第七話
ついに土曜日の仕事が終わった。
次の日は日曜日。
日曜日といえどもブラック会社に勤めている以上容赦なく仕事が入っていることも多いが、幸い明日は休み。
家に帰ると既に部屋には翔子と恋子先輩が来ていて、サニアの相手をして遊んでくれていた。
「二人ともすまん。サニアの相手させちまって。特に翔子は日勤当直日勤でトリプルパンチ食らった直後だろ。体調大丈夫か」
「医者ですし、いつものことですから気にしないでください。それより私、今夜と明日のことで今から楽しみなんですよ!」
本人が言う通り、翔子は笑顔なんだが、目の下に薄く隈があって疲労が隠しきれていない。
化粧である程度目立たなくしているだろうから、化粧落としたらくっきり隈ができていそうだ。
まあ激務で普段から疲れてるのはオレも同じなんだけどな!
「恋子先輩は大丈夫か? 保育園だと夜勤はないだろ?」
「んー、そうだけど。保育園に務める前までは五年間児童擁護施設で働いてたから、経験はあるよ」
「え、そうだったんですか!?」
施設出身の翔子が恋子先輩の話に食いついた。
まあオレも翔子と同じ施設を出てるから、気になることは気になる。
「とはいっても、たかが五年よ。資格取ったら保育士資格欲しくて今の保育園に移ったし」
「へえ。何の資格取ったんですか?」
何気なく尋ねた翔子に、恋子先輩は爆弾を投下した。
「社会福祉士と精神保健福祉士。実はこう見えて家庭支援専門相談員だってやれるのよ私」
ぽかんとした顔になった翔子は、次の瞬間目を輝かせて恋子先輩に詰め寄る。
「……恋子さん! 私たちと一緒にサニアちゃんのために児童擁護施設を立ち上げましょう!」
「あー、悪いが既にオレが頼んで断られ済みだ」
「へっ?」
声を割り込ませたオレに振り向き、翔子がきょとんとした顔をする。
「オレの保育士と家庭支援相談員の心当たりっていうのが、恋子先輩だったんだよ」
苦笑した恋子が、ちょっと気まずそうにサニアを見て、翔子に頭を下げた。
「ごめんね。手伝ってあげたい気持ちは山々なんだけど」
「そんなぁ……」
まあ、当然だよな。
今の生活を壊してまで、恋子先輩にサニアちゃんに関わる理由はないもんな。
それでも恋子先輩を引き込みたいなら、異世界を実際に見て、貿易で稼いだ額を知って、恋子先輩がどう考えるかに賭けるしかない。
「ねえリュージ、コイシが言ってるホイクシとかシャカイフクシシって、何?」
「お前をこっちの世界で生活させるために必要な資格だよ。恋子先輩はな、それを持ってるんだ」
「そうなんだ……」
きらきらきら。
「うっ」
サニアが送る期待の眼差しに、恋子先輩は怯んだ。
「と、とにかく! 出かける準備するわよ! 二人は何を持ってきたの? 私はこれだけよ」
わざとらしく咳をする恋子先輩は、ハイキングで使うようなリュックを逆さまにして、中身をぶちまける。
中身を見て、オレは「うへえ」と声を上げた。感心半分、呆れ半分だ。
「菓子に、レトルトに缶詰に……災害リュックかな、これは」
恋子先輩は、リュックにこれでもかと嗜好品と非常用食品を詰めてきたらしい。
数は個人で持ってこれる程度だが、乾パンからおかずレトルトまで、種類が幅広い。あとミネラルウォーターのペットボトルが何本か。
「だって、変な秘境に出て遭難した時に食べ物が無かったら困るじゃない」
あと非常食に紛れて異彩を放つ、四人分の無線機。
「ねえねえ、コイシこれ何?」
「恋子お姉ちゃんと呼びなさい」
「ひはいよ、コイヒオネエハン」
「よろしい」
「いいのかよ」
無線機に興味を示したサニアが恋子先輩に尋ねて、両頬を抓られていた。あれ地味に痛いんだよな。
「これは無線機よ。念のため、誰かが逸れても大丈夫なように持ってきたわ」
異世界に懐疑的な恋子先輩が一番用意がいい件について。
「私はとりあえず、こっちでは簡単に手に入って向こうで希少そうなものを考えたら、こうなりました」
翔子の方は、キャスター付きの旅行鞄に、塩や胡椒、砂糖といった粉ものの調味料をしこたま詰め込んできていた。
基本の三点だけでも食卓塩に岩塩、海塩、湖塩と四種類もあり、その半分くらいは輸入ものらしくラベルが日本語じゃない。
ていうか固形コンソメに味○素まであるんだが。どんだけ買ったんだ。
「需要の大小がまだ分からないので、一つ一つの量を少なめにして種類優先にしています。ある程度見極められたら絞る予定です」
「私、調味料なんてこっち来るまでろくに見たことなかったよ」
サニアは袋詰め、瓶詰めにされた調味料の数々を興味深げに長めている。
香辛料、調味料を旅行鞄に詰め直しながら、翔子がオレに尋ねた。
「先輩は何を持ってきたんですか?」
「せやかては護身マニアだからねぇ。この日のために、どうせ最新のを宅配便で取り寄せたんでしょ」
「タクハイビン?」
「ああ、遠方から荷物を運んできてくれる人のことよ、サニアちゃん」
「せやかて言うな。恋子先輩が言った通り、オレが用意したのはいざという時身を守って逃げる時間を稼ぐための護身道具だ。取り扱い注意な。特にサニア」
宅配便が何か説明する恋子先輩へきっちり言い返してから、オレは秘蔵のコレクションを並べ始めた。
警棒に、催涙スプレーに、スタンガン。他にも色々ある。スラムというくらいだから、治安は悪いだろう。持っていれば、確実に役に立つはずだ。
一応防刃性能がある防弾チョッキも用意しておいた。
子ども用にちょうどいいサイズがなくて、サニアの分だけ特注になってしまったが。
「ねーねーリュージ、これ何ー?」
「言ってる側から触んな。本当に危ないからよく聞けよ。オレが許可出した時以外は家から持ち出すな。絶対だぞ」
スタンガンを手に取ろうとしたサニアの手を止め、よく言い聞かせる。
「つまんない。全部駄目なの?」
不満げにむくれるサニアに、ランドセルの形のキーホルダーを渡した。
正確に言えば、キーホルダー型の防犯ブザーだ。
「いいのはこれくらいだな。お前たちもこれくらいなら日常的に持っとくといいぞ。一つやる」
「ありがとうございます! 家宝にします!」
別にそこまでしろとは言ってないです。
何か翔子の反応が重過ぎてちょっと怖い。
「まあ、備えあれば憂いなしっていうもんね」
恋子先輩が防犯ブザーを手に取り、ベルトにつけた。
キーホルダー型なので、どこにでも比較的簡単に取り付けることができるのがいい。
ちなみに四人とも服装は長袖に長ズボン着用である。
治安が悪いと分かっているのに、無防備に肌を見せる服装で行く馬鹿はいない。
「よし、いくぞ」
三人を促し、部屋を出た。
■ □ ■
腕時計を見ると、現在時刻は午前零時ちょっと前。
荷物の確認などで思っていたより時間を食ってしまった。
こっちが暗くても向こうの世界はどうせ明るいから構わないんだが、正確な時刻がよく分からん。
その辺りを調べる必要もあるだろう。
オレとサニア、翔子、恋子先輩の四人で、お隣さんの部屋のドアからエルナミラのスラムに足を踏み入れる。
スラムの街並みは明るいが、人通りは見かけない。
「まだ早朝みたい。もう少ししたら、スラムを出て物乞いをする人達とか、食べ物を探す人とかが出てくるよ」
二週間以上離れていても、スラムに生まれ、スラムでの生活が長いサニアにとっては、スラムは自分の庭も同然らしい。
「人があまり通らない道があるの。ちょっと遠回りになるけど、その分使われ難い道だし、誰かに見られたら目立つから、こっちで行こう。着いてきて」
今回出てきた目的は、ぶっちゃけ持ち込んだ調味料を売ることだ。
この世界での調味料の販売体制がまだ判然としないので、なるべく秘密を守ってくれそうなところがいい。
塩とかは専売制になっている可能性もある。
「何処に行くかもう決めてあるの?」
翔子の問いに、サニアは戦闘を歩きながら淀みなく答えた。
「候補はいくつか考えてるよ。料理屋に直接卸すか、商人に預けて販売を委託するか、あるいは貴族に買ってもらう。どれも一長一短がある」
「具体的にどう違うの?」
スラムの風景を物珍しげに眺めながら、恋子先輩も質問する。
異世界じゃオレたちには分からないことだらけだ。サニアと立場が逆になっちまったな。
「料理屋に直接卸すのは仲介人がいないから単純に利益が大きい。買ってもらった調味料で美味しい料理が食べられる。欠点はお店が有名になって、誰が売ってるのか騒ぎになった時、私たちだけで対処しなきゃいけないこと」
サニアの指摘は十分有り得そうなことに思える。
情報を独占すれば店は大繁盛するだろうが、ただの料理屋が様々な問題を抱え込んでまで秘密を守ってくれるとは思えない。
料理屋にだって仕入れルートがあるはずで、取引先がある。オレたちはいわば、そこから利益を掻っ攫うことになる。調味料が売れなくなれば、取り扱う商人から必ず不満が出るだろう。
その時に料理屋が俺たちを守ってくれる保障はない。
何しろ秘密にしなくても、既存の調味料なら元から仕入れルートはあるのだ。オレたちだけが持ってるものも、流通してしまえば新たに買えるようになる。
こっちの身を守るには出来る限り低い価値で売って、俺たちから買わないと大損すると思わせるしかないが、そうなると今度はオレたちの利益が少なくなるし、やはり他の商人の利益とぶつかっちまう。
少なくとも二億円以上稼ぐ必要があるんだ。異世界の金で異世界の品を買って、それを今度は日本で売る。そうやって利益を稼ぐつもりだから、何度も売り買いすることになる。最初の商売というのは重要だ。できるだけ安全に行いたい。
「出所を探られるのは面倒だな。商人への販売委託はどうなんだ?」
「商人は儲かる商売ができるなら、口を噤んでくれる。秘密を探って全てを失うよりも、継続して利益を得ることを望む。私たちのことも、その商人が守ってくれると思う」
「本当に守ってくれる保障はあるんですか? 裏切られたり、とかは?」
懸念する翔子の表情には、ほんの僅かに恐怖が滲んでいた。
翔子は過去の経験上、裏切りとかそういうのを恐れる。翔子がオレに懐いているのも、オレが絶対に裏切らないという確信があるからだ。
もしオレが裏切れば、それこそ翔子は人間不信になるだろう。
「私たちから委託する先をその商人だけにしている限り、それはないと見ていい。莫大な利益を捨ててまでするはずがないよ。とはいえ、私たちが頼るなら、もちろん善良な商人の方がいいに越したことはないけど」
「なるほどねぇ。じゃあ最後の一つの貴族に売るっていうのは、どんな利点と欠点があるの?」
サニアに尋ねる恋子先輩の態度は落ち着いたものだ。
しかし、恋子先輩の手はお隣さんの玄関扉を越えてからずっとケースに入ったスタンガンと催涙スプレーに手が掛かっている。
全く知らない場所の、しかも治安が悪いと分かっている場所だ。しかも日本じゃない可能性が高いときている。
恋子先輩の警戒心は当然オレたちも持っていなければならないものだ。
「貴族の庇護を得られるっていうのが一番大きい。それだけでエルナミラでの私たちの活動は、ほとんどが保証される。持ち込んだ調味料は貴重なものばかりだし、私たちが見たことのないものもある。貴族なら絶対買ってくれるよ。それに、領地持ちの貴族は自前の軍隊を持ってる。塩はいくらでも需要があるから特に売れると思う。問題はそれで軍隊を沢山持てるようになれば、戦争が起きる可能性があること。王都で売るなら相手は王族になるけど、利点欠点は貴族相手とそれほど変わらない」
「貴族や王族にいきなり売りに行くのはナシだな。大事になり過ぎる」
選択支のうち、貴族に売るのを早々に諦めたオレの後ろから、オレを飛び越えて翔子の声が飛んでいく。
「サニアちゃんは、どれがいいと思いますか?」
前を向いたまま、サニアが少しだけ振り返ってオレたちに視線を向けた。
「正直、今の私たちは、こっちの価値基準でいえば、珍しくて質の良い服を着てる。だから対応さえ間違えなければ、貴族にだって売り込める。きちんと売れるなら利益は多分貴族相手が一番大きい。一番簡単なのは直接料理屋に持ち込むことで、後先を考えるなら、商人と契約を結んで販売を委託することだと思う」
「確かに。私たちに商売の知識なんて無いしねぇ。それが一番いいかも」
ふむふむと頷く恋子先輩は、商人に売るに意見が傾いている。
オレも同感だ。
「よし。じゃあ、商人に委託することにしよう」
「分かった。まともな商人はこんな城壁近くのスラムにはいない。中心部に行こう」
オレたちはサニアの案内でスラムを抜け、街の中心部に向かった。