§105 ダンジョンキャンプの準備 1/24 (thu)
明けて24日の朝、俺は事務所の台所で、朝のコーヒーを貰いながら、小麦さんに召喚を渡す件を相談していた。
「週末ですか?」
「ああ。三好にも付いてきて貰いたいんだけど」
三好は、おそらく世界で唯一の、召喚魔法のエキスパートだ。俺じゃ、アドバイスのしようがない。
「それは構いませんけど、ドリーはどうするんです? メイキングと収納系はまだ秘密ですよね?」
「いまのところはな。三代さんがいるから、二人を8層に泊まらせて、その足で10層に行けば使おうと思えば使えるけど」
「うーん」
三好が珍しく、難しい顔をして考え込んだ。
「どうした?」
「先輩。我々は、一度くらいちゃんとした探索者としてのキャンプを経験するべきだと思うんです」
「それは、こないだ言ってたリアルの経験値的なことでか?」
「もちろんそれもあるんですけど、これからは横浜みたいに、普通の探索者と交流することが増えると思うんです」
「まあ、ブートキャンプも一般に公開され始めるしな」
「その時、普通の探索者っぽいことも1度くらいは経験しておかないと、ボロがでちゃうかも知れないじゃないですか」
「それは確かに一理あるが……普通の探索ってどんな荷物を持って行けばいいんだ?」
「ほら、先輩。我々はたったその程度のことすら知らないんですよ?」
最初に保管庫を手に入れてしまったから、とにかく何でもかんでも必要そうなものは全部持ち歩いているもんなぁ……
取捨しろと言われると、なかなか難易度が高い。
「自らの無知を自覚することで、真の認識へといたろうって話?」
「真実の知への扉を開きに、買い物に行きましょうってことですね」
「買い物?」
「ダンジョンの中じゃ真実の知への扉が開かれようと開かれまいと、準備が出来てなければ死ぬことに変わりはありませんからね」
「買い物って、どこへ?」
「そりゃ、ダンジョンのことを教わるんですから、代々木のショップが妥当でしょ」
そういうわけで俺達は、代々木のダンジョンショップへと向かうことにした。
代々木のダンジョンショップは、ダンジョンのエントランスを出て、南側、渋谷区役所交差点方面へ向かう途中に並んでいる。
「今週はずっと良い天気ですね」
葉を落としきった街路樹に挟まれた、エントランスから続く石畳の道を、コートのポケットに手を突っ込んだ三好が、俺の少し前で白い息を吐きながら楽しそうに歩いている。
「寒いけどな。しかしダンジョンショップか。まともに利用するのは初心者セットを購入したとき以来か?」
「私たちの冒険の準備は、デパチカや近所のお弁当屋さんでの買い物が多かったですからねー」
「食べ物以外は、ほとんど通販だしな」
さすがに2.5cmの鉄球1万個なんてのは、ダンジョンショップには売られていない。
「今日はパックと――あとはテントですか?」
「一応、必要な物を一通り聞いてみないとな」
空から舞い降りてきた、人に慣れた鳩が、我が物顔でちょんちょんと俺達の前を横切っていった。
「いらっしゃいませ~」
ドアを入ると、茶髪の店員が声をかけてきた。
今時珍しいように思える積極的な接客だが、ダンジョンショップは適切な装備を売るという建前で作られたJDAの出先機関なので、店員もダンジョン管理課の職員が多いらしく、相談相手として積極的に接客するらしい。
「今日はどういった物をお探しですか?」
「ビッグサイズのバックパックを見たいんですけど」
「ではこちらへどうぞ」
そう言って俺達は店の奥へと案内された。
「先輩、先輩、これどうです?」
そういって三好が棚から取り出してきたのは、先月末にちょっと話題になっていた、CWFというブランドのバックパッカーズクローゼットだった。
普通のリュックサックの形状だが、高さが1mもある、何に使うんだかよくわからないお化け商品だ。
「なんと容量180Lですよ! そこらへんの大容量バックパックなんか相手にもなりません!」
「いや、それはいいんだけどさ、なんだか、ものを沢山詰めたら壊れそうな雰囲気が……なんでダンジョンショップにこんなものが?」
それを聞いた店員が補足してくれた。
「キャニオンワークスさんは、自衛隊やレスキューのユニフォームも手がけていますから、それなりに丈夫なんですよ? さすがにダンジョン内での使用はお薦めできませんけど」
ダンジョンショップとはいえ、探索者だけが利用するわけではないため、単なる山歩き用の商品や、話題のアイテムなども多少は取りそろえてあるのだそうだ。
このお化けリュックサックは、名前の通り、ちょっと変わったクロゼットとして、インテリアに利用したりするらしい。
「容量の大きいのがいいんですか?」
「ええ、まあ」
「じゃ、少々お待ち下さい」
そう言って、店員は大きいサイズの在庫を確認に行った。
「あんまり大きいのは、体格的にどうかな?」
「そうですけど、どうせ荷物なんかまともに入れませんよね? 取り出す振りをするためのアイテムですから、ある程度大きさがないと変に思われますよ?」
「……一般の探索を経験するんじゃなかったのか?」
ジト目で見ながら俺がそう言うと、三好はフンスと鼻の穴を広げて、「それはそれ、これはこれ、ですよ!」とドヤ顔で言い切った。
「もちろん50Kg以上の荷物を背負って長時間歩き、あげくにモンスターと戦いたいというのなら止めはしませんが……」
「私が間違っていました。是非、そのプランを採用いたしたいと思います」
「ですよね」
いくらステータスが高くなったからと言って、楽が出来るというのなら出来るだけ楽したい。それが人間なのだ。
「お待たせしました。100Lオーバーはちょっと在庫が少ないんですが……今うちにある最大のものは、ベルガンスのアルピニスト・ラージ130ですね」
そう言って彼女は実物を見せてくれた。
「で、でかい……」
「バックパックでは最大容量と言われてるやつですね。フリチョフ・ナンセン御用達メーカーです」
「誰それ?」
「先輩……一応ノーベル平和賞受賞者なんですけど。19世紀末に北極点を目指した探検家ですよ」
「すまん、初めて聞いた」
「昔のノルウェーのお札にも描かれていたって言うのに」
「ノルウェーの紙幣? お前見たことあるの?」
「あるわけないですよ。50年以上昔の話ですもん。学際のクイズイベント対策でノーベル賞受賞者を覚えたときに派生トリビアとして知っただけです」
「あのな……」
しかし、これはでかい。190近い身長がないと辛そうだ。
「ちょっと大きすぎますね」
「では、探索者御用達、スカンジナビア3国の軍公認バックパックはいかがです?」
そう言って彼女が紹介してくれたのは、ノローナのリーコン・シンクロフレックスパックだった。
「125Lで、さきほどのベルガンスよりは小さいですけど……」
こいつも、後ろ向きにひっくり返りそうだ。しかもさっきのも今度のも、5Kg近くあって、パック自体がかなりの重量だ。
「やっぱ、これを背負って戦闘とか無理じゃないか?」
「え? 戦闘もされるんですか?! これらは大体、従軍か、ポーター用のものなんですけど……」
つまりは運ぶだけ用ってことだ。
レンジャーや軍だって、戦闘を行うときは、下ろすんだろう。。
「じゃあ100Lを多少切っても構いませんから、身につけたまま戦闘もできそうなバランスの良い物はありますか?」
店員は少し考えていたが、近くの棚からひとつのパックを取り出した。
「それでしたら、これはいかがでしょう」
取り出されたのはaarnのナチュラルバランスLだった。
「バックパックは70L弱ですけど、フロントにバランスポケット7Lを2個つけられるので、全体で80Lくらいになります」
それはポケットのないロールトップのパックだった。
「良い感じだけど、トレッキングモデルだから、ストラップの強度なんかが心配だな」
そう言うと店員が、そう言われると思っていましたという顔で、「実は同一形状でダンジョンモデルがあります」と言った。
何故そっちを出さないのかと聞くと、値段が10倍以上違うのだそうだ。
それを見せてくれと言うと、倉庫まで取りに言ってくれるようだった。
「使い慣れているプロならともかく、120Lでも80Lでも、こまこまと取り出してれば大差ないし、ばれないだろ」
「そうですね。明らかに入らないサイズとかが出てこなければ」
「そもそも、中で出現させてから取り出すとしたら、パックに入らないサイズは取り出しようがないから大丈夫だろ」
俺は笑ってそう言った。手品じゃないんだからな。
あと、このパックはポケットがないデザインなのがいい。
本来なら使いにくいと言うことになるかも知れないが、俺の場合は取り出し口がひとつのほうが擬装が楽で良いのだ。
小さいものは前面のバランスポケットに入れればいいしな。
「大きさはそれなりにごまかせそうですけど、お弁当はを数日にわたって取り出すのは、ちょっと無理ですよね」
「食べ物な。その辺は、後でちょっと考えておく必要があるよな」
美味しく楽しい食生活は重要なのだ。例えそれがダンジョンの中だとしても。
「お待たせしました。こちらが、ナチュラルバランスのダンジョンモデルとなります」
それは同じ形状をしたパックだったが、ストラップが耐刃性のある素材で丈夫に作られていた。バッグの素材も、より強度のあるものが使われ、単体で完全防水になっている。
そして、一番の違いは、色が黒だった。
「トレッキング用は、視認性を高める派手な色が多いのですが、ダンジョン内では暗い場所で目立たない色になっています」
目立ってモンスターに襲われるのは嫌だもんな。
「わかりました。これをいただけますか」
「ありがとうございます」
「それと、軽くてコンパクトなテントが欲しいのですが」
「ダンジョン用ですか?」
「はい」
「ダンジョンの中で設営するような場所は、強風が吹き荒れるわけでも豪雨がふるわけでもありませんし、立派な物でもモンスターにかかれば紙と同じですから、軽くてコンパクトで、設営が簡単なスノーピークのファル Pro.air あたりが人気ですよ」
店員が見せてくれたのは、え?これがテントなのと思わず首をかしげそうなサイズの袋だった。
「それなら2つ持って行っても平気ですね」
「ふたつ?」
「先輩、彼女たちと同じテントに泊まるというのはちょっと……」
「ああ、そうか。三好と同じ扱いじゃダメだよな」
「それはそれで、なにかムカつくんですけど」
「で、マットなんですけど」
「マット?」
おもわず聞き返した俺に、店員さんが教えてくれたところによると、設営はテントや寝袋よりもマットのほうが重要なのだそうだ。
探索者の中には、テントを使わずマットだけですませる人も多いらしい。天候が変化せず、虫の類もいないダンジョンでは、テントなしでも困らないのだそうだ。
とは言え女性がいる場合は、視線を遮ることの出来るテントも重要なのだとか。
「さすがに袋に入るタイプの寝袋は、襲われたときにすぐ行動できませんから使用する探索者はいませんね」
一通り店員の説明を聞いてみたが、マットの善し悪しなどよくわからないので、希望を言っておまかせで、モンベルのU.L.コンフォートシステムパッドを選んで貰った。
その後、通常ダンジョンに持って行くであろう細々としたアイテムも、教えて貰いながらまとめて購入した。
いろいろとレクチャーして貰った結果、なんとか最低限のダンジョン内キャンプの知識を得ることができたような気がする。
ダンジョン内設営の手引きみたいな小冊子まで出てきたときは、さすがはJDAの出先機関だけのことはあるなと、感心した。
「ふっふっふ、これでダンジョン内設営の常識はゲットですよ!」
「だと良いがな」
一応、他にもいろんな物を用意しておこう。
いざというときに自重するのはバカのやることだ。ダンジョンの中じゃ、俺達の秘密より、自分と彼女たちの命のほうが大切なのだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇
そのころ、JDA市ヶ谷のダンジョン管理課では、美晴が新たに持ち込んできた問題に、斎賀課長が頭を抱えていた。
「今度は、横浜を借りたい?」
「できれば1階を買い取って、1層を借りたいそうですけど、あそこの1階ってJDAの所有でしたよね?」
「そうだ。無過失責任をおそれたビルの経営陣が、土地の所有権を主張しないという条件で1階を格安で押しつけてきたんだ」
「押しつけた?」
「まあ、そう言うのが妥当だろうな。確か1億もしなかったはずだ」
斎賀は手元の端末で横浜の情報を呼びだした。
「8700万だな」
「まるで賃貸価格ですね」
「以前は各種ショップなんかも入って賑わっていたんだが、今は全て閉店して、実態だけ見ればちょっとした廃墟だな」
斎賀は頭の後ろで手を組むと、椅子の背に深く体を預けた。
「Dパワーズなら法人もあるし、資産も充分だろうから、むこうの経営会社の許可も下りるとは思うが……あいつら、あんな不良債権をどうしようって言うんだ?」
「代々木では広すぎてできない、なにかの実験に使いたいそうです」
「広すぎて出来ない実験ってなんだ?」
「一応概要は聞いたんですが、ダンジョン特許の申請前なので詳細は明かせないと言われました」
斎賀は色々考えていたが、何も思いつかなかった。
「もしかして、ガチャの占有狙いか?」
「いえ、2層以降はいらないそうです」
「いらない? しかし1階を買い取りたいんだろう? なら、一般の探索者はどうやって2層へ――って、ゲートか?」
「はい、JDAの受付は地下駐車場のゲート側に作って欲しいとのことです」
「一応他の部署にも話をしてみないとわからんが、財務あたりは渡りに船とばかりに、万々歳で手放しそうだな」
一般の利用者はほとんどいないし、いても2層以降が目的だ。なにしろ通称がガチャダンなのだ。
食糧ドロップやテレパシーに関連した登録ラッシュにも無縁だ。それには1層のモンスターが強すぎて危険だからだ。
管理課としても、利用者一人当たりに換算したコストが非常に大きいダンジョンだから、それが小さな受付ひとつで済むのであれば利点しかない。
利点しかないはずなのだが――
「それを提案したのがDパワーズだって言うだけで、なにかこう引っかかるものがあるんだよな」
「さすがにそれは考えすぎでは」
美晴は苦笑した。
「尻に入った傘は開けないって言うだろ」
「寡聞にして存じません。なんですか、それ?」
「トルコの諺らしいぞ。マズいことになってから後悔しても、手遅れって意味だ」
「何でトルコなんです?」
「まだ起こっていないやばそうな事態を、クソッタレな気分で言うときにぴったりの言葉だからだな」
課長も結構溜まってるな、と美晴は少し同情したが、こっちはこっちで、すでにいろんな事が後の祭りなのだ。
多少は課長にも苦労して貰わなきゃ、と、ザ・インタプリタは開き直った。
「とにかく関係各所には連絡を入れておく。おそらく通るだろうが、確実になるまで彼女たちには黙っておくように」
「わかりました」
その時、スマホの振動が、渦中のDパワーズからのメールの着信を告げた。




