第二十六章 スクールライフ③
シュヴァリエ陸軍士官学校 準最終行程 100キロ行軍。
周囲に生い茂る林立した多数の大木。
首都の洗練された直線的な光景とは裏腹に、この場所では不規則に木々がそびえ立っていた。鼻を突く自然の香りが優に漂っている。
風にそよぐ葉が彼らを招待するようにがさがさと葉擦れの音響を靡かせていた。
木々に止まる小鳥のさえずりが身に染みて疲労を逓減させているかのようだ。
地面に視線を落とすと、古びたコケや雑草が広範囲に散在し、ところどころ軍靴で踏みしめた跡がくっきりと残るほどの泥地である。
そんな悪環境でもあり良環境の中を、総重量40キロにも及ぶ装備を身に着けたアレクシアがひたすら前を歩く士官候補生の後を追う。
シュヴァリエ陸軍士官学校では、最終行程の1つ前で、40キロの装備を背負って行う行軍訓練が待ち受けている。
だが単に荷物を背負って行進をするだけの単純な訓練ではない。
進む先々で教官が用意する歓迎を受けながら前進をしなくてはならないのだ。
今が戦争中とは思わせないほどの平和な背景の中、そこを行軍する人間たちは現在進行形で地獄を味わっていた。
顎先を流れる数滴の汗を拭ったアレクシアは朦朧とした意識の中、背中に掛かる重圧に押し潰されないよう全力で両足に力を込めた。
とうに体力は底を尽きている、残された精神力を徐々に削りながら歩を進める。
「大丈夫ですかアレクシア様?」
その時、汗の滴る綺麗な小顔でアレクシアを覗き込む少女がいた。
最早声を出す気力も無い中、彼女ははっきりとした声でアレクシアの聴覚を刺激した。
「――あな、たは?」
喉の奥から絞り出した声を聞いたその少女は、笑みを浮かべこう自己紹介をした。
「初めまして、私はアントワネット・オンドリィ候補生です」
すっと差し伸べられた手。握手がしたい、という意味なのだろうが、とても今のアレクシアにとって手を差し出す気など起こってくるはずもなかった。
そんなアレクシアの心情を汲み取ったアントワネットは、アレクシアの弱った手を掴んで半強制的に握手をした。
不意の接触に一瞬戸惑いを見せたアレクシアだが、手を振り払う気にはならなかった。
「――そういえばアレクシア様、私聞きましたよ? この半年間で、卒業試験を目前としてアレクシア様の成績はトップであるとか」
「――そう」
「すごいじゃないですか、何千人もの候補生の中から主席に座して、直接学長から『聖十字騎士章』を頂いて」
『聖十字騎士章』とは陸軍士官学校にて、高成績を収めた者の中から、その中でもトップ5にランキングされた者のみが叙勲される記章である。
特に主席に座に輝いた者は、陸軍元帥からの寄贈品として儀礼刀を学長から直接受け渡されるのである。
座学や技能に加え、学業に対する普段の姿勢や人間性などもチェック対象であり、アレクシアは全ての項目で満点近い評価を得ていたのだ。
(――まあこれも、りんりんの影響なんだろうけど)
アレクシアの心の内を全く知らないアントワネットはそのまま立て続けに称賛を送っていた。
「――私もギリギリ5番目で入ったんですよぉ」
今にも歓喜でジャンプをしそうなほどに羨望の視線を送り続けるアントワネット。
こんな状況で仲良しこよしに会話を展開できるほどの状態ではないため、アレクシアは彼女の止むことのない彼女の猛攻撃を受け流していった。
「この先は塹壕だな。総員周囲を警戒、蚊の音にも反応できるくらい真剣に前進するぞ」
この部隊の隊長を任された男の指示で仕掛け爆弾などに注意をしながら塹壕内へと進出していく。
アレクシアは講義の内容を思い出す。
ラインハルト帝国軍はロレーヌ戦線において塹壕に籠るばかりではない新戦術を編み出し、旧来の塹壕戦を主に戦闘を行うポリテーヌ共和国よりも優位に立っている。
そしてラインハルト帝国軍は前線の突き出すように湾曲した塹壕に仕掛け爆弾を設置し、わざと後退。敵を塹壕内へと誘引し、敵が罠にはまったところで爆弾を起爆させることを想定した囮塹壕なるものがある。
そして未だ塹壕主義のポリテーヌ共和国は苦戦を強いられ、不衛生な塹壕の中で兵士たちが苦しみに耐えている。
「さてここでいったん休憩だ、見張りに2人立て」
指示された2人が塹壕から頭を出して周囲の警戒をする。
その他の候補生たちは重たい荷物を椅子代わりにして一息をつく。
アレクシアも小銃を下ろし、背嚢に腰かけ、ブーツを脱いでリラックスする。
(――お風呂入りたい、シャワー浴びたい)
汗まみれの体にうんざりしたアレクシアは、体臭が周囲に匂わないように軽く首回りをポケットティッシュで撫でた。
その時自分のもとへ近づいてくる人影が1つ、アントワネットだ。
天然なのか何なのか、両手いっぱいにポケットティッシュを保持するアントワネットは、ティッシュの山で視界が塞がれているにもかかわらず足を動かす。
「アレクシア様、ティッシュいっぱい持ってきまし――のわぁ!?」
ドサッと顔面から塹壕内の泥中へと顔を突っ込んでこけたアントワネットを愕然と直視するアレクシア。
ぬかるみに完全に頭と足を取られたアントワネットは、必死の抵抗むなしくただ泥中へ沈んでいくだけだ。
弱々しいもがきで全力の脱出を試みるアントワネットに痺れを切らした複数の候補生たちが、海老反りのように逆ブリッチをしているアントワネットの腹に腕を巻いて引っ張り上げる。
その途端、泥まみれになった顔面が引き抜かれ、その後アレクシアまでもが参戦し、ついには脱出に成功する。
「ご……ごめんなさい」
ゼエゼエと息を切らすアントワネット。彼女の手中にあったポケットティッシュは既に泥まみれで、使う気にはならない。
「あなたはもっと落ち着いて行動をしなくてはいけないのではないですか?」
「す……すいませんアレクシア様」
アレクシアの目に見えた嘆息で説教を受けたアントワネット。
天然で不思議な子ではあるが、これでも自分のことを思って行動をしている。そのことだけは悪い気はしなかった。
そんなアントワネットを慰めようと口を開いた瞬間――
「爆撃機だ!!」
塹壕内でも響き渡る轟音。回転するプロペラ独特の絶叫が轟いていた。
全員が空を見上げ、その姿を視認する。
数機編隊を組んで、それは塹壕へ向けて全速で降下を開始する。
あれはラインハルト帝国軍の急降下爆撃機を模した機体である。
サイレンような響きをなり散らした爆撃機が機体下部に装備された爆弾を投下した。
「全員伏せろ!!」
部隊長の絶叫。全員が頭のヘルメット両手で抑えながら、頭を低くする。
泥まみれになることも気にしないほどの恐怖に駆られ、その場にうずくまった瞬間、投下された爆弾が地面に投下された。
勢いよく地面に突き刺さっていく爆弾――訓練用の模擬弾とはいえ、直撃すれば人が死ぬ可能性だってある。
これが教官たちから歓迎である。
怯えるように背中を丸めた候補生たちは、数発の模擬爆弾の着弾音を確認し、空へと上昇していく爆撃機を見上げた。
戦慄を超え、悪夢から解かれたように息をつく。
「あうあうあうあう」
風に乗った不可思議な言葉を耳にしたアレクシア。発声者の正体は分かっている。
「ほら、もう爆撃機は飛んでいったから。早く起きなさい」
再度泥まみれとなったアントワネットの軍服の袖を引っ張り上げ、強制的にでも身を起させる。
「すいません、アレクシア様」
「もうすぐ最終到達点だから、最後まで頑張りましょう?」
重荷を下ろさせるために微笑みを見せたアレクシア。そんな彼女の姿に心打たれたアントワネットが、会ってから一番の笑顔を示した。




