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第四十八章 鋼の意思

「慈しみに満ちた逸材だ。世界のあり方に対する下剋上、幸福に手を伸ばすその貪欲さが奇跡とも言える不可思議を発現させるとは――」


 アイドレード議長は興味深そうに椅子に座り直す。


「――不本意とはいえこの場所に来たことによって、神の領域の首脳たる私に直談判の姿勢をとる絶好の機会だと、そういうことだね?」


 美帆は静かに頷く。


「――そうかなるほど、そういうわけなら――」


 美帆の希望を言い当てたアイドレード議長。


 ――そういうわけなら考えなくもない――


 そんな夢見心地のセリフを聞くことができれば、美帆の気持ちは軌道に乗ることができたのだが――


 だが美帆は神の加護を受け神の力の半分を取り込んだ拳銃を所持しているとしても、単なる人間である。


 アイドレード議長の決断は決まり切っていたことだった。


「――それを許可するなど、簡単ではない」


 それは美帆も予想していた言葉だった。


「考え給え。りんりんの加護を受けているようだが、君はヒトだ。玉座から世界を見下ろすだけの器の丈夫さがあるとは思えない」


 物理的に神様の力を許容できるだけの頑丈な体など、機械化人間(アンドロイド)になったところで獲得しうるものではないのだよ――


「……」


 美帆に反論はない。

 言葉も出さずに閉口する美帆を見て、アイドレード議長は再び口を開く。


「だが君はこうまで言って理解はしても納得しているわけではない、加えて――」 


「――私には、あなたの言う『ワルプルギス文書』があるのです」


 アイドレード議長のセリフを予想し、美帆は間髪入れず代弁した。


「――その通りだ」


 美帆とアイドレード議長の間に圧と圧がぶつかり合う。


 人間という矮小な単位が計り知れないほどの壮大な単位の神の長を前にして――


「――吉野美帆、君は文書を人質に私と交渉を持ちかけようと、そう言いたいのか?」


 独善的とも思える美帆の姿勢。

 どこまでも無謀な無理難題を要求していることなど、誰が見ても理解できる状況である。


「――確かに私たちは文書を欲している。君が(こちら)の領域に足を踏み入れたいと思っていることも了解した。だが――」


 それはりんりんも指摘した根本的な問題である。


「君の身はそれを受け入れることができるモノではない。力を授けてもいずれ崩壊する、それは確定だ」


 神の体は神の力を受け入れることを想定している。

 だが人間にはそれは想定されていない。


 誰でもわかる常識を真っ向から突きつけられる美帆。

 しかし、彼女の瞳は濁ることを知らなかった。


「その時はその時です。どのみち私には後が残されていない、そうでしょう?」


 美帆は一歩も引かず、アイドレード議長に正対する。


「――確かに、後が残されていないのは事実であるな」


 美帆の願いが棄却された場合――

 それは彼女の人生のデリートを意味している。


「ファルネスホルン聖域の存在を漏洩させることは許容できないのだよ」


「情報漏洩を防ぐために用済みの私を排除、もしくは記憶の改ざん――文書を剥奪することの付録としして、ということですね?」


 アイドレード議長の無言の相槌。

 美帆の目の前にいる男は彼女の主張を是認する様子はない。

 

 美帆はそこで口を閉じ、反対にアイドレード議長が再び言葉を発す。


「体が耐えられない以上、君の希望は叶う以前の問題だよ」

 

 アイドレード議長の言うことは事実である。

 りんりんの力を半分取り込んだ真広でさえ、その体は崩壊を止められない。

 故に美帆が奇跡を起こすなど、そんな超常現象を期待する方が馬鹿に等しい。


「――そろそろ結論を出してもいいかな? 吉野美帆」


 重々しい雰囲気に加わる鋭利なオーラ。

 アイドレード議長の視線が急激に牙を剥き始める。


「君はこの場所にまで来てしまった、だが願いは叶わない」


 さらに続ける。


「悪気も悪意もなく、ただ純粋に和平と幸せを願った君に罪はない――だが理想だけで物事が進んでいくという考え方は現実的ではない」


 アイドレード議長の言葉に続くように、美帆の背後の扉が勢いよく開け放たれる。

 美帆は背中越しに鳴り響く複数人の足音の正体を見抜いていた。


「――こちらの要求は2つ、この場で『ワルプルギス文書』を渡すこと、そしてこの世界で暮らすか、この場で命を落とすかを選ぶことだ」


 このまま元の世界に還すことはできない。

 記憶の操作を拒むのなら、この聖域での永住を要求。

 永住を呑めないのなら死をもって口を封じる、そう言いたいのだ。


 美帆の背中を取り囲むように冷たい凶器が向けられる。


「――警備兵を配置していたんですか?」


「君は貴賓でもありながら不本意とはいえ無断侵入者でもある。万が一の備えとして用意していたまでだ」


 銃の照準器越しに美帆を覗く警備兵。

 引き金に指をかけ、美帆が不穏な動きを見せれば即時発砲するという警告を形で示す。


「――まずは1つ目の要求だ。君が今隠し持っている『ワルプルギス文書』だ」


 ――君の中に入り込んだ文書をこの場に具現化させてもらう――


 さらに目を吊り上げ、強い声圧で美帆に迫る。


「君には悪いと思っているが、致し方のないことでだと理解してくれ」


「あなたに心配されることでありません。()()()()()()()()()()()()()()()


 真っ向からの対抗心。

 美帆は一切臆することなく文書の剥奪に異を唱える。


「――我々にとって文書は虎の子だ。取り戻すための手段は幾重にも練り済み、受け渡し断固拒否を強制力でもって対処するだけの方策はあると考え給え」


 含みのあるセリフを吐き捨てたアイドレード議長。

 

「私を前に要求を突きつけるだけの度胸を買って、宣告はしてあげよう――ただいまを持って文書を回収するための強制執行を行う」


 アイドレード議長はデスクの裏側にある安全装置を外したボタンを押し込む。

 その瞬間、議長室の非常ランプが著しく点滅を始め、けただましい警報が鳴り響く。


 非常措置ともいえる状況の中、強制執行という強い言葉で飾られた現象が美帆を追い込む。


「――!!?」

  

 心臓を穿つような鋭い痛み。

 美帆は胸を抑え込んでその場に崩れ落ちる。


「――何者かが文書を所持し、我々の指示に従わずに提出を拒んだ場合における強制執行――」


 かつてないほどの苦しみの苛まれる美帆を前にし、アイドレード議長は肝の座った冷静な態度で言葉を放つ。

 美帆の汗が軍服を濡らし、胃の中の消化液を一滴残らず吐き出す。


 体の中からすべての物が吸い出されるような未知の感覚の前で、美帆は言葉も発することができずに喉を焼いていた。


「――耐えることは容易ではない。りんりんの加護を受けていようが例外ではないな」


 秒針が刻まれるにつれ、美帆の軍服の下から光が溢れ出す。

 正確には彼女の心臓が発光を始め、内側から溢れる物体が軍服を突き破る。


「……やはり文書の全片を心臓に宿していたようだ」


 神の力は心臓に宿る――

 それは科学の世界で生きた美帆にとっては判断しえない現象であろう。

 おそらく彼女は出現した文書がなぜ自身の心臓に取り憑いたのかを理解できていない。

 

 美帆の胸の上に光を伴って出現した異空間。

 そこから吸い出されるように出現した『ワルプルギス文書』。

  

 強制力が美帆への癒着を引き剥がそうとし、維持力が文書を美帆へと固定しようとする。


「……買い被りすぎたか。加護を受けていようが強制執行の前では抵抗は不可能……警備兵を用意するまでもないようだ」


 吐瀉物で気管を詰まらせ、信じ難い苦痛に表情を歪ませる美帆。

 だが彼女は意識を失うことなく、今でも強かな眼差しでアイドレード議長を射抜いていた。


「――出力が低いか? 議事堂全域が停電になる恐れがあるが、致し方ない……」


 そう言いつつアイドレード議長は再びデスクの下へ手を差し伸べる。

 起動スイッチに隣接された調整レバーを触り、一気に出力を上げる――


「――!?」


 本来であればレバーを前に押せば出力が上昇するはずである。

 だが彼の手に握られたレバーは前進する様子もなく、ただ壁にぶつかっているように微動だにしない。


 その時、今まで沈着を保っていたアイドレード議長の顔色が曇る。

 

「出力は――すでに全開……」


 驚嘆した表情で美帆を見る。

 彼の視界に映る美帆は今でも抵抗の意を瞳に宿し、耐えがたい苦痛を抑え込んでいる。

 無論『ワルプルギス文書』は最大出力に対して、その守勢を崩すことがない。


 理論を超越した現象。

 文書に愛された彼女は、議事堂全体が停電に追い込まれるまで意思を貫徹した。

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