§101 追いかけてヨコハマ 1/20 (sun)
先日JDAから、支払い調書というか、ダンジョン税の支払い証明のようなものが送られて来た。そろそろ確定申告の時期なのだ。
そこに書かれた徴収された税金の桁数を見て少し気が遠くなったことは内緒だ。
三好曰く「絶対還付はありませんけど、ダンジョン収入は特殊なので必ず申告して下さい」とのことだった。
ダンジョン税関連はシンプルだが、従来の税制に比べればとても特殊なので、ちゃんと申告しておかないと、意味不明な金額の所得税が課税されたりするのだそうだ。
「ある意味、さまよえる館よりも恐ろしいので忘れないで下さいね」と念を押された。
足りない方は、間違いを厳密に指摘してくれるが、取る方は間違ってても知らん顔で持って行く。それが税務署だ。
まあ、取るのが仕事だから、多く納めてくれる方はチェックがないんだろうけどさ。
しかたなく、確定申告のための事務処理をしていたら、めずらしく三好から電話がかかってきた。
いや、だって、すぐ下にいるんだぜ?
「はい。芳村です」
「先輩! 見つかりましたよ!」
「見つかったって、なにが?」
「実験室に使えそうな、小さなフロアのダンジョンです!」
え? マジ?
「今、事務所か?」
「はい」
「すぐ行く」
そう言って電話を切ると、作成中のデータをセーブして、それでもちゃんとシャワーを浴びてから事務所へと下りていった。
身だしなみは重要だ。特に女性と会うときは。例えそれが三好でもな。
「先輩! 遅い!」
「いや、遅いって……それで、どこにあるんだ、そのダンジョン」
「横浜です」
「横浜?」
横浜ダンジョンは、桜木町駅前の、とある大型の商業ビルの建設中に出現したダンジョンだ。
ザ・リングと同様、地下層にある既存施設がそのままダンジョン化したタイプで、そのため全9フロアだろうと考えられている。
一時はビルの建設自体が危ぶまれたが、地下部分を物理的に隔離することで2階から上を計画通り建設し、ダンジョンビルなんて愛称をつけて営業開始しちゃうところが日本の凄いところだろう。
もっとも、流石に1階は一般には開放されておらず、ダンジョンの監視施設が作られていた。
建設当時は、ダンジョン化した部分には非破壊属性が付与されるため、建物の基礎が丈夫になったと思えばいいなんて発言をした当時の横浜市長のtwitterが炎上していたっけ。
都市部にできた、僅か9層、しかも既存建築物のダンジョン化なので代々木のような広大な広さもない。
そんなダンジョンが、未だにクリアされていないのは、このダンジョンの特殊性が原因だった。
地下1階以外の、全地下駐車場フロアがボス部屋で、倒すと必ず宝箱が登場するところから付いた名前が、ガチャダン。
リポップするボスも、宝箱の中身もガチャのようにバリエーションに溢れていたからだ。
分かり易い射幸性もあって一時は盛り上がっていたのだが、すぐにそれは下火になり、今では、代々木と違って利用者のほぼいないダンジョンになっている。
このダンジョンに人がいない理由はふたつ。
ひとつは、ボスのリポップ時間が4時間と微妙な長さであることだ。つまり誰かが討伐すれば、次のチャンスは4時間後、雑魚狩りをしようにも、ボス部屋にランダムリポップの雑魚はいないのだ。
そしてもうひとつにして最大の理由は、モンスターの強さにあった。
一言で言うと、ものすごく強かったのだ。
代々木比較で言うなら、各層x8くらいの強さではないかと言われている。最初に挑んだ自衛隊のチームは3層で引き返したそうだ。
ゲートから戦車で侵入して、なんて案もあったらしいが、一般的な地下駐車場には陸上自衛隊の戦闘車両は背が高すぎて入れない。
今ではゲート側は何かが出てこないように強力な扉が何重にも作られて施錠され、入ダンはクラスB以上に制限されていた。
「いや、あそこは地下駐車場だけに、かなり広いだろ? そりゃ、代々木の広さと比べれば狭いだろうけど。あれが最小じゃ、結局なにかのテストには使えないな」
「先輩。結論を急いじゃいけません。あのダンジョン、モンスターがガチで強力じゃないですか」
「そう聞いたな。たしか、自衛隊の部隊が3層で引き返したっきり、誰もその先へ進んでないんじゃないか?」
「今では入ダンもランクで制限されてますからね。でもそれっておかしくないか? と調べた人がいるんですよ」
「おかしいって、モンスターの強さがか?」
「そうです。宮内典弘31歳。人呼んで、ガチャダンマスター・テンコーですよ」
それを聞いて俺は微妙な顔をした。
「……世の中にはいろんな2つ名の人がいるんだな」
「彼の場合は元自称ですけどね。みんながおもしろがって定着したタイプです」
「自称でそれ? つまりそういう成りきりタイプの人?」
「ともかく彼は、ダンジョンへ下りていく階段の1段1段がダンジョンのフロアなんじゃないかと言う仮説を立てたんですよ」
「おいおい、それって……」
建築基準法の規定だと屋内に作られる階段の、1段の高さは23cm以下で、奥行きは15cm以上だ。
地下駐車場の天井は結構低いとはいえ、梁の部分や床の厚みを考えれば、ざっと1フロア3mはあるだろう。そして、階段の高さを20cmとすると、おおおそ15段か。
15層の後に駐車場フロア、と考えると各フロアは16層の倍数に当たるってことか?
「それだとモンスターが弱すぎるんじゃないか?」
「そこは、1フロアがあまりに狭すぎて何かの制限があるとか、2段で1フロアだとか、言ってしまえばダンジョンの特質だとか、色々考えてらっしゃるみたいですね」
「ダンジョンの特質なんて言い出したら、なんでもありだろ」
「問題はそこじゃないんです。彼は1年かけて、ついに地下フロア以外でモンスターを発見したと主張しているんです」
「それって、その狭い階段で? そいつ、そっから出ないわけ?」
一般にモンスターは、攻撃されたりしない限り、自発的に自分が発生したフロアからは移動しない。
例外が1層から外部への移動だが、それもあまり頻繁には発生しないらしかった。
「違います。流石に階段での発生は確認されていません。Dファクターが足りないんですかね? 発生したのは踊り場だそうです。彼の言葉を借りるなら『踊り場フロア』です」
「踊り場か……」
「もしもそれが本当なら、世界で一番小さなダンジョンフロアだと断言できます」
それが本当かどうかは、ここで考えていてもわからない。ここは行動あるのみか。
「まあとにかく一度行ってみるか?」
「そうくるだろうと思って、テンコー氏にアポを取っておきました」
「え、連絡先公開してる人なんだ?」
「そらもう。リアルダンジョンヨコハマってブログ書いてますよ、この人。もちろんyoutubeにチャンネルも持ってます」
三好は、そのページが表示されたタブレットを指差して言った。
「はは……」
「セルフプロデュースがうまいのは悪い事じゃないですけどね」
「ま、まあな」
俺は色々と不安に感じながらも、三好と共に桜木町へと向かった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
代々木八幡から新宿経由で湘南新宿ラインに乗っても、代々木公園から、明治神宮前へ出てFライナーを使っても、横浜までは同じくらいの時間で到着する。
目的地までは、そこから根岸線で3分だ。
ただし値段は、前者のほうが100円も高くつく。いまだにせこい俺達は、八幡じゃなくて、つい代々木公園駅を使ってしまうのだった。
「いっぺん、タクシー捕まえて、横浜、とか言ってみたいよな」
「先輩。電車のほうが、ずっと早いし、時間に正確ですよ。たぶん」
確かに。都市部あるあるだよなぁ……
電車の吊革につかまった三好は、腰まであるストレートの黒髪を揺らしていた。
「三好、今日はその恰好なのか」
そう、今日の彼女は、先日のTV出演の時の変装だ。
「仕方ないですよ。Dパワーズの三好として会うんですもん。先輩こそ素のままでいいんですか?」
「大丈夫だろ。客観的に言って、単なるオマケだし」
「カレシ同伴ってわけですね」
「お前な……ま、知らない男に会うんだし、そういうカバーでも良いか」
「よろしくお願いしまーす」
代々木公園駅から電車に揺られること約1時間。JR桜木町駅に着いた俺達は、北改札を抜けて、東口へと折れた。
建物を出ると、目の前には、なんというか閑散としたとりとめのないデザインの広場が現れた。
「なんか、あれだな。駅前広場って言うより、ただのスペースって感じだな」
「それは仕方ありませんよ、ほら、床にある四角のエリアごとに貸し出されるイベントスペースなんですから、ここ」
広場の地面には、正方形に配置された赤煉瓦が、4つ組でさらに正方形に配置されたものがいくつか、スペースを表すように並んでいた。
「その左手のビルですね。ヌーヴォ・マーレ。通称ダンジョンビルです」
「こんな近いのか」
建設中は、なんとかマーレという名前だったらしいが、ダンジョンによって計画が中断された後、新たなるマーレってことで現在の名称になったようだ。
もっとも、ダンジョンビルと言う通称のほうが有名なのだが。
「待ち合わせ場所は――ほら、その2階に見える、椿屋カフェさんです。ギリギリですから、急ぎましょう」
三好はそう言うと、少し先にあるビルの階段を上がり始めた。
本来正面玄関にあたる部分は、JDAの管理事務所の入り口のようになっていて、1階と2階は内部では繋がっていないそうだ。
「あ、三好さん!」
俺達が椿屋の入り口をくぐると、一番奥の席にいた綺麗に日焼けした男が手を振った。
「あれが?」
「テンコーさんですね」
俺達が近づくと、男は嬉しそうに三好の手を握って握手したが、左手は自撮り棒でムービーを撮っていた。
最初っから、強烈な人だな。
「いやー、よくおいで下さいました。ワテがテンコーです」
ワ、ワテ? 今時そんな一人称使う人いたのか?
「えーっと、失礼ですけど、宮内さんって、神奈川の方ですよね?」
「自分、かったいなー。テンコー言うてや。これはやな――まあ、キャラ作りってやつですよ」
「はぁ」
スイッチがオフになったように、突然普通の関東人と化した彼の落差に、ちょっととまどった。
「ただのハマっ子が、横浜紹介しても普通でしょ? 私は湘南寄りですけど」
確かに綺麗に日焼けした感じと言い、昔、ちょっと爽やかなサーファーでしたって感じだな。
「それで、このいかにも似非な関西弁がわりと受けたんでね、以降、動画じゃそうしてるってわけ。だから気にせず――付き合ってーな、な?」
「はぁ、わかりました。じゃ、テンコーさんで?」
「よっしゃ、それで。よろしゅう頼むわ」
ちょっと古いメイドさんを彷彿とさせるコスチュームの店員が注文を取りに来た。
現代ギャルソン風の店員も、ちらほらと見かけるので、なんだか奇妙な感じだ。
オーダーが終わると、三好が早速切り出した。
「それで、メールでもお話ししましたが、『踊り場フロア』についてお聞きしたいんです」
「それそれ。自分ら信じてくれるん? あれな、上からちらっと、確かに見た思たんやけど、それ以降見えるところに出てきーへんねん」
「え、確認に行かれたんじゃ?」
「アホいいなや。ワテこれやもん」
そこで出されたWDAカードに書かれていたランクは――Cだった。
「ランクC?」
「せや。今のガチャダンは規制されてもて、B以上じゃなきゃ下りることもできへんからなぁ」
俺は思わず口に出した。
「え? 潜られてたんじゃ? ガチャダンマスターって……」
「ちゃんと行ってんけど? ただし、規制前はな」
彼は目を瞑るとしみじみと言った。
「行けへんようになって、ホント悲しいよ」
「いや、それで、どうやって調べたんです?」
彼の話によると、ダンジョンに下りるためには、Bランク以上が在籍するパーティじゃなければならないけれど、1階へはWDAカードがあれば入れるらしかった。
そこで、下り階段の先を未練がましく見ていると、角の踊り場でちらりとモンスターを見たような気がしたそうだ。
「興奮して確認しようとするやん? そしたら、係員に制止されてな」
「そりゃされますよ」
「ワテもうくやしゅーて、くやしゅーて。世紀の大発見やん? しらんけど」
(おい、三好。これ、大丈夫なんだろうな)
(うーん。ちょっと不安になってきましたねー)
俺は今、三代さんと三好の3人でパーティを組んでいるが、三代さんが20m以内にいるわけないので、三好と念話が出来るのだ。
「じゃあ、ちょっとこれから潜ってみますから、その踊り場の場所だけ教えて貰えますか?」
「え? あんたらB以上なんか?」
「え? ええまあ」
それを聞いた瞬間、テンコーさんはガバっと身を乗り出して、必死にアピールを始めた。
「発見したんはワテ! ワテやで!? ワテも連れてってんか! 後生やから! 頼むわ、三好さん!」
「え? だけど準備が?」
「20……いや15分で戻ってくるさかい、ほんっと頼むわ!」
「わ、わかりました。先にちょっと雰囲気だけ見ておきますから、30分後に入ダン受付の前で待ち合わせましょう」
「ホンマか!? おおきに! すぐ取ってくる!」
そう言って、いきなり立ち上がると、ダッシュして店を出て行った。
「濃い人だなぁ」
「そうですね。しかも請求書置いて行かれましたよ?」
「まあ、連絡したのはこっちだし。とにかく先にちょっと見てこようぜ。何かあってもこまるしな」
「了解です」
そうして俺達は、一旦ビルを出て、1階の受付へと足を運んだ。




