§125 それさえもおそらくは平穏な日々? 1/29 (tue)
2019/09/23 銀とプラチナのフロアが逆になっていたので修正しました。
正しくは、次の通りです。
21層:宝石の原石
22層:プラチナ
23層:銀
24層:パラジウム
「遅くなってすみません。宮内さんに捕まっちゃって」
「テンコーさん? 元気でした?」
「ええまあ」
事務所に入ってきた鳴瀬さんは、曖昧に笑いながら、上着を脱ぐと早速鞄から書類を取り出して三好に渡した。
「横浜の件、書類が揃いました。これにサインをいただければ、2月から利用できます」
「ありがとうございます」
この時代になっても、重要な書類は紙なのが面白いな。三好がその書類にサインをすると契約は完了らしい。
「こちらが1階の売買契約書になります」
「あ、転売許可って下りたんですか」
「はい。資産状況も充分ですので、無過失責任も十分対応できるとの判断です」
「で、こちらが地下1層の賃貸借契約書です。こっちはホント大変でしたよ」
なにしろまだ俺たちが1坪借りただけで、ダンジョン内の賃貸借契約は、事実上はっきり決まっていない状態だったのだ。
「法務が夜っぴて作業してましたけど、最後は感謝してましたよ」
「感謝?」
「ええ、おかげでセーフエリアの発見までに詳細が詰められたわけですから」
「セーフエリア?」
「あれ? 一緒にいらっしゃんたんじゃないんですか? 先日32層へ下りた場所で発見されたんですけど」
「あー、なるほど、それで」
下りた場所でそんなものが発見されていれば、31層に誰もいなかったはずだ。
「え?」
「いえ。まあ、不幸中の幸いというか、渇して井を穿つようなことにならなくて幸いでしたね」
「ええ、まあ」
そこで、少し気まずい沈黙が訪れた。聞こえるのは、書類にサインしている三好がペンを滑らせる音だけだ。
「それで、あの……ありがとうございました」
鳴瀬さんがあらたまってお礼を言った。
31層へのヘルプの件だろう。それは分かっていたけれど、そこはお約束だ。
「なんのことです?」
「いえ。なんとなくお礼を言いたかっただけです」
「ああ、そういうこともありますよね」
そうして俺たちは、白々しい笑い声を上げた。
それを横目で見ていた三好が、ちょっと肩をすくめると、1枚のメモリカードを取り出して、鳴瀬さんに渡した。
「これは?」
「必ず1人で見てください。そして見終わったらカードを燃やしちゃうことをお薦めします」
「え?」
「じゃ、これ。これで、契約は完了ですよね?」
三好は、サインした書類に判を押して、印鑑証明を添えると、鳴瀬さんに渡した。
「あ、はい……はい。大丈夫です。ありがとうございました」
「さて、先輩。これでまた忙しくなりますね!」
「いや、お前、その前にDカード識別問題があるだろうが」
「あ! それで思い出しました! 鳴瀬さん、ステータス計測デバイスがDカードを取得していない人からステータスを計測できない話、誰かにしました?」
「え? ……そう言えば、週末、うちの上司から電話が掛かってきて聞かれましたけど。あれ、なにか拙かったんですか?」
情報がJDA内に留まっている場合はなにも問題がない。問題はそれが外へ流れちゃってるという部分だ。
「三好。これはあれだな。JDAに大学入試センターから問い合わせがあって、何か対応をしなきゃってところで、鳴瀬さんの報告を思い出した……ええと、斎賀さんだっけ? の仕業臭いぞ」
「え? なんの話です?」
きょとんとしている鳴瀬さんに、俺たちは、この二日間で届いていた大量のメールと、その内容について説明した。
「で、ですね。これってこちらで個別対応すると、いろいろと拙いんじゃないかと思うんですよ」
なにしろ本来はJDAに来た問い合わせだ。こちらから返事をするのもおかしな話だろう。
まだ発表されたばかりで市販もされていない機器の話だし、1ヶ月でそれが満足に用意できるはずがないことは、問い合わせる側もよく分かっているはずだ。
担当者が、フライングをしても早い者勝ちで注文してしまいたいという考え自体はわからないでもない。
ここで俺たちが直接大学にコンタクトを取ったりすると、大学毎の連絡やサポートが発生して、とても二人で回せるような問題じゃなくなることは明らかだ。
やる側は相手先が1カ所だから執拗に連絡をしてこられるが、受ける側が多数から同じことをされたりしたら、それこそDoS攻撃みたいなもので、何も出来なくなることは請け合いだ。
「わかりました。明日にでも斎賀に問い合わせてみます。こちらに問い合わせがあったのが金曜の遅い時間でしたから、おそらく昨日上に上げて、今日辺りに何かの結論が出てるはずですから、こちらに下りてくるのは明日くらいなんだとおもいます」
「期日がないって案件なのに、相変わらずフットワークが悪いですよねぇ」
「お役所みたいなものだからな。じゃあ、その前に、資料を見た各所が先に動いちゃったというわけですね」
「すみません」
「いえ。それで、一番知りたいでしょうキャパについてなんですが、さっきメーカーに問い合わせたところです。明朝には分かるんじゃないかと思いますから、分かったら連絡します」
「ありがとうございます」
「それでですね。調べてみたら、日本には、国立が86、国公立合わせると200ちょっとですか。それに私立が600ちょっとあるんですよ、大学」
「はい」
「それら全てに行き渡らせるのは無理ですね。そもそも各校に1台くらいじゃどうしようもないでしょうし」
それは分かりますと鳴瀬さんが頷いた。
「ですから個別に販売しないで、用意できる台数が日別に明らかになった段階で、入試日を確認してそちらでスケジュールを立てて頂き、使い回すなりなんなりすることで、最大限フォローできるようにした方が良いと思いますよ」
「なるほど、わかりました。そちらも明日上申してみます。それじゃあ、私はこれで」
暇乞いをする彼女を見て、俺と三好は顔を見あわせた後、鳴瀬さんを引き留めた。
「あ、ちょっと待って下さい」
「え?」
「横浜の1層ですけど、さっきの契約で10年間はDパワーズのものですよね?」
「はい」
「それでですね。ちょーっと面倒なご相談があるんですが……」
「はい?」
いきなりの三好の発言に、鳴瀬さんが眉間にしわを寄せた。
「ま、コーヒーでも入れますか」
そう言って三好が席を立った。
すぐに終わりそうにない話なのを感じた鳴瀬さんは、上げかけた腰を下ろして、ソファに座り直した。
三好からバトンを投げつけられた俺は、仕方なく話し始めた。
「結構面倒くさい話と、頭を抱えそうな話と、信じられないくらい困るに違いない話があるんですが、どれから聞きたいですか?」
それを聞いた鳴瀬さんが、額に汗を浮かべつつ口角をあげた。
「えと……全部聞かないで帰ってもいいですか?」
「それはJDA職員としても、Dパワーズの専任としても、あまりお薦めできませんね。いずれ何かがあったときに困るというか……知っておいた方が良いと思いますよ」
「なんだか脅されてるみたいですね……ではショックの小さい順番でお願いします」
「じゃ、まずは横浜の話から」
「はい」
「横浜の1層ですけど、あれ、実は1層じゃないんです」
「え?」
鳴瀬さんは、何かを聞き間違えたかのように首をかしげた。
「契約の文言ですけど、『現在の1層』って書いてありますよね」
「ええ、ちょっと変な表現だなとは思ったんですが……」
「実は、現在1層だと信じられている層は、ダンジョン的には20層よりも下層の扱いなんです」
「……え?」
何を言っているのかしら、この人って顔で、クエスチョンマークを浮かべた鳴瀬さんに、俺は、階段の1段が1層である仮説について説明した。
「踊り場がダンジョンのフロアではないかという仮説は、宮内さんのチャンネルで見たことがありますけど……」
「そう。一見荒唐無稽に聞こえるあの話なんですけど、実は真実だったんです。正確に何層なのかは、今後調査してみないと分からないんですけど」
「どうして分かったんです?」
そう、そこがこの話のミソなのだ。
「実は、ドロップしたんですよ」
「ドロップ? あ、まさか鉱石が?」
俺は黙って頷き、脱線気味に彼女にマイニングの鉱物選択仮説を説明した。
いずれは説明しておく必要があるし、丁度良い機会だと思ったのだ。横浜でドロップするものの説明にもなるしな。
「それって、自由にドロップする鉱物を選べるってことですか?」
鳴瀬さんは驚いたようにそう聞いた。
「その可能性はあります。さらにもっと大きな可能性もあるんですが、それがなんというか……滅茶苦茶難しいんですよ」
そうして、今回の探索の目的だった、小麦さんによる新規階層のドロップ鉱物について話をした。
「仮説の検証に、21層から24層まで、小麦さんにお願いしてみたんです。彼女がドロップさせるとしたらなんだと思います?」
「それは、宝石か、宝飾関連、ありていに言えば貴金属でしょうね」
「実際、その通りでした」
俺は各フロアのドロップ鉱石について説明した。
「21層に宝石の原石、22層にプラチナ、23層が銀、24層がパラジウム、ですか」
鳴瀬さんはその結果を聞いて、驚いていた。
「でも、宝石の原石って、なんの原石なんです?」
「それがですね――」
俺は彼女をレストルームに連れていき、未だにそこに並べられたままになっている鉱物を見せた。
「え、これが全部1フロアでドロップするんですか?!」
「そうです。これが新たな可能性ですね」
俺は元の席へと戻ると、彼女が「宝石の原石」をドロップさせた経緯を話した。
「あらゆる原石を思い浮かべたあげく決められなかったから、宝石の原石という括りでドロップが確定した?」
「我々はそう考えています」
「じゃあ、ニッケルとコバルトとマグネシウムって考えていれば、その3種類がドロップするフロアになると?」
「そこなんですよ」
俺は、どうもそれらを上手くまとめる概念がないと難しいことや、仮にそうでもそのことを相当深く考えられる人がチャレンジしないと失敗することを説明した。
「そういうわけなので、フロアの新規開拓は、ドロップさせたい金属について非常に詳しく、かつ愛情というか偏執的な方にやらせると上手く行く、というよりそうしないと拙いことになるんですよ」
「拙いこと?」
「えーっと、我々に一番身近な金属ってなんだと思います?」
「それは、鉄でしょうね」
「そうなんです。おそらくダントツで鉄なんですよ」
そのせいで、何も考えず鉱石をドロップさせると、高確率で鉄になる話をした。
「え? 全フロア別の鉱物になるんじゃないんですか?」
「と思うでしょう? 実際俺たちもそうだと勘違いしていたんですが、そんなことは碑文のどこにも書かれていないんです」
「じゃあ、下手をすると――」
「全フロア鉄がドロップするという、恐ろしい結果になりかねません」
実際31層で、注意していたにもかかわらず鉄をドロップさせてしまった話をしておいた。
「お話は分かりましたけど、しかし、そんな方に25層以降のモンスターを倒せというのはちょっと」
「ま、それが問題ですよね」
これがDカードなら、アーシャ方式で何とかなるだろうが、マイニングはそうはいかない。
小麦さんを育てるのだって、かなりの苦労を強いられているのだ。
「一応しばらくは小麦さんが、金属の勉強もして25層以降にもチャレンジしてくれることになっているんですが、マイニングが普及しはじめたとき、テストのつもりで無計画にドロップさせられると後で困るかも知れません」
「普通の探索者ですと、今マイニングを手に入れたとしても、21~24層の小麦フロアで稼ぐ方を優先してくれるんじゃないかとの期待があるんですが――」
「海外から、マイニングを目的に参加しているチームの人達ですね」
「そうです。代々木でテストする可能性が高いですからね」
しかし25層以降の敵を倒せる探索者で、金属類のエキスパートはおそらくいないだろう。
適当に若くて有望な探索者にマイニングを使わせる可能性が充分以上にあるはずだ。なにしろ大部分の人間はドロップする鉱石はランダムに決定されると思っているはずだからだ。
そして、人生経験が少ない優秀な探索者が触れる金属? ますます鉄がドロップする確率が高まるような気がしてならなかった。
「わかりました。でもこの情報が広まると、他国のパブリックダンジョンで練習してから自国のダンジョンで本番を行うなんてことも考えられますよね」
「可能性は充分にあります。WDAで規制するなら今のうちでしょう」
「こちらも上申してみます」
メモを取り終えた鳴瀬さんが、ファイルを閉じて言った。
「それにしても、小麦フロアですか? プロの探索者にとっては、垂涎のフロアになりそうですね」
「それが、21層なんかは相当楽しいんですが、経済的にはものすごく価値がばらつくので安定しません。取捨しようにも、どの原石がいくらになるのかを判断できる探索者は今のところ少ないでしょうね」
「ガイドを作成する必要がありますね。今回のドロップ品は撮影させていただいても?」
おそらくガイドのサンプルに使用するのだろう。
「いいよな、三好?」
台所でドリップを行っていた三好が、頭の上で丸を作った。
「それから、23層の銀は他と比べると安いですし、22層と24層は非常に良い稼ぎになりそうですけど、金属はなんだかんだ言って重いですからね」
沢山持って帰るのは難しいだろう。
とはいえ、今までとは桁違いの稼ぎになるはずだ。ただし、マイニングがあるならば、という条件付きだが。
「ところで、この話自体は非常に有用な情報でありがたいのですが、それと横浜の1層にどんな関係が?」
そこで三好がコーヒーを持ってきた。
「お、サンキュー」
俺はそれを一口啜ってから言った。
「それなんですが、実はドロップしたものを販売するにあたって、鳴瀬さんというか、JDAですかね? には、将来的にデビアスあたりと折衝してもらう必要があるかも知れないんです」
ダイアモンドカルテルは2000年に正式に終了し、中央販売機構は、DTC(Diamond Trading Company)として活動するだけになっているとは言え、数量によってはどこからチャチャが入るか分からない。
ブレグジットの影響で、規制が緩むだろうとも言われているが、それにしてもだ。
「それってつまり?」
「横浜の1層でドロップするのはダイアなんです」
「はい?」
鳴瀬さんが狐に摘まれたような顔をした。
俺は、横浜からドロップした3個のダイアを取り出して彼女の前に置いた。
「え? け、結構な質のものに見えるんですけど。しかも原石じゃなく、カット済みなんですか?!」
「小麦さんに見て貰ったところ、その通りでした。カットはラウンドブリリアントで、非常によいそうです」
「なんでこんなものが?」
「それをドロップさせたとき、俺たちその場所を単なる1層だと思っていて、たまたま話していたダイアの話以外なにも考えてなかったんです」
「その結果が――」
「それです」
俺は3個のダイアを指差した。
「小麦さんが言うには、それらはカットがほぼ同じで、それでダンジョン産かどうかを判断できるかも知れないとのことです」
「そんなことが」
「まあ、鳴瀬さんもご存じの通り、あの人、このジャンルでは超能力者みたいな所がありますから、小麦さん限定なのかも知れませんけど」
俺は笑いながら言ったが、鳴瀬さんは至極真面目な顔で頷いていた。
「まあそれが、さっきの鉱石を選択的にドロップさせる可能性に繋がったんですけどね」
「なるほど」
「JDAに販売するのが面倒が無くていいんですが、そちらとしても個数が増えたとき、どこから何を言われるか分からないでしょうから、一応お話をしているわけです」
場合によってはWDAがロンダリングに使われているような難癖だって、付けようと思えば付けられるのだ。
鳴瀬さんは、そのダイアをペンの先で転がしながら、「しかし、これ、賃貸金額の件で問題になるかもしれませんよ」と言った。
ダイアがドロップすることが分かっていたから1層を借りきったんだと思われると問題があるのは確かだ。
だがそれが目的だったわけじゃないのだ。今となっては誰も信じてくれないだろうが。
それを聞いた三好は、コーヒーカップをソーサーの上に置くと、すました顔で言った。
「それをドロップさせるのは、2月に入ってからだから問題ありませんよ。なんともラッキーでしたね、私たち」
「え?」
「だって、1層から鉱物が出るなんて、誰も思いませんよ?」
「三好……」
「ま、そういうことですよ。いまさら無意味な波風を立てたりすることは、誰も望みませんよね?」
鳴瀬さんはそれを聞いて苦笑した。
「……まあ、そうですけど。だけどこれが一番ショックの小さな話題なんですか?」
「結構面倒くさい話、ってやつですね」
「わかりました。この件は、来月これが売りだされるまで、私は聞いたことがありません。ダイアが売りだされたらきっと驚くでしょうね、私も。その後、他企業との間で問題が起きそうなら相談します」
「お願いします。世界的にだぶついているのは、低品質の原石と人工ダイアなので、大きな問題はないと信じたいですけど、もしかしたらライトボックスみたいな別カテゴリが産まれるかも知れませんし」
デビアスは、去年の9月に人造ダイアのブランドをつくって売りだした。それがライトボックスだ。
天然ダイアの1/10程度の価格で、ピンク・ブルー・ホワイトの3種類を揃えてファッション・ジュエリーとして売りだしたのだ。
ダンジョンブランドの石も、特殊なブランドにカテゴライズしてしまう可能性はあるだろう。区別が出来るのなら、だが。
「わかりました」
「で、次が、頭を抱えそうな話なんですが」
「はい」
「実は、ここだけの話、ダンジョンでタイラー博士に会いました」
「……はい?」
それを聞いた鳴瀬さんは、眉をひそめて、今聞いた話の内容が理解できないように首をかしげた。
「タイラー博士って、あの最終ページの?」
「はい」
「3年前ネバダで死んだことになってる?」
「そうです」
「つまり、タイラー博士は、ザ・リングからどうにかして脱出して、生きていたってことですか?!」
鳴瀬さんは、驚いて、思わず身を乗り出した。
「うーん。それはどうだろう」
「は……い?」
そこで、俺は、彼に会ったときの状況を説明した。
鳴瀬さんは、きょとんとして、理解できているのか出来ていないのか、全く分からない表情でそれを聞いていた。
「つまり、ダンジョンが? 博士を? 作り出したってことですか??」
「まあ、それが一番正確な表現だと思います」
「芳村さん……ダンジョンから帰ったばかりですし、お疲れですよね」
鳴瀬さんが可哀想なものを見るような眼差しでそう言った。
いやいやいやいや、モルダー違うし。俺は慌てて、冗談でも妄言でもないことを強調した。
「じゃあ、本当に?」
俺は、こくりと頷いた。
「って、それ、もしかして映像があるんですか?!」
「ありません。録画していたはずなんですが、なんにも映ってなかったんです」
「ええ?」
鳴瀬さんがあからさまに落胆した。
つまりは他者を説得するための証拠は何もないってことだ。
「どにかく、俺たちはそこで、3年前にネバダで起こった事件の顛末を本人から聞いたんです」
その、SF小説もかくやと言わんばかりのストーリーを、彼女は呆然としながら聞いていた。
「……ネバダで行われた実験の結果、どこともわからない世界と繋がって、その世界の何かが実験場にいた27人を分解して調査して人類について学んだ結果、ダンジョンができたってことですか?」
「要約すればその通りです」
27。それは奇しくも新約聖書を構成する書と同じ数だ。もちろん偶然だろうけれど、ダンジョンが何かそれに意味を持たせようとするかもしれない。
「で、それは旅客機とUFOが衝突したようなもので、不幸な事故だったと」
「はい」
「そして、この事実を公表するかどうかは、君たちに任せるよと言って、丸投げされた?」
「政治的な駆け引きが大嫌いなんだそうです」
「はぁ……」
「で、これってUSとかJDAとか、日本政府とか? まあそういったどっかの組織に伝えるべきでしょうか? というご相談でもあるんです」
鳴瀬さんは疲れたように眼球を揉むと、「いえ、伝えるとか伝えないとか言う以前の話ですよね、これって」と言った。
「だって、当然どうやって知ったのかを聞かれるはずですけど、その時、ダンジョンの中で死んだ人に出会って聞いたって言うんですか?」
「まあ、そうなんですよね」
「伝えられるわけありませんよ。そもそも証拠が皆無です。ただの中傷ととられてもおかしくありませんし、少なくとも私の立ち位置からは無理ですね」
「まあそこは仕方がないと俺たちも思います。だからこれはサイモンに丸投げしようと思うんです」
「本来、あちらさんの問題ですもんね」
鳴瀬さんは疲れたように深い息を吐いてそう言った。
そして、顔を上げると、諦めたよう聞いた。
「確かに頭を抱えましたよ。それで、最後の、信じられないくらい困るに違いない話ってなんです?」
「今のタイラー博士にあった話と、関係するんですが」
そう切り出すと、鳴瀬さんはあからさまに嫌そうな顔で、眉をしかめた。
「まず、俺たちは、ダンジョンの向こう側にいる何かにデミウルゴスという名前を付けました。俺たちの意識からダンジョンを作り出しているからです」
「イデアを現実に再構築する存在ですね。プラトンでしたっけ?」
「そうです」
「もしくは、ダンツクちゃんでもOKですよ。タイラー博士はこっちがお好みっぽかったです」
三好の話に笑みを浮かべた彼女は、すぐにそれを引っ込めて聞いた。
「それって、向こう側にいる何かとコンタクトした……ってことですか?」
うーん。あれをコンタクトと言っていいのかどうか……心象風景という言いぐさを信用するなら、コンタクトといえるの、か?
「それはなんとも言えないんですが、とにかく俺たちは、そこで、デミウルゴスの目的を聞きました」
「この世界にダンジョンを作った理由、ってことですか?」
俺は黙って頷いた。
「デミウルゴスの目的は――」
「目的は?」
「――人類に奉仕したいんだそうです」
「……はい?」
一体お前は何を言っているんだ? と目を点にした鳴瀬さんが聞き返した。
「人類に奉仕したい?」
「まあ、大体そんな感じです」
「意味が分かりませんけど」
「意味はまあ……言葉通りなんじゃないかと思いますが」
「人類に奉仕したい何かが、27人の人間を分解しちゃうんですか?」
「いや、それは順序が逆でして……」
「こんな魔法みたいな世界を瞬時に作り上げる何かが、人類に望むことが『奉仕させろ』? って、やっぱり意味が分からないのですけど」
うーん、それを言われると、俺にもわからん。
「でも、意図を聞けていると言うことは、コミュニケーションがとれたと言うことですか?」
「それもどうかなぁ……」
「ええ?」
鳴瀬さんは、益々訳が分からないという顔をして、眉をハの字に曲げている。
「ううーん。もうぶっちゃけちゃうとですね、彼女――じゃないかもしれないか――それは寂しがり屋で、構ってちゃんで、人類に奉仕したくてたまらないM体質のメイドさんみたいな存在なんです」
「先輩が説明を放棄した!」
三好が目をグルグルさせて、ボスンとソファに倒れ込んだ。
「ええー?」
「信じようと信じまいと、構いませんけど、俺たちはそういう情報を受け取った。だからJDAに報告した。あとは好きにして下さい、と、そう言うわけです」
「あの、状況が全然わからないんですけど」
「だから、さっきから説明している通りなんですよ。いいですか、鳴瀬さん!」
「はい!」
「この際、常識は捨てて下さい」
「はい」
「俺たちは、ダンジョンの中で、ダンジョンが再構成した3年前に死んだはずのタイラー博士に会って、その時の状況と、彼が考えるダンジョンの向こう側にいる存在――つまり彼の創造主ですね――についての話を聞いたわけです」
「ええと……」
「それが俺たちがダンジョン内で見た幻だろうが、現実だろうが、この際そんなことはどうでもいいんです。俺たちにとってはリアルだとしか思えませんでしたけどね」
「はぁ」
「で、俺たちとしては、あまりに重要そうなその内容を、探索者の義務として報告したと、ただそれだけのことです。だからそれをどうするのかは鳴瀬さんなり、JDAの判断なんですよ」
「ええー?」
三好がソファから上半身を起こすと、鳴瀬さんに向かってアドバイスをひとつした。
「鳴瀬さん、JDAって自衛隊に連絡できますよね?」
「え? ええ、まあ」
「チームIでも、そうでなければ、USのサイモンさんたちでもいいんですけど、私に31層で最後に会った時間を聞いてみるといいですよ。まあ、セーフエリアが発見される少し前だからみんな覚えていると思いますけど」
「どういう意味です?」
三好はそれに直接答えずに言葉を続けた。
「そして、その日、私が代々木を退出した時間を調べてみて下さい。そうしたら、わかります」
「……なんだかよく分かりませんけど、とにかくそうしてみます」
そう言って鳴瀬さんは疲れたようにソファに沈みこんだ。
「どうです? 信じられないくらい困りそうでしょう」
「何を勝ち誇ってるんですか。というか、Dパワーズさんの悪ふざけにしか思えませんね、今のところ」
そうでしょう、そうでしょうと三好が頷きながら、彼女にせとかをひとつ渡した。
「まあまあ、これでも食べて、スッキリして下さい」
「ありがとうございます。せとかですか? そういえば、そろそろシーズンですね」
彼女はそれを剥きながらそう言った。
皮に爪を立てた瞬間、柑橘特有の爽やかな香りが部屋に広がって、それまでのどんよりした空気を追い払うかのようだった。
「そうですね。ただし、そのせとかみたいな果物、ダンジョン産なんです」
「え? せとかみたいな果物? ダンジョン産? って、代々木に果物があったんですか?!」
興奮して、半分腰を上げた鳴瀬さんの話によると、ダンジョン内で食用と思われる果物が見つかったのは、ヨーロッパにあるダンジョンの浅いフロアで木イチゴが見つかっているのが唯一の例らしい。
したがって、これがダンジョン産だとすると、世界で2例目のことなのだそうだ。
「しかもせとかって高級果実ですよ。これが流通したら、農家への影響が心配ですけど」
「まあそこは、1月~3月はダンジョン産は出荷しないとか、なにか工夫をするしかないですよね。因みに発見したのは21層の未踏エリアです」
三好が、マップデータ等の資料をまとめたものを鳴瀬さんに渡した。
「ありがとうございます」
貰ったデータを早速タブレットで確認しながら、開いたマップを見て、鳴瀬さんが言った。
「って、この×印ってなんですか?」
「その×印のある丘の麓が、果樹園なんですけど。その×印の位置に、うちの拠点が建っているんですよ」
「拠点?」
キョトンとしながら言葉を繰り返す。
「ええ、探索のためのキャンプみたいなものですね」
「それが21層の未踏エリアに?」
「現状では充分深い層ですし、ダンジョン内の土地のパーティによる占有にあたりますけど、12月の中頃お話ししたとおり、禁止できない領域かなと」
「え、ええ、まあそう言うことになると思いますけど、これ、どうやってどのくらいの規模のものを建てられたのかお聞きしても?」
「いいですよ。大きさは確か、直径が10mくらいで、高さが……いくつだったかな。10mはありません。あ、映像ありますよ」
三好がすぐにTVに接続して再生したデータは、果樹園の小径から、件の丘、そしてその向こうに広がる湖の美しい風景を映し出していた。
そこに建っている円筒形にドームがついた建物には、流石の鳴瀬さんも驚いていた。
「これ……どうやって持ち込んだんですか?」
そこで、三好が胸を張って、ホイポイカプセルの話を始めた。
三代さんにはああ言ったが、拠点を残してきてしまった以上、JDAへの報告は必須になる。下手に隠し立てをすると、後々そのほうが面倒になるのだ。
ただ、これ偽アイテムだから、触られても名前が表示されないんだよな。そこをどうするかだな。
「はぁ?! なんですかそのアイテムは?!」
「おそらく取得報告は、次の申告に含まれると思いますけど」
「それって、何でも入るってことですか? ま、マジックボックスのように?」
「いえ、流石にそれは……単体しか入りませんし。大きさもその家くらいが限度じゃないかと。限界を試したことはありませんが」
「そ、それで……これって報告していいんですか?」
「どうせ申告で知られるとは思いますけど、セーフエリアが見つかった今、あんまり隠してはおけない気もしますから。ただまあ今のところはダンジョン管理課内で留めておいていただければ」
Dカードの取得チェックデバイスでもあれだけのことがありましたし、とさりげなくJDAの罪悪感によりかかる三好。
流石だ、黒いぜ。
セーフエリアの開発初期時に発電機や重機類が持ち込めるのと持ち込めないのでは開発の速度が違う。もちろんダンジョン内の地面が何処までも掘れるはずがないので、実際にどのような開発を行うのかは一通り調査が終わってからだろうが。
その時協力の要請が来るとは思うが、鳴瀬さん達ならほいほい便利に使われるということもないだろう。
「わ、わかりました。……それにしても、凄いですねぇ。とてもダンジョンの中だとは思えませんね」
再生されている映像を見ながら鳴瀬さんがしみじみと言った。
「えーっと。補給とかありますから、よければ一度行ってみますか?」
「本当ですか?! 是非、お願いします!」
その勢いに苦笑しながら俺は、せとかを指差していった。
「まあそういうわけで、この柑橘が一体何者なのかをDNA鑑定で調べて欲しいわけです」
「そうですね……農業・食品産業技術総合研究機構の果樹茶業研究部門が、2016年に温州みかんの親を同定していますから、柑橘類のDNA情報を多数持っているはずです。こちらで頼んでおきますね」
「よろしくお願いします。じゃサンプルは半ダースくらいでいいですかね」
「充分です」
三好はそれを袋に詰めに、台所へと向かった。
「それにしても、Dパワーズさんが、ダンジョンから戻られる度に、仕事が増えて行く気がするんですけど……」
「まあまあ、じゃ、最後に一つだけアドバイスを」
「ええ、まだ何かあるんですか?」
「セーフエリアが、32層で見つかりましたよね」
「はい」
「だけど、重要なのは31層ですよ」
「え?」
そう、三好とも検討したのだが、31層は割と奇跡のような層なのだ。
なにしろ7つの神殿が、おそらくは横浜のボス部屋のようなものだろうと想像できる。そして、あのフロアの凄いところは、リポップ時間が横浜に比べて圧倒的に短いことだ。
詳しいことはわからないが、おそらく代々木と横浜のキャパの差が、Dファクターの濃度に関連しているんじゃないかと思う。
そしてもしもガチャダンよろしく、登場キャラが変化したりすると、ずっとフレッシュな状態で経験値が入り続ける(かもしれない)
別空間とは言えダンジョンの中扱いだろうから、流石にリセットはないと思うが、宝箱のポーション(5)も実に美味しい。
もちろん一度入れば出られない構造上、大きなリスクはあるが、流石にキメイエスのようなモンスターはもう登場しないだろう。
登場モンスターと、攻略法が確立されれば、ものすごく有用な育成向きのフロアになるはずなのだ。
そしてあの中央の広場には、いまだに雑魚がポップしていない。つまりはスライムを気にせず機器がおいておけるかもしれないということだ。
もちろんダンジョン外の建造物をおくことで、どこからともなくやってくる可能性も皆無ではないが……
そうでなければ、小さな砲などの大きな戦力も持ち込んでおける可能性があるわけだ。
「できれば31層にも拠点を置かせて貰いたいくらいです」
そうしたら、高レベル帯のガチなブートキャンプに使えるだろう。
「おそらく最初の申請群は、ほぼ32層へ出るでしょうから、申請すれば通りそうな気もしますけど……申請しておきましょうか?」
俺は三好と顔を見あわせて頷いた。
32層ならともかく31層で坪3万はないだろう。もしそうだとしても、正方形なら約30坪の占有だから、年間1200万と言ったところだ。押さえられるものなら押さえておきたい。
「じゃ、それもお願いします。21層と同じ扱いなら、タダなんですけどねぇ」と三好が笑った。
「それは上げてみないとわかりませんね」と鳴瀬さんが笑顔で応戦する。
いや、君たち、ビジネススマイルが怖えよ。
そんなやりとりを終えて、鳴瀬さんが玄関を出たとき、三好がなにかの封筒を渡していた。
俺はそれを横目に見ながら、御劔さんにメールを送信した。向こうはまだ朝だな。
「最後の封筒、例のあれか?」
「そうです。そろそろオークションも再開しますよね。お金は還元しませんと」
そう言って、ウィンクしながらカップを片付け始めた。
「それにしても、無事、押しつけられて良かったですね」
「まあな。しかし、この件を報告するのは難しいだろう」
「鳴瀬さんなら、レポートにまとめて上司に丸投げしますよ、きっと」
元会社員の立場から言わせてもらえれば、上司の使い道は、実際それくらいしかない。自分の手に負えないことは上司に丸投げで正しいのだ。
この報告がどんな波紋を引き起こすのかはわからないが、なにしろ根拠も証拠もないも同然だ。どこかでファイルキャビネットの奧に放り込まれて永遠の眠りにつくだろう。
報告者がDパワーズだというそのことは、俺たちが考える以上に大きな影響力を持っていたのだが、このとき俺たちは、そんなことは露程も考えていなかった。
「そして、最後はコルヌコピアですね」
時刻は22時を過ぎていた。
盛りだくさんすぎていい加減集中力が無くなってきた俺は、タブレットを掴んで、ソファにごろんと横になった。
コルヌコピアは、豊穣の角だ。
ゼウスの育ての親であるアマルテイアに捧げられた山羊だか羊だかの角で、彼女に望みのものを与える力を持っていたらしい。そして、巨大な富の象徴でもある。
「先輩が取得したアイテムで、角っぽいものって――」
「ハウンドオブヘカテの角くらいだな」
「なんかイメージじゃないですよね」
ソファの上で胡座をかいた三好は、肘掛けに肘をついて、顎の下に手の甲の指の付け根をあてた。
「山羊でも羊でもないし、果物や花でみたされてもいない」
「それに、お金持ちになれる感じがしませんし、それ」
感謝祭や収獲と関連づけられるアイテム。
望みのものを与える力――
「俺たちはスキルオーブを取得して、言ってみれば富を得たわけだ」
俺は寝ころんだまま、天井を指差しつつそう言った。
「そうですね」
「なら、スキルオーブを得る力が、望みのものを与える力と言えるのかな」
「つまりメイキングってことですか?」
「他に思い当たる節がない」
俺は、胸の上に置いてあったタブレットを取り上げると、コルヌコピアの説明を、ネットから探してもう一度読んだ。
豊かさの象徴。望みのものを与える力。
デュオニソスを育て、後にハデスの象徴に――
――ハデスの象徴?
「三好」
「なんです?」
俺はがばっと跳ね起きると、ソファに座り直して、三好の方を向いた。
「ネイティブ言語での表示って、実は個人的なものだと判明したじゃないか」
「はい」
「メイキングって、最初は5月の王だと思ってたよな」
「まあ、普通に国語審議会の答申に従えばそうなりますから。メーンはどうかと思いますが」
「だがそれは、製造の、メーキングのことだったと、後で判明した」
「文化審議会国語分科会激怒案件でしたね」
「だが、どうやらそれは、間違いのようだぞ」
「え?」
「これはたぶん――」
俺は天を仰いでいった。
「――冥王だ」
三好はそれを聞くと、半開きの口でまぬけな顔をした。ポカーンってやつだ。
「冥王?」
「そうだ」
「だから、冥キング?」
「たぶんな」
「個人ネイティブ表示にも程がありますね」
彼女が顔を左右に振りながらそう感想を漏らした。確かに俺もそう思う。
確かにトランプの13の例を取り上げるまでもなく、俺は王よりキングを使う事の方が多いと思う。そして、冥には対応する適当な英単語は、実はないのだ。
何故漢字じゃないのかはわからないが、冥キングという表記はネイティブとして使わないからだろうか。王が優先され、全体がそれに引きずられた結果なのかもしれない。
「地下世界であるダンジョンは、冥王が支配する場所ってことですかね?」
冥王ハデスは、冥府が地下にあるとされていたため、地下の神ともされている。
「もしかしたら本当に冥界と言えるのかもしれないぞ? なにしろ、俺たちは、そこで死者と話をしただろう?」
「その死者さんは、それをコルヌコピアだと言いました」
「そうだな」
「つまりそれって、最終的には、望みのものを与える力――つまりDファクターを自由に操作するスキルになったりするんじゃないですか?」
「意志の力で?」
「意志の力で」
「なんでも自由に作れるわけ?」
「なんでも自由に作れるんです」
俺たちは、辿り着いたあまりの結論に呆然となった。
それが正しいかどうかはわからない。しかしそれはまるで厳然たる事実のように、圧倒的なリアリティを持って、俺たちの前に鎮座していた。
第6章はこれで終了です。
次章は、第7章「変わる世界」
お楽しみに。
三好「先輩、ダンジョンの支配者になっちゃうんですか?」
芳村「絶対無理。ホーホケキョと鳴くのが精一杯だ」
三好「なんです、それ?」
芳村「ダンジョンの鶯」
三好「……山田君全部取って。(鶯だけに)」
芳村「おーう」