§115 ドミトリー 1/27 (sun)
翌朝目覚めると、三好はすでに起きていて、荷物の整理を始めていた。
「んあー。おはよ」
寝ぼけ眼を擦りながら上半身を起こすと、開口一番、彼女は、呆れたような、おもしろがっているような微妙な口調で言った。
「おはようございます。って、先輩。昨夜はやらかしたそうじゃないですか」
「昨夜?」
「キャンプじゃ魔王の噂で持ちきりですよ?」
「まおう?」
要領を得ない会話に、クエスチョンマークを浮かべた俺は、三好に詳細を聞いて青くなった。
どうやらあの洞窟は、隙間だらけで外と繋がっていたようだ。
「まぢかよ?」
「それはもう。それからあの神殿のあった場所ですけど。あそこ、立ち入り禁止区域だったみたいですよ」
「ええ? 山頂だけじゃなかったのか?」
考えてみればバティアンのほぼ真下に当たるのだ。地図は平面なんだから含まれていてもおかしくはない。
2回も来ていながら俺達はそのことにまったく気が付いていなかった。山頂って聞いていたんだから誤解をしても仕方がないだろう。
「それで誰もいないし、事故のニュースもなかったのか」
「あの神殿を見たら、普通は探索したくなりますからね」
「そして結局、最後の部屋のトラップにかかって、エンカイのところへ自動的に運ばれるわけだな」
「各国は、あのアンタッチャブルなエリアに触れるかどうかで意見が分かれているみたいですよ」
「サイモン達に警告もしたし、それ以上俺達に出来ることはないさ」
「あれ? 意外とドライですね。誰か死ぬかも知れませんよ?」
サイモン達から判断すれば、実際にエンカイにエンカウントして生き残れるやつはいないだろう。
よほど運に恵まれでもしなければ、逃げることすら敵わないはずだ。
「自衛隊の資料を読んだ上で、各国が自分の責任でそれを望むのなら、一介の探索者にできることはないだろ」
「まあ、それはそうですけど」
それに俺達は正義の味方ってわけじゃない。
自分の手の届く範囲をどうにかするのだけで精一杯の凡人だ。
「見ず知らずの誰かを助けるために、自分や知り合いの命を危険にさらすなんて英雄的行為は、俺には無理」
それを聞いた三好が、ニヤニヤしながら言った。
「そう言いながら先輩は、時々やらかしますからねぇ」
「うっせ」
「それで首尾はどうでした?」
マットを小さく丸め終わった三好が、それを袋に詰めながら聞いた。
「一応、マイニング2個と、あとは地魔法・暗視・器用を1個ずつだな」
「おー、フルセットですね。一体何体倒したんです?」
「最後に下2桁を調整したのも含めて401だ」
「凄いですね! あんな短時間に」
「範囲魔法は凄い使えるぞ。まあ、神殿前限定だろうけど」
「10層でも使えそうですけど、ろくなオーブがないですからね、あそこ」
「そうだな。ただなぁ……」
「なんです?」
「なんかちょっとヤバかったんだよ」
「ヤバかった?」
俺は三好に、力を全力で解放すると、どうなるのかを説明した。
「何かが体に馴染んでいくような感覚に囚われて、力を解放するとそれが快感に感じる、ですか?」
「まあ、そうだ」
三好はマットを詰めた袋の上に、ポスンと腰掛けた。
「圧倒的な力をふるう快感ってのは、それが物理的な力であれ、権力のようなものであれ、多かれ少なかれあるとは思いますけど。
「しかし、それに囚われちゃヤバいだろ」
「先輩はそんな風に内省的だから、大丈夫じゃないですか?」
「うーん……」
「それに、あんまり調子こいてたら、私が後頭部をぶん殴ってあげますよ。鉄球で」
掌の上に8cmの鉄球を取り出して、ぐっとそれを突き出しながらそう言った。
「いや、それで殴られたら死んじゃうから……だが悪くないな、ちょっと頼んどこうかな」
「任せて下さい」
俺は、気分が少し軽くなったような気がした。
「で、みんなもう起きてるのか?」
「です。朝食どうします?」
「めんどくさいからサンドイッチで誤魔化そうぜ。2日目の朝だから、まだ生鮮食料品が出ても、そんなもんかと思うくらいだろ」
「了解。じゃ、ここでドレッセして運びましょう」
俺は昨日の鉄板に、ラップを敷いて、サンドイッチとフルーツを綺麗に並べておいた。
「コーヒーも入れたことにするか?」
「いえ、そっちは真面目に入れます。先輩、お湯下さい」
「OK」
俺はそう言うと、鉄板を持ってテントを出た。
丁度7時になるころで、向こうのキャンプではすでに活動が開始された後だった。やや閑散としてはいたが、キャンプを維持する人員が結構な人数が滞在しているようだった。
「「おはようございます」」
小麦さんと三代さんはすでに準備をすませていた。
「テントはまとめておきましたから」
と綺麗に分解されて丸められたマットとテントが並べておいてあった。
「ありがとう。じゃ、これ朝食ね。先に食べてていいから」
そう言って俺は、鉄板を石の上に置いた。
それを見た三代さんが、「すごいですねー。Dパワーズさんって、ダンジョン飯に命賭けてますよね……」と呆れたように言った。
俺は、「まあ、うちは水がいらないから、食材も多く持てるしね」と笑って誤魔化した。
彼女たちが食事をしているのを横目にまとめられていた荷物をバックパックに仕舞うふりをした。
テントをたたんだ三好が、俺達の荷物も持ってきたので、それも同様だ。代わりに、1.5Lのケトルを取り出した俺は、それを100度のお湯で満たして彼女に渡した。
「ありがとうございます」
そういって三好は、サーバー代わりの魔法瓶にドリップを始めた。香ばしいコーヒーの香りがあたりに漂いはじめる。
小麦さんは、昨夜の見張りをねぎらいながら、陰から口だけ出したウストゥーラに魔結晶を与えていた。
こうしてみると――
「優雅なもんだな」
「林田さん?」
そこには渋チーの林田が、フル装備の探索スタイルで立っていた。
「向こうじゃ昨夜の事件で大騒ぎだってのに、ここはまるで別世界だ」
「ああ、魔王がどうとかいう?」
「そうだ。知ってるにしちゃ、やたら落ち着いてんな、お前ら」
「だって、俺達じゃ何も出来ませんし。それにすぐ18層から出ますから」
「出る? マイニングを取りに来たんじゃなかったのか?」
「まさか。それは皆さんにお任せしますよ」
林田は訝しげに眉をひそめた。
こいつら一体何しにここまで来たんだとか思っていそうだ。
「それで、なにか御用で?」
「あ、いや。昨夜の騒ぎがあったら、大丈夫かなと思って」
「ああ、心配してくれたんですね。大丈夫ですよ。ありがとうございます」
「い、いや、そんならいいんだよ」
少し照れたような林田に、少し先から仲間が声をかけた。
「林田!」
「お。今行く!」
「じゃあ、何処へ行くのか知らないが、気をつけてな」
「そちらこそ。魔王に踏みつぶされないで下さいよ」
「言ってろ」
そうして、林田は、振り返らずに手を振って去っていった。
「意外といい人なのかも知れませんね」
「そうだな。チャラいけど」
一応あれでも、代々木のトップチームの一角だ。また会うこともあるだろう。
俺達は、颯爽と歩いていく渋チーを見送った。
◇◇◇◇◇◇◇◇
俺達は18層を離れるべく、下りの階段へ向かって移動し始めた。
その時、異様な緊張感を纏った男が、バティアンを凄い目でにらみつけていた。
(三好、あれ、誰だか知ってるか?)
今回初めて使った念話での会話に、マイトレーヤの二人が思わず反応して、その男を見た。
男はそれに気がついて、一瞬こちらを見たが、すぐにバティアンの方へと視線を戻した。
(たぶん、ドミトリーさんですね)
(どっかで……)
(先輩……ドミトリー=ネルニコフ。世界2位の人ですよ。ロシアの)
(ああ、彼が。しかし、あいつやばくないか。なにか求道者っぽいぞ。今にもエンカイに向かって突撃しそうな雰囲気が……)
(確かにそういう感じですね)
(三好、ここは鑑定持ちのワイズマンっぽく止めてやれよ。今のあなたじゃ無駄死にですよ、みたいな感じで)
それを聞いた三代さんが思わず割り込んできた。
(ええ? それって煽ってません?)
まあ、そう言われればそうなのだが……
(だって、このままにしといたら、絶対あそこへ行きそうだぞ? 見殺しにしたら夢見が悪いだろ。俺じゃネームバリューが足りないから、な、三好! 頼む!!)
三好はワイズマンなメイクじゃないけど、どうせドミトリーなんかと会うのはこれが最初で最後に違いない。
多分大丈夫なはずだ。
(ほら、先輩ったら。やっぱり)
三好は今朝のやりとりを思い出して、薄く笑うと、ドミトリーとすれ違いざまに声をかけた。
「ガスパージン ネルニコフ」
ドミトリーは聞こえていないのか、三好の方を振り返りもしなかった。
『ワイズマンから忠告しておきます。今のあなたでは死にに行くだけですよ』
それを聞いたドミトリーは、全くの無表情で振り向くと、三好の目を見つめた。
『ステータスがまるで足りません。おそらく死んだことにも気がつかないでしょう。肘は近くにあっても噛めないものですよ』
結構煽っているようにも聞こえたが、彼の表情は、風のないバイカル湖の水面のように波ひとつ立たなかった。
そうして一言だけ『行ったのか?』と口を開いた。
三好はそれに答えず、肩をすくめた。
『忠告はしました。私はただ、あなたに死んで欲しくないだけです』
そう言って、下層への階段へと向かう三好から、ドミトリーはいつまでも目を離さなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
19層への階段を下りながら、三代さんが、「なんだか、映画みたいで格好いいシーンでした!」と興奮していた。
「それに、ドミトリーさんって、なにかこう硬質な感じがするイケメンでしたね。サイモンさんとはまた違う良さが……」
代々木で再開したときも思ったけれど、三代さんは結構ミーハーだ。
そのうち、ドミトリー×サイモンとか言い出しそうな気がして、ちょっとヤバい。三好の友人とは会わせないようにしよう。
19層へ下りる階段を抜けると、夜の底が白くなった。
氷雪層と言われる19層と20層は、雪の降るエリアと降らないエリアに別れていて、積雪はエリア毎に決まった深さになっている。
階段から階段へのルートは、なるべく雪の降らない積雪のないエリアをつないで作られていた。
「直線で結ぶと、途中に2.8mの新雪エリアがあるらしいですよ」
「そりゃ、つぼ足じゃ無理だな」
「いやいや先輩。スノーシューでも、絶対無理だと思います」
雪山装備は重いものも多い。わずか2層のためにそんなものを持ち込む探索者が居るはずもなく、ここもルート間以外はほぼ無視されることが多い層だ。
そもそもここまで来れる探索者が少ないという現実もあるのだが。
「これからは増えるといいけどな」
「キャシーに期待しましょう」
その時小麦さんが、浅く雪が積もっている平原のような場所に、時折、ぽこんと出来ている小山を指差して言った。
「あれはなんです?」
「モンスターらしいですよ」
下調べしてきたらしい三代さんが言った。
「モンスター? あれが?」
「スノーアルミーラージは、ああやってじっとして雪に埋もれている個体が居るらしいです。不用意に近づくと――」
そのひとつにガルムが近づいて、クンクンと小山を嗅ごうとした瞬間、中から80cm近い兎が跳びだしてきて、その角でガルムに突撃した。
「ああなるそうです」
「ほへー」
ガルムはその攻撃を軽やかに躱して、逆にアルミラージの首筋に噛みついていた。
やはり、ただのヘルハウンドよりもずっと強いよな、こいつら。
この氷雪層で登場するモンスターのうち、階段間のルートで登場するのは、ほぼスノーアルミラージだけだった。
人型の、イエティやアボミナブルは、雪の降る視界の悪いエリアに、アイスクロウラーは、1m近い積雪のエリアに登場するらしい。
俺達は、大した障害もなく、氷雪層を通過していった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「さて、マイトレーヤの諸君」
21層へ降りる階段まで後少しのところで、俺は彼女たちを集めた。
階段の側には、多分自衛隊の通信部隊が居るはずだからだ。
「なんです、芳村さん。改まって」
三代さんが不思議な顔をして聞いた。
「今回の探索はここからが本番です」
「え? 私たちにオーブを使用させるのが目的だったんじゃないんですか?」
「最初はそうだったんだけど、ちょっと状況がね」
「状況?」
俺は、暖かい飲み物を魔法瓶っぽい入れものから注いで全員に渡すと、鉱石ドロップの決定に意識がかかわる可能性を、彼女たちに説明した。
「え、それって本当なんですか?」
小麦さんが震えながらそう聞いた。
「え? まあ、今のところ、そうとしか考えられない現象が――」
「きゃっほー! それって、好きな石選び放題ってことですよね!?」
俺の台詞は、彼女の爆発した喜びで遮られた。
彼女は、クーと一緒に、雪の上を、まるでウサギのようにびょんぴょんと飛び跳ねて喜んでいる。
「ま、まあそうだけど……全フロア宝石はちょっと……ね、聞いてる?」
「先輩、私たちもしかして人選を誤ったんじゃ」
「いや、ちょっと、俺もそんな気が……まあ、喜び方は三好と似てるけどな」
「ええー?」
こいつのは更にくるくる回るドリルダンスが付いてくる。
俺は仕方なく、バランスパックから、二つのオーブケースを取り出した。
それを見た三代さんが、まさかと顔を引きつらせた。
「というわけで、はいこれ」
「……なんですこれ?」
「これがないと、鉱石はドロップしないんだよ」
「まさか、マイニング?! ええ? 何、この時間?!」
それに触れて確認した三代さんが、驚きの声を上げた。
オーブカウントを信じるなら、それは昨夜ドロップしたばかりだった。とれたてのほやほやだ。
「たぶん、マイトレーヤはこれからしばらく鉱物の探索が主要業務になるから……」
「ええ? 20層以降で活動するってことですか?」
彼女は不安そうにそう言った。
今回十分通用しているとは言え、つい最近までは5~9層で活動していたパーティの一員だ。不安にもなるだろう。
その点、3層以降は初体験の小麦さんのほうが落ち着いていた。
「さすがにテント生活は二人だと厳しいだろうし、ちゃんと安全な拠点は用意するつもりだから」
今年の頭に、できたと三好が言っていた「アレ」。それはスライム対策が施された簡易拠点用施設なのだ。
間に合わせで用意したドリーと違って、ちゃんと家として設計された施設で、その名もDPハウス。
ダンジョンパワーズハウスなのかと聞いたら、どこでもプロバイドハウスなんだとか。いや、お前、どう考えてもそれ、絶対後付けのこじつけだろう。
ともあれ、ひとつ2億5千万円もする逸品だ。今は三好の収納庫の中に2軒が収納されていた。
それ以上はちょっと重さに不安があったのだ。なお収納庫の限界は未だに分かっていない。
今回はDPハウスの建設予定地も視察するつもりだったのだ。
小麦さんは、「段々、人間を辞めるのが楽しくなってきました!」と言いながら、嬉々としてマイニングを使った。
三代さんは、「私は、人間を辞めるのはちょっと怖いですけど」と言って、おそるおそるマイニングを使った。
それが落ち着いたのを見て、俺は、さらに二つのオーブケースをバランスパックから取り出した。
「まだ、何か使うんですか?!」
もう、驚き疲れたかのように、三代さんがげっそりしながらそう言った。
「そうは言っても、ふたりともVITが普通の人並みで危ないからさ」
使用オーブは、物理耐性だ。
「実は芳村さん、スキルオーブを好きに作れるスキルとか持ってません?」
三代さんがジト目でオーブを受け取りながらそう言った。
「いや、そんな便利なスキルがあるんなら、もっと派手なスキルを作るよ」
「それはそうですが……なにか制限があるとか」
ぶつぶつ言っている彼女を尻目に、小麦さんはオーブを使ってポーズを決めていた。
そうして俺達はついに21層へと到達した。




