§137 JDAからのお願い 2/2 (sat)
「昨日はまた、面倒なことになりましたね……」
少し遅めの朝食をつつきながら、三好は頬杖をついた。
「まあな」
サイモンやミーチャがやってきたことが原因なのか、何人かが敷地に侵入してアルスルズの餌食になり、田中送りになっていたが、その話ではない。
あれから鳴瀬さんが持ってきた話が問題だったのだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「それで、ちゃんと話していただけるんでしょうね」
サイモンとミーチャが帰った後、鳴瀬さんが、俺たちの雑談を遮って蒸し返した。
「ちゃんとって言われましても……サイモンさんは、明日のオーブの受け渡しの打ち合わせに……って、やったか、打ち合わせ?」
「一応時間と場所だけは聞きましたよ」
「あ、そうだそうだ。というわけで、打ち合わせに」
「……はぁ。では、ドミトリーさんは?」
「そうだよ、結局ミーチャは何をしに来たんだ?」
「故郷のウォッカを飲みに?」
「いえ、その展開はもういいですから」
鳴瀬さんは眉間のしわを抑えながら、同じ展開になりそうだった俺たちの話を遮った。
そして、なにかを決したように、目に強い光を宿して、体を乗り出すと、「まさかとは思いますけど、お二人とも政治的な問題に巻き込まれたりしていませんよね?」と言った。
「政治的な問題?」
「例えばドミトリーさんがアメリカへ――」
「ストーップ」
おれは慌てて、彼女の話を遮った。
まあ、仕方いよな、俺だってそう思ったもの。
「その話をしたら、サイモンさんがビールを噴いてびしょびしょにされましたよ」
「――ビール?」
「あー、つまり、そういう話は一切なさそうでしたよ」
「じゃあ、いったい……」
「おそらくですけど」
「はい」
「遊びに来たんじゃないですかね」
「はい?」
鳴瀬さんの、何言ってんだお前、みたいな顔はもしかしたら初めて見たかもしれない。なかなかレアな表情だ。
「ミーチャと三好は、一応18層で知り合ってるんです」
「それはまた、なんというか……珍しいですね」
「そうなんですか?」
「あまり来日されたこともありませんし、噂でしかありませんけど、あまりそういうことはしない人のようですよ」
三好が目をつぶって腕を組みコクコクと頷いている。こいつまた、世界チャンピオンは孤高でなければとか考えてやがるな。
どうやらミーチャが孤高な人間だということは、ある程度以上に周知の事実らしい。
RUDA所属探索者の中でも飛びぬけて能力の高い人間だし、ついていける人間がいなければそうなってしまうのも仕方がないのか。
その点サイモンたちは、似通ったレベルの仲間がいたから、そうでもないのかもしれない。もっとも、あの軽さはラテンの血のような気もするが。
(なら、先輩は?)
(うわっ、またお漏らしかよ!)
(まあまあ)
(俺は別に。ただステータスが高いだけだし……あ、そうだ。三好がいるから大丈夫かな)
(ちょ、ちょおーっと、とってつけた感が否めませんね)
「三好さん? 体調でも……」
「え?! あ、いえ、大丈夫です」
ふとみると、ちょっと顔を赤くした三好が、鳴瀬さんに心配されていた。
おお? 照れた三好って、なかなかレアじゃないか?
(先輩……覚えておいてくださいよ)
げっ、まだ漏れてんのかよ。注意してるんだけど、いまだに思考と念話の切り分けって難しいんだよなぁ。
きっと今頃、喧嘩してるパーティがいっぱいありそうな気が……
「ま、まあそういうわけで、偶然ここでバッティングして、なんとなく流れで懇親会みたいになっちゃっただけで、特に意味なんかないんですよ」
「第三者がどう考えるのかが不安ですけど……まあ、そこは考えても始まりませんね」
「そうです、そうです。それで、なにかご用だったのでは?」
「あ、そうでした。実は……」
鳴瀬さんは、そう言って、申し訳なさそうに話を切り出した。
「基金にする予定の資金を、JDAのダンジョン振興事業へ拠出してほしい?」
「というのが、振興課の希望のようです」
三好が渡した基金に関する資料は、ダンジョン管理課に渡されたが、本来基金は振興課の取り扱いらしい。
それでそちらに回した結果、振興課からそういった提案をされたらしかった。
「ダンジョン管理課は、これに賛同していません。ただ、一応同じ組織ですし、Dパワーズさんの専任管理官を拝命している立場なので……」
「ああ、振興課から話をしてくれるよう頼まれたわけですね」
「はい」
まあ、そこで明確な理由もなく断ったりしたら、課間の軋轢につながるだろうし、そりゃ仕方ないか。
「だけど先輩。JDAの基金って、『お金はあなたたちが集めてね、助成先はうちが決定するよ。で、管理料は貰うね』ってタイプじゃありませんでしたか?」
「どうなんです?」
「ええ、まあ、確かにそうですが……」
三好のあまりの言い草に、鳴瀬さんは苦笑しながら頷いた。
なお、JDAの名誉のために言っておくと、基金は大抵このタイプだ。寄付者の考えた分野に助成する組織もあることはあるが、しょせんは「分野」にすぎないし、それも、それほど多くはない。
「JDAに協力することはやぶさかではないのですが、重要なのは、私たちが助成先を決定できるって事なんですよねー。だけど無視すればJDAとの関係がギクシャクしそうですし……そう露骨じゃないにしても、細かいところで邪魔されるのは面倒ですよね」
「結局どんな組織も運営しているのは人だからなぁ。意趣返しくらいは、されてもおかしくはないだろう」
「ちっさいですねぇ……」
人間ってそんなもんだよ三好くん。おお、紛う事なき川柳だ。
「だけどさ。うちと振興課に接点なんかないだろ?」
「うーん。いまのところ特にありませんね」
俺たちがやっている、ダンジョン攻略のサポート云々は、一部振興課の業務と被りそうだが、あくまでも一企業の独立した活動だ。
ブートキャンプにしても、探索者のサポートなだけに、ダンジョン管理課の方が近いだろう。
「じゃ、すこしくらいギクシャクしても平気じゃないか?」
「まあ、そうなんですけど……」
三好が心配そうな顔で、鳴瀬さんの方を見た。
「ここで俺たちが断ると鳴瀬さんが困るとか?」
「いえ、一応話をするというだけの約束ですから、これで一応役目は果たしましたし、それにうちの課長は、いただいた基金プロジェクトに後援という形でお墨付きを与えるべきだとの考えですから」
ああ、斎賀さんか。あの人分かってそうだもんな。
「なら、いいんですけど」
「もっとも、この後は、振興課が直接アプローチするという話ですよ」
「はい?」
直接アプローチ? って何をするんだ?
少し考え込んでいた三好が、ふと言葉を継いだ。
「振興課から、専任管理官が送られてきたりして」
「げっ」
いや、それはいくらなんでも……鳴瀬さんはそれなりに知っていたからいいけれど、新たに誰かが送り込まれてきたりしたら、それってスパイじゃないのかと疑わざるをえないぞ。というか、スパイだろ。
「いえ、専任管理官制度は、ダンジョン管理課にしかありません。直接探索者を管理する課ならではですから」
「ならアプローチって、いったい何を?」
「先輩、相手は営業部なんですよ。管理する方法がないなら、営業をかけるに決まってるじゃないですか」
「営業? いったい、何の?」
「この場合は、資産家に対する銀行の営業みたいなものですかね?」
「金融商品がどうとかいう、あれか?」
「きっと、基金のすばらしさを力説してくれると思いますよ」
三好がやれやれとばかりに肩をすくめながらそう言った。
「うわー、面倒くせぇ……」
「先輩……対応するのは私ですよ?」
「お疲れ様です」
三好の憤慨に対して、しれっと対応した俺の態度を見て、鳴瀬さんが苦笑した。
「だけどさ、基金の素晴らしさってなんだ?」
「寄付する側のですか?」
「そう」
「社会的な地位の向上とか? それが損金扱いできて税制面でちょっと優遇されるとかですかね」
「それもうちには関係なさそうだな」
「まあそうですね」
「むしろデメリットを強調されるんじゃないかと思います」
頭をひねる俺たちを見て、鳴瀬さんが口を開いた。
「デメリット?」
「ほら、先輩。Dパワーズを株式会社で立ち上げたとき、調べたじゃないですか。基金の母体としてNPOや公益財団法を作るのは結構面倒で時間もかかるんですよ」
「だから、どうせ支援事業にするなら、すでにある基金に寄付したほうがいいって流れ?」
そう言うと、鳴瀬さんは、軽く頷いた。
「よし、三好。情報を整理しようぜ」
俺は手を叩いて言った。
「まず、基金と言っても、元々うちの売り上げの社会還元が目的だから、当面寄付を募る予定はないだろ」
「ですね」
「なら、寄付者の控除に関して、気にすることはないってことだ」
日本は寄付に対する控除という仕組みがほとんどない。あっても複雑な条件や手続きが必要で、気軽に寄付をするのは、あまり現実的とは言い難い。
中小企業庁のエンジェル税制なんていうのもあるが、ベンチャー企業が中小企業庁認可の企業でなければダメだったり、手続きが面倒くさい。投資時点の控除上限が1000万ってところも低すぎる。上場して株式売買するところまで行けば、かかったお金は上限無く控除されるのだが、潰れた場合のフォローがしょぼすぎるのだ。
「で、思ったんだが、これはすでに基金というより、ベンチャーキャピタルじゃないか?」
「他人からお金を集める気がありませんから、そういう分類だとビジネスエンジェルですね。ただそれだとベンチャーじゃない企業は二の足を踏んじゃうかもしれません」
たしかに、すでに上場している企業は普通申し込んでこないだろう。
「大手でも窓際で変なことを研究している人とか、大学や個人でも面白い発想がある人に、幅広く助成なり投資なりしたいんですけど」
「うーん」
お金を借りるのが難しくて面倒なのはわかるが、お金を貸す側でこれほど苦労するとは思わなかった。
貸してあげると言えば、ほいほい借りに来るものとばかり……
「ならいっそのこと、Dパワーズの投資部門にしてしまって、単独でそういう制度を作ったことを広くアピールしたらどうです?」
悩んでいたら、鳴瀬さんがそんなことを言い出した。それってJDA職員の発言として、大丈夫なの?
「従来の枠組みとか無視してですか?」
「そうです。従来の枠組みのメリットなんて、出入りに関する税金の控除に集約されるわけで、ただそれだけのためにあんなに複雑なあれこれが存在しているわけです」
まあ、脱税に利用されないための仕組みを考えてたら、無駄に複雑になった上に抜け道まで出来ちゃったみたいなルールは結構ありそうだ。
逆に抜け道をつくったことを気付かれないために、不必要に複雑にしたんじゃないかと邪推しそうになるルールまであるくらいだ。
「だから、寄付も求めないし、利益が出るなら普通に税金を払うよって場合は、好き勝手してもいいんじゃないでしょうか」
「って、鳴瀬さん、そんなこと言っていいんですか?」
「振興課とは、そもそも部が違いますし。ダンジョン管理課の管理監としては、こちらの利益が優先……ですかね?」
鳴瀬さんがペロッと舌を出しながらそう言うのを見て、三好が「あざとい!」と呟いた。
「しかし社会への告知はどうするよ?」
広く知られていなければ、申し込みは来ない。
勝手にやるには、自分たちでそれを行う必要があるのだ。
「そこは貸しを返してもらいましょう」
「貸し?」
「あとは、ウェブですかね」
三好は、俺の質問をさりげなくスルーして、話をwebに振った。
何の話だかわからないが、きっと鳴瀬さんに直接聞かせたくない話なんだろう。念話も来ないから緊急でもない。あとで訊けばいいか。
「そういや、ドメインはとってあるんだろ? いい加減Dパワーズのサイトもちゃんとしないとな」
「d-powers.com を取得してあります。とりあえず簡単なフレームワークだけ突っ込んで、先輩と私と三代さんのメールアドレスだけ作りましたけど、弄ってる暇がありませんからそのまま放置されてます。先輩、やります?」
HTMLとCSSとjavascriptだし、サーバーサイドはpythonかruby、最悪でもphpでいいだろうし、やれと言われれば出来ないことはないが、特にそんな趣味はないしなぁ。
最新のサービスだのライブラリだのを調べるのも面倒くさい。web関連って、なんであんなに次から次から似たような概念で名称が違うことを作りまくってるんだろう。車輪が100個ある車かよってレベルだ。
デザインだって、下手をすれば毎年トレンドが変わっていくし、立てスクデザインの代表! みたいなリンクを踏んだら、すでに全然違うレイアウトになってるとかザラにある。
「丸投げは?」
「デザインとかならともかく、内容は分かってる人がやらないと無理ですよ」
ヒブンリークスやオークションは、やるべき事がはっきりしていて、フォーマットを決めてしまえば流し込むだけだったからさほどでもないが、汎用的な情報発信となると考えることがいきなり増える。
「……面倒だな」
「ですよねー」
◇◇◇◇◇◇◇◇
というような話が昨夜あったわけだ。
「で、どーすんだ?」
俺は、バターを載せた4つ切りのトーストをオーブンから取り出すと、三好に聞いた。
「とにかく私たちが投資先を決められないシステムはNGです。昨日話があった通り、会社として投資をするにはどうしたらいいのか、法律事務所の先生に相談してきます。もしも、事業目的の追加が必要なら定款の変更だけじゃだめで、登記変更が必要になりますし」
「じゃあ振興課のアプローチが来たら、それにのっかる感じで、昨夜の結論に誘導するか」
「基金の母体を作るデメリットに誘導されて、会社に投資部門を作っちゃうって流れですね。アドバイスにすごく感謝しながら」
そう言って、三好は、ニシシシと笑うと、元気にサラダを頬張り始めた。
「そうそう」
「斜め上の結論って感じで面白そうですよね! とはいえ、今日はオーブの受け渡しがありますから」
「振興課のアプローチっていつ頃来るんだろうな?」
「近日中って感じでしたけど……まあ、基金の件は特に急ぎませんし、来たら進めるってことでよくないですか?」
「了解。で、もう一つの件はどうするよ?」
「そりゃもう、協力しますよ。面白そうですもん」
三好は、すました顔で、さも当然といった体で、コーヒーに口をつけた。
「どうせいずれは発信しなけりゃならない情報だし、JDAでロンダリングしてくれるなら万々歳といえば、その通りだが……」
「先輩、ロンダリングはないでしょ、ロンダリングは」
◇◇◇◇◇◇◇◇
「それと、ご相談があるんですが」
「相談? なんです?」
基金の話が一段落した後、鳴瀬さんは、三好にメモリカードを渡して、代々木ダンジョン情報局というJDAが公開しているサイトのリニューアルプランについて話し始めた。
「いままで三好さんからご提供いただいたデータを、どうユーザーに向けて活用するのかという話が課内でもありまして」
「はあ」
「それで、うちの広報セクションが、代々木ダンジョン情報局のリニューアルを行って、そこでまとめてはどうかという企画を提案してきたんです」
「3Dマップデーターとかもですか?」
「はい。みんな驚いてましたけど、あれはどうやって取得したデータなんですか?」
「え? 深度センサーのポイントクラウドから3Dマップを起こして、カメラ画像をテクスチャーにして張りつけていっただけですよ? 一時期ARで流行ってた技術の応用です」
利用者が見ている部分が3Dデータ化されて、それをサーバーに上書きしていくというのは、世界の3D化やARを活用するのに必要な基幹技術の一つだろう。
歩けばマップが出来る、そこがポイントだ。ただ実際は光学的なセンサーと超音波タイプのセンサーを組み合わせるなどの工夫がしてある。
ダンジョンの内部は光量が足りなかったり、霧のような障害物が出ることも多いからだ。
「それって、探索者に簡単に持たせられないでしょうか?」
「可能かと言われれば可能だと思うんですけど、バッテリーの重量が結構な負担になりますから、いつもの探索のついでというのはあまり現実的じゃないかもしれません」
あのカメラキットは、今のところ、1つのリチウムイオンバッテリーで約2時間程度動作する。
俺たちは保管庫に大量のバッテリーを持っているから、それほど問題にならないが、一般の探索者は、ここぞという時以外に使用することは難しいし、ヘルメットに搭載しているカメラ機材も、実際に自分で殴りかからない三好ならともかく、普通の探索者ではすぐに壊れる可能性が高いだろう。
「もっと小型化されて、ついでにバッテリーがせめて8時間くらい持てば実用になるんですけどね」
「え? じゃあ三好さん達はどうやって?」
「うちは、カヴァスたちがいますから」
三好が自信満々でテキトーなことを言うと、その声に反応して、呼んだ? とカヴァスが顔を出した。
「この子たちが運んでくれるんですか? いいですね」
鳴瀬さんが、うらやましそうにしながら、カヴァスの頭をなでている。ここのところアルスルズ成分が不足しているようだ。最初はビビってたのに、慣れというのは凄いものだ。
「自動車メーカーなんかが、ダンジョン内で使うポーターみたいな機器を開発しているそうですから、そういうのが実用化されれば、オプションとして取り付けるというのもありじゃないですか」
データをJDAに提出するという前提で、補助金を出すというのもいいかもしれない。
「それに、こういう技術をダンジョン内で開発しておけば、いずれ機器が一般化して、地上へ応用する企業が出てくると思いますよ。ARのインフラ化が進むかもしれません」
そうすれば、電脳コイルの世界が出現する日も遠くないな。
あれを実際に作り出す動機は、今のところ現代社会にはないが、ダンジョンの中にはありそうだ。そこで技術が熟成すれば、それを地上に適用する企業が出てきてもおかしくない。なにしろインフラ技術が完成していれば、サーバーを増強してデバイスを売るだけで済むのだ。
後はカメラを利用したプライバシーの問題が発生するだろうが、今でもスマホにカメラはついているのだ。圧倒的に便利な世界が出現したら、どうせ社会はそれを受け入れざるを得ない。
「いいですね、先輩! センサー部分の精度はちょっと問題ですけど」
深度センサーは、距離が離れると、とたんに誤差が酷くなっていく。
ダンジョンのマップを作る程度なら1cmくらいの誤差は許容範囲だが、流石に10cmもずれると苦しいだろう。
近づけば精度が上がるから、それで上書きするとしても、やはり5mで1cm未満の精度は欲しい。通路を歩くとき、このために右と左をふらふらしながら進んでいくなんて人は普通いないのだ。
「去年TDKがアメリカのチャープ・マイクロシステムズを買収したんですよ。その辺りから、超小型で精度の高い超音波センサーがそろそろ出てきそうなんですけどね」
「そうだな。ポーターに乗せるなら、ちょっと大きめのLIDARでも良いかもな。あれなら精度がでるだろ?」
ToFカメラだと距離が離れると急激に精度が悪化していくが、LIDARならそれよりはずっとましだ。
「カメラを作るときに調べたら、MITが、深度情報を従来の1000倍くらいの精度で読み取るLIDAR型のシステムを、少し前に発表してたんですよ。頭の上に乗せるのは無理でしたけど」
首が折れちゃいますよね、と三好が笑った。
「いずれにしても需要ができれば、メーカーがそれぞれ勝手に工夫するだろ」
「そうですね。そういう意味では、アメリカの政策のせいで一気に研究が進みそうな感じもありますし」
「なんで?」
「移民の抑制で、季節労働者が不足する懸念が高まってるんです。特に機械化されていない生食用の果物の収穫を始めとする農業分野の労働力枯渇ですね」
「それで機械化、というかロボット化が進んでる?」
「そうです。一昨年にゴーグルが、アバンダンド・ロボティクスに1000万ドル投資したりしています。果物を捉えるセンサーは数m先の果物を正確に捉える必要がありますからね」
なんというか、流石アメリカって感じだな。人がいなければ機械にやらせればいいじゃないってところか。
日本なら、働く場所が機械とAIによって奪われるって話が出るところだ。こういう議論は、奪われるんじゃなくて、任せちゃって楽ができるという方向へ向かってほしいんだけどな。
「それに、いざとなったら何処かの企業と提携して、専用のセンサーを開発して貰えばいいんですよ」
そういや、今の俺たちはそれが可能なんだった。1000万ドルは、たった11億円なのだ。どうにもスケール感が……という話を三好にしたら、なんでも思いついたことがやれるんだと思えばいいんじゃないですかと言われた。まあ、確かにその通りなんだけど……
段々予想しないスケールの話になっていくのを聞いていた鳴瀬さんの笑顔が引きつっていた。
「ダンジョン技術の延長で、ARメガネ時代が来るってのも夢があっていいかもな」
「ですよね」
「ま、まあ、将来の話はともかく、いままで代々ダン情報局は、そこで起こったイベントやニュースが主体になっていたのですが、お預かりしたデーターを中心に、これをもう少し攻略方向へシフトできないかということなんです」
そういって三好のタブレットに企画書のようなものを転送した。
「それで、三好さんにもご協力をいただければと……」
すまなそうな鳴瀬さんの様子を見て、俺ははたと気が付いた。
(なるほど、情報局でのデータの公開にかこつけて、三好に鑑定を依頼しようという謀だったか)
(謀はひどいですよ)
異界言語理解の時も思ったけれど、謀には向かない人だよな。もっとも、もし、これが演技だとしたら、それはそれで凄いのだが。
ともあれ、俺たちが鑑定を受け付けていないのは、その後の関係が面倒だからであって、鑑定をすること自体が、命を削るとか、多大な労力を要するとかいうわけではない。
柵なしに情報を提供できるというなら、積極的にそれを拒否する理由はないのだ。
(だけど先輩。オーブの情報はどうします?)
(うーん。あれはなぁ。提供すると、そのオーブをどこから得たのかって話になるからなぁ……)
(ですよね。オークションで取り扱ったものだけにしておきましょうか)
(それが無難だな。不死とかあからさまに怪しいから、すぐに使うヤツもいないだろうし)
(了解です)
「構いませんよ。私たちが鑑定を受け付けてないのは、依頼の相手をするのが面倒なだけなので。妙にへりくだられたりしたら気持ち悪いですし、だんだん遠慮が無くなってくるのも嫌ですよね」
以前も言っていたヒーローの宿命ってやつだな。
誰も助けてくれない状態が普通なら、助けられれば感謝してくれる。しかし、助けて貰えることが日常になると、それを既得権益だと考え始めるのか、助けがなくなると文句を言うようになるのだ。実に浅ましいが、それが人間だ。
俺たちは聖人君子じゃない。
感謝されれば嬉しいし、いわれのない文句を言われればむかつくし、一般人が背負っている以上の義務を不当に負うのも嫌だ。
たとえ、100mを9秒で走れる男がいても、彼にオリンピックに出る義務はないはずだ。
そして三好は、鳴瀬さんにこれまで溜めていたモンスターやアイテムの情報の一覧を送った。
「なんです、これ?!」
「いまのところこちらで確認したアイテムやモンスターの鑑定結果です。どっかで公開しなきゃと思ってたんですけど、JDAがやってくれるならお渡ししておきますよ」
驚いてそれを確認している鳴瀬さんを横目に言った。
「しかしブラウザで3Dマップが表示できる時代なのか。今までのダンジョンビューと違って、完全3Dだろ? WebGLとかかな?」
「今頂いた企画書だと、フル機能はアプリでやるみたいですよ」
「え、じゃあPCは?」
「さあ。まあ今時はブラウザでも結構なことが出来ますから。でなきゃアプリのPC移植みたいな形で実行ファイルにしちゃうんですかね?」
開発側はともかく、利用側はPCで見るユーザーそのものが減っているから、なくても大して困らないのかもしれないな。
「これならもういっそのこと、ステータス情報やWDAIDとかと紐づけちゃって、代々木ダンジョン攻略アプリみたいな位置づけにしちゃうってのもありかもしれません」
「ダンジョン情報の部分をデータベースとくっつけて、アクセスするAPIを公開すれば、ユーザーが勝手にクライアントを作ってくれそうな気もするしな」
勝手に拡大していく構想に、笑顔を引きつらせていた鳴瀬さんが、三好がこぼした次の一言に食いついた。
「これでダンジョン内でもネットが使えれば完璧なんですけどねぇ……」
「それなんですけど」
「え?」
「あの21層のDPハウスってどうなってるんです?」
「何がですか?」
「実は、あのハウスが維持できるなら、ダンジョン内にインフラが構築できるんじゃないかという話がありまして」
(おう、やっぱ来たか。どうするよ、三好)
(1層の有効活用のためにも、もうちょっと、秘匿しておきたかったんですが……)
(だが、DPハウスが知られたら、現地で調査するやつが出るよな)
(絶対です)
(仕方ない、開示するか。いつかはやんなきゃならないしな。……一応特許、取っとくか? って、とれるの?)
(製薬会社の特許に、害虫駆除剤の特許がありますから、たぶんとれますよ)
(陽イオンタイプの界面活性剤全体が有効なのか、塩化ベンゼトニウムだけが有効なのか、一応その辺を確認してからだな)
(ですね。一応界面活性効果のある物質ということで広く書くこともできますけど)
(それくらいなら、今までだって誰かがやってるはずだろ。効果の範囲を確認するためにも、テストはやれるだけやっとくか)
(了解です)
うーんと、腕を組んで、難しい顔で考えている振りをしながら、三好と念話をしていた俺は、何かを決めたように腕組みを解くと、鳴瀬さんに向かって言った。
「わかりました、情報を開示しましょう」
「え? 本当に?」
「ええまあ。あれを作っちゃうと隠すのも難しいですしね。使い捨てですって開き直ってもいいんですけど」
その時、三好が、はたと手を打って言った。
「よく考えてみたら、アルスルズが番犬してるってものアリでしたよ、先輩」
「しまった、その手があったか! 猛犬注意の立て札かなにかを立てて」
「あのー」
「ああ、実は、アルスルズが番犬をしてまして――」
「あははは」
鳴瀬さんが乾いた笑いを浮かべた。
「まあまあ、先輩。ダンジョン内にインフラができるのは、私たちにとっても嬉しいことじゃないですか」
「ありがとうございます」
「まあそうだな。本当にインフラが優先されるなら、その通りだ」
だが、この技術が公開されると、インフラよりも先に別のものに使われる気がするんだよなぁ……
「じゃあ、先輩。特許を取って、インフラ整備に使う場合は無償なり、格安なりにすればいいんじゃないですか?」
「うーん。まあ、俺たちに出来そうなのはそれくらいか」
「いっそのことうちで代々木に通信インフラを作っちゃうと言う手も」
面白いが、通信関係は面倒くさいからなぁ……
「ダンジョン内の電波利用ってどうなってんだ?」
「多分ルール自体が整備されていないと思います」と俺たちの話を聞いていた鳴瀬さんが、そう答えた。
「便宜上、日本の法律と同じものが適用されているような気分になってますけど、現状、どのパーティや部隊も持ち込んだ無線を使ってるだけですから、本格的なルールは、まだなにも設定されていないはずです」
「とは言え、さっきのダンジョン攻略デバイスみたいなのをハードウェアから作って、それ専用にするならともかく、各キャリアのスマホが使えるようにしたいわけだろ? そりゃ、キャリアとの折衝がめんどくさくてやってられないって」
「……なんだか苦労だけ多そうで、イヤーンな感じがしてきました」
「だろ? インフラなんか通信事業者か国、この場合はDAかもだが……あたりに任せておけばいいんだよ」
「従量制で、すんごいパケット代を取られそうな予感がします」
「その辺は規制組織、総務省とダンジョン省かな? の良識に任せておけばいいだろ」
「ま、そう言うことなんで、すこし待って下さい。こちらにも準備とかありますし」
「わかりました。お待ちしています」
スライム対策の話が終わって、ほっとした様子だった鳴瀬さんは、すぐに非常に言いにくそうな感じで新しい話題を切り出してきた。
「で、ですね。もう一つあるんですが……」
「ええ?」
その様子に、俺たちはわざとらしく驚きながら笑った。
「ホイポイカプセルの件なのですが」
「ああ」
「来ましたよ、先輩。でも、面倒です」
「まだ何にも話してませんよ」と鳴瀬さんが苦笑した。
「セーフエリアの開発の件でしょう?」
「ええ、まあ……」
「先輩、DPハウスしか入らないことにしましょう!」
「目の前でそう言うことを言わないでくださいよ」
三好の軽口で、眉をハの字にした鳴瀬さんに、俺は助け船を出した。
「で、何を持っていきたいんです?」
「え? 手伝ってもらえるんですか?!」
「先輩は美人に甘いから……」
三好は、呆れたような顔でそう言ったが、鳴瀬さんの説明によると、現時点ではなにも決まっていないそうだった。
そして、ホイポイの件は積極的に開示しておらず、そっとデータベースに登録しただけだそうだ。
「ただ、誰かが気がつくと――」
「そりゃ絶対協力してくれって言われますよ」
「そうだな。ともかくそれが現実になったとき、何を持っていきたいのかを教えてもらえれば、その時考えますよ」
「ホイポイありきみたいな予定を、どこかの偉い人が立てたら逃亡ですね!」
「まあ、程度問題だな。そればっかやってるのも嫌だし」
「行って帰るだけで4日かかりますからねぇ……」
全力を出せば、たぶん2日で行けると思うが、わざわざそんな目立つことはしたくない。
「それでお聞きしておきたいのですが、あれって、なにかでひとまとめにすれば、ひとつのアイテムと見なされるんでしょうか?」
「テストしてみないと分かりませんけど、多分大丈夫だと思いますよ」
「分かりました。何かあったらご相談します」
「はいはい」
その後鳴瀬さんは、先日話題になった宝石の原石を査定のために預かりたいので、まとめておいて欲しいという話をしたあと、疲れた顔で帰路についた。
「あ、先輩!」
「どうした?」
「麦畑の件、伝え忘れましたよ」
「あ、そうか……まあ、いろいろと案件が多かったからな。D進化の申請は終わってるし、畑の引き渡しについては次でいいだろ」
「専任ってのも、いろいろ面倒なことを背負わされて大変そうですもんねぇ」
「まあな。代々ダン情報局もホイポイも、報酬のことをひとつも言わなかったろ?」
「そういえば」
「あれは、鳴瀬さんも条件を提示されてないんだぜ。異界言語理解の時もそうだったけど、向こうも協力が得られるかどうかわからなくって、とりあえず専任に押しつけて探らせましたってところだろ」
「そんな状態で折衝させられるのは嫌ですねぇ……って、先輩ってそういうのに甘いですよね。あの窓ふきメイドにしても」
「い、いいだろ。ちょっとくらい」
「まあ、それが先輩の良いところですよ」
そう言って三好は、ポンポンと俺の背中を叩くと、事務所の中に戻っていった。
「結局、7回生まれ変わる前に、鑑定協力するお前に言われたかないよ」(*1)
そう呟いて、俺は三好の後に続いた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「――というわけで、特許の前に、一応他のタイプの界面活性剤や、陽イオンタイプでも別の物質で確認しないといけません」
フォークに指したソーセージをフリフリしつつ、三好が言った。
「薬液を用意してくれれば、俺が調べても良いけど。お前、法律事務所へは、いつ行くんだ?」
「そっちは後回しで良いですよ。アポも取ってませんし、どうせ『検討中です』ですから」
ソーセージをぱりんと囓った三好は、もぐもぐと咀嚼してそれを飲み込んでから言った。
「21層にすでにあれが建っている以上こっちが優先でしょう。14時のオーブの受け渡しは外せないので、その後に薬液を揃えてみます。テストはなるべく早くやりましょう」
「了解。横浜の方はいいのか?」
「あっちは、搬入さえしておけば配置は後回しでかまいませんし」
配置は、保管庫や収納庫を使えば、そうとう重いものでも1人で自由自在に行える。
「後は工事の監督とかスケジュールとか決めないといけないんですが、まあおいおいでいいですよね」
「踊り場で実験だけ出来れば、それ以外はいつでもいいだろ。あそこに泊まる事なんかしばらくないだろうし」
「なら私は今日中にできるだけ薬剤を揃えときます」
「頼む。じゃ、本日もテキトーに働きますか」
「おー!」
◇◇◇◇◇◇◇◇
その日の午後、俺たちは予定通り、JDAでUSにふたつのマイニングを引き渡した。
それを手に入れた瞬間、部屋の隅で早速それを使った二人に、何人かの人間が群がって話をしていた。
「きれいにふたつに分かれてますね」
「DADとDoDの確執は思ったよりも根深いのかもなぁ……」
「DoDは、実働部隊が失態続きで焦ってるって話も聞きますよ」
「いや、それな……」
なにしろ原因はの半分以上は俺たちなのだ。
あんまりコケにしていると、そのうち世界から抹消されそうな気がする。
「コケにしているつもりはないんですけどねぇ……」
「だよな」
なんてことをこっそり話していると、『よ。先日は楽しかったな』とサイモンが声を掛けてきた。
『まさかドミトリーにあんな一面があったとは。意外だったぜ』
『でも、結局なにをしに来たのか分からなかったんですよね』
『……そういわれりゃそうだな。ま、大事な用なら、また来るだろ』
そんなにホイホイ、ロシアのエースに来られたりしたら、国際関係で物議を醸しそうで困るんですけど。
そういや、サイモンはしょっちゅう来てるけど大丈夫なのか?
『ロシアのエースが1人でうちに出入りしてたら、国際的に色々言われないんですかね?』
『あー、そりゃあるかもなぁ。俺もしばらくチェックされてたっぽいし。最近は外出時に行動計画書とか提出させられる有様だぜ』
『ええ? それって、大丈夫なんですか?』
『別に何にも国家に反逆するようなことはしてないんだから、平気に決まってるだろ?』
『いや、そこはえん罪を演出されるとか』
小さな声でそういうと、サイモンは、顎に手を添えて少し考えた。
『まあ、利用価値がある間は大丈夫だろ』
おい! そんなシビアな話なのかよ。
『うちもそんな感じですもんねぇ』と三好が相槌を打つ。
『だろ?』
ええ? 君たちちょっとネガティブすぎない?
『そ、それで、彼らはこれからどうするんですか?』
俺は、部屋の向こうで、二つのグループに分かれている人たちの方を見ながら訊いた。
『さっそく22層らしいぞ。お供を言いつかったから、しばらくアズサのところには行けないな』
『頑張ってください』
『で、お前らはどうするんだ?』
『これから? えーっと……買い物ですね』
午前中に三好が注文しまくった化学物質を取りにいかないといけないのだ。
『ふーん。まあいいか。暇があったらついでに21層のオレンジ畑を見てくるぜ』
『ええ?』
あそこには、目立つ建物が……
『なんだよ?』
『い、いえ、なんでも。木を掘り起こして持って行っちゃだめですよ』
『そんなことしな……いよな?』
そう言ってサイモンは、二つのグループの方へ目をやった。
『しりませんよ。でもDoDって資源関係の省庁だから連れていかない方が無難じゃないですか? 掘り起こして持っていくのを防ぐルールは、今のところ代々木にはありませんからね』
『ドミトリーじゃないが、イソップの寓話がリアルに感じられるな。まあおそらく18層のキャンプで1泊して、22層へ直行だろうぜ。連中も効率が好きだからな。下層へのルートからは外れてるんだろ?』
『何キロか』
『じゃあ大丈夫だ。DoDの連中が余計な探索をしなきゃ、だけどな』
『DADと合同で22層へ行くんじゃないんですか?』
『一応例の荷物も届いたみたいだし、初回の案内はするが、その先は分からんな』
『まあ、できるだけ回避してくださいよ』
『そうは言っても、俺たちにDoDの指揮権はないからな』
そしてサイモンは、『そうならないよう、神に祈るのが精々ってところさ』と肩をすくめて、諦めたような顔をした。
*1) §079 で三好がそういう発言をしている




