§108 ダンジョン下の話事情 1/26 (sat)
土曜日の早朝。俺達は代々木に集合していた。
三代さん達は、ステータスを弄ってから後も休まずに潜り続けていたようで、ステータスポイントが8ポイント程増えていた。
「有給、取りました!」
小麦さんが鼻息も荒くそう言った。
実はその件に関して、鳴瀬さんがGIJからクレームというか、愚痴が来てましたと苦笑していた。
どうやら、無理矢理申請して、無理矢理もぎ取ってきたらしい。
「芳村さん、その荷物重くないんですか?」
大きな荷物を背負った俺を心配するように、三代さんが聞いてきた。
いかにバランスが良いといっても、80L近いバックパックは結構な大きさになる。
「いやまあ、普通かな」
「意外と力があるんですね」
「まあ、それなりに」
実は中身は空洞で、三好が膨らんでいるように見せるプラスティックの枠を入れただけなので、たぶん4Kgも無いはずだ。
もちろん、ステータスを最大に戻してあるので、4Kgが40Kgだって問題にはならないわけだが、運動エネルギーは10倍だ。
それを持った状態で激しい運動をしたりしたら、ストラップや各部にかかる負荷だってバカにならない。俺は平気でも、それらはちぎれ飛ぶかもしれないのだ。
「ほらほら、先輩。まずは10層まで一気に下りますよ」
三好が先頭で、移動のフォーメーションを指示していた。
「10層までは、私が先導しますから、先輩はしんがりで。三代さんはチャンスがあったら矢を射て下さい。矢の数は心配しなくても構いませんから」
「え? そうなんですか?」
「準備は万端ですよ」
「わかりました」
俺達は、三好を先頭に、三代さんと小麦さんを挟んで、俺がしんがりを勤める形で、探索を開始した。
とはいえ10層までは、ただ最短距離を進んでいくだけなので探索と言うよりも移動だな。
「なんだか散歩みたいですね」
初めて降りる階層を、珍しそうにきょろきょろと見回しながら小麦さんが言った。
「うちは遠距離チームだから、近づけなければ一方的だよな」
「なんだか私たちがやってた探索と違うんですが……」
時折敵を見つけては、ただ矢を射るだけの三代さんが、呆れたように言った。
なにしろ、アルスルズが影から足止めしているのだ。通路に現れるモンスターは、フォレストウルフも、ワイルドボアも、ブラッドベアも、みんな一様にただの的だった。
「絵里ちゃん。私なんか、歩いてるだけだからね?」
攻撃手段がなにもない小麦さんは、確かに歩いているだけだったが、まるで観光旅行のようにそれを楽しんでいるようだった。
ふたりともAGIは20を越えているため、早歩きでも結構な速度になっている。
1層平均30分ちょい。6時間程で10層に到達したのだから、なかなか優秀なタイムだろう。
10層へと降りる階段の9層側で、俺達は昼ご飯にした。
初日だからお弁当だ。今回は、ボリュームのある洋風幕の内だ。
三代さんが白身魚のソテーにラヴィゴットソースがかかったものを頬張って言った。
ラヴィゴットソースは、お酢が基本のソースだけあって、使用する酢や香草のバリエーションで無限に広がる使い勝手の良いソースだ。
大抵は冷製に使われるからお弁当にも向いている。今回のものは、トマトの酸を中心に、バルサミコとワインビネガーを少量ずつ使って味を調えた、現代イタリア風のラヴィゴットだ。
「このお弁当、妙に豪華で美味しいですけど、出来合いですよね? 何処に売ってるんです?」
「それなぁ、三好が近所の弁当屋にわざわざ発注したやつなんだよ」
「ええ?! そんな面倒なこと、数食単位でやってくれるんですか?!」
「あー、それは……ちょっと無理じゃないかな」
発注個数は、100食単位だもんな。
小麦さんは我関せずといった様子で、夢中でうまうまとお弁当を頬張っている。
「ですよねぇ……でもお弁当屋さんにしては、ハンバーグのソースも、お魚のソースも、なんだか業務用缶詰って感じじゃないですけど……」
「お、三代さん、わかりますか?」
三好が、ハンバーグをフォークでカットして、ぱくりと食べてから言った。
「このお弁当屋さんは、元ビストロのオーナーシェフで、ソースもちゃんと自前で作られてるんですよ」
「へー。美味しいのに、どうしてお店を閉めてお弁当屋さんになったんでしょうね?」
「センスが無かったんじゃないですかね?」
「え? え? け、経営の?」
三好のあまりに実も蓋もない感想に、三代さんのほうが恐縮していた。
ナポリタン風に味付けされたペンネにフォークを突き刺した三好が、それをタクトのように振りながら言った。
「古典的なソースは、作るのにやたらと手間がかかるものが多いんですけど、センスの介在する余地があまりありません。レシピ通りに作れば大体誰にでも完成度の高いソースが作れるんです」
「例えばドゥミグラスなんか、完成度が高すぎて味が画一的になるっていう理由で使われなくなったって、エスコフィエが言ってますから。誰でも同じ味になるってことですよね。まるでふじっ子みたいです」
「なんだよ、ふじっ子って」
「しりません? 塩昆布」
「おつけものに入れても、炒飯に入れても、果てはパスターのソースまで、何でも手軽に美味しく出来ちゃうんですけど、なにしろ全てがふじっ子味になっちゃうんです。森博嗣のミステリーみたいなアイテムですよね」
「すべてがFになるのか?」
「です」
『すべてがFになる』は、森博嗣が1996に発表したミステリーだ。
もちろんFはFUJIKKOとはなんの関係もなくて、16進数のF、つまり15の事なのだが。
「ところが現代では、流通が進歩したおかげで新鮮な素材が簡単に手に入るようになりました。素材の味を生かすような軽いソースのほうが、センスが要求されるんですよ」
超老舗とかならともかく、ちょっと気張ったときに行くような街のレストランだと、どんな素材も同じような味になってしまう古典的なソースばかり提供していては客足が遠のくだろう。
素材ドンッ、ソースドバッ、でもって、ガルニがちょぼちょぼってパターンじゃ、インスタ映えもしないしな。
もっとも最近ではそれを逆手にとって、インスタ映えしないことを売りにするようなお店も登場してきているようだが。
「とにかく、基本的に真面目な仕事ぶりですし、お弁当屋さんとしては破格の美味しさですから、きっと、こっちの道のほうが成功されると思いますよ。冷えても美味しいことが要求されるお弁当は、クラシカルなソースとも相性がいいですし」
そう言って、今度はローズマリー風味の鶏のソテーを頬張った。
「ところで先輩。ふじっ子って、もっとこまかく2ミリ角くらいにカットした、もう完全に調味料として割り切った商品を出せば、売れるんじゃないかと思うんですけど、どう思います?」
「包丁で刻めばいいだろ」
「先輩、あれは濡れてないと、そう簡単には刻めませんよ? ミキサーにかけると粉々になっちゃいますしねぇ……」
三好は美味しい物が好きなだけで、原理主義的なところがない。
だから化調を、それがただ化調というだけで毛嫌いしたりはしないし、適材適所だと考えているようだ。
そもそも、現代日本で便利に生きてりゃ、化調ゼロなんて生活が出来るはずないもんな。
「はー、ご馳走様ー」
もくもくとお弁当を食べていた小麦さんが、満足げにそう言うと、三好になにか耳打ちしていた。
なんだろう?
「先輩。先輩。ついに秘密兵器の出番ですよ」
「あー、あれか」
ダンジョン探索用アイテムの中で、『WDA最大の発明品』『ダンジョンが人間の文明に及ぼした最大の功績』などと言われる、ふたつのアイテムがある。
どちらも、WDAが、わざわざメーカーに頼んで開発させたといういわく付きのアイテムだ。
ひとつは、発売以来パーティ所有率No.1を一度も譲ったことがないアイテムで、代々木で言えば、5層より先へ向かうパーティでの普及率は、事実上100%以上だろう。
その機能は非常にシンプルで、ワンタッチで視界を遮る個室を作り出すこと、ただそれだけだ。その名も――
「ルーとはまた、ストレートなネーミングだよな」
俺は、そのアイテムをバックパックから取り出すようなふりで、保管庫から取り出した。
ルーは、主に女性が使う口語で、トイレを意味する英単語なのだ。
中世。まだ家にトイレが無く、皆、おまるのようなものを使っていた時代、排泄物は窓から投げ捨てられていた。
下を通っていた人がそれを被る事故を防ぐため、投げ捨てるときには、ガーディールー!と叫んで警告していたらしい。意味は『水に気をつけろ!』だ。
本を正せば、フランス語の Gardez l'eau からの借用だと言うことだが、ダンジョン内のトイレ事情は中世と同じっていう、WDAのブラックなジョークだと考えるのは穿ちすぎだろうか。
するすると4本の細い足を伸ばして、頂点の紐を引っ張るだけで、ああら不思議。一瞬で高さ1.6m、周囲が1m四方程度の部屋ができあがる。
トップ部分にベンチレーションファンが付いたバージョンもあるらしい。
因みに床はない。
非常に軽い分とても脆く、少し力を入れると簡単に壊れてしまう。一時的に視界を遮る以外のことは、本当に何もできないアイテムだった。
用を足している最中に、ヒョイと持ち上げる悪戯が一瞬だけ流行ったが、WDAが悪質な例を取り上げて、対象者を免取りにしたことで沈静化した。
もっともそれ以前に、俺の知り合いにそんな事をしたら最後、間違いなくヤられる。
視界の問題はルーで解決したが、排泄物の処理はそうはいかない。
普通の野外なら、穴でも掘って埋めればいいのだろうが、ダンジョンの場合は、床に壁が露出している部分では、決して穴など掘れはしない。
当初は従来からある簡易トイレが、ルーと共に利用されていたが、流石に使い勝手が良いとは言えなかった。
そこで登場したのが、ルーと双璧をなす発明品、その名も『パウダー』だ。日本の探索者の間では『ふりかけ』と呼ばれている。
これこそテクノアメニティの雄、日本触媒が、JDAと共同でダンジョン素材と高吸水性高分子素材から作り出した、発売以来、探索者購入率No.1を一度も譲ったことがない伝説のアイテムなのである。
世界的に見ても、ダンジョン素材を利用した、もっとも成功した商品だろう。
こちらの機能も、たった一つ。
排泄物に振りかけると、それが一瞬で灰のような物質になり、粉になって消えてなくなるというものだ。
ただし紙は残る。その問題を解決すべく、この素材を利用した布や紙も開発が進んでいるらしい。
ダンジョン内で排泄してお尻を拭く。
たったそれだけのことに、人類の叡智が結集しているというのが、実に下らなくて素晴らしい。こういう研究はとても楽しそうだ。
「ふりかけは、中に置いておくから」
「ありがとうございます。じゃ、先輩は少し離れてまわりの警戒をお願いします。コロニアルワームが出たら、体を張って止めて下さいね」
ここでアルスルズですむじゃんなどと言ってはいけない。
男には近寄ってはいけない聖なる場所とタイミングがあるのだ。
「その、妙にフラグっぽい発言はやめろよな」
「終わったら呼びますから。先輩、トイレは?」
「大丈夫だ」
俺は手をひらひらと振ると、ルーから離れた。
ルーのまわりにはカヴァスとアイスレムが陣取って、こちらを見ていた。うん、この場合、最も警戒する対象は俺ですよね。わかります。




