第一章 異世界の世界大戦
俺はある少女を射殺した。
彼女は今自分の置かれている状況を作り出した張本人であった。
「よくやったな。これで理想の世界を作ることができる」
俺は理想の世界への探求心からか、受けた加護からか、この人に協力を惜しまない。
そして俺は生まれ変わった――情け容赦のない狂気の戦争の道具へと――
とある者の手記。
私は現実世界のため、私自身のためにもこの異世界を破壊せねばならない。
似た世界は二つも必要ない。
片方が文明的に優位に立てば、もう片方はそれに比例するように衰退していく。
両世界は天秤に掛けられたようなものだ、二つの世界は平等でなければならない。
だがそんなことを言っている場合ではなくなった。
異世界が力を伸ばし、現実世界への損害が多大なほどにまで発展したのだ。
だからこそ、戦争をする他なくなったのだ。
これは異世界を征服するための闘争である――
眩い閃光。
立て続けに巻き起こる爆発。
地獄を具現化したかのような狂気の大地で、人間たちが、自国の勝利と自身の生存をかけて同じ人間であるはずの敵国の兵士を、殺意を持って脅かしあう戦闘が、際限なく繰り返されていた。
槍や弓に代わる新世代の武器、銃を持った両国兵士が塹壕に隠れた敵兵士を照準器で見抜き合う。
その身を燃やした火薬の爆発によって撃ち出されたフルメタルジャケットの銃弾が音速を超えた速度で飛翔する。
戦争という行為に半強制的に拘束された魂が、戦友の死という現実、自身の破滅の可能性を導火剤にして、銃を握る汚れた手を更に血で汚そうと殺気立っている。
現在、ロレーヌ戦線の状況はラインハルト帝国軍がポリテーヌ共和国軍の防衛ラインに穴を開け、そこから穴を広げつつ防衛ライン内側への味方誘引の最中である。
ポリテーヌ共和国軍の最重要防衛拠点であるアルザスィア=ロレーヌを破られてしまえば、既に始まっている本国への爆撃に加え、地上部隊の蹂躙も開始されてしまうのが現状である。列強諸国との同盟により、ラインハルト帝国軍の侵攻を遅らせてはいるがそれも微々たるものである。
ラインハルト帝国において、機械化兵士の証である黒色の制帽、黒色の軍衣を纏ったその集団は、多彩な重火器、高度な機械化人間であり、一般歩兵とは比べ物にならないほどの力を持っている。
ラインハルト帝国三軍である陸軍、海軍、空軍、そして特殊兵科の航空宇宙軍に次ぐ、ごく限られた数の機械化人間で構成される突撃機械化軍。
主に陸や海での戦闘に参加することが多い突撃機械化軍は、基本的には的を絞らない遊撃部隊である。
しかし、中でも対機械化兵士任務を請け負う部隊がある。合計七人という少人数で選抜された特殊作戦群、それがラインハルト帝国軍最強と謳われるフリードリヒ・フッケバインである。
そしてフリードリヒ・フッケバインを率い、あらゆる戦闘に参加、功績を残してきた一人の人物がいた。
常に冷静で、時に熱血となるその将校の名前は――
「フリードリヒ・ヴァルトハイム中佐」
誰かがそう呼んだ。
横へ視線を移すと、視界の中で制帽のつばの下に一人の人物が立っていた。
彼の名前を呼んだその人物は綺麗に敬礼をして見せた。肩章と襟章を確認すると、階級は少尉であると確認できる。
「要件は」
低い声で、答えの分かり切った質問で相手の真意を問うフリードリヒは、ある世界、ある時代、ある帝国の将校用軍服に似た軍服を着用している。
「はっ! 総司令部より伝言を承って参りました。敵陣地より多数の大型のエネルギー反応を感知、おそらく共和国軍の精鋭部隊で間違いないとのことであります」
「――全力出撃か?」
「はい!」
制帽を深く被り直し、左腰のホルスターの拳銃の感触を確かめる。
フリードリヒの動きに数秒遅れるようにして、辺りに佇む同様の軍服を着た兵士たちも各々の兵装を確認する。
白銀に鍛え上げられた銃剣を備え付けた小銃、例外はあるが、全員がラインハルト帝国軍に所縁のある武器を携えている。
フリードリヒを含む七人の兵士諸君はそれぞれの覚悟を持ってこの場にいる。戦争という渦中に囚われた彼らは、敵に対する良心というものを何千という血で染め上げられている。それぞれが持つ人間の血を吸いすぎた武器の表情が、今の彼らの心を映していた。
「では、失礼します。ご武運を」
そんな彼らの心情を知る由もない陸軍少尉は、フリードリヒ・フッケバインの連中をあくまで機械化兵士狩りのエースとしてエールを送る。彼らの境遇など知らず、各々の心の持ちようを理解せずに凱旋を期待する。
「ああ」
態度とは裏腹に礼儀正しい敬礼をしたフリードリヒを見た後、陸軍少尉は帰っていった。
「んもう、隊長は愛想がないですね。せっかくの高身長イケメンなんだから、もうちょっと表情豊かにしてないとダメなんじゃないですか?」
半ば愚痴のようなからかいをかけてくる一人の女の子が、透き通るように白い長髪の毛先を使ってフリードリヒの頬をつついた。
彼女の名前はクリスティアーネ・シュヴァインシュタイガー少佐。
フリードリヒ・フッケバインの次席指揮官を務め、共和国連合にとってフリードリヒに次いで危険視されている機械化兵士である。
小銃を儀丈隊のようにくるくると回すクリスティアーネの表情は、戦争に加担しているとは思えなほどに喜びを頬に浮かべている。支給品の黒色のロングコートを羽織った佇まいは、まるで父親の軍服を無邪気に羽織る娘のようなものだ。
「出動だ」
あれ、無視? クリスティアーネを横に流しつつ全員が一歩一歩前に足を進める。
戦に馳せ参じる全員の脳内で再生される行進曲が戦意を向上させる。
沈着ながら僅かに闘争心を孕んだラインハルトの表情が部隊全員に伝染する。不敵な笑みを浮かべたフリードリヒ・フッケバインが馳せ参じた。
「観測主狩りに成功。これで連中は目を無くしたのも同然ですよ隊長」
敵砲兵観測主の撃破を確認したクリスティアーネはフリードリヒに目配せをする。
当のフリードリヒはそんなクリスティアーネを無視しつつ周囲を警戒する。あれ、無視? クリスティアーネの振りを無視した部隊総員は、敵意むき出しで自分たちに矛先を向ける王国軍の機械化兵士たちを傍観する。
腰のホルスターからワルサーP38を抜いたフリードリヒは目の前の敵機械化兵士たちの奥に、足の速い部隊が接近中であると通信が入った。
「閣下、敵後方から接近があります、これは――」
涼しい顔で疑念を表す青年、オリバー・リンク少佐はこのエネルギー反応には面識がある。
「特務隊だな。いきなりの最重要制圧目標だ――だがその前に」
自分たちを睨んだ王国軍の銃口を意に返す様子もないフリードリヒに、痺れを切らした敵部隊長が声を上げる。
「貴様!! 貴様ら帝国枢軸同盟軍が我々共和国連合軍側に勝てると思うなよ!?」
「このロレーヌ戦線の状況を見てそんな口が利けるのか? お前たちがどんなチキンレースを仕掛けて来ようとも、帝国枢軸同盟軍は降伏などしない、する必要がない」
何かを奥に隠しこんだような形容のできない妙な表情でワルサーP38を突き付けるフリードリヒには一切の躊躇いがない、目の前の敵を殺すことも、敵国を征服して世界の覇権を握ることも。
「大国のボリシェビーク連邦、リバティー合衆国、クール・ブリタニア連合王国が共和国のお仲間であろうが関係ない。こっちの世界と向こうの世界の結末は変わるんだからな」
意味深なフリードリヒの戯言を半信半疑に受け止めた敵部隊長の頬の一筋の汗が流れる。現状ポリテーヌ共和国軍はラインハルト帝国に敗戦するだろう、だが他の同盟諸国がラインハルト帝国ごと帝国枢軸同盟軍を打ち破ってみせると確信があったのだ――今までは。
口先だけの先ほどの発言、共和国側が帝国側に勝利するというのが現実から夢物語へと移行していることが、最悪な目覚めとなって彼に現実を思い知らせる。
精神的不安定で愉快痛快な言葉遊びしか話せない敵軍隊長に残される余命はあと数秒――
「前菜だ。総員、蹂躙開始」
「「「「「「Jawohl!〈了解〉」」」」」」
その瞬間フリードリヒ・フッケバイン全員に火が灯る。
すぐさま部隊総員矢印状にフォーメーションを形成。フリードリヒを前衛とし、彼の斜め後ろにはクリスティアーネ、その他隊員が凄まじい速度で自分の役割を再認識。
銃剣先を前方敵部隊に差し向け、吶喊する。
そのスピードに翻弄された敵兵が自分に向けられた冷たい銃剣先に慄き、銃を握る手に思わず力が入っている様子だ。
「イェーガー01より06、07は後方へ、部隊各位、射撃開始!!」
怒声にも似た指示の刹那、小銃による一斉射撃が始まった。
銃撃に身体を貫かれる敵兵が銃撃と銃剣突撃を融合した戦術を前に命を落としていく。
「邪魔よ根性なし共!!」
敵前衛を蹂躙したクリスティアーネが片っ端から視界に入った敵兵を照準器で捉える。オレンジ色の銃火を迸らせた小銃と全身を敵の血で染め上げられたクリスティアーネが周囲を一瞥する。
「制圧率20パーセント!」
クリスティアーネの斜め後ろで敵兵の銃剣突撃を躱しながら戦況を報告するのはヴォルフ・モーラー少佐。弾替えの時間は無いと瞬時に判断し、自分の真後ろに陣取る敵に腰から抜いた拳銃で応戦する。
負けじと反撃する敵兵の弾を左腕に備え付けられた盾で受け止め、背中に背負った対戦車擲弾発射器を手に取ったクリスティアーネが真横の集団に撃ち込む。
大気ごと大地を揺する轟きが、クリスティアーネの雪髪と黒コートを煽り、そして加虐的な彼女の表情をより黒く染め上げてく。
「――!! 敵増援、3時方向よりおよそ歩兵小隊規模!!」
首に巻かれた咽喉マイクに声を張るクリスティアーネ。
『確認したこちらに任せろ――』
ヘッドフォン越しに伝わる返答――その瞬間、増援として駆け付けた敵兵集団が持続的な銃撃によって粉砕される。
ばらまかれた銃弾に全身を食い破られた敵兵は、悲痛の呻きを上げながらその場に倒れ込んでいく。
フリードリヒら切り込み部隊の背後で支援射撃をした隊員の重機関銃がプスプスと硝煙を上げる。
熱でオレンジ色に染まった銃身を交換し、再装填。
『増援排除、そして例の特務隊もすぐに視界に入ります』
「了解した――部隊員各位、フォーメーションを維持、このまま敵特務隊を狩るぞ!!」
フリードリヒの合図で全員が一気に地を蹴る。
フリードリヒはまだ知らなかった。
これから相対する敵特務隊を指揮する者が、かつて慕情に似た何かを抱きつつあった彼女であることを――