§128 緊急生産計画 1/30 (wed)
その日の朝早く家を出た俺たちは、始業時間と同時に鳴瀬秘密研究所へと突撃した。
「先輩。一応ここには、TOKIWA Medical Equipment Laboratory という名前があるんですから」
株式会社常磐医療機器研究所。略して常磐ラボらしい。
もう何度も来てるのに、何で知らないんですかと言いながら、三好がロビーのドアを開けた。
「だって看板もないし、俺はずっと、鳴瀬秘密研究所だと思ってたよ」
「販売店でもないのに看板なんか掲げるわけないだろ。カネの無駄だ。それに、ちゃんと門に小さく表札が出てるだろ」
腰に手を当てた翠さんが、俺たちを迎えながらそう言った。
「社名を考えるとき、どいつもこいつも、放っとくとすぐに鳴瀬医療機器なんちゃらだの、翠ラボだの、人の名前を付けようとしやがってな」
「なんで常磐なんです?」
「前にここにあった工場が、常磐精機だったからだ」
件の実家の工場ってやつか。
母方の祖父が操業したらしいが、跡継ぎがいなくて孫の翠にくれたんだとか。
「それで、名前が翠だったんですね」
「どういう意味です?」と三好が不思議そうな顔をした。
「常磐色ってのは、緑色のことなのさ。常緑樹の緑な」
姉の名前は、おそらく父方の意向が働いたのだろう。それで次女は母方の意向で付けられたに違いない。常磐だから翠。ありそうな話だ。
それで、母方の祖父に可愛がられていたのかも知れないな。
「へー」
「ま、そう言うわけで、それに医療機器研究所をくっつけたわけだ」
そんな話はさておき、と翠さんが本題を切り出してきた。
「それで――お前ら、一体何を考えてるんだ?」
俺たちは、朝一で翠さんの研究所に昨日送ったメールの説明をしにやってきていた。Dカード取得者を識別するためのデバイスの件だ。
何しろ工場をリフォームして2月の終わりから生産と決まっていたところに、いきなり新しいデバイスの話が出たのだ、何を考えているんだと言われても仕方がない。
「いやー、渡世の義理って言いますか」
「渡世の義理ってな……何時代に生きてるんだ、お前ら」
「だけど、この回路はいいですね、すごくシンプルで。しかもステータス計測デバイスと違って、滅茶苦茶売れそうですよ、所長」
回路図を見ながら中島さんか面白そうに行った。特に売れそうなところが気に入ったようだ。
何しろ世界中の試験を行う場所が潜在顧客なのだ。需要は考えられないほど大きい。
「はぁ……それはいいけどな。ガワはどーすんだよ、ガワは。最短だと1週間くらいしかないんだろ? 金型の発注なんかした日には1ヶ月でも間に合わんぞ」
「3Dプリンタでの出力もありですけど、やっぱり速度はぱっとしません。FDM(材料押出堆積法)で速度を上げたら確実にガタガタになりますね」
中島さんが腕を組んでそう言った。
俺は気楽な顔で、昨日考えていたことを伝えた。
「いや、ガワは、100円ショップのPPパックでいこうと思うんですよね」
PPパックは、白い半透明の箱状の入れもので、ポリプロピレン製の入れものに、柔らかく使いやすいポリエチレンのフタをくっつけた、よく見かける入れものだ。
「はぁ? ポリプロピレンの? あの食品とかを入れるやつか?」
「そうです」
「ははっ、そういや中学生の頃やりましたね、電子工作で外側紙箱とかPPパックとか!」と中島さんが面白そうに言った。
あ、やっぱりやったんだ。実は俺もやった。最初に作った電子工作のガワは、ビスケットの缶箱だったっけ。
「半田ごてを初めて買って貰ったとき、ゲルマニウムラジオとか作った口ですか?」
「この時代、クリスタルイヤホンがなかなか手に入らなくて」
そうだそうだ、あと、アースがちゃんと繋がってなくて、音が出なかったりな。懐かしいぜ。
「いや、先輩。おっさんの電子工作昔話はその辺で」
「なんだよー。お前やらなかったの?」
「しませんよ、そんなこと。女子力ががた減りしちゃうじゃないですか」
「ええー?」
お前に女子力なんてあるのかよ、なんて思っても、決して言ってはいけない。宇宙にはそういう領域があるのだ。
そんな話をしている俺たちに向かって、翠さんが真面目な顔で突っ込んだ。
「いや、ちょっとまて、PPパックの外装って……お前らこれをいくらで売るつもりなんだ?」
「えーっと。原価は?」
「そうですねぇ……通信部分もいりませんし、判定部分は赤と緑のダイオードで済みますし。電源のダイオードとボタン。後は実行のボタンですよね。センサーはD132だけですから……あれ? D132?」
中島が怪訝な顔をして、眉をひそめた。
「ねえ、三好さん。この図面なんですが、なんでセンサーがD132なんです? 資料を見る限り、SCD28の方がこれに向いてるんじゃ……安いし」
「流石中島さん。その通りなんです」
「じゃあ、修正を?」
「いえ、D132で作成して欲しいんです」
三好が意味深に笑ってそう言った。
「ええ? コスト的にも性能的にもSCD28の方が向いてますよ? あれれ? しかもここのフィルタって意味ないんじゃ……」
「そうなんです。ソフトウェアの中身を知ってれば当然そうなりますよね」
「ええ??」
中島さんは、混乱するように、訳が分からないといった体で、三好を見た。
「ねえ、中島さん。これってまだ発表前の製品なんですよ。しかも特許も出願していません」
「そうですね」
中島さんは、そんなの特許を取ればいいだけじゃんと言いたそうにして、訝しんでいた。
三好は、俺の方を向くと、真顔で切り出した。
「先輩。そもそも、この依頼って最初からちょっとおかしいんですよ」
「おかしい?」
「考えても見て下さい。Dカードの取得の有無を調べる方法がどこにもないとしたら、普通は、『残念ながら不可能です』で、済んじゃう話じゃないですか」
「ふむ」
どんなに困っていたとしても、方法がないのなら仕方がない。あきらめるしかないのだ。
そもそも、この問題で入試を行う側が不利益を被ることはほとんどない。不正を行ったものが笑うだけで、不利益をこうむるのは、まじめに受験したボーダーライン付近の学生だけだ。
「試験を行う側に大きな不利益がないのに、どうしてこんなに必死になるんだと思います?」
「そりゃ、手段があるなら公平を期すのが仕事だから……か?」
「そうですね。でも、仮にステータス計測デバイスでそれが判断できるのだとしても、発売スケジュールは今年の受験に間に合いません。つまり本来ならその手段はないってことです」
「そうだな」
「なのに、突然入試関連の部署から問い合わせが千通も届くんですよ? なにかの圧力や誘導があったとしか思えません」
三好は、左手を右ひじにあてて腕を組むと、右手の人さし指を立てた。
「まるで、急いでデバイスを作らせてばらまくこと自体が目的みたいに見えませんか?」
俺たちが、ステータス計測デバイスを開発したことは記者会見で知られている。
しかし、具体的な技術については一切外へ出していない。何しろその詳細を知っているのは三好と中島さんの二人だけで、俺や翠さんすら概要を知っているに過ぎない。
それに関する特許すら、今のところは申請していないのだ。
「この技術が知りたい、どこかの誰かの横やりってことか?」
「かもしれません」
そこで三好は名探偵よろしく、俺と中島さんを交互に見比べて言った。
「というわけで、この製品の情報って、絶対外部に漏れると思いませんか?」
「仮にそうなっても、JDAがその責を負うんじゃないですか?」と中島さんが言った。
それを聞いた三好は静かに首を横に振った。
「それを追求する法的根拠がありません」
偶然うちも同じものを開発しちゃいました、あははーと言われたら、それを覆すだけの法的な根拠がなにもないってことになるのだ。
もしもJDA側の不備で漏れたってことが立証されたら、JDAだって巨額の負債を抱えることになる。組織防衛を専門にする連中なら、それが分かっていてまともな調査を行うはずがない。組織というのはそういうものだ。腹を立てるだけ無駄なのだ。
「いや、普通そういう調査って、第3者委員会とか……」
「そういうのがまともに機能していそうな会見とか見たことないですよ?」
まあ、そう言われれば確かにその通りか。
再発防止のための第3者委員会なんていいながら、自社と付き合いの深い弁護士事務所の人間だったりするのは普通だもんな。
「そういうわけなので、今回の製品はD132で作成して下さい。ソフトウェアの動作を勘違いしまくりそうなフィルタてんこ盛りで。より高価で、この用途にはあまり向かず、センサーの知的財産権を老舗でちょっと落ち目の大手1社だけが保有していて、まだその期間が長く残っているところが理想的なんです」
ついでにステータス計測デバイスの製品からは取り除かれたセンサーであることも重要らしい。
その意図に気がついたように見える中島が、暗い笑顔で、「三好さんって、策謀家だったんですね……」と言った。
「翠さん、こいつらに任せといて大丈夫なんですか?」
「おまえ、あれを御せるならやって見ろ。うちで管理職で雇ってやるから」
俺は悪い笑みを浮かべながら頷きあっている、三好と中島さんをちらりと見て、首を横に振った。
「ムリ」
「だろ?」
結局この工作を仕掛けてきた誰かに、しっぺ返しをしてやるためにD132とやらを使おうってことか。
「――というわけで、PPパックなら、原価は5000円ってところですね。あとは組み立て工賃がどうかってところです」
「じゃ、売価は10万円ですね」
それを聞いて俺と翠さんは吹き出した。
「10万?! 原価率5%かよ!」
「いや、お前ら、PPパックの外装に発光ダイオード3個とスイッチ2個付けて10万とか、いいのかそれ?」
「140万のCDプレイヤーの基盤が2万円のCDプレイヤーと同じだったなんて話もあったじゃないですか。重要なのはそこじゃないんですよ」
三好がしたり顔でそう言った。
あれは単にデジタル部の処理が同じだっただけだろと突っ込みを入れそうになったが、まあ重要なのはそこではない。
「先輩。この場合、費用の大部分は超特急の時間にかかってるんですよ? ほら、翠先輩のところの仕事だって、下手したら一ヶ月間、中島さんが使えなくなっちゃうってことなんですから」
「え? ぼく、いなくなるんですか? これで?」
「1個2万のバックマージンでどうです」
「任せてください!」
「お前らな……」
中島さんは、設計図を見直しながら言った。
「部品にそれほどマイナーなものはないので、発注に問題はありませんけど、これ、何台くらい作ります?」
「それより、何台くらい作れますかね?」
「小ロットから基盤を作ってくれる会社へ発注することもできますけど……」
「それはちょっと露骨すぎますね」
まるで秘密を盗んでほしいと言わんばかりの行為だから、敏感な連中だとちょっと警戒されそうだということだろう。
「なら自作ですか。ブレッドボードを使えば半田付けも要らないんですけど、振動による抜けが心配だし、慣れれば半田付けのほうが早いですから、主要回路はぼくが作るとして……最初は、1時間で10枚ってところでしょうか」
「え? そんなに?」
「最終的な組み立てと、機器のテストは他の人がやってくれることが前提ですけど、頑張れば1日200万……じゃない、100個くらいは行けるんじゃないですかね」
それを聞いた翠さんが、イイ笑顔で言った。
「中島君。そのお金は会社の収入だからね?」
「いっ……も、もちろんですよ、所長!」
その様子を見て翠さんはため息をつきながら、「まあ、臨時ボーナスは期待しとけ」と続けた。
それを見た三好が、デレた! と言って殴られていた。
「組み立てはバイトでもいいですが。まともな人が来るかどうかはわかりませんね。後、昨今は募集サイトの情報からいろんな事がバレるんですよ」
「いざとなったら、私たちでやってもいいですしね、先輩」
「え? 俺も?」
「ですよ?」
「そうだ! 小麦さんは無理だろうけど、三代さんとキャシーなら手伝えるだろ! 早速頼んでみよう!」
「それって技術者として雇っておいて、焼きそばとかたこ焼きを焼かせるどっかの企業みたいですよ」
「ぬう」
言い訳を考えるのが忙しい俺を尻目に、三好は中島さんに生産計画を指示していた。
「それじゃ、明日から1日100個生産ってことで、当面1200個分の部品を発注して下さい。早める分にはいくらでも構いませんから」
「了解です」
彼はそういうと、さっそく部品メーカーへの発注を始めた。
EASYの部品はモジュール化されているから流用できないし、そもそも当該センサーは省かれている。明日の分は、後で秋月あたりに取りに行くつもりらしかった。
三好は、生産目安と想定価格を鳴瀬さんに送っている。
JDAが何個発注するのかは分からないが、最低1000台くらいはないと、大学を絞っても国立の2次試験は乗り切れないだろう。
「それで翠先輩」
「なんだ? まだに何かあるのか?」
「事実上、中島さんを1ヶ月くらい借りちゃうわけですけど、大丈夫ですか?」
「まあ、4月の展示会まで特に重要なハードの変更はないからな。だから新しいバージョンの設計とか始めちゃうわけなんだよ」
彼女は、お前らの100億のせいで、と目をぐるぐる回しながら肩をすくめた。
「なら、2月の終わりか3月に、以前中島さんに改造して貰った例のリファレンス機が仕込んであるゲートを持って、NYに行って貰いたいんですけど」
「なんだと?」
「先輩も行きますか? 旅費は持ちますよ」
三好がニヤニヤしながらそう言った。
翠さんは、そのほっぺたをムニーっとしてやりたくなる三好の笑顔をスルーして、聞いた。
「一体何をしに?」
「向こうでパーティ関連のコマンドを調べたりする、大規模なオフ会というか、イベントがあるんですよ」
「それで?」
「そんなイベントでもなきゃ滅多に出来ない状況での計測をやりたいなぁと思いまして、会場やホテルをどーんと寄付しておいたわけです」
「データ収集か?」
「です」
翠さんはそれを聞いて、少し考え込んでいたが、突然、とても良い笑顔を浮かべた。
「そうだな、ここのところ忙しかったし、社員旅行もいいな」
「はい?」
「社・員・旅・行、もいいな。1週間くらい」
「翠先輩、そういう性格でしたっけ?」
「中島と私ばっかり、面白そうな案件に首を突っ込んでたら、他の連中の士気に関わるだろ? なあに、うちは少数精鋭だから、たった6人だよ。ファーストクラスでウォルドルフでも楽勝だろ?」
「わかりましたよ。その代わりイベント当日は、ちゃんと働いて下さいよ?」
「よし、契約完了だ」
おいおい。NYの話は、findを見つけた流れで聞いていたけど、まさか常磐ラボ全員を送り出すっての? いいのかなぁ……まあ、所長がOKって言ってるんだからいいのか。
全員外国語は出来るだろうし、適任と言えば適任だろうけど――
「おい、三好。製造はいつまでやるんだ?」
「ピークになる国立の2次は25日ですからね。配布時間を考えても、22日くらいまでに終わらせないとどうにもなりませんよ」
「そりゃそうか。本当に1日100台作れるなら、それでも2000台くらいはキープ出来るわけだしな」
「先輩。その発想はヤバくないですか?」
三好が苦笑しながら、そう言った。
「ん?」
「20日間休みなしの計算になってますよ?」
「おお!?」
「さすがはブラックの星だけのことはあります」
納得がいったような顔をして頷きながら、パンパンと俺の胸を叩いてそう言った。くっ。
その後一通り打ち合わせを終えた俺たちは、翠さんのところを辞した。
「さて先輩。私はこれから鳴瀬さんを捕まえて、弁理士さんの所に行ってきます」
都営新宿線で市ヶ谷に着く頃、三好が席を立ってそう言った。
「ダンジョン特許の件か?」
「です。D132でチェックするパラメーターを除いて、他のパラメーターでのDカード取得判別特許を、良い感じの日程で申請しておきますから」
これはステータス計測には直接繋がりませんからね、と三好が笑った。
中島さんが作成したリファレンスの計測装置は、簡易に計測可能な、あらゆるセンサーがくっついていた。つまりそこから得られたパラメーター群は、現状で普通に計測できるほぼ全てのパラメーターを包括していると言って良かった。
それのすべてをダンジョン特許に申請すれば、少なくともDカード判定に関しては1社で占有できると思うのだが、何故そうしないんだろう?
わざわざ除いたD132による計測パラメーターにどんな意味があるのか分からないが、あらかじめそれを除いた書類をすでに揃えているところに、三好の商人魂(黒)を感じる。
それに、良い感じの日程ってなんだよ……この後どうするつもりなんだ、こいつ。
「あんまり阿漕なことはやめとけよ?」
「先輩、商売って言うのは、極論すれば戦争みたいなものなんですよ。好意には好意で報いたいと思いますけど、相手に悪意がある場合は別でしょう?」
「ハンムラビ方式ってわけ?」
「いえ、ここはウル・ナンム方式で行きたいと思います」
ウル・ナンムは世界最古の法典だ、その成立はハンムラビよりも古いとされていて、罪に対して損害賠償の銀の量(単位はシェケル)が定義されている。
ハンムラビ法典にも損害賠償の項目はあるが、ウル・ナンムの方がそちらに偏っているのだ。たっぷりと損害賠償をふんだくるってことなんだろうけど、一体何を考えている?
「卑怯なことをする人達からは、たっぷりシェケルを毟ってやりますよー」
まあ、楽しそうだからいいか。
俺は若干諦め気分でそう結論づけた。
「それで、出願者は、翠先輩の所と併記で構いませんか? 持ち分は50:50で」
特許の持ち分は、単にその特許の価値に対する所有の割合だ。
行使に関しては、50:50であろうが、1:99であろうが、お互いの同意が必要なので、99を持っているからと言ってそれを自由に出来るわけではない。
「もちろんだ。実際あの『無駄に高性能な』リファレンス機を作ったのは、あそこだしな」
「了解でーす」
電車が市ヶ谷駅へと滑り込む。
開いたドアから、小さく手をふってJDAへと向かう三好を見送った後、俺はキャシーと三代さんに連絡した。
早速、労働力をゲットしておかなきゃな。例え焼きそばを焼くのと同等だとしても、だ。




