第十二章 突撃準備
ポリテーヌ共和国 首都 全国ラジオ放送局
静まり返る館内、未だ太陽が昇り切らない午前四時。人々が起きて支度をする時間帯ではないため明かりのついた建造物は数少ない。
そしてこのラジオ局は通例の早朝放送の一時間前、スタッフや音響エンジニア、ラジオパーソナリティーが本番に向けて着々と準備をしている時間帯だ。本来であれば館内は全点灯、職員たちの喧騒で賑わっているはずなのである。
しかし、今朝のラジオ局は宵の真っただ中だとでも言うように閑静だけに支配され、普段の活気など微塵も感じられない。
耳を澄まして聞こえてくるのは、まるで人間のような人の悲鳴、そして転倒音、更にそれらをかき消すような銃声は、床に落ちる金属音の伴い、立て続けに耳の奥に鳴り響く。
ラジオ局の扉の向こうのエントランス、複数の死体が転がっている。体に数発の銃創、中には胸元をナイフのような鋭利な刃物で突き刺し、突き刺さった刃を捻るようにして穴を広げられた者もいる。
死体から徐々に排出される赤い液体は床を赤黒く濁し、その上から銃の薬莢で装飾された殺人現場がそこにはあった。いや、殺人現場というには些か語弊があるだろうか、今は戦時中、それが敵兵による仕業だとしたら民間人に対する虐殺行為である。つまりエントランスは虐殺現場と化しているのだ。
前に進めば進むごとに新しい冷たい体が姿を現す。無造作に四肢を投げて朽ち果てる光景はまさに遺棄された人形である。
だが死人の空間はラジオ局全域にまで広がっているのではない、とある部屋の一角、『放送室』とプレートの張られた部屋の中には依然として命を維持する正者が手足を拘束されて座り込んでいた。
「午前十一時まではまだ余裕がある。悪いがお前たちには全国へ向けた放送開始までは私たちに拘束される、妙な真似をすれば――」
数発の銃声。
その途端、頭に複数の風穴を開けられた男性職員が命の灯を吹き消される。そして引きつった表情で悲鳴を上げる女職員に対する銃撃。
恐怖が室内を支配する。
握把を握る手の人差し指を引き金から離し、藥室に残る空の薬莢を手動で排出する。
この場における死刑執行人、フリードリヒ・フッケバイン第二突撃隊ゲルハルト・ライヒマン少佐はkar98kを保持する右手とは反対の左手で刈り上げられた坊主頭を擦る。
「いいか? ラジオ放送に必要な人材だけを確保した以上、残りの貴様たちの価値は憲兵隊をこの場に簡単には来させないための人質程度のものでしかない。せいぜい私の人差し指一本で費えてしまう、その小さな命を大事にすることだ」
まるで他人事のように淡々と語るゲルハルト。至極平然な口調のゲルトハルトの一節が放送室一帯を制圧する。これから誰が死ぬか、誰が生きるかをジャッジするのはゲルハルト、最早彼に逆らえる者などは一人もいない。
「ライヒマン少佐」
声をかけられた。
ゲルハルトの名を呼んだのは、第三突撃支援部隊のユイリア・ハインツ少佐だ。
「突入部隊はストラスマルセイユ大学キャンパス内へ潜入成功、警備員の死体処理も完了し、後は時を待つだけだ、と」
「――そうか」
軽い返事を返して再び人質の監視を続行するゲルハルト。死人のように表情一つ変えないゲルハルトとは反対に、ユイリアの顔色はしぼんだ花びらのように悲しげである。フリードリヒ・フッケバインの中で、最も人間味のある感性のユイリア。
彼女は今回の作戦に乗り気ではない。なぜユイリアのような女性がこの部隊にいるのか、そしてなぜ、何を思ってフリードリヒ・フッケバインの部隊章を手に入れようと志願したのか、それを知る者はいない。
今回の作戦はポリテーヌ共和国アニョルト代表の一人娘、アレクシア・アニョルトの殺害が唯一ではない。このラジオ放送局を乗っ取り、エレナの望む放送をポリテーヌ共和国全土へ配信する。
そしてその放送はジークライヒ作戦を遂行するために重要な要素となる。
その概要を降下前に何度も聞かされてきたフリードリヒ・フッケバインのメンバーたち。故に今回の任務の重要性を十分に理解し、そしてそれを遂行するための気合も十分である、ただ一人を除いて――
「――ハインツ少佐、先ほどから気になっているのだが顔色が悪いぞ、気分でも悪いのか?」
「――いえ」
弱弱しく否定する。だがその説得力のない否定はゲルハルトを訝しがらせるだけである。
「隠し事は任務に支障が出る。任務失敗はラインハルト帝国全体に影響を及ぼすんだ。話してみろ」
固く口を閉ざすユイリア。悲痛と臆面でいっぱいになった気持ちを我慢するように唇を噛んだ。
そして重い口が開けられる。
「――ライヒマン少佐は、本当にこの作戦に続くジークライヒ作戦が正しいとお考えですか?」
最悪の場合、祖国への忠誠と敗北主義を疑われても致し方ないほどの危険な疑念。ただ、吹っ切れたように口を割ったユイリアにはそんなつもりは全くない様子だ。
「正しいか、だと?」
ゲルハルトは少し不機嫌気味に復唱する。眉間に寄った微かな皺。
「……はい」
思わず小声になる。
「戦争に正義などはないさ、それは自分たちで正義と決めつけているだけで、相手にとっては悪だ。その逆もまた然り、相手が自分のしている戦争が正義と定義するなら、こちらはその戦争を悪だと定義する。結局のところどちらが正しいのかなど決められん」
一息入れる。
「だがやる甲斐があるからやるだけだ。甲斐の無い戦争など、どこの国がしたがるんだ? 正義などという文言は二の次、優先すべきはやる意味があるかどうかだけだ」
ゲルハルト流の戦争論の聴衆者であるユイリア。だが彼女には納得の色が未だに浮かばない。
「――やる甲斐なんてものは、私にはちっとも分かりません。戦争も、今回の作戦も、市民を大勢巻き込もうがお構いなしの殺戮なんて、私にはできません」
「貴官は志願して軍人となったのだろう?」
ゲルハルトの素早い切り返し。その威圧にユイリアは委縮する。
「貴官の言葉には筋が通っていない。そう言うのであればなぜ軍に入った? なぜこの部隊に志願した? 通らない筋など犬に食わせてしまえ」
「……」
「私はラインハルト帝国に忠誠を誓い、ポリテーヌ共和国に天罰を加えるための戦争兵器だ。命令であるから従う、たとえそれが負の権現たる忌むべき戦争であろうとも。もちろん戦争など嫌いだ、やるべきではない。しかしそれが国のためなら肥溜めとて突っ込んでいく、それが私の流儀だ」
俯き気味のユイリア。
ゲルハルトはああ言っている。この国のためであるならば、銃を取ると。
こんな迷いはフリードリヒ・フッケバインの部隊員であるユイリアが抱くいていいものではない。しかし、彼女にはある目的があってこの部隊にやって来たのだ。誰にも話すつもりなどはないが。
ガチャ。その時、途端に放送室の扉が開かれる。
白いYシャツを羽織り、小顔な頭に中折れ帽を被った中年男が一人。
「き……局長!?」
人質の一人が堪えがたい動揺を前面に押し出し、そう呼んだ。
首元を流れる幾筋の汗が激流となって滴り落ちる。局長の姿から目を離すことができない。
なぜ局長はそんなに堂々と入ってきた? なぜラインハルト帝国兵と親しくする? なぜ虫の遺骸を見るような目で我々を見下ろすのだ?
答えは一つしかない。
「――すまないねぇ、職員の諸君。君たちには世紀の大放送が終わるまで、そこの特等席で傍聴してもらうことになったんだ」
「局長……なぜあなたは拘束されることなく立っているんですか? ラインハルト帝国軍が首都にまで入り込んでいる状況ですよ!?」
「そうだな。ロレーヌ戦線を飛び越えて中枢にまで敵が入りこんでくるなど前代未聞だ――しかし、局内へ侵入した不審者への対処ができていないとするなら、マニュアルが機能していないということか。嘆かわしいな、それでも国内最大のラジオ放送局かね?」
クスクスと笑える局長が理解できない、職員たちはそういった様子だ。
「ここまでの誘導感謝する。報酬はラインハルト帝国領内へ入ってからだ」
「全く、今までの任務も過酷なものだったよ。いつばれるかどうかで夜も眠れない日が多かった」
「そうか。ならば任務完了後、家族と一緒に慰安旅行でも行って来たらどうだ? 領収証はラインハルト帝国軍宛だ」
楽しそうに局長と会話を交えるゲルハルト。
そしてこれが、ラジオ放送局局長の最後の仕事、ポリテーヌ共和国の情報収集を担うスパイとしての。




