第十章 決意の果てに
「私がクール・ブリテン連合王国に亡命ですか?」
本日の全ての講義終了後、アレクシア・アニョルトを呼び出す張り紙が掲示板に打ち付けられていた。
護衛のリルを扉の向こうに待機させ、アレクシアは一人、自分を教授室に呼び出した年寄りの女性教授と正対している。心なしか不機嫌なアレクシアは、穏やかで凛とした態度ではない。
女らしい情緒溢れる綺麗な瞳に力が入っている。ハッとするほどの可憐な彼女は、その身に纏う雰囲気を壊すくらいの黒いものが胸の内に秘められていた。
ここに来させられた理由は分かる、それを確認するための断定的な質問をぶつける。
「それはポリテーヌ共和国にとって最悪の事態が決定的となる予兆がある。だから私を国外へ退避させ、私だけでも身の安全を保障させると、そうおっしゃりたいのですね?」
返事は無い。
ただ代わりに、無言の頷きがアレクシアの推量を確信に変える。
「――私の答えはもうお分かりのはずです。逃げるつもりはありません」
アレクシアは自分だけ助かるために安全な道を選択するつもりはなかった。
今欲しいものは自分のみの平和ではない。周りの人間、国の人々にとっての平和な時代、そして失くしたくないもの、絶対に見つけたいものに手を伸ばす。それらを成就するために彼女は差し出された一つの選択を放棄するのだ。
「――アレクシア姫様もお分かりでしょう? 今ポリテーヌ共和国の危険要因はラインハルト帝国との関係だけじゃないんです。国内での反体制派も徐々に勢力を増していっています。報道はされていませんが、体制派のナンバーツーが郊外で遺体となって発見されたという噂があります。最初から最後まで代表の側に就き、憲兵隊を主導して鎮圧を行っていた人物です」
アレクシアは胸を痛めた。国家元首の娘という立場でありながら、父親を取り囲む暴風雨に関しての情報は一切入ってこない。知っていたのは同盟国との信頼の無い表面上の関係、デモと憲兵隊との衝突、反対派の人間が賛成派に数で勝ってはおらず、国家を揺るがす大きなものではないが、両者の衝撃がアレクシアの耳に入ってくるぐらいには激しいものだった。
更に教授は続ける。
「同盟国の信用を得られず、頭を下げて何とか手に入る援助にも関わらず、ラインハルト帝国の勢いを抑えきれない共和国軍。反体制派はこの状況を覆すためにどんな手法を取ることも辞さない態勢でいる――たとえそれが完全な犯罪行為でも」
アレクシアが息を呑んだ。
「これから先、それも近いうちに代表に付き従う高官たちへの一斉攻撃が始まるでしょう。一般市民には一切の情報が与えられませんが……」
開いた口が閉じられないアレクシアは何とか次の言葉を絞り出す。
「で……でも、憲兵隊は反体制派の動きを抑えているんですよね? だったら彼らを頼って暴走者を逮捕してもらえば……」
憂慮でいっぱいのアレクシアを追撃するように、教授が更なる事実でアレクシアを押し潰す。
「それが……憲兵隊の中でも代表を支持する者、体制にバツを唱える者に分裂、内部抗争が始まっています。その抗争は後者が優勢、体制派の殺害も彼ら憲兵隊の仕業だと聞きました」
止まらない汗を拭くことも忘れ、ただただ呆然と教授の顔を見つめるアレクシアには生気がない。
他国による殺しに加え、同胞による殺しの影も迫っている――
ごちゃごちゃした思考を何とか整理すべく深呼吸。
二度、三度、落ち着くまで、冷静になるまで、頭の中の収拾がつくまで。
目を閉じ、目を開く。真っ暗な視界が光を取り込むのと同時に、空っぽにしたアレクシアの頭に一つの考えが浮かび上がる。
「先生、反対者はお父様の傘下の人間を排除、こちらの力を削っていくことによって無理やり自分たちを上へと追いやっていくということですよね? でも、人間が変わったからといって一応の同盟関係を強固にすることが可能なのかは不明です、無い信頼をすぐにでも手に入れることはできません」
困ったように眉を落とす教授。
アレクシアから視線を反らした教授は体重を前に預ける。アレクシアを一瞥し、言おうか言わないか迷っている様子で俯いている。
そして意を決した表情をアレクシアに見せる。
「――反体制派の人間がボリシェビーク連邦に接近している」
え? 素っ頓狂な声を上げて教授の言葉の理解に努める。
「あの、接近したらいけないんですか?」
「姫様は社会学の授業を取っておられるでしょう? 何かボリシェビーク連邦に関する内容は講義されませんでしたか?」
今まで受けてきた講義を思い出す。
この世界に来てからまだ二ヵ月過ぎていない。思い出すのは難しいことではない。
確か、共和国連合の中でボリシェビーク社会主義共和国連邦は同盟国との不和が続いている。理由はボリシェビーク連邦が共産圏の拡大を狙い、リバティー合衆国、クール・ブリテン連合王国ら資本主義国が危機意識を覚えている。
敢えてポリテーヌ共和国とラインハルト帝国の戦争に積極介入し、ポリテーヌ共和国を支援する形で徹底的にラインハルト帝国を追い詰め戦勝を狙う。もしもラインハルト帝国を倒し、残る帝国枢軸同盟を破れば、戦勝国としてボリシェビーク連邦は敗戦国の領土の割譲を要求してくることが予想される。
そうして占領した地域を共産色に染め上げ、属国にしていく。
「――つまり、反体制派のボリシェビーク連邦への接近は、資本主義国家であるこの国の信用をゼロより下にまで落としてしまうということですか?」
すっと頷く教授。ただ授業で習った範囲から簡単な推測をしただけの自分がいる。国家元首の娘でありながら、国を取り巻く状況をきちんと理解していないアレクシアは自分を恥じた。
「――反体制派の連中はこの戦争に勝てばよい、生き残ればよい。その一心でその後のことを考えずに行動しているのだと思います」
「……」
「そして資本主義の盟主であるリバティー合衆国もボリシェビーク連邦を危険視している。なぜかの国がこの戦争に介入しないのか、それは自分に関係のない戦争だからという理由だけではありません」
一呼吸入れる教授。彼女の表情は険しく、焦燥感を抱いた様子で呻く。
「将来非常に脅威になり得るボリシェビーク連邦との戦争に備えるため。ラインハルト帝国の攻撃によって衰弱したボリシェビーク連邦であるなら少ない損失で勝てると見込んでいるのでしょう。ですから合衆国にとってラインハルト帝国とは敵国ではなく利用価値のある道具、そしてポリテーヌ共和国は見向きもされないただの土地です。必要であれば使い潰され、白骨の国家として風化していくかもしれません」
そんな事情があることなど知る由もなかった。
「敗戦も地獄、現状のままの戦勝も地獄。そして私たちはそのどちらかの道を選択する可能性が高い、だからあなたにはすぐにでもポリテーヌ共和国を出てもらいたいんです!! あなただけでも助かるために!!」
内側から込み上げてくる不安。複雑に絡み合う国内問題と国外問題、自分に向けられるナイフの刃、迫りくる戦争の炎、奥村真広との再会が遥か彼方へ飛び去って行く感覚。
こんなはずじゃなかった。
こんなことになるなんて聞かされていない。
りんりんはこうなることを知っていたのか?
この戦争を終わらせて平和な世界を作る手伝いをしにここまでやって来た。だから受け入れた責務を果たさせるまで帰還は許さない、酷使し続けるというのだろうか。
だがそれはアレクシアの妄想かもしれない。全部不安と恐怖からくる理不尽な感情論かもしれない。
正義と悪。
何が正義で、何が悪なのかも見当がつかない。
だが。
「私は自分の信ずる道を選択します」
そう言い残したアレクシアは席を立った。
こんな自信は口だけだ。それを証明するようにアレクシアの体は小刻みに震えている。
掴みどころのない面構えで憔悴しきったアレクシアはふらふらとした足取りで教授室を去った。背後に悪化した焦燥顔の先生の視線を受けながら。リルに介抱され、力の入らない足に鞭を打ち、不規則な足取りの音が廊下に響いていった。
「――姫様、お体の方は?」
「大丈夫、少し……疲れただけだから」
少し疲れただけの体調じゃない、そう目で訴えかけるリルを横目に見ながら徐々に言うことを聞くようになった足の筋肉に力を入れる。
まだ立ち直れたわけではない。かなり辛い、今にも泣き出しそうだ。これなら亡命してしまった方が楽かもしれない、みんなを捨て、自分だけが助かるという罪悪感に満たされてしまおうとも。
それだけはしないつもりだ、とさっきまでは威勢を張っていたはずだ。しかしそれが揺らぎつつある。
そんなアレクシアを見かねたリルが考えるような素振りを見せ、躊躇いがちに言を発した。
「ところで姫様、聞きかじっただけの話ですが、なぜこの世界は完璧な機械化人間という技術を天に還してしまったのかをご存知ですか?」
完璧な機械化人間。
それは決壊戦争以前の、人間に本来備わる脳と人工知能を一体化させ、生身の肉体を機械に作り替えた人間のことである。
「病気にかかった時には特効薬を体内で自動生成し、怪我をした時でもパーツ交換で簡単に完治、内臓がダメになっても人工臓器に転換することによって命を繋ぐことができる」
ある者は高等化した人間、ある者は人間の尊厳を損なった野蛮人形と機械化人間を評価した。
「無線を使用せずとも電波の送受信で通話が可能。そして編み込まれた人工知能が常に最良の選択肢を提示する――それによって人と人が一番良い行動を起こすことで対立無く手を取り合うことができる理想郷」
それが機械化人間の完成形だった。それにより、宗教や正反対同士の思想というものは形骸化した。
「ですが――そこで機械化人間の危険性を発する声が現れたのです」
急に低くなるトーン。
自分が知らないだろう真実を話そうとするリルに気が付いたアレクシアは、彼女の声に耳を傾ける。
「進化する人工知能が、生身の人間の自我を乗っ取り始めるという噂が広がり始めたのです」
人工知能の発達による人間への反抗。突拍子もない内容に驚嘆したアレクシアはリルの顔を注視する。
「特別根拠はあるわけではないのです。ですがそのデマを言い出したある一人の人物が見事に民衆を煽り、それは国内に収まるような話ではなく、世界全土にまでそのデマが広がっていった」
「世界全土にまで広がるデマって、それって実際はデマなんかじゃなくて事実だった、とか?」
「――いえ、事実だという確証はありません、もちろんデマだという確証もありませんが……。しかし、その噂が悪い誇張へ流れて行って、近い未来には人工知能が自らの判断で人間たちを殺すという結論にまで至ったのです――そしてそれに怯えた人間たちが、本来同胞であるはずの機械化人間たちの破壊を始めた、それが――」
決壊戦争。
アレクシアがこの大学で学んだ歴史とは違う。日本が洗練された機械化人間技術を海外市場へ大量に流したことで起こった貿易摩擦が引き金になったと講義では教わった。
「そうして世界を巻き込む生身の人間と機械化人間の殺し合いが始まったんです。第三次世界大戦などと呼ばれていますが、実際は政治も何も絡んでおらず、単に両者がお互いの主張と正義を掲げて殺し合ったというだけですがね」
死に物狂いで持ち出した過去の戦争兵器で相手を滅ぼすために大量使用した。そうして行き着いた結果が人類の破滅、あらゆる文明を破壊し、まぐれで生き残った人間たちだけを残して戦争は終結した。
「生き残った人たちは、長い時間をかけ、何世代にも受け継いでこの星を復興していったんです。人類は全てを失っても必ず立ち直れる、発展できる、そして今、私と姫様が生きるこの世界が創られたのです」
優し気に微笑むリル。そんな彼女を見てアレクシアはようやく気が付いた。
「ですから一旦崩れ去ろうとも、人間は常に成長していくのですよ、それは姫様も同じです。ですから教授におっしゃったようにご自分の信じる道を歩まれてください。それが可能性を開くきっかけだと私は信じています」
ようやく理解した。
自分が何のためにここに存在し、そして何をするべきかを。
「――ありがとうリル。私はもう大丈夫だから」
アレクシアは前を見る。もう下を向く必要が無いからだ。
不思議と心が晴れていく。虹の掛かった心中を全身で感じ、リラックスする。
(私は頑張るよ……奥村くん)
アレクシアの決断が彼女の背中を押した。
しかし一つの疑問が残った。
決壊戦争において、なぜ人類は全滅の危機に陥るまで殺し合いを続けたのか?
数えることのできないほどの死者を出すまで、幾万の文明を破壊しつくした戦争。そんな狂気はなぜ発生したのか?
双方ありえない損害をだしたこの戦争を勃発させた一人の少女の存在があった。
だがその記録はどこにも残されていない――
そんなアレクシアの背後に迫る黒い影、その正体を彼女はまだ知らない――




