§126 プロローグ
デイビッド=マクナマラくんは、ディーン=マクナマラくんに改名しました(2020/7/3)
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1. Sawkill Rd, Kingston, NY on Sunday, January 13th, 2019
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NYでは、1年のうちで最も冷え込みが厳しい1月の中旬。
ハドソン川沿いにあるレイクカトリーンからソウキルロードをウッドストックへと向かう途中にある、セントアンズセメタリーの側の家の2階で、ディーン=マクナマラはノートPCのハードディスクがOSを起動させる音を聞いていた。
いいかげんSSDにしたいなと考えていたとき、skypeがメッセージの到着を告げた。
「ハイ、ディーン。大変だぜ!」
それは、今度NYで、Dカードの機能を探る大規模オフを計画しているチームのポールから届いたメッセージだった。
ディーンは、机の上のJabra Evolve 80を掴んで装着すると、ビデオ通話に切り替えた。
アクティブノイズキャンセリングに引かれて購入したヘッドセットだったのだが、彼の家の周りに騒音なんて何処にもないということに購入してから気がついた。
実際に使用してみればエアコンの動作音やPCのファンの音が軽減されているようだったが、それは音楽を垂れ流していても聞こえなくなるのだ。
もっとも、彼はその機能に満足していたし、気に入ってもいた。窓ガラスに映る自分しか見る者がいないビジーライトを含めて。
「どうしたんだ?」
「たった今、インクレディブルなメールを貰ったんだ」
「誰から?」
「聞いて驚くなよ。ザ・ワイズマン、アズサミヨシからだ」
それを聞いたディーンのマウスを握る手に力がこもる。
「ええ?! なんだって?! まさか今度のオフに参加するなんてことは……」
「いや、流石にそれは無理だろう」
「なんだ、残念だな。で、どうしたって?」
「俺たちのイベントにとても興味を持っていて、人数が多くなりそうだったら、アズサの会社が会場を確保してもいいってさ」
「はあ?! 何故?」
「さあな。人数がわからないから、とりあえずブリージーポイントからは少し距離があるけど、ジャビッツセンターでいいかって聞かれた。喫緊なら2月の終わりの土日、23ー24なら押さえられるってさ」
「ジャビッツセンター?!」
ジャビッツセンターは、NYで一番大きな展示場だ。
ヲタクの間では、NYコミコン会場と言えば分かり易いだろう。米国版コミケというかポップカルチャーの祭典だ。コミコンは日本にも輸出されていて、今年も11月の22~24日にメッセの9~11ホールを使って行われる。
コンピューター関係者にアピールするように言えば、シリコンバレー・コミコンの主催者は、あのスティーブ=ウォズニアックだ。まあ、そんな感じのイベントなのである。
「一等地じゃないか。スポンサーとしてなにか要求されたのか?」
「いや、販売みたいなビジネスっぽい要求は特になにもなかったな。ただアズサの会社で発売するデバイスを貸し出すから、使ってみて欲しいってことだ」
「彼女の会社で発売するデバイス? って、それ、ステータス計測デバイスじゃないのか?!」
驚いたディーンは、思わず立ち上がって、ビデオのフレームから外れた。
ポールは、興奮してクマのように左右に歩く彼の様子を見て苦笑した。ゲーマーでもある彼のヘッドセットは今でも有線だ。それほど多くは動けないだろう。
「たぶんな。おそらく貸し出しは世界初じゃないか?」
ディーンは、ぐっとカメラに近寄るように身を乗り出すと、右手の人差し指と中指をカメラに向かって突き出すと、懸念を表明した。
「初も何も、販売すら始まってないだろ。機器を分解して調べるやつがいたら、どうするんだ?」
「そこは流石にNDAを結ばされるだろうし、技術スタッフも一緒に来るんじゃないか?」
「まあそりゃそうか」
ディーンは納得したかのように椅子に座り直した。
「だけど興奮するだろ? お前自分のステータスを知りたくないか?」
「すっげー、知りたい」
「な。それで、探索者が大勢集まっていろんな状態になるのなら、状態が変化する度にゲートをくぐって比較測定してくれればありがたいってさ」
「ああ、パーティを組んだ場合、ステータスがどうなるか的な感じか?」
ヒブンリークスで発表されたパーティの内容には、パーティを組むと+5%のステータス補正というのがあった。
ただし、そのこと自体が数値で証明されているわけではないし、普通の探索者が5%増しになっても効果がよくわからないためさほど重視はされていなかった。
「まあそうだろうな。さまざまな状態による比較情報が欲しいそうだ。どんな状態かを入力するのに少し手間がかかるだろうから、協力してくれる人は、ホテル代をアズサの会社で持ってくれるってさ」
「なんだって? NYだぞ? ホテルの面倒を見てくれるなんて、アンケートの対価としちゃ行き過ぎだろ。ちょっと怪しくないか?」
ディーンは腕を組んで難しそうな顔で眉間にしわを寄せた。
「彼女の会社は、ダンジョンの秘密に挑戦している人達をサポートする目的で作られたらしいから、そういう事業を沢山やってるみたいだ」
彼はそのポーズのまま、呆れたような顔になった。
「はー。それビジネスになるのか?」
「ビジネスってより、ブランディングの一環じゃないか? でな、サイモンたちにお世話になったからUSに恩返しみたいなことも書いてあったぞ」
「なんだそれ。そういや、サイモンのチームって、今ヨヨギにいるんだっけ?」
「サイモンだけじゃないさ。世界中のトップチームはほぼ全員がヨヨギにいるらしいぞ。民間のサーモンや魔女もヨヨギだって噂だ。まったく、ダンジョンが出来て以来初めての出来事だろうぜ」
俺も行きたいよと、ポールが笑った。
「まあ、その程度の要求で、援助をしてくれるというのなら、それは助かるからお願いしたいところだが……そうなると、なんとか結果が欲しいな」
「そこは時の運だから、気楽にやれってさ。まずはダンジョンを楽しめと書いてあった」
「おー。分かってんな」
「ワイズマンだからな」
「しかし宿泊費がタダとなると、応募するやつが激増しそうな気もするが、個人情報の扱いは?」
計測はどうせ実験の一環だ。協力することに問題はないし、宿泊費の件も自腹でここまでやってくる連中にとってはありがたい話だろう。
しかし数値化されたステータスデータは、それなりに重要な個人情報になり得る。取扱いに注意するのは当然だろう。なにしろここは、訴訟大国なのだ。
「収集したデータと、特定個人は紐づけないそうだ。おそらく問題ないだろう」
「ああ、同一人物のデータだということがわかりさえすれば、それが誰かは問題にしないってことか」
「たぶんね」
「だけど、どうやって同一人物だと判断するんだ?」
「タグを送ってくれるそうだよ。そのタグを身につけてデバイスゲートをくぐってくれればいいってさ」
「そりゃいいや。名前の公開すら不要ってわけだ。そのタグの個数が、ホテル代を持ってくれる人数ってことか」
「そうだね。一応1000ルームくらいなら問題ないから、是非参加してくれってさ」
「マジかよ!?」
「マンダリンのスイートに泊まったら自腹だって書いてあったぞ」
ポールが笑いながらそう言った。
「そりゃそうだろう……って、それ、スイートじゃなかったらOKってことか?」
「うーん、あそこはなぁ。最低でも800ドルはするだろ?」
NYは物価が高い。ハイエンドなホテルは大抵が600ドルが最低ラインだ。
安いホテルもあるにはあるが、サービスという点ではお察し下さいというところだ。
「……このことは伏せとこうぜ。ウォルドルフ・アストリアだのニューヨーク・パレスだのフォーシーズンズだのピエール・ア・タージだのの客室を1000室も埋めたらアズサが激怒しそうだ」
高級ホテルの予約にチャレンジするのは、いざとなったら自腹で払うつもりがある勇者だけに許された特権ってことにしておこう。
「だな」
「よし、早速実験計画を決めて計測協力者を募集するか。さすがに交通費は無理だが、会場と宿泊料金はワイズマンが持ってくれるって宣伝してやろうぜ」
「大枠が決まったら、金を振り込むから、会場以外の見積もりを連絡してくれってさ」
「了解だ。あと1ヶ月ちょっとか。よし、面白くなってきたな!」
「まったくだ」
通話を終了して、ヘッドセットを外し、今しがたの興奮を冷ますかのように、窓に近づいて外を眺めた。
WeWorkあたりを借りてやろうと考えていたから、人数をどう絞るかと悩んでいたけれど、ジャビッツなら千人を越えてもまったく問題ない。
夕日が空と墓地をオレンジに染めていくのを眺めながら、どんな実験をやろうかと彼は真剣に考え始めた。
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2. YYG Dungeon level.32, Tokyo on Sunday, January 27th, 2019
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31層の階段を下りた先にあったのは、1本の巨大な、まるで生命そのものが腕を広げているかのように見える木だった。
階段は、その木のウロへと繋がっていたのだ。
『わお、なに? ここ』
ウロから出たナタリーが薄明るい辺りを見回して言った。
そこは短い下草に覆われた土地で、光る花のようなものが、そここに咲いていた。
『これは……オークか?』
サイモンがいま自分が出てきた木を見上げながら言った。
『しかもびっしりとヤドリギが絡まってやがる』
ジョシュアは、その枝のあちこちに、丸いぼんぼりのようなものがくっついているのを見て言った。
『こりゃ、森の王でも出てきそうな雰囲気だな』
『なんだそれ?』
『フレイザーでしょ。さしずめここは、ディアナ・ネモレンシスの聖所ってところかしら? ほら、ディアナの鏡もありそうよ』
ナタリーが指差す先には、水面のようなものが星と花の明かりにキラキラと輝いていた。
『なんにせよ、ちょっと空気が違う感じだな』
サイモンが辺りを見回しながらそう言った。
周囲には次々と各国の探索者が下りてきて、めいめいがあちこちを見回していた。
『こいつは実に、アレくさいね』
『アレ?』とジョシュアがサイモンに聞いた。
『リークスを見ただろ? マン島のダンジョンから出た奴さ』
『……セーフエリアか?』
そう言ったジョシュアに向かって、サイモンが人差し指を口に添えた。他の連中に聞こえるだろってサインだ。
それを聞いてナタリーが同意した。
『まさに、そんな感じ』
『で、もしここがそれだとするとだな』
『場所取り合戦ね』
『おいおい、ここは日本だぜ?』
『代々木はパブリックだから、早い者勝ちってところだろ。日本様々ってことだな。俺たちもダメ元で確保するぞ』
『了解』
サイモンチームは速やかに動き出した。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「USのチームが行動を開始しましたね」
「どうやら連中も、そうだと感じたようだな」
海馬3曹の言葉に、鋼1曹が答えた。
ほかの国の連中も、それに追従し始めているように見えた。
「しかし縄張りの主張は難しいでしょう。まさかこの場で拠点を作り上げるような資材を持ってきているはずがない」
なにしろ、すっかり忘れられているが、自衛隊以外のチームは、チームIの救出に来たのだ。
その延長で、こんな場所が見つかるなんて、誰も想像していなかったはずだ。
「それでも未踏エリアだと主張できれば、いくばくかの権利は主張できるでしょ」
伊織はそれを肯定しながらも、彼らが将来主張するはずの意見を推察した。
「つまり?」
「連中より先に未踏エリアを減らすわよ。人数はうちが一番多いんだから」
「電柱に小便をひっかける犬ですか。なんともしょぼい仕事ですねぇ」
「国益を守るのは、俺たちの立派な業務だ。……ま、これも宮仕えの辛いところだな」
チームIは、嘆き節を吟じながらも、二人一組で未踏エリアを潰すべく行動を開始した。
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3. TV tabloid show in Japan on Monday, January 28th, 2019
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芳村と三好が、31層から転送されて戻ってきた翌日、朝のワイドショーはとある話題一色だった。
「スタジオには、昨日行われた第38回大阪国際女子マラソンで、驚異的な記録で優勝された高田瀬里奈さんをお招きしております。瀬里奈さん優勝おめでとうございます」
「ありがとうございます」
「瀬里奈さんは、まだ21歳の大学生です。しかし、信じられないようなタイムでしたね」
「大阪国際は、フラットで走りやすい、世界でも屈指の高速コースですけど、ちょっとできすぎでしたね」
瀬里奈は少しお茶目に、小さく舌を出して言った。
キャスターがそれに頷きながら、フリップを取り出した。
「それではテレビをご覧の皆さんに、現在の女子マラソンの記録をご紹介しましょう」
そうして、10位から順次簡単な説明付きで紹介されたあと、めくりが付けられた3位から上を順にキャスターが剥がして行った。
「そうして、2位! つまり昨日までの世界記録ですね。2時間15分25秒! この記録は、それまでの2位を1分30秒以上引き離し、高速化した現代のマラソン事情の中、なんと15年間も破られていない大記録だったんです」
スタジオから、おお~と感嘆の声が漏れる。
「そうして、1位はもちろん、昨日瀬里奈さんが作られた記録です。なんと、2時間14分18秒。いいですかみなさん、この大記録をなんと1分以上縮めたんですよ!」
「いやあ、驚きましたね」
瀬里奈がそう言うと、キャスターが、貴女が言うなと突っ込みを入れて笑いを誘っていた。
「いや、ホント、自分でも驚いているんです」
「それまでの瀬里奈さんの自己ベストは2時間22分31秒ですので、ほとんど8分以上短縮されています。失礼ながらドーピングなども随分疑われたようですが――」
「それは仕方ありません。けど、一気に記録を8分も縮める薬はないと思いますよ」
「あったら逆に凄いですよね。なお、もちろん瀬里奈さんはシロでしたよ」
スタジオに笑い声が巻き起こる。
「8分というと大したことないみたいに聞こえますが、42.195キロの道のりで480秒ですからね、100m走る毎に1秒以上縮める必要があるんです」
再びスタジオが感嘆の声に包まれた。
「普通ありえません。一体何が原因だったんです? フォースが覚醒したとか?」
「そうかもしれません。もしも前日予定通りに大阪に入っていたとしたら、たぶん23分台かせいぜい22分台だったと思います」
奇妙なことを言った瀬里奈に、一瞬キャスターが面食らった。
「え? どういう意味です? そう言えば瀬里奈さんは、第1次点呼を欠席されていて、大阪に入られたのが夜遅くだったとお聞きしました。皆さん随分心配されていたと伺っていますが」
「はい。どうしても外せない用事が東京であったんです。それで陸連にお伺いを立てていたのですが、認めていただけて幸いでした。認められなければ出場を諦めていたところです」
「それは、陸連も幸いでしたね。なにしろぶっちぎりの世界記録ですから」
キャスターがおどけて言うと、再びスタジオに笑い声が起こった。
「しかし、国際大会と天秤に掛けるような重要な用件って、気になりますね」
ちらりとステージの袖を見ると、ADが「突っ込め」と書かれたフリップを掲げていた。
「前日、不破正人さんと歩いていたという情報もあるようですが、まさか彼氏とデートとか!?」
不破正人は、高田瀬里奈と同じ大学に所属する、二十歳の新鋭長距離ランナーだ。
「ははは、まさかそんな理由で大会を棒に振ったりしませんよ。第一彼氏じゃありません。不破君とは、たまたま用事が同じだっただけで――」
「え? 不破さんと一緒にいらっしゃったのは本当なんですか?」
「ええ。同じ用事で東京にいたんです」
「ええ? それってどんな――」
「それは、今週末に開催される、別府大分毎日マラソン大会での彼の活躍を待ってからにしましょう」
別府大分毎日マラソン大会は、「新人の登竜門」と称されることも多いレースで、大阪国際と同様、MGC(マラソングランドチャンピオンシップ。東京オリンピックの選考会)への出場資格を得ることの出来るレースだ。
キャスターもそう躱されては、突っ込みようがなかった。
「では、週末を楽しみにしておきます。いいですかみなさん、別府大分毎日マラソンの不破正人、注目です!」
キャスターは仕切り直すと、次の話題へと水を向けた。
「とにかくこれで、東京オリンピック選考会の、グランドチャンピオンシップへの出場権を手に入れたわけです。同時期にはドーハもありますが……」
「昨日の今日ですので、その辺りはゆっくりと考えたいと思います」
「そうですか。本日はどうもありがとうございました」
「こちらこそ、また応援よろしくお願いします」
彼女が言ったどうしても外せない用事が、26日に代々木開催されたブートキャンプであることが世に知られるのは、この後2月3日に行われた別府大分毎日マラソンで、件の不破正人が2時間0分43秒の驚異的な世界記録でゴールした後のことになる。
3か月分の削除って結構大変でした。
章構成を守るため、1話だけ投稿しておきます。以降はある程度まとめて更新する予定です。
書籍の1巻が、2月の5日に発売されるそうです。
よろしければお手に取っていただければと思います。
また、d-powers.com を情報系サイトにリニューアルしておきました。
以前取った、twitter アカウントなども公開しておきましたので、よろしくお願いいたします。




