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第四十七章 ファルネスホルン聖域

 ファルネスホルン聖域 ファルネスホルン最高評議会本部


「――ほ、報告します!! 女神りんりんの管理する世界において、『ワルプルギス文書』の出現が観測されました!!」


 あらゆる神の世界を一括上級管理する課において、かつてないほどの特別事態を匂わせる驚嘆が巻き起こった。


「――観測された『ワルプルギス文書』は原形を留めないほど破壊されているものの、その効力は一切減退している様子はありません!!」


 『ワルプルギス文書』の出現を発見した課員が慌ただしく状況を報告する中、周囲は前代未聞の文書出現に対する対処に追われている。


「状況は、りんりんの世界にて瀕死状態の異世界移民者アレクシア・アニョルト――吉野美帆の周囲に文書が出現」


 課員の報告を聞いた課長の額に汗が走る。


「――了解した。議長には私から報告する――貴様は絶対に文書を逃がすな!!」


 息を呑んだ課長が喉奥から指示を絞り出す。

 緊迫した課長の命令を理解した課員。

 だが彼はその言葉をすぐに実行するわけでもなく、課長の前から一歩も動くことはなかった。 


「――何をしている!? 至急命令を実行しろ!!」


「――それが――」


 課長の怒号を前に、委縮した課員は弱弱しく呟いた。


「――吉野美帆が文書を伴い……すでに本部(ここ)へ……」


 課員の言葉を一言一句理解した課長の呼吸が止まる。

 彼の時間停止が室内全域にまで伝染し、ところどころから鳴っていたタイピング音が鳴りを潜めた。


 数秒の沈黙の後、課員が固定された秒針を稼働させる。


「す――すでに警備員が彼女の存在に気が付いているかと思われますが……」


「――了解した、まずは私が議長に報告する。貴様は警備に一報を入れろ――貴賓の身柄を保護し、上からの指示を待て、と」






◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇






「――こちらです吉野美帆殿、ファルネスホルン最高評議会議長が議長室にてお待ちです」


 警備員に誘導され応接室に案内されてから数十分。

 案内係に連れられて応接室を出て、美帆は議長室の目の前にまで来ていた。


 戦場で負った傷は嘘のように消失しているが、痛みと命の絶える直前の感覚だけは脳に刻み込まれていた。


 ボロボロになった軍服も元通りになり、どこまでも白い生地は実戦を経験していないとも錯覚できるほどの精緻な綺麗さである。


 案内役が一歩下がり、その動作と共に議長室の絢爛な扉が開けられる。


 目の前の扉が開かれるのに比例して重厚感を増す空気。

 この先にいるのはファルネスホルン聖域を統括する最高評議会のトップである。


 未だ神の領域のことを正しく理解すらしていない美帆にとっても、ヒリヒリと肌を焼く圧力は感知できる。


 開いた扉の向こうの世界が視界を埋める。

 とても広い面積を誇る絨毯が床を埋め尽くし、どこまでも開放的な空間が広がっていた。


 美帆はその議長室に一歩足を踏み入れる。




「――ごきげんよう、そしてお待ちしていたよ――文書に愛された乙女よ」




 不意に飛び込む男の声。

 その主は、美帆の視線の先に位置するシンプルながらも高級感あふれるデスクに身を置いていた。


「いきなりこの世界に転移させられてしまって混乱しているだろう? だが緊張は無用だよ」


 机に肘をつけ、頬杖を突いた男は柔らかな笑顔を見せる。

 美帆は何も言わず、生唾を呑み込みながら男に近づいていく。


 そしてピタリ――と男のいるデスクの目の前で立ちどまる美帆。


「――君は、りんりんの世界に転移された人間――吉野美帆で間違いないね?」


 すべてを見透かしたような瞳の男。

 美帆はその男の問いかけに無言の頷きで返答する。


「――初めまして、ファルネスホルン最高評議会議長のアイドレードだ」


「ファルネスホルン……」


 聞きなれない言葉に美帆は肩眉を上げる。


「君がファルネスホルンだとか最高評議会だとか、(こっち)の領分を認知していないのはわかっている」


「……いきなり押しかけてしまった形で申し訳ございません」


「頭を下げるのはよしたまえ。君は客人だ、謙譲的な敬意ある態度を見せる必要はないよ」


 ――客人。


 美帆が客人としてこの場に招待されたのには理由がある。


「――管理課の観測により、女神りんりんの世界において君のもとに『ワルプルギス文書』が出現したとの報告が入った」


 アイドレード議長は背もたれに体を預ける。


「その文書の正体を掻い摘んで説明すると、新たな世界を創り出すための特別な神書――そういうものだと理解してくれたまえ」


 今君が所持している紙切れがそれだよ――アイドレード議長が付け加える。


「それは我らが開発し創生した、世界に2つとない重要神具だ。見事文書を取り戻し、現在進行形で所有する人間を野放しにしておくことはできないのだよ」


「――だから私を保護し議長室にまで呼びつけた――文書さえ持っていなかったら首輪をはめて独房にでも入れるはずだったんですよね?」


 アイドレード議長は静かに頷く。


「――それで、私はなぜこの世界に連れてこられたんでしょうか? ある程度の推測はできますが、確証が欲しいんです」


「君をこちらの領域にまで転移させたのはその文書だ」


「文書が……」


「どうやら君の願いに応じて姿を現したということだな。我々が幾千年かけて探索し続けた文書を、それも全ての欠片を集約させて呼び寄せるとは――」


 ――手柄を取られたとはいえ、君の功績は感嘆ものだ。この場にお集まりの皆様がいれば喝采だったろうにね。


「そうして君の願望を聞いてこの場に転移させた。君の目的を達成するための()()()()()のファルネスホルン最高評議会に、ね」


 心の憶測まで見透かされるような感覚。

 おそらくこの男は美帆の心中を理解しきっているだろう。


「――君は世界と神の理不尽に呑まれ、自分の運命というものを呪った。世界を恨み、世界のあり方に疑問符を浮かべた」


「……」


「そして君は……」


「私は……」


 アイドレード議長が見透かした美帆の真意を言葉にする。


「優しい神の存在を理想とし、あらゆる人々が不幸にならない幸せな世界であればよかったと……」


「……それは」


「――それを、自分自身で創り上げたいという気持ちが強くあるようだな」


 人間でありながら神の職務を成し遂げたいという禁忌たる想い。


「――君は本来、奥村真広と一緒に自分たちの世界に還ることが目的だったはずだ」


「……それはもちろん……」


「だが今では飛躍した願いを身ごもっている。無論奥村真広を還したいという確固とした気持ちはあるようだが……」


 ――君自身がこのまま元の世界に還りたいという気持ち、少々薄弱なようだな?


「今では……そうかもしれません」


 アイドレード議長の追及を前に、美帆は心中を語り始める。


「りんりんの世界で関わった人々、そうでない人々……敵であろうが見方であろうが、皆平等に幸せを求めているんです。でも理不尽な戦争で不幸を味わう大勢の人が……」


「君は死の間際に自分自身の運命を嘆きながら、それと同時に隠し持っていた誰かの幸せを大事にしたいという本心を自覚した」


「……はい」


 美帆は小さく返事を返した。


「――人間の中では特別珍しい主観をお持ちのお嬢さんだ。そこまで壮大な理想を語る人間がいるとは、神様としても嬉しい限りだ」


 含みのある笑顔を浮かべるアイドレード議長。


「君のその気持ちを汲み取って文書は君をこの場に連れてきた――『ワルプルギス文書』は選んだんだ、君を――そして思考した」


 吉野美帆にこそ世界を捧げるにふさわしい、と――

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