§138 オペレーション・トモダチ? 2/3 (sun)
本日は、1巻発売日ですので、よろしくお願いいたします。
おめでたいので、もう1話更新予定です。
ワシントンのオーバルオフィスでは、そこの主のアルバート=ハンドラー大統領が、首席補佐官のニック・マルベリーと共に、ジーン・カスペルCIA長官の報告を受けていた。(*1)
「WDAが独立をもくろんでいる?」
「可能性があるという分析です」
一通りの報告を聞き終えた彼らは、プライベートの時のような砕けた会話に移行した。
「ジーン、いくらなんでもそれは唐突すぎるだろう」
「アルバート。WDAがダンジョン内の権利を完全に有しているのは、世界のドタバタをなるべく穏健に収めようとした各国の妥協の産物でしょう?」
「それはそうだ」
「当時の混乱はすでに収束していると言えるし、代々木で発見されたセーフエリアがその可能性に輪をかけたのよ」
CIAの報告が今一つ理解できなかったニックは、率直にジーンに尋ねた。
「ちょっと待ってくれ。独立ってなんだ? そもそもWDAはどの国にもとらわれていないだろう。見ようによっちゃ、国連なんかよりもよっぽど独立しているぞ」
「あの機関は、金ばかり要求してひとつもUSのためにならん。あんな特定国家の思想に汚染されたような組織は――」
「アルバート、その話はちょっとおいておいて。ニック、独立っていうのは……そうね、国家って意味でもいいわ」
「国家?」
「そう。これは、WDAが国家としてふるまい始めるのではないかという予測でもあるの」
「おいおい。仮にダンジョン内をその領土と認めるとしても、住民がいないだろ? まさかモンスターを住民だというわけには――」
そう言い始めて、ニックは言葉を飲み込んだ。
「――セーフエリアか」
ジーンはその言葉に頷いた。
「しかし、WDAが自らを国だと言い張ったところで、誰もそれを認めたりはしないだろう?」
「国家の資格要件に、国家承認は含まれないってのが時代の趨勢だ。我が国がモンテビデオ条約をないがしろにするわけにはいかない」
アルバートは、椅子の背に体を預けながらそう言った。
「しかし、それにしたって……」
国家の資格要件には、永続的な住民と明確な領域、それに政府と外交能力が必要だ。
永続的住民は、セーフエリアのおかげで得られる可能性がある。
明確な領域は、ダンジョン内だから、地上とは完全に線が引かれている。
政府は、現在のWDAがその任を果たそうと思えば可能だ。というより、実際にダンジョン内のルール策定等で内向きには機能している。
外向きには――
「物理的な実力はどうする?」
「一流の探索者が永続的な住民となるなら、確保できるんじゃない?」
ダンジョン内に近代兵器を持ち込むのは難しい。
ダンジョン内から外に責めてくるというのならともかく、どこかの島国ではないが、専守防衛を貫かれるとしたら、外向きの力として十分機能するかもしれなかった。
なにしろ相手は魔法を使うのだ。
ジーンは、まるでファンタジー小説のようねと、微かに笑みをこぼした。
「とはいえ、今まではダンジョン内だけで世界を完結させるのは難しかったから、そんな行動に出ることは考えられなかったけど」
「入り口を閉鎖されれば、すぐに干上がるからな」
ダンジョン内に食料はないも同然だ。
産業と言えるものは、何に使用していいのかも良く分からないダンジョン産の素材がせいぜいだった。ついこの間までは。
「ところが、つい先日、戦慄のレポートが提出されたの」
「戦慄?」
「ある人たちにとってはね」
そういってジーンは、WDAのPO(知財局特許課)から入手したレポートについて説明した。
どうやって入手したのかを聞くのはヤボというものだ。
「これは……何かの冗談か?」
レポートの内容に目を通したアルバートは、思わずそう言った。
「いいえ。現在、DFA(食品管理局)の主席研究員が、何もかも投げ出して東京行きのチケットを申請したっていうから、信ぴょう性は高いわね」
「もしもそれが事実だとしたら――」
アルバートが言いよどんだところで、ジーンが引き継いだ。
「ダンジョン内であることの問題点は、ほとんど解決したも同然ね」
「いや、水だって必要だろ?」
「ダンジョンの中にだって水はあるじゃない。それに、向こうには水魔法なんて便利なものがあるそうよ」
水魔法は、例のインクレディブルなオークションでいくつも販売されている。
つまり、比較的潤沢に存在するってことだろう。あの世界では。
「無限に産出する鉱物資源と穀物。現実にはあり得ないような素材群とファンタジーから飛び出してきたような魔法なる現象。そうしてついには安全な場所か。独立を考えてもおかしくはない、のか?」
「あとはエネルギーがあれば完璧ね」
「魔結晶か」
「次あたりに出てくるのは、それのパテントじゃないかと睨んでいるのだけど」
「冗談はよせよ」
こうして考えれば、独立しようとしてそれが行える要件は満たされているのかもしれなかった。そのメリットはともかくとして。
「問題は、その大部分が代々木発ってところね」
「DADからも報告が上がってきている。どうやら震源は、たったひとつのパーティらしいじゃないか」
「我が国に、非常に高価な福音を売りつけた連中ですね」
「あれは安全保障上必要な経費だ。たとえ、どこの誰だかわからないインタプリタなどという探索者が、碑文の内容を公開したとしてもね」
自陣営でその内容を確認できないなら、公開者が謎の人物だろうがロシアだろうが結果は同じだ。
「オーブのオークションから始まった奇跡は、ステータス計測装置の開発を経て、ついにはダンジョン内農園と来たわけだけど、ここまでたった3か月よ」
「信じがたいな。この先どうなるのか、恐れすら抱きそうだ」
「そうやって調べれば調べるほど、噂の信ぴょう性は増すばかりってところね」
「噂?」
「日本は、ダンジョンの向こう側にいる何かと、すでにコンタクトを持っているって話」
「それは、外交チャンネルを使って訊いてみた。向こうの政府は否定したよ」
「相手は政府とは限らないでしょう?」
そう言って、ジーンは1枚の写真をテーブルの上に投げた。
「その中心に誰かがいるとしたら、彼女たち以外には考えられないわね」
そこには、ショップで喜々としてワインを選んでいる、ザ・ワイズマンの二つ名で呼ばれる女性の姿が写っていた。
アルバートは、隠し撮りとは思えない鮮明さの写真の中で、あまりにうれしそうな様子をしている彼女が持っている、シンプルで、ともすればやる気がないようにすら思われそうなラベルのワインに気が付いた。
その写真を手に取った彼は、ボトルを確認するように目を近づけた。
「コルギンか」
写真をテーブルの上に戻しながら、彼は言った。
コルギンは、ナパのカルトワインを代表するワイナリーのひとつだ。
「彼女、ナパが好みなのか?」
「というより、ワイン全般がお好きなようね。報告の分析によると、買い方がマニアックだそうよ」
「マニアック?」
「見て。彼女が購入しようとしているのは、カリアドの1999」
「それが?」
「棚には05も07もあるのに99を嬉々として選んでる」
コルギンのカリアド、05と07は、いわゆるパーカーポイントで満点を取っているワインだ。
もはや彼のポイントの満点は、カリフォルニアのカルトワインには珍しくないとはいえ、評価の話を聞いたこともない99を選択するのは、確かに変わっている。
「99は良くない?」
「パーカーが最初に評価したときは91ポイントだったそうよ」(*2)
「それほど評価が違えば価格も違うだろう? 今の高騰ぶりは、少し、なんというか……うんざりするくらいだ。リーズナブルなものを選んだだけじゃないのか?」
「今の彼女に買えないワインがあるとしたら、持ち主が絶対に売らないものだけね」
そういわれてみれば、彼女は異界言語理解のバイヤーズプレミアムだけで、ワインくらいなら大抵のものが、好きなだけ買えるだろう。
目の前にビンテージ違いの同じワインがあったとき、どれでも好きなものが選べるなら評価の高いものを選ぶのが普通の感覚だ。
「ともかく、目の前にもっと高評価のワインがあるにも関わらず、彼女が選んだのは、たいして評価の高くない年で、しかも飲み頃としてはギリギリピークって感じのもの」
「それで? 調べたんだろ?」
CIAの分析官は、プロファイリングという言葉で、重箱の隅をつつくのが大好きだ。
「1999年は、醸造がコルギンの代名詞だったヘレン=ターリーから、ナパの申し子、マーク=オベールに変わった年なんだって」
「それだけ? 偶然じゃないのか?」
「調査した者は絶対それが原因だって断言したわ。マニアックって意味がわかった?」
アルバートは、あきれたようにのけぞって、椅子の背もたれに体重を預けた。
そうして天井を見上げたまま言った。
「97のスクリーミング・イーグル(*3)1ケースで買収できないかな?」
「え? アルバート、それを持っているわけ?」
ジーンはそのセリフを聞いて驚きつつも、さすが大統領と関心もした。
当時はそれほどでもなかったが、今、手に入れるのはほぼ不可能なワインだからだ。
「それなら、多少は可能性があるかもね」
彼女は笑いながらそう言った。
「ううむ……ダメもとで送りつけてみるかな」
「本気なのかよ、大統領閣下。買収って、何を要求するつもりなんだ?」
「そうだな……うちの娘にサインでもしてもらうとするかな」
「……おいおい」
アルバートは姿勢を元に戻すと、机の上で両手を組んだ。
「実は、DADのサイモン中尉から、何度かレポートが上がってきている」
「ああ、彼」
ジーンは嫌そうに眉をひそめた。
「うちのスタッフは、彼がDパワーズに近づきすぎじゃないかと疑ってるわよ。先日はロシアのドミトリー氏とも一緒だったという報告があったし。残念ながら、部屋の中で何をしていたかは分からなかったそうだけど、先に出て来たドミトリー氏は、大変上機嫌だったそうよ」
「それはDADからも報告が上がっている。しかも内容付きだ」
報告したのはサイモンなのだから、当然と言えば当然だ。
「まあ。CIAもかたなしね」
「心配しなくても、あそこじゃ世界中の諜報機関がコケにされてるって聞いたぞ」とニックが茶化した。
「送り返されてくる人員は数知れずってところね」
ジーンが肩をすくめながらそれに応じると、アルバートは少し渋面で言った。
「我が国もか?」
「残念ながら。それで、中ではどんな密談が? うちにも公開されないくらい重要な話?」
「それが、『クラフトビールとロシアのウォッカとモルドバのワインで乾杯して、楽しく酒を飲んでいたら、ダンジョン産のオレンジが出てきて頭を抱えた』、だそうだ」
「何それ?」
「ダンジョン産のオレンジについては、すでにJDAで公開されていたから、情報はここで止めておいたよ」
アメリカのスーパースターと、ロシアの英雄が、日本の怪しさナンバーワンのパーティと秘密裏に懇談したなんて話が出まわったら、内容が何もなくても、有ることにされかねない。
さっきの話じゃないが、全員でWDA国へ亡命する算段をつけてたなんて言い出す者が現れても不思議はないのだ。
「それで、彼が言うことにはだな。連中に言うことを聞いてもらいたかったら――」
大統領は、言うべきかどうしようか、一瞬躊躇した後、いたずらが見つかった子供のような顔をして言った。
「――友達になれ、だとさ」
ニックはぐるぐると目を回すと、手を広げて大仰なポーズをとった。
「なんというパーソナルな安全保障!」
「いえ、友人になるというのは悪くないかも」
政治家ならほとんど誰でも、選挙になるたびに、有権者の前に現れて、彼や彼女と友達になろうとする。
大部分の有権者は、投票するのに公約の詳細なんて見てはいないし、知らない人よりも知っている人に投票してしまうのは、人間に共通の心理だということをよく知っているからだ。
そうでなければ、政党が有名人を連れてきて看板にしようとするはずがない。どぶ板選挙が廃れないわけだ。
「日本人は、あれでとてもウェットだし、確かに友人のお願いをドライに断ることは少なそうね」
「合衆国を上げて、個人とお友達になるプランの発動か? これぞまさしく、オペレーション・トモダチ(*4)だな」
「相手はダンジョン界のセレブリティ・オブ・ザ・イヤーだ。ダンジョンの向こう側にある世界の親善大使だと思えばおかしくはないさ」
「向こう『へ』の、じゃないのかよ……」とニックがあきれたように言った。
それでも、WDA国の、じゃないところを喜ぶべきだろうかと、アルバートは考えていた。
*1) 日本との時差は14時間。現地は土曜日です。
*2) colgin cariad 1999 / PP 91
91ポイントは、彼が最初に評価したときのポイント。その後2011年に再評価され、94ポイントに修正された。
*3) Screaming Eagle
こちらも92年から作られている、カリフォルニアのカルトワイン。97はパーカーが初めて満点をつけた年。
*4) Operation Tomodachi
東日本大震災に対する、災害救助、救援および復興支援を行う米軍の作戦の名称




