§131 斎賀の苦悩 1/30 (wed)
長い不毛な会議を終えて、自分の席へと戻った斎賀は、さっさとスケジュールと体制を構築しようとする自分に、それ以前の部分で執拗に食い下がった営業部の連中の事を考えていた。
「しかし、あそこまで露骨に食い下がってくるとは……」
結局、買い取りを取り下げ譲歩したように見せた営業部は、次に所有権移転ファイナンスリースを提案してきた。
どちらにしても、大学と契約を結ぶのはJDAだ。しかも所有権移転となると、期間だけ見ればレンタルでおかしくない今回の場合、買い取りと同じだ。
どうしても大学との契約を渡したくなかったのが、取捨もせず申し込み順でできる限り対応するという前提で、いろいろとごねた結果、最終的にはファイナンスリースで決着した。
「これじゃ、より必要な大学へ割り振られるかどうかもわからないな。第一、JDAとDパワーズの間の契約がリースのみじゃ、機器情報の取り扱いもJDA責任でやりたい放題か……」
なんとか機器管理の危険性を周知して、一部は契約に割り込ませておいたから、もしも情報が流出すれば、それを意図していなかったとしても未必の故意が適用される可能性が高い。多少は抑止力になるだろう。
「まったく、なんでわざわざ面倒ごとに突っ込んでいくのかね……まさか本当に鳴瀬が言ったように選挙の点数稼ぎじゃないだろうな」
JDAの組織は、会長の下に事務局を統括する専務理事がいる。
専務理事は理事会の議長でもあるが、理事会の実体は、関係省庁や企業等、関連組織への連絡会に近く、実務にはほとんどタッチしていない。
そして実務に関しては、専務理事の下にいる2名の常務理事の管理下にまとめられていた。
ひとりは言うまでもない瑞穂常務理事で、彼は管理部・営業部・法務部を統括する理事だ。
もうひとりは、ダンジョン管理部を統括する理事で、真壁聡常務理事と言った。
彼は瑞穂常務と違って民間から引き抜かれた人材で、その頃のコネもあって産業界に知己が多く、大抵はWDAとの連係で関係各国を飛び回っていて、年の半分近くは日本にいない。
そのことについて理事会で質されたとき
「常務理事は2人いるんだから、国内に1人いれば充分だろ」
「管轄は、ダンジョン管理部だけだし、橘君が優秀だから問題なし」
と言い切って話題になった人だ。
理事会も彼の実績は認めているし、業務が滞るわけではないため苦笑して承認したらしい。
なにしろ各国DA間の協定やルールは、ほとんどが真壁によって策定されたと言っても過言ではない。
また、橘というのは、ダンジョン管理部の部長で、橘三千代というバツイチの女傑だ。
名前と経歴から、誰が藤原不比等役になるのかが時折話題に上る、美魔女と言われる40代だ。なお下一桁を追求して生還したものはいない。
ともかく、JDAの組織構造のうち、ダンジョン管理部を除く他の部は瑞穂常務の管轄なのだ。
今年9月の会長の退任に伴って、理事会が後任を選出することになっているが、候補の筆頭が、ふたりの常務理事であることは公然の秘密だった。
「面倒なことは勘弁して欲しいんだがなぁ」
ちらりと時計を見ると、もうすぐ退勤時間だ。予想通り、本日の残業は確定したようだ。
小さくため息をつくた斎賀は、美晴に渡された基金設立の提案というか報告に目を通し始めた。
通常、これは、補助金の交付を司っている振興課に丸投げで構わないはずだが、なにしろ、あそこは、営業部振興課だ。
会議の感じががそのまま反映されるとすると、なんだか拗れる明日が目に見えるような気がしてならなかった。
斎賀はぱらぱらと企画書をめくって全体を俯瞰してみた。
「よくできてるが、基金というより投資に近いな。これにうちが噛むとなると、後援がせいぜいだと思うがなぁ」
後援は、基金が円滑に活動できるよう、後ろ盾となる団体のことだ。イベントの場合は、大抵公共機関や報道機関がやっている。
金を出せば協力や協賛となるが、予算的に考えて難しいだろう。
なにしろ、JDAは基金を管理する組織であって、実際に資金を拠出しているのは協賛企業だ。そのため、JDA本体に潤沢な予算が用意されているわけではない。
単純に比べれば、ゼロがふたつくらい違う可能性があるのだ。そんなので大きな顔をされたりしたら、Dパワーズだって困るだろう。
「単に後援要請という形で連絡だけしておくか。丸投げすると、協賛どころか共催なんて言い出しかねないしなぁ」
それくらいならまだしも、今の連中の勢いじゃ、主催がJDAで、Dパワーズは主管で特別協賛なんて言い出す可能性すらあった。
根回しもしないで発表したあげく、Dパワーズがそれを無視して別の基金を立ち上げたりしたらJDAのメンツは丸つぶれだ。
ともかく連絡だけはしておこうと、振興課の課長宛にメールを書いて送信した。
「で、これか……」
斎賀はデスクの鍵を開けると、薄い紙束を取り出した。そしてそのレポートに目を通すと――
ゴンといきなり音がして驚いた課長ブースの側の職員が顔を上げると、机の上に額を打ち付けて突っ伏している斎賀が目に入った。
「か、課長?!」
仕事のし過ぎで、脳溢血や心不全に陥ったんじゃないかと、慌てて立ち上がった職員に向かって、斎賀は、突っ伏したまま、なんでもないと手を振って無事をアピールした。
職員は訝しげに感じながらも、それを見て自分の仕事へと戻って行った。
◇◇◇◇◇◇◇◇
美晴が、三好にJDA御用達の特許事務所を取り次いだ後、ひとり表に出ると、丁度退勤時間を過ぎたところだった。
Dパワーズが、おそらくDカードの有無を識別する特許だと思われるものの提出を準備したことを斎賀に報告しようと思っていたのだが、まあ、明日で良いかと思い直した。
なお、実は三好は現時点で出願を行っていなかった。『良い感じの日程』で出願するように要請して、準備だけをお願いしたからだ。
「晩ご飯作るの面倒だし、なにかをテイクアウトして帰ろうかな……」と、つぶやいたところでスマホが振動した。
「課長?」
美晴は画面をスワイプすると、斎賀からの電話を取った。
「はい、鳴瀬です」
「斎賀だ。今どこだ?」
「西新宿です。弁理士の先生のところを出たところです」
「悪いが、すぐにJDAまで来てくれ」
「え? それって残業ってことですか?」
「自由裁量勤務にそんなもんあるか」
「ええ?!」
「いいからすぐ来い。そこからなら靖国通りで一本みたいなものだろ。タクシーチケット使っても良いから」
「分かりました。課長、お食事は?」
「ああ、そうだな。じゃあ何か適当に買ってきてくれ」
「了解です」
美晴はすぐそこにあるドトールに飛び込むと、ミラノサンドとジャーマンドッグをひとそろい注文し、ラテとココアのMを受け取ってタクシーへと飛び乗った。
実は斎賀は甘党なのだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「あれ、美晴。どうしたのこんな時間に」
ダンジョン管理課では、セーフエリアの発見と共に監視セクションを除く全セクションの仕事が飽和していて、残業している者も多かった。
「ちょっと課長に呼びされちゃって」
「ああ、さっき机の上に突っ伏してたわよ。何かあったのかって、ちょっと話題になってた」
美晴は多分あれを読んだんだなと思ったが、それならなおのこと、この呼び出しはヤバいのでは? と気を引き締めた。
「へー。どうしたんだろうね?」
「最近、喫緊の案件が多いから。んじゃ、頑張ってね」
そう言って、ダンジョン管理課の同僚はウィンクをして自分の席へと戻っていった。
頑張れって、なにか他の意味で言ってるんじゃないよね? と曖昧な笑顔を顔に張りつけながら、それを見送った美晴は、斎賀のスペースへと足早に歩いて行った。
「課長、お届け物です」
美晴が、課長のスペースへ、差し入れを持って入ると、斎賀は憮然とした面持ちで、腕を組んで机の上のレポートを眺めていた。
「課長?」
「鳴瀬。何か言うことはないのか」
「え? えーっと。お疲れ様です?」
斎賀は、カーっと息を吐くと、「まあ、座れ」と机の横の椅子を指差した。
「はあ。あ、これ。ドトールですけど」
美晴はそういうと、彼の前に3種類のミラノサンドを並べて、ココアを渡した。
「どれでもお好きなのをどうぞ。私も失礼しますね」
そう言うと、早速自分のジャーマンドッグをほおばった。
ドトールのジャーマンドッグは、シンプルな見た目だが、とてもコーヒーによくあう味だ。
美晴は学生時代からこれが結構好きで、大学近くの聖坂の終わりにある三田3丁目店にはよく行ったものだった。禁煙席は少し落ち着かない場所だが、テイクアウトが多かったので、あまり気にもならなった。
ドトールのミラノサンドAはカットしてくれるお店と、してくれないお店があって、ここはカットしてくれるお店だ。カットしないお店の方が多いため、初めてほかの店舗に行ったときは驚いたものだった。
高田馬場1丁目店もカットしてくれるお店だったのだが、こちらは美晴が卒業する年に閉店してしまい、今はCOCOというカフェになっている。
斎賀は、適当にミラノサンドのCを手に取ると、それを口に入れた。
先日新しいメニューになったばかりのCは、ホタテやあさりのエキスを使った濃厚な海老グラタンにカマンベールチーズがのっているサンドだ。ココアによく……合うかどうかは個人の好みによる。
「んで、お前。俺にこれをどうしろって言うんだ?」
端からはみ出しそうになるグラタンを包み紙で押さえながら、斎賀が言った。
「嫌ですね、課長。それが分からないから、課長に押しつけたんじゃないですか」
美晴が、花が咲いたような笑顔でそう言うと、対照的に斎賀は苦虫をかみつぶしたような顔をした。
「あのな……まあ、それはともかく、いくつか聞きたいことがあるんだが」
「レポートに書いてある以上のことですと、お力になれるかどうかわかりませんよ」
「突っ込みたいことは山ほどあるが、まずはこれだ」
斎賀はホイポイカプセルのページを開いた。
「これはつまり、アイテムボックスってやつか?」
「私もそう尋ねたんですが、どうやら制限が色々ある見たいです」
「制限?」
「まず、レポートにも書いたとおり、単体のものしか入れられないそうです」
「本を入れたら、本しか入らないってことか?」
「まあそうですね。というより1冊の本を入れると、他にはもう入らないってことです」
「ああ、個別に1個ってことか」
手に持った、サンドをぱくりと大きく囓る。
流石に男の人は一口が大きいなと、美晴は妙なことに感心していた。
「ただ、何を持って1個と見なすかは聞いていません」
「つまり、大きな袋に色々詰め込んで、袋を収納するなら入るかもしれないってことだな?」
「そうです」
「後は容量だが……」
「制限が体積なのか質量なのかは、わかりません。少なくとも、そこに添付してある21層の拠点は入るみたいですよ」
「これが持ち運べるのか……」
「というより、それ――DPハウスって言うらしいですけど――を入れてしまったから、もうそれしか入らないかもしれないと言うことです」
「本当か?」
「分かりません。けど、試させろと言うわけにも……」
「いかんよなぁ……だが、多分それはないな」
「なぜです?」
「そのアイテムが複数あるならともかく、ひとつしかないんだとしたら、あのDパワーズがテストしないはずないだろ」
Dパワーズじゃなくても、最初は失われてもいい無価値なもので試さないはずがないのだ。
つまり最初に入れたものがあるにもかかわらず、DPハウスが入っているのだとしたら、彼女たちが意図的にそれを隠している可能性が非常に高い。
「それはわかりませんよ。三好さんには鑑定がありますから」
「表示された説明にそう書いてあったらってことか」
「そうです」
言われてみればその通りだ。
斎賀は、何かを考えるように宙を睨むと、残っていたミラノサンドのCを全部口の中に放り込んで、ココアで流し込み、唐突に聞いた。
「なんでこう、Dパワーズに偏るんだ?」
「どういう意味です?」
「いや、去年の終わりから、重要な発見はDパワーズが独占しているだろ?」
「我々が認知できる範囲ではそうですけど、そもそもあの人達は、ダンジョンに対する視点が普通と全然違いますから……」
普通の探索者は、『ダンジョンに潜って、モンスターを倒して、アイテムやオーブを取得する』を、ただ繰り返すだけだ。プロならそれが仕事だし、アマチュアは狩りや冒険を楽しんでいるようなものだからだ。
妙なことを考えたり、妙な実験を繰り返したり、妙な行動を取ったりはしない。そんな余裕があることは稀なのだ。
オーブやポーションを手に入れて、大金を手に入れた探索者もそれなりにいるが、大抵は従来の世界にそれを投資していて、赤字のダンジョンを丸ごと借り上げたりした人間は、世界中さがしてもおそらく彼女たちだけだと断言できた。
「なにしろ初めて芳村さんにあったのは、自殺者がいるって通報でしたからね」
美晴は当時のことを思い出して、くすくすと笑った。
「研究者連中ならやるかもしれんが――」
「大抵はダンジョンに潜るところで挫折します。況や下層など、とても無理でしょう」
潜ることに大きなモチベーションがあった小麦は、非常に特殊な例だろう。
それだって、Dパワーズのサポートがなければ、おそらく途中で挫折していたはずだと美晴は考えていた。
ゼロから初めて18層でマイニングを手に入れ、さらに20層まで潜るなんて、1人で挑んだとしたら何年かかるか分からない。
「そして、ダンジョンに潜る連中は、そんなことより大切な事があるってわけか」
プロ探索者の目的は、端的に言えばお金だ。
剣で切れば倒せる、銃で撃てば倒せる。そんなモンスターに向かって、剣で切ったり銃で撃ったりしないで、より簡単に倒す方法を考える、なんてことは普通の探索者はしない。
目的はモンスターを倒すことなんだから、せいぜいが、どううまく剣で切るかを考える程度だ。
ネットがない時代なら、そういうおもしろ系の雑誌が登場して、編集部がやっていたかもしれないが、情報がネットに移行してからは、安易にカネを稼げるプラットフォームにばかり注力されていて、コンテンツ開発はアマチュアかバカのやることだとまで言われる始末だ。
コンテンツなしでプラットフォームが存在できるはずがないのに、そんな意識が蔓延しているのは、なんとも酷い話ではある。
しかし美晴は、Dパワーズがそういう方法を見つけていることを確信していた。
でなければアーシャにDカードを取得させるなんて絶対無理だし、ダンジョンの中にあんな拠点を置いておくなんてありえないからだ。普通はスライムに食われて終わりだ。
もちろん口にはしないが、斎賀なら添付した写真で察するだろうとも思っていた。
「あいつらのどっちかが、なにか特殊なスキルを持っていると思うか?」
「と、言われましても……三好さんは、鑑定やヘルハウンドをペットにする何かを持っていますから、最初から思いっきり特別じゃないですか? 他にも、オークションに数多く出品されている水魔法なんかは持っていそうですし、以前聞いたところでは、超回復も所持されているはずです」
「数だけなら、おそらく世界一のスキル保持者だな。いっそのことJDAのルールを改変して、探索者は全員スキルを登録しなければならないなんてことにすれば――」
「おそらく自衛隊から待ったが掛かると思いますけど」
「ま、現実的とは言い難いか」
以前からWDAでも何度かその話は出ていたが、どうせスキルを悪用するような連中は素直に登録したりしない。
管理情報だとしても、何を管理するのか不明瞭だってことで毎回流れていた。登録が実現したとしても、単に引き抜き行為が勢いを増すだけだ。
「これに関しては、上にあげれば確実にセーフエリアの開発に協力して貰えないだろうかって話になるぞ。もし本当に使えるならなおさらだ」
「でしょうね」
「貰えないだろうか、くらいならいいが、実際はその言葉を協力しろと言う意味で使っている連中が、その界隈には大勢いる」
「でしょうね」
「だがあいつらが、困ってる人や知り合いならともかく、そんなやつらのために、せっせと地上と32層を往復する姿は全くと言っていいほど思い浮かばないんだ」
「でしょうね」
「それどころか、圧力が掛かれば掛かるほど、へそを曲げることは請け合いだ。強権で取り上げようとしたりしたら、どんなに貴重なアイテムだろうが、平気で壊してへらへら笑ってる姿が目に見えるようだ」
美晴の耳には、壊れちゃいましたーと悪びれずに言う三好の声が聞こえるような気がした。
「課長、凄いです。完璧な予測、いえ、予知です。まるで超能力者ですね!」
「全然嬉しくない。というわけで、なんとかしてくれ」
「……はい?」
笑顔のまま固まった美晴は、斎賀の話を理解できないように小首をかしげた。
「いや、鳴瀬君なら出来るだろう? なにしろあの意味不明な条件で、異界言語理解の取得に協力させた実績があるんだ」
「かーちょー。自分で意味不明な条件とか言わないでくださいよ!」
「ほら、このミラノサンドのA、やるから」
「私が買ってきたんですけど……」
斎賀は、はーっと大きくため息をつきながら、がっくりと肩を落とすと、最後のページを開いて指差した。
「で、あまっさえ、こりゃいったい何だ?」
「なんだと言われましても……」
そこにはDパワーズ曰く、デミウルゴスの目的が簡潔に書かれていた。
「ダンジョンの向こう側にいる奴の目的が、人類に奉仕することだ? で、そのためにダンジョンは作られたって?」
「はい」
「どっかのファーストコンタクト系侵略ものSFの『承』部か?」
「それを信用すると掌クルンされて、人類大ピンチの『転』に突入するわけですね」
「そうでなきゃ、新興宗教だな。ダンジョン教だ。彼の道のりの向こうには、幸い住むと人の言う。ってか」
「まあ、そうですよねぇ……」
「で、これ、奉仕して貰ったらどうなるんだ? 対価とか必要なのか?」
「分かりません」
「仮にこの目的が本当だとしてだな、こちらの意思はどうやって伝えればいいんだ?」
「分かりません」
まあそうだよな、と斎賀は苦笑した。
「で、これも?」
「はい?」
「取り扱いに困ったから、俺に丸投げしたのか?」
「はい」
どこでそんな上司の使い方を覚えたんだよとは思ったが、そんな場所はひとつしかない。
斎賀は、こいつを専任にしたのは早まったかなと、少しだけ後悔した。
「しかしこれなぁ……報告するとしたら、ダンジョン庁か? WDAを始めとする国際機関にこのまま報告したりしたら相当追求されるぞ?」
なにしろ、ダンジョンの中でデミウルゴスの影のようなものにあって教えて貰ったと書いてあるのだ。正気を疑われることは間違いない。
美晴は、それがタイラー博士だと言うことを報告から省いていた。もしもそれまで報告したとしたら、さらにややこしくなることは請け合いだ。
「そこは、証拠がないですからね。一応例の5時間が間接的な証拠っぽいものだと仰ってましたが」
「あれか……もしかして、全能のデミウルゴス様に送ってもらったとでも言うのか?」
「その通りです。気がついたら一瞬で1層だったそうです」
「マジかよ……一瞬って、じゃあその5時間が――」
「邂逅時間ってところですね」
「だが、それは不思議ではあっても証拠にはならないだろう。転移魔法のスキルが発見されたと言う方がよっぽどリアルだぞ」
斎賀は自分が言っている言葉の意味を考えて、心の中で苦笑した。
転移魔法がリアルなんって発言をする日が来るとは思いもしなかったのだ。
「そうなんですよね。あ、一応それに会う方法は聞き取りしました」
「レポートにはなかったが?」
「書けませんよ、こんなの」
美晴は軽く肩をすくめて言った。斎賀は聞きたいような聞きたくないような複雑な気分だったが、最後は職責に負けてそれを尋ねた。
「……で、どうするんだ?」
「まず、さまよえる館に行って、そこで働いている人達のお手伝いをします」
「手伝い?」
「うまくすれば魂っぽいアイテムをドロップしてくれるので、その後、魂の器というアイテムを手に入れて、ドロップした魂っぽいアイテムを魂の器に入れることで、隠された庭に招待されるかも、だそうです」
美晴は、それがさまよえる館の書斎で待っているかも知れないことを知っていたが、最終ページは無かったことにしてあるため、それを口にはできなかった。
「魂ってなんだよ? 魂の器ってどうやって手に入れるんだよ? あと、『かも』ってなんだよ! 突っ込みどころがありすぎて、突っ込みようがないくらいだ。ともあれ、まず再現は不可能だな」
さまよえる館に行くのは、不可能じゃないかも知れない。
だが、働いている人達のお手伝いってなんだ? 以前公開された映像じゃ、目玉の大軍だのガーゴイルだのが大挙して襲ってきていたが、どうやって何を手伝うんだ? 斎賀には、さっぱりわからなかった。
「確かに、書いたほうが信憑性が失われそうな内容だな、これは。方法自体が疑わしい上に、再現はほとんど不可能だ。うさんくさいことにかけては、ダンジョンの目的と同じで五十歩百歩というやつか」
「はい」
「ただ、仮にこのまま報告したとしても、証拠を出せとは言われない気がするけどな。正気を疑うとボロクソにけなされて、検討する価値もない、なんてこき下ろされてスルーされるだけで」
「どうしてです?」
「報告したのがDパワーズだからだよ」
証拠を出せと凄んだあげく、もしも本当に証拠が出てきたとしたら、なにか大ごとになりかねないってことは、こき下ろす側もよくわかっているはずだ。なにしろ、わざわざ言われるまで証拠を提出しなかったということは、必ず何かの理由があるはずだからだ。
「つまり、Dパワーズなら、実は証拠もあるんじゃないかと考えるってことですか?」
「そうだ。お前、ここ3ヶ月で、あいつらの周りで何人の外国人が強制送還の憂き目にあったか知ってるか?」
「いえ」
「俺が知ってるだけでもかなりの数だ。直接的なヒューミントはほぼ全滅、まさにアンタッチャブルってやつだな。実際あいつらの評価は国外の方が遥かに高い。インド・ヨーロッパ方面では、魔法使いなんて呼ばれていて、すでに半分伝説だし、そうでなくても向こうじゃ立派にVIP扱いらしいぞ? ただし『危険な』って修飾詞が付きかねないんだけどな」
「それって、三好さん達を国家がガードしてるってことですか?」
そういう人達をあまり見たことはない。彼女が会ったのは謎の田中さんくらいだった。
斎賀は首を振った。
「まあ、何かしらはしていると思うが、そう大げさなものでもないだろう。大抵は当局へ電話が来るんだとさ。邪魔だから持って帰ってくれって」
「え、三好さんたちからですか?」
斎賀は口をへの字に曲げて、肩をすくめた。
最近じゃ、いろんな場所で行き倒れになっている外国人も発見されるそうだが、それが実はアヌビス達の仕業であることは、三好たちはおろか、当の小麦も知らなかった。
行き倒れた者たちは、日本の安全な社会という特殊事情によって、大抵は無事に保護されていたから、たいしてニュースにもなっていない。
「それくらいだから、各国も藪をつついたりはしないだろう。そもそも、証拠もなしに、こんなバカみたいな内容を報告するやつがどこにいるんだよ」
「そりゃそうですね」
「ああ、ストレスで毛が抜けそうだ。禿げたら、お前らのせいだからな」
「それで、どうします?」
「普通のルートで上げるのは無理だ。だから俺も丸投げするぞ」
「え? 部長にですか?」
「こんな情報、ダンジョン管理部あたりのレベルで取り扱ったって意味ないだろ。仮にそれが本当だとしても、だからどうしたのとしか言いようがない。こんなのは出来るだけ上の方にリーチできそうなところに投げとくのが正解だ」
「ええ?」
「自衛隊の寺沢とかいう偉いヤツに丸投げする。こいつにはちょっとした貸しがあるんだ。どうやら内調あたりともつながりがあるみたいだしな」
「厄介払いってことですね」
「ま、そう言うことだ」
斎賀はにやりと笑って、持っていたミラノサンドのAを囓った。
くれるんじゃなかったのかと思いながら、美晴は最後のBへと手を伸ばした。彼女が好きな、海老とアボガドのサンドだ。
「むぐっ。じゃあ、この件はこれで終了ですか?」
それを一口囓って飲み込むと、美晴は確認を入れた。
「そうだな。ホイポイの件は専任官である鳴瀬君におすがりするしかないから、頼むな」
「え? こっちは報告するんですか?」
「21層にあんなものが建ってるのに、理由や方法を報告しないで済むと思うか?」
「まあ、無理ですよね」
「まともに報告すると、余計なことをしそうな部署が沢山ありそうだから、さりげなくアイテムデータベースに追加しておこう。後は野となれ山となれ、だ」
「課長、最近壊れてません?」
「誰のせいだと思ってるんだ?」
「さて、そろそろ帰ります!」
矛先がこちらに向く前に退出しようと、美晴は急いで残りのサンドイッチを食べて、スカートをはたきながら立ち上がった。
「ああ。お疲れ。しかし、こうなるとやはりJDAにも、鑑定持ちが欲しいな」
「さまよえる館を出現させるだけでも大変ですよ。アイボールは沢山いるみたいですけど。何を鑑定したいのか知りませんけど、今は三好さんに頼んだ方が早いと思いますけど」
「だがなぁ、あいつら鑑定を請け負ってないだろ? きりがないってのは、よくわかるが」
例え『しない』と明言していたとしても、一度引き受けて貰ったら最後、心理的なハードルはだだ下がりだ。
調子に乗って依頼してくるのが目に見えるようだ。まるでそれが特権だとでも言わんばかりに。
「意外と現場で頼まれたらしてるみたいですけど。31層でも、ドロップしたアイテムの鑑定をその場で自衛隊に頼まれてたみたいですよ?」
「なに?」
「だから、持って行き方次第じゃないかと思うんです」
「なにかアイデアがあるのか?」
帰ろうとしていたところにそう聞かれた美晴は、広報セクションと協力した、代々ダン情報局のリニューアルにDパワーズを巻き込む案についてざっと話した。
「そりゃ面白そうだが、あいつらにとっちゃ面倒なだけだろ? 協力してくれると思うか?」
「課長、今言ったじゃないですか『面白そうだ』って」
「それが?」
「3ヶ月一緒にいて思ったんですけど、あの人たちの行動原理は、それなんですよ」
「子供かよ!」
あまりにストレートな表現に、美晴は苦笑しながら肯定した。
「世の天才と呼ばれる人達は、みんなそんなものですよ。それに、好奇心は人類が進歩するための原動力ですから」
「確かに俺たちにとっちゃ『天災』みたいなものなのは確かだな。あと、そいつは猫を殺すとも言うから気をつけろよ」
「9つも命がない身としては、そうならないよう注意します。ではお先に失礼します」
「ああ、ホイポイの件よろしくな」
美晴は諦めたように振り返ると、「動くのは具体的な話が出てからでいいですよね?」と確認した。
「それでいい」
「了解です」
そうして美晴は、JDAを後にした。
ダンジョン管理課の明かりは、まだまだ消えそうになかった。




