第八話
オレたちが今いるエルナミラは正確にいえば王都エルナミラといって、エルナミラ王国の首都に当たる街だ。
当然その規模も大きく、城をぐるりと城壁が囲い、その外に街が発展していて、さらにその街をもう一つ城壁が囲っている。
街の中心部には商業区、貴族区、平民区、工業区の四つの区に城壁で区切られており、それぞれ南北東西に位置している。
そしてそれらの区の外側にはそこから弾き出された貧民たちが住むスラムが城壁まで広がっていて、オレたちはそこから商業区に出てきたというわけだ。
本来ならスラムの人間はボロボロの服を着て汚れた格好をしているから、中心部に出ても乞食をするか、後ろ暗い仕事に手を染めるしかない。
でも今のサニアは身体を洗って服装も地球で揃えて、スラムの住民には全く見えない。
まあ、奇抜な服装には見えるかもしれないが。
「うーん、やっぱり商業区に出てもちょっと目立ってるね」
視線を浴びたサニアが、歩きながら己の服装をしげしげと見下ろした。
サニアの服装は黒白オフストライプ柄のブラウスに、淡い色合いのレディースジーンズを合わせている。
このブラウスは袖がフレア状になっており、子どもらしく活動的な印象を与えている。
靴はグレーを主に、黒、白のボーダー柄が入ったスニーカーで、ちょっとお洒落だ。
コートは薄いピンク色のダッフルコートで、ファーとビットでふさもこしていて可愛らしい。
これらは全て以前サニアに選ばせた服の一つなのだが、驚くことに、この四点全て合わせても一万円で済んだ。
下着や靴下類も買ったので、一着分における値段はもうちょっと掛かっているとはいえ、それでもオレの財布的にはとても優しい。
金だけは貯まっているのでオレはあまり気にしていないとはいえ、サニアに散財癖がついても良くないからな。
「悪い意味で目立ってなけりゃそれでいいさ。むしろいい意味で目立ってるなら、これからの商談にも箔がつくってもんだろ」
「とはいえ、私たちと先輩はどうしても悪目立ちしちゃってますねぇ」
苦笑した翔子が、オレと自分の服装を見比べる。
オレと翔子は共にスーツ姿だ。
翔子の方はレディーススーツだが、スカートではなくてパンツスーツである。少しでも性欲を刺激する服装を避けた形だ。異世界で襲われるとか洒落にならんからな。
しっかりと通勤時に着ているコートも合わせていて、二人揃って黒白で凄く「働いてるぜ!」みたいな雰囲気を醸し出している。
「そもそも、あんたら何で休日にスーツ姿なのよ……」
呆れる恋子先輩は、薄いブルーのブラウスに白いセーターを合わせ、下は濃い色のレディースジーンズ、靴は靴底だけが茶色の白いバンプスを履いている。
コートはベージュ色のステンカラーコートだ。今春の新作コートらしいが、まだ冬終わってないぞ。早くないか。
「寒さは根性で堪える。女の子は常にファッションを先取りしなきゃいけないの。分かる?」
「女の子……?」
「どうしてそこに食いついた。言え」
オレがつい零してしまった言葉を耳聡く聞きつけた恋子先輩が、ふざけてオレの首を絞めてきた。
ふざけてるんだよな? な?
やんわりと恋子先輩の手を振り払いつつ、オレは横道に逸れかけた話題を元に戻し本題に入る。
「とにかく商業区に着いたし行き先を決めるぞ。商人っていったっていっぱいいるだろうしな。サニア、何か知ってないか?」
「ごめん。此処から先は私もあまり詳しくないんだ。スラムに住んでて、こっちに来たら行く場所も決まってるから……」
当てにしていたサニアはしょぼんとして、首を横に振った。
まあ、仕方ないよな。
「そういえば、お金も無いんですよね私たち」
「知ってる人に聞けばいいんじゃないの?」
「誰が知ってるんだよ」
オレたちが会話していると、ふとサニアが顔を上げて快哉を上げた。
「そうだ! 料理屋に行って、使ってる調味料とか香辛料を何処から仕入れてるか聞けばいいんだ!」
「ありかもな。直接仕入れてるなら駄目だが、卸売り業者がいるならそっちにオレらもねじ込めるかもしれない。間違いなく商人だろうし、駄目元で探してみるか。サニア、案内頼めるか?」
「任せてよ! 時々こっそり残飯漁りに来てたから、料理屋なら場所知ってる!」
尋ねると、サニアは満面の笑みを浮かべて頷き、オレたちの先頭に立って歩き出した。
■ □ ■
サニアがやってきた料理屋は、通りの角にある大衆食堂のような店だった。
まだ早朝なせいか、開店はしていない。
「ここだよ。勝手口に回ろう」
表ではなく裏に移動し、サニアは慣れた様子で備え付けられた扉を叩く。
中から「はーい」と声がして、扉が開いて二十代くらいの青年が顔を出した。
青年はオレたちを順番に見て首を傾げ、不審げな表情になった。
まあ、知り合いじゃないならそうなるだろうな。
「どちら様ですか? 開店は昼からですけど」
愛想笑いを浮かべ、オレは青年に責任者を出してもらえるよう頼んだ。
「お聞きしたいことがございまして、少しお時間をいただきたく。店長はいらっしゃいますか?」
「少々お待ちください。呼んできます」
開かれた扉の隙間からは、店の様子がよく見えた。
勝手口は厨房に繋がっていたらしく、応対した青年の他にもう一人、厨房の奥に中年男性がいて、何か作業をしている。
青年も中年男性も清潔な服装であるけれども、現代の地球で見られるようなコックの服装ではない。
共通しているのは、下半身に前掛けをつけていることくらいか。
厨房以外にも椅子とテーブルが並ぶ客席を見れば、中年女性とサニアより年上だが成人は迎えていなさそうな、こっちの基準では高校生くらいに見える少女が布巾でテーブルを拭いている姿が見えた。
青年が中年男性に話しかけ、二言三言青年に指示を出した中年男性が、真っ直ぐ勝手口で待つオレたちのところへ向かってくる。
「お待たせいたしました。コック長をしておりますゴンドです。本日は何用ですかな」
中年男性はオレからその後ろに控える翔子と恋子先輩、サニアに順々に目をやって、不思議そうな表情を浮かべる。
「実は私たちは、遠方からやってきた旅人でして。遠い故郷で手に入る香辛料をこの街の商人に売ろうと持ってきたのですが、生憎伝が無く困っており、よろしければ力をお貸しいただけないかと」
「ほう。香辛料ですか。中で詳しい話を伺いましょう。表の入り口を開けておきますので、そちらからお入りください」
さすがコックというべきか、即座にゴンドと名乗った中年男性は食いついてきた。
勝手口から中に入れないのは、厨房だからきっと衛生に気を使っているんだろうな。
地球の中世ヨーロッパの事情を考えるとちょっと怖かったが、幸いル・テラと呼ばれるこの世界はそれほど酷くはないようだ。
この先も空から汚物が降ってきたりしないことを祈る。
オレはともかく、翔子と恋子先輩とサニアに当たったら可哀想過ぎるからな。
ゴンドさんに案内された先は、従業員の休憩所になっているらしい一室だった。中央に机と椅子が置いてあるだけの簡素な部屋だったが。
「では早速、見せていただきましょうか」
「翔子。カレー粉と七味唐辛子、あと胡椒をくれ」
「詰め替え用の袋じゃなくて、瓶のでいいですか?」
「ああ、それでいい」
翔子が自分のスーツケースを開き、中からオレが頼んだカレー粉と七味唐辛子と胡椒を取り出し、オレに手渡す。
その際にちらりとスーツケースの中身が覗いて、その中身にゴンドさんは衝撃を受けたようだった。
「まさか、その大きな鞄の中身全てが香辛料なのですか!?」
「え? はい。そうですが、何か」
きょとんとしている翔子を他所に、ゴンドさんは唖然としていて声も出ない様子だ。
「話を続けてもよろしいですか?」
「え、あ、はい。大丈夫です」
努めて冷静に振舞っているオレに対し、ゴンドさんは最初の頑固な料理人というイメージが崩れてしどろもどろになっている。
それだけ、翔子の旅行鞄に詰まった香辛料や調味料の山に度肝を抜かれたんだろう。
今回持ってきたのは粉のものだけだって翔子は言ってたから、液体状や磨り潰してあるものなども含めると、今後持ち込める調味料、香辛料類は多岐に渡る。
「では、とりあえずこの三つを。開封して構いませんので、味見してみてください」
「よ、よろしいのですか?」
「ええ、構いません」
問題ないとでもいうようにオレがにこりと笑ってやると、ゴンドさんは恐る恐る手を伸ばした。
最初に選んだのは、胡椒だった。
黒ではなく、白の方の胡椒だ。もちろん翔子の鞄の中には黒胡椒もちゃんと入っている。
「これは、どうやって開けるのですか?」
ゴンドさんは変なところで躓いた。
まさか、開封の仕方が分からないとは思わなかったよ。
でもまあ、ラベルも全部日本語だから、分かりにくいのかもしれない。
「……恋子先輩、教えてあげて」
「へ!? 私!?」
ちょっと退屈していた様子の恋子先輩に役目を振ると、恋子先輩はぎょっとしてオレを見た。
「頼む」
「えっと、まず外の外装をここから破って、こうくるくると回していくと蓋が外れますから、中のシールを剥がして、もう一度蓋をしっかり回して締めて固定してください。後は外側の蓋を開けて瓶を逆さまにして振れば、中身が少しずつ出てきますので」
恋子先輩に教えられたゴンドさんは、渡した香辛料だけでなく、その入れ物にも興味を持った様子だ。
「これは、面白い作りの蓋ですな……。小さいとはいえ、わざわざ瓶に貴重なガラスを用いるとは。しかも何ですかこのガラスは。とても出来がいいではないですか」
いや、中身を見てくれよ。外側はどうだっていいから。
驚き振りからすると、エルナミラじゃまだガラスの製造ってそんなに広まっていないのかね。
地球でもガラスそのものは大昔から作られてたとはいえ、一般家庭にまで普及するようになったのは、近代に入ってからだというし。
そうすると、ゴンドさんが驚くのも無理はないかもしれない。
「売りたいのは瓶ではありませんので、そろそろ味見をお願いします」
「あ、申し訳ありません」
恐縮したゴンドさんが頭を下げて、慎重な手つきで自らの手に胡椒を少し振り、舐めた。
「確かに胡椒だ……! しかも保存状態が良い! 長旅を経て運ばれてきた品がこれほどまでに品質を保っているとは、あなた方はどこから来られたのですか!?」
目を見開いたゴンドさんは真剣な表情でオレの手を握ってきた。
やべっ、今度はそっちに飛び火しちまったか。
「私たちの故郷は日本という国でしてね。距離的にはとても遠いですが、その分乗り物の移動速度も速いのですよ」
心配そうに見上げてくるサニアの視線を感じつつも、オレは笑みを強張らせずすらすらと答えた。
嘘は言っていない。嘘は。
実際飛行機とか新幹線とかあるし。
「これらを委託販売したいので、香辛料関係を扱っている商人か商会を教えていただきたいのです。ああ、開封したものはお近付きの印としてお店で使っていただいて結構ですよ。初回限定のサービスとして無料で差し上げます」
「今すぐ店の仕入れに利用している商会をご紹介します! おい! 俺はこの方々を御案内してくる! お前たちは開店準備を急げ!」
従業員たちにがなり立てたゴンドさんは、打って変わって満面の笑顔で告げた。
「来たばかりでは地理もまだ不慣れでしょう。御案内します。ついてきてください。商談が終わったら、是非食事に来てください。あなた方なら御代は要りませんよ!」
まさかのタダ飯の申し出に、オレと翔子と恋子先輩は吃驚して顔を見合わせる。
「やったね、リュージ!」
サニアだけはこの展開を予想していたらしく、満足そうに笑っていた。