一生私の側から離れないで
一生シリーズのウィルノー編です。
是非読んでくださると嬉しいです。
アリスと初めて出会ったのは8歳の時。
王妃様が主催するお茶会に母上が呼ばれて、王宮までついていった時だった。
「ここはどこだ?」
世界一の美しさを誇ると言われるノルンステ王宮の中は幼かった私にとって好奇心をくすぐるものばかりで、勝手に母上の側から離れた私はいつのまにか迷ってしまっていた。
今いる場所が分からず、自分は迷ってしまったのだと理解した私はそのことに不安を抱きつつもそれに勝る好奇心で王宮の中を探索し続けた。
そうやってたどり着いた白いアマリリスが咲き誇る花畑で、私は蹲る美しい赤髪の妖精と出会った。
その妖精こそ、アリスティアだった。
その時に見たアリスがとても可愛らしくて、私は1人泣いているアリスに近づき、敬語を使わずに話しかけた。
その時はまだアリスが王女だと知らなかったのだ。
「どうしたの?どこか痛いの?」
「…誰ですの、貴方。
別に、どこも痛くなんてありませんわ。
だから早くこの場から立ち去ってくださいませ。」
そう涙目でこちらを睨んだ顔はとても大丈夫そうには見えなくて、私はしつこく話しかけた。
「本当に?」
「じゃあなんで泣いてるの?」
「何か悩み事があるの?」
そしてかれこれ10分くらい話しかけ続けた頃だろうか、彼女は呆れたようにやっと言葉を返してくれた。
その時の嬉しさといったら、言葉に出来ないものだった。
「ねぇ、どうして泣いてるの?
理由を言ってくれなきゃ分からないよ。」
「理由もなにも今出会ったばかりの貴方に教える義理はありませんわ。
そのしつこさは認めてあげますわ、だけど本当に迷惑ですの。
分かったなら早くその間抜け面ごと立ち去ってくださいませ。」
そう不機嫌そうに言い捨てた彼女はやはりどこか寂しげで、私は更にしつこく話しかける事にした。
そこには泣いているアリスが可愛くて、どうしても仲良くなりたいという下心も確かにあった。
「そんなに怖がらないで。
わざと酷いことを言って僕を突き放す必要はないよ。
僕はウィルノー・チェリスアって言うんだ。君の名前は?」
「…アリスティアですわ。
貴方、変わってますのね。
あれだけ言っても離れていかないなんて…もしかして頭がおかしい子なのかしら。」
「じゃあアリスだね!
え、そうかな?あれぐらいで君から離れるなんて、僕はもったいないと思うけど。
うーん…まぁ、アリスと話せるなら頭がおかしい子でいいよ。」
そうなんてことのないように言うと、アリスがふふっ、と笑い顔を綻ばせる。
泣いている顔も可愛かったが、やはり笑っていたほうが何百倍も可愛くて、思わず見惚れた。
「やっぱり、アリスは笑ってたほうが可愛いよ。」
「そ…そんなことありませんわ。
私はいつどんな時だって美しく、可愛らしいのです。」
そう言いながらも照れ臭そうに下を向く彼女を見て、私は初めて恋に落ちた。
それからというもの、母上と一緒に王宮へ参上する度に私は花畑へ行き、母上の茶会が終わるギリギリまでアリスと語り合った。
そしてたまにアリスそっくりの偉そうな少年…王太子様とも語り合った。
しかしアリスに口止めをされていたのだろう、私は王太子様だと知らないままタメ口を使ってしまい…とても失礼なことをしていた。
当時の私は社交の場に出ていなかったから仕方ないことかもしれないが、それでも不敬は不敬だ。
2年後のアリスと王太子様の誕生日パーティーで過ちに気づき震える私に王太子様は気にしなくて良いと言って下さったが、私は未だに引きずっている。
アリスを責めるつもりはないが…いや、もう過ぎたことは仕方ない。
私はあの時アリスのおかげで幸せな日々を過ごせたのだから。
そんな幸せな日々のある日、いつものように王宮の花畑へ行くとアリスの周辺にある花が無残に毟られていた。
何事かとアリスに近寄り、その手を見る。
すると普段は白魚のように美しい手が、土と無理やり毟った時に出来たのであろう切り傷から溢れた血で汚れていた。
私は慌てて持っていたハンカチでその手を拭う。
しかし、その手はすぐにアリスによって振り払われてしまった。
ハンカチは土の上に落ち、汚れてしまう。
私は戸惑いながら彼女に言葉をかけた。
「アリス、どうした?
何でもいいから、僕に言ってごらん?」
「…貴方にはわかりませんわ、私の気持ちなんて。
私は女だから、お兄様と違ってお父様やお母様に興味すら持ってもらえませんの。
今日だって…すれ違って挨拶をした時、目線すら合わせてくれませんでしたわ。
私がこんな家に生まれてしまったばかりに…他の家だったらきっと違ったのに。
貴方だって親に愛され、守られているのでしょう?
だから理解できるはずがない、孤独で虚しい私の気持ちなんて。
私には私を愛して側にいてくれる人や何の利益もなく守ってくれる人なんて、1人もいないですわっ!」
そう言ってアリスは涙をポロポロとこぼし、大声で泣きはじめた。
おそらくずっと我慢していたのだろう、私は震えるその身体をギュッと抱きしめた。
その気持ちは私にも痛いほど理解できるものだった。
何故なら私は父上に愛されていると実感したことは一度もなかったから。
「…僕も父上に興味を持ってもらったことがないんだ。
でもアリスの言う通り、母上がその分僕を愛し、守ってくれているから僕は苦しまないで済んだ。
だから、アリス。君のことは僕が守るよ。
寂しい時は側にいるし、怖い時は守ってあげる。」
そう優しく語りかけると、泣いていたアリスが顔を上げた。
「本当ですの?約束できる?」
「ああ、勿論。約束するよ。」
そう言って僕はアリスの左手をとり、薬指にキスを落とした。
「僕の命にかけて誓う!たとえ何があっても、僕はずっとアリスの側にいる。守ってみせるから。」
そう高らかに宣言するとアリスは安心したように再び泣きはじめ、私は慌ててまた抱きしめた。
きっとこの惨状を見た庭師も泣きたくなるだろうな、なんて事を思ったりしながら。
それからというものの、アリスは徐々に明るく、強くなっていった。
アリスと王太子様の10歳の誕生日パーティーの時なんて、何故自分が招待されたのかよく分からなかった私に王女だということを突然明かし、プレゼントとして私との婚約を望むという暴挙に出た。
どよめく周囲から隠れるようにアリスは私の背に隠れ、自分の失態に我を失いかけていた私も本能でアリスを庇うように立っていた。
周囲はその姿を見て身分差のあるこの婚約を許してくれたようなので、今となっては良かったことなのかもしれない。
以前そう言った時、アリスが誇らしげに「流石私ですわ。」と言っていたのを思い出す。
あの時「二度と経験したくはないけどね」と付け足したらアリスはきっと怒っただろうな。
私はクスッと笑った。
そして12歳を迎えた時。
学園に入る少し前に母上が風邪をこじらせ、はかなくなった。
最期まで私のことを気にかけていた母上は私によく言い聞かせるように言った。
「ウィルノー、大丈夫よ。
貴方は優しくて良い子だから、自分を信じて。」
きっと父上のことで、私の未来を憂いていたのだろう。
母上は亡くなる寸前まで、私を愛してくれていた。
母上が亡くなる瞬間まで黙って手を握っていた私は亡くなった後もしばらくその手を離せず、母上の身体が腐敗し始めて土に埋められた時はアリスが寄り添ってくれる中大声で泣いた。
その事は今でも鮮明に覚えている。
それからすぐだった、カイスが家に入れられたのは。
カイスは魔力の高い平民の娘と父の間にできた庶子だった。
私はカイスが同い年と聞き、すぐに気付いた。
父上は母上が1人しか産めないだろうと医者に言われた事を知り、私が生まれる前から私のスペアを用意していたのだ。
しかしカイスは私と比べものにならないほど全てにおいて優秀だった。
私のスペアであったはずの彼は、容易に私を超えていく。
その事に多少の焦りや劣等感を抱いたのは確かだったが、全く恨んでなどいなかった。
半分は自分の血を引いた弟だということや、つい最近母親を亡くしたという似た境遇に、親しみさえ感じていたのかもしれない。
その時の私はまだなんとか心のバランスを保つことが出来ていたのだ。
しかし、それは突然崩れ去る。
カイスが初めて社交の場に出た時、父上が私を置いてカイスの肩を抱き、周りの貴族に誇らしげに自慢していたのだ。
そんなことをしたら私はどうなるのか…庶子にも劣る嫡子と侮られ、悲惨な目に合うに決まっていた。
そして不運なことに、その日のパーティーは王女殿下が出る必要などないとある侯爵の比較的小さなものだった為、アリスは出席していなかった。
今考えると父上にはそれさえ計算の内だったのかもしれない。
私は1人孤独の中、周囲で飛び交う言葉や視線に怯えるしかなかった。
「庶子の方が優秀なんですって。」
「じゃあチェリスア伯爵の次代は庶子になるということですかな。」
「あら、あそこには既に貴族血筋がいるじゃない。」
「でもチェリスア伯爵のお気に入りは庶子よ。」
「庶子にも劣るなんぞ情けないな。」
情け容赦ない周囲の囁き声は刃となり、私を深く傷つけた。
しかしそれだけであれば、何とか耐え切れたのだ。
貴族のいやらしい囁き声なんて、元々あてにならないものだと知っていた私は聞き流すことが出来た。
それなのに…なんとか苦痛の時間を耐えきり帰宅した私を父上は書斎へ呼び出し、私に追い打ちをかけるかのように言った。
「ウィルノー、お前が使えないからカイスを家に入れたのだ。
お前が出来損ないだから、私は庶子を周囲に紹介した。
さすがにお前もその意味は理解しているだろう?
今は平和だからいいが、いつ破談するかわからない王女殿下との婚約以外にお前の価値はないと私は思っている。
カイスとミリナス家の令嬢の婚約も決まったことだし、嫡子とはいえお前の地位は安定していないものと思え。
恨むなら名家の令嬢だったくせにお前を出来損ないに産んだあの女を恨むんだな。
まぁ、もう死んでいるが。」
そう高らかに笑う自分によく似た父上の姿に、私は絶望した。
いくら私に興味がないとはいえ、どうして実の子にこんな仕打ちをするのか。
父上も、周囲も、どこまで私を傷つけようというのか。
全ては私が庶子のカイスに劣る出来損ないだからか?
ベッドの上で枕に顔を押し付けて声を押し殺しながら泣き叫ぶ。
そしてふと、以前自分達より高位の令息を呼び捨てにしていたカイスに厳しく注意をした時のことを思い出した。
それは弟への親切心からくるものだった。
しかしそれは弟に伝わらなかったのだろう。
公の場で泣かれそうになってひどく焦ったのをよく覚えている。
「兄上。何故私に強く当たるのですか?
私が庶子だからですか?」
そんなカイスの様子を見た周囲はさも私が悪いかのように受け取っただろう。
友人達は私を責めた。
それも、私が悪かったのか?
…いや、違う。
違う、違う違う違う違う違う!!
全ては、庶子のくせにカイスが出しゃばるせいじゃないか。
ルールも守れない卑しい身分の子のくせに。
父上が私に興味を持ってくれないのも、母上が侮辱されたのも、周囲が私を軽んじるのも。
全部、アイツがいるせいだ。
「カイスさえ、いなければ!!」
それ以来、私はカイスに意図的に辛く当たるようになった。
顔を合わせる度に湧き上がる衝動を抑えられないのだ。
母上が最後に言い残した、優しくてとても良い子の私は消え去ってしまった。
あれから私の環境はかなり変わってしまった。
その中でも一番ショックだったのは、かつて仲の良かった友人達が私から離れ、カイスの元へ行ってしまったことだ。
そしてそれは私の態度や性格が豹変したからだということもよくわかっている。
確かに皆の言う通り、カイスは悪くないかもしれない。
カイスは庶子の生まれで、私より優秀で、皆に愛される才能を持っていただけだ。
それでも私はカイスを僻み、疎ましく思う気持ちも止められない。
仲良くしようと差し出されるその手を振り払うことしかできない。
この憤りを向ける相手は庶子の弟以外いないのだから。
一番大切な彼女に迷惑をかけていると分かっていても、止められないのだ。
そうやって青い空を見ながら思考に耽っていると、突然扇で視界を塞がれる。
これは、白いアマリリスが描かれた美しい銀の扇…彼女だ。
「もうっ、ウィルノー様ったら。
ボーッとなさらないで、行きますわよ。」
「あぁ、ごめん、アリス。」
昔と変わらぬ笑みで私を見つめるアリス。
唯一、彼女だけは私から離れていかなかった。
そればかりか、カイス達と対立する度に私の側に立ち、私を守ってくれている。
昔は泣き虫で、私の背に隠れていたのに。
強くなった彼女は美しくて、同時に眩しかった。
「アリス、もう無理に私の側にいなくていいよ。
君に何度注意されても、私はカイスを無視することはできないんだ。
そのせいで君に…これ以上辛い思いをして欲しくない。」
そんな彼女を私は時々突き放す。
きっとそれが、彼女の為だと思って。
しかし無意識のうちにブレーキをかけているのだろう、本当に突き放すような言葉を言ったことがない。
私は情けないとわかっていても、本心では彼女に側にいて欲しいと思っているのだ。
「そんなに怖がる必要はありませんわ、ウィルノー様。
私には貴方が必要で、貴方には私が必要だということは自明の理ですわ。」
「…ほんと、君は強くなったね。」
まるで立場が逆転したみたいだ。
私はわざと人を突き放して、自ら孤独という沼にはまっていく。
だがそれはきっと幼い頃のアリスより深く、抜けない沼だろう。
そう思って自嘲するように笑うと、アリスが不機嫌そうになる。
「そんな悲しい笑い方なさらないで。
今のウィルノー様がいるおかげで私はウィルノー様を守れるようになったのです。
私、こうやって支え合うのが夢でしたの。
だから私は昔のウィルノー様は勿論、今のウィルノー様も愛してますわ。」
そう照れ臭そうに下を向いて言ったアリスは私を見て驚きの表情を浮かべ、シルクのハンカチを取り出して私の目元を拭いはじめた。
そのことで、私はようやく自分が泣いていたことに気づく。
「ありがとう…アリス。」
「もう、本当に感情的になりやすい方ですわね。
下手したら昔の私より今のウィルノー様の方が泣き虫ですわ。
でも、私の前では感情的になってよろしくてよ。」
優しさの詰まった言葉をわざと高慢に言って、彼女は幸せそうに優しく笑う。
それにつられて私も笑みを浮かべた。
今の私はどうしようもない人間だ。
周囲は勿論、自分でも忌み嫌う時がある最悪な人間。
私みたいな者を世間では悪人というのだろう。
それでもアリスはそんな私を全てを受け入れ、愛していると言ってくれる。
私の為に高慢な王女を演じ続け、身を呈して私を守ってくれる。
それが自らの身を滅ぼすかもしれないということを、聡い君は理解しているのに。
それでもなお私を支えてくれる素晴らしい君に、私は何が出来るだろう。
今一度、私の持つ全てを君に捧げ、永遠の愛を誓うことだろうか。
それならばもう何度も心から誓っている。
そもそも今の私に君の隣を歩む資格はあるのだろうか。
…いや、たとえなかったとしても私が君の側を自ら離れることは一生ないと断言できる。
それはきっと、命尽きても。
そのことで周囲に身勝手だと言われても構わない、どうせ私は悪人なのだ。
アリスが自ら私の側から離れない限り、私達が離れることはありえない。
私はアリスの耳元に近づき、囁いた。
「愛してるよアリス。
一生私の側から離れないで。」
こんな情けない悪人だけど、君と共に人生を歩ませてほしい。
アリスティアがウィルノーにしばらく身分を隠していたのはせっかく親しい人が出来たのに王女と知られて距離を取られたくなかったからです。婚約者になれば身分を気にする必要がなくなりますので笑
次回はエレノア編とカイス編を書こうと思います。
忙しい為少し時間がかかるかもしれませんが、今月中か来月中には出せるよう頑張るので気長にお待ちいただけると幸いです。