言って、うちの余力はゼロだ。第一、余力があっても受け止められるかどうかわからない代物だぞ、それは」

「まあ、そうですよね」


美晴はダンジョン管理課の現状も把握していたし、自分の上司が、出来ないことは出来ないと、はっきり言うタイプであることも理解していた。


「せめて1か月後にならなかったのか」


そうすれば、いくつかの案件、特に受験問題が片付いて、少しは余裕があったはずだ。

少しの余裕でどうにかなるかどうかは分からないが。


「三好さんたち風に言うと、実っちゃったんだそうです」

「実っちゃったってなぁ……」


いい加減、あの連中には、自分たちの行動が社会に与える影響というものを考えて行動して欲しいものだと、斎賀は心の底から願った。


「それにしても――」


斎賀は、身を起こして背もたれに体重を預けると、天井に目を向けて言った。


「――ひと月前に、たった一坪の土地をレンタルしたかと思えば、これだ」


斎賀は、ゆっくりと身を起こして、美晴の方を見ると、疲れた顔で力なく言った。


「連中が、横浜で何をやっているのかは知らないが、そっちの爆弾が爆発したら最後、世界は滅びるんじゃないのか?」


美晴はその言い草を聞いて、思わず吹き出したが、特に反論はしなかった。みんな疲れているのだ。


「まあ、そうですよねぇ……じゃあ、この話はなかったことに」

「まてまてまてまて。そんなわけにいくわけないだろ。……ちょっとした愚痴くらいスルーしとけよ」

「課長。上司が部下に向かって愚痴をこぼすのは感心しませんね。どちらかと言えば、部下の愚痴を聞くのが役目ってもんでしょう?」

「むっ。よし、なにかあるなら聞いてやるから言ってみろ」


美晴は、そう言われて、ため息を一つつくと、斎賀に向かって話し始めた。


「私、芳村さんたちに、この技術をどうするつもりなのかって尋ねたんです」

「まあ、当然だな」

「そしたら、『どうしたらいいと思います?』と訊かれました」


美晴はがくーっと頭を下げてそう言った。


「あの人たち、次から次へとトンデモ案件を開発するばっかりで、その先のことを全然考えてないんですよ?!」

「お、おお……」

「あの人たちは、手段と目的を取り違えてます、絶対」


普通、研究や開発は、なにかを達成するための手段のはずだ。しかし、美晴の目からは、それそのものが目的のように見えるのだ。

その結果、次から次へといろんなものが飛び出してくるのだが、その先に明確なビジョンがない。いいかげん、この辺でちょっと手を緩めてほしいものだと、真剣にそう願っていた。


「あ、それで思い出したが、お前が要請していた、せとかのDNA鑑定な」

「はい?」

「あれが、えらい騒ぎになってるぞ」

「はいい?」

「うちにも、あれの出所を教えろと連絡が来てたはずだ」

「課長、何も聞こえませんでした。私は何も聞いていません。聞いていませんから……」


その様子に、何を言ってるんだこいつと苦笑したとき、机の上の内線が鳴った。


なにか、ものすごく嫌な予感がしたが、まさか居留守を使うわけにもいかない。斎賀は、意を決したようにそっと受話器を外すと、おそるおそるそれを耳に当てた。

そうして、受話器の向こうの相手といくつか言葉をやり取りしていたが、いきなり頭をあげた。


「自衛隊員倫理審査会事務局?」


突然、聞こえてきたその聞きなれない組織に、美晴が、席を外しましょうかとジェスチャーで問うと、斎賀も、そのままそこにいろとジェスチャーで指示した。


「うん。うん。……わかった。こちらから返事をしておく。うん。ああ、ありがとう」


斎賀が受話器を置くのを見ながら、美晴は、電話の内容を聞いていいものかどうかわからなかったので、だまって座っていた。


「なあ、鳴瀬」

「はい」

「お前、ファントムが誰なのか知っているか?」

「はい?」


いきなりそう聞かれた美晴は、「いきなり、なんの話ですか?」と問い返すしかなかった。


「いや、それがな――」


どうやら、JDAに、自衛隊員倫理審査会事務局から、ザ・ファントムと呼ばれる探索者が誰なのか知りたいという問い合わせがあったらしい。


「どうやら、幽霊さんは、31層の自衛隊のピンチに颯爽と駆け付けたらしいぞ。律儀な奴だな」


当時の話は、当然JDAにも報告書が上がってきていたが、探索者の損失が自衛隊員のみだったため、こちらへはほとんど結果だけの報告となっていた。

もちろん美晴は、三好が撮影した映像まで見ているが、同じように自衛隊が撮影していた可能性のある映像は、JDAには提出されていなかった。


「そこで、君津2尉に対して、どうやら超回復を使ったらしい」

「超回復?」

「ああ。どこかで聞いたような話だな」


もちろん斎賀の念頭にあったのは、アーシャの一件だろう。

あれはあれで、JDAにとっても大事件だったのだが、相手がインドの大富豪とイギリス軍では突っ込むに突っ込めず、たんなる探索者の活動のひとつとして処理されていた。


「ともかく、それが収賄や国家公務員倫理規程違反にあたるかどうかの調査を行っているそうだ」

「ザ・ファントムが、自衛隊の利害関係者かどうか知りたいってことですか?」

「まあ、そうなんだろうな。利益を提供したものが誰なのかわからないんじゃ、どうしようもないというところだろう」

「利益提供者が誰だかわからないなら、便宜の図りようもないと思うんですが……それにオーブって、動産とみなされなかったはずですよね?」

「少し前に50億で落札されているから、インパクトがなぁ……ちょっとアンラッキーだったな」

「それって、50億の利益供与だとみなされるかも、ってことですか?」


美晴は驚いてそう聞いた。なにしろ彼女は4000億オーバーのオーブを譲渡されているのだ。

しかし、いかに日本が、制定法主義国だといえ、判例法主義的要素は多分に存在している。成文法が存在していない領域なら、なおのことそうだろう。

オーブが動産としてみなされていないという解釈が、1年を超える議論の結果導かれ、判例もでている現状で、どうしてそんなことになっているのだろう。


「まあ、委員も法の専門家が3人と、会社の役員が1人、それにTVの解説委員が1人からなってるようだから、最終的には動産ではないという判断に落ち着くとは思うが、議論の前の資料作成の段階で情報が必要になったようだな」


そう言って、斎賀は難しそうな顔をした。


「しかしスキルオーブの無償使用は、贈与や譲渡とはみなされないとはっきりとした判例がある――」

「なんです?」

「――なにか違和感がないか?」

「違和感?」

「収賄とみなされたりするはずのない一件だ。それが議題に上ること自体がおかしいだろ。まるで、それにかこつけて――」

「――何か別のことを調べたがっているように見える?」


斎賀はその通りと言わんばかりに頷いた。


「ザ・ファントムの正体を明らかにしたい人って、誰なんでしょう?」

「さあな。突然現れた、世界1位の探索者だ。いくらでも利用価値はあるんだろ」


ことに、こんなに急激に、まさしく馬鹿みたいにいろんな案件が、一度に転がり始めた現在(いま)となっては――


「ああ、今は麦畑のことだったか」

「あ、そうですね。それでどうします?」

「どうもこうもあるか。5億人の探索者登録が、まだまだ年単位でかかりそうな現在、こんな事実は発表したとたんに大ごとになるぞ。それも世界的な規模で、だ」


無限に収穫できる畑は、浅層の食料ドロップとはわけが違う。

たとえ狭い畑でも、1日24時間、365日収穫し続ければ、いったいどれだけの量になるのか見当もつかないが、きちんと計算してみなくても結構な量になることは確実だ。


「それは、三好さんたちも言っていました。私たちじゃ手に負えないから、任せたって」

「そんな簡単に任せるなよ!」

「穀物メジャーから命を狙われるのは嫌だそうです」

「どこの劇画だよ!」

「あと、ダンジョン産食品の安全性調査手続きも面倒だから嫌だそうです」

「そりゃ、WDAのDFA(食品管理局 the Department of Food Administration)の管轄だな」


オーク肉を始めとする、ダンジョン産の食品の安全性は、その部署が、各国のFDA(アメリカ食品医薬品局 Food and Drug Administration)のような組織と協力して行っていた。


「しかし、これは揉めるだろうな」

「揉める?」

「さっきの劇画の話じゃないが、検査自体に穀物メジャーが横やりを入れたとしても、俺は驚かない」


斎賀は椅子の背から体を起こすと、身を乗り出した。


「しかし、真っ先に大きな影響を受けるのは、確実に先物市場だ」


なにしろ、季節に関係なく、ほとんど無限に算出する穀物だ。

こんなものが世界に発表されたら、穀物の先物が暴落する可能性は高い。

実際にどの程度作れるのかはわからないにしても、そのインパクトだけで値を下げることは想像に難くない。


「発表前に売りまくっていれば大儲けできるぞ?」

「課長、それはインサイダーでは……」

「わかってりゃいい。つまり、この情報は、絶対外に漏らすなよってことだ」

「この部屋に盗聴器があるかもしれませんよ」

「そこは一応毎日チェックしている」

「え? 本当に?!」


冗談のつもりで言ったにもかかわらず、本当にそんなスパイ映画じみたことが行われているとは思ってもみなかった美晴は、驚いた。


「きっかけを作ったのは、お前だろ」

「私ですか?」

「異界言語理解の時、有無を言わさず、市ヶ谷橋に引っ張って行ったのは誰だよ」

「ああ」


しかしあの時は、異界言語理解の件に関して、芳村がJDAも自衛隊も信じていないようだったから、どこに耳があるかわからないJDAから連れ出しただけで、まさか本当に盗聴器が仕掛けられたりしていると思っていたわけではなかった。


「それに、今はセーフゾーンの競売の件があるから、余計だな」

「それで、見つかったことは?」

「それがな……」


そういって、斎賀は胸の前で彼女に手の甲を向けて右手の指を3本立てた。


「え? 本当ですか?」

「まったく、世の中ってのはどうなってるんだろうな」


美晴はあたりを気味悪そうに、見回した。


「課長。Dパワーズの話って、外でしたほうがいいですかね?」

「まあ、よっぽどの案件ならそれもいいだろうが、今のところこの部屋はクリーン……のはずなんだがな」


なにしろ人の出入りがある部屋だ。まさか入室の際に全員をチェックするわけにもいかないし、なんとも心もとない話ではあった。


「ともかく、少なくとも来月までは、そこの管理に人員を割くのは無理だ。一坪と言わず、周囲の土地も使っていいから、ふたでもかぶせて厳重に保護しておいてくれと伝えてくれ」

「わかりました。あちらも特許を確保するまでは、この件の詳細は伏せておいてほしいそうですから、大丈夫でしょう」

「特許? まだ何かあるのか?」

「あの人たちが言うには、ただ、ダンジョンの中に直接植えるだけでは、リポップする植物はできないんだそうです」


それを聞いた斎賀は、がっくりと肩を落とした。


「この技術をどうするつもりかっていうのは、そういうことか……」

「わかっていただけましたか」

「……あいつら、世界の食料市場を牛耳るつもりでもあるのか?」

「課長、あの人たちに、そんな目的があるわけないでしょう。だってそれは――」

「「面倒だから」」


同時にそう言うと、二人は疲れたように深いため息を、これまた同時につきあったのだ。


週明けの月曜日、一気に世界が動き出したところで、明日から隔日更新に戻させていただきます。

年度末に向けて仕事がいろいろと立て込んできまして……


機械的に隔日にするべきか、週3~4話でアップ自体は詰めるべきかは検討中です。


春とは名ばかりに厳しい寒さが続いておりますが、読者の皆様も、どうぞご自愛ください。

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書籍情報
KADOKAWA様から2巻まで発売されています。
2020/08/26 コンプエースでコミックの連載始まりました。
作者のtwitterは、こちら
― 新着の感想 ―
この話の中で一番苦労しているのは間違いなく斎賀課長と鳴瀬だと思った。 ダントツで。
[一言] データ厨検証厨は満足できる分析結果が得られることが最重要だからね、仕方ないね
[気になる点] 誤字報告 》「葉山議員、ですか?」 「ああ。詳しいことは知らなかったが、調べたところ、文科省畑出身の参議院“銀”らしい」 「それでどうしろと?」 この部分、“議員”では
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