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第六話

 仕事から帰ると部屋の電気が点いていた。

 玄関から中に入ると、美味そうなカレーの匂いが漂ってきて、廊下の向こう、居間の方から楽しそうな少女の声と、女性二人の声がする。

 昨日の宣言通り、翔子と恋子先輩が来ているようだ。

 オレの手には鞄の他に、コンビニのビニール袋が握られている。

 おそらく翔子は一日中サニアの相手をしていただろうし、せっかくの休みなのに一日サニアの相手をさせて潰すのは悪いと思ったし、恋子先輩も来るのでおもてなしの意味も込めてスイーツを買ってきたのだ。

 もう十一時を過ぎてるし、今日は食べたくないと言われるのも予測して、ゼリーやプリンなどの日保ちがするものを中心に選んでいる。

 まあ、コンビニスイーツだから、生クリーム系のスイーツも冷蔵庫に入れておけばそこそこ保つけどな。

 本来なら夕飯もコンビニ飯で済ますのだが、今日ばかりは買わなかった。

 昼間のうちに、「今日のお夕飯は私がカレーを作りますからね! 残ったら冷凍するので先輩の明日以降のご飯に役立ててください!」というメールが来たのだ。続いてもう一通、「サニアちゃんも行きたいって言っているので、連れて行ってもいいですか?」というメールも来た。

 サニアについてはちょっと悩んだものの、サニアだけ外出禁止にするのも可哀想なので、翔子がサニアを見ておくことを条件に承諾の返事を返した。


「ただいま。すまんな、遅くまでサニアの面倒見させちまって」


「いえ、好きでしたことですから気にしないでください。病院から電話も来なかったですし、今日は凄くリラックス出来ました」


 はにかむ翔子の頭を、つい昔の癖で撫でてしまった。


「おっと、すまん」


「いえ、先輩に頭を撫でられるのは、嫌じゃないですから」


 嬉しそうに頬を染める翔子はどちらかというとクール系なショートカット美人なのに、つい可愛く思えてしまうのは、やっぱり付き合いが長いからだろう。

 本格的に知り合って友人関係になったのは大学三年の頃で、それまではほとんど会話をした記憶がないとはいえ、小さい頃は同じ児童擁護施設に居たのだから。


「ケッ、来るなり二人の世界を作りやがって」


「私たちもいるのにねー」


 毒づく恋子先輩は、サニアに酌をして貰ってビールを飲んでいた。

 サニアの方も、恋子先輩のつまみをひょいひょいと摘んでいる。


「恋子先輩は飲酒かよ。子どもの前なんでほどほどに頼む」


「分かってるわよぅ」


「このエダマメっていうの、美味しいよリュージ! カレーにも入ってる!」


 飲み過ぎないように念のため釘を刺しておくと、恋子先輩はオレに向けて舌を出した。

 うん、酔ってるな。

 そしてサニアは枝豆をプチプチと食いながら、空になった枝豆の莢を大量に延々と製造している。

 枝豆どころか、食材自体オレの部屋の冷蔵庫には無かったはずだから、昼間の間に翔子が買ってきたのかな。

 悪いことをした。後で金を払おう。


「私たちは先に済ませましたから、先輩の分のカレーも今温めますね」


 赤い顔で陽気に鼻歌を歌いながら台所に向かう翔子を制止する。


「あ、すまん。先にシャワー浴びてくる」


「それなら、私たちが入った後でもよろしければ、湯船にお湯張ってますから良かったらどうぞ。先輩の家で勝手に申し訳ないですけれど」


「気にすんな。こういう時くらいでないともったいなくて湯船使うタイミングないし、逆に助かるよ。ありがとう」


 着替えを取り出していると、酔っ払った恋子先輩がにししと笑ってオレの足を小突いてきた。

 座っている恋子先輩に対してオレは立っていたので、ちょうどいい位置にオレの太ももがあったのだ。


「乙女のエキスが染みこんでるわよ? 嬉しい? 嬉しい?」


「恋子先輩は歳考えろよ」


「コロス」


 お怒りになった恋子先輩は力いっぱいスーツ越しにオレの太ももを抓ってくださった。

 地味にいてぇ。

 あとスーツが皺になるんでやめてもらえますか。


「それよりサニアちゃんが異世界人だっていう決定的な証拠早く見せなさいよ。サニアちゃん本人と翔子ちゃんから直接話は聞いたけど、いまいち信じられないのよね」


 まあ、そりゃそうだろうな。

 立場が逆だったらオレもまず恋子先輩の正気を疑い、働き過ぎで頭がついにおかしくなったのかと心配する。

 オレ自身も含め三人とも、ワーカーホリックかと思うくらい仕事漬けの毎日だからな。

 週休一日は当たり前、それすら貰えない週も普通にわりとあるという。一番マシなのが保育園勤務の恋子先輩っていう時点でお察しだ。

 その恋子先輩も要領良く片付けてるだけだから楽に見えてるだけで、実際の仕事内容はクラス担任とかと違って園全体を見るから激務なことには変わりない。


「んじゃあ風呂入って飯食ったら入り口開けるから、それまで寛いで待っててくれ」


「そうさせてもらうわ」


 十分で風呂に入り、五分でカレーを食べた。

 悲しきブラック企業社員の性である。



■ □ ■



 風呂から出て翔子のカレーを食い、恋子先輩を連れて部屋の外に出る。

 季節は冬真っ盛りで夜風が冷たいのは分かりきっているから、二人ともコート姿だ。

 ちなみにカレーはとても美味だった。翔子の夫になる人は確実に胃袋掴まれるな。何度か食べて既に掴まれてるオレが言うんだから間違いない。

 明日からは大事に少しずつ食べよう。コロッケにしてもいいし麺類のソース代わりにしてもいいしパンにつけても美味い。ドリアって手もある。


「お前たちまで来なくてもいいぞ? 特に翔子は明日は仕事だろ?」


 ついてきた翔子とサニアを気遣い、帰るように促す。


「大丈夫ですよ。仕事柄夜更かしには慣れてますし、徹夜にも強い方ですから。でなきゃ医者なんて務まりません」


「私もエルナミラをもう一度確認したい。此処が居心地良くて、実は夢見てるんじゃないかと少し心配になる」


 まあ、そういうことなら構わんが。

 鍵をお隣さんのドアに突き刺し、回す。

 毎回思う。明らかに合う形状じゃないのに何で入ってしかもどうしてそれが回るんだよ、と。

 解せぬ。

 扉を開けると、既に数回目になるエルナミラのスラムの路地があった。

 真昼間だが、路地は薄暗く汚れていて全体的に灰色掛かっている。


「前回見た時も思いましたけど、こっちが夜なのに明るいのは妙な気分ですね」


「見た目は外国っぽいわよね。昼間なのも時差があるからってことにすれば説明がつくし」


「何で時差がつくほど遠い距離にある場所が今ここにあるのか恋子先輩今すぐ説明してくれ」


 オレの言葉に、恋子先輩は「うっ」と呻く。


「ふ、不思議なパワーで繋がっちゃってるとか?」


「じゃあ繋がった先の世界が異世界でも何もおかしくはないな」


 すかさず突っ込むと、恋子先輩は頬を膨らませた。


「ねえ翔子~。せやかてが意地悪する」


「そのあだ名はヤメロ!」


 恋子先輩はただでは倒れない。

 仕返しとばかりに、オレのトラウマを的確に抉ってきやがる。

 何せ小中高とずっとそれでからかわれてたからな!


「あはは……。ところでこの場所、この前私が見た時と同じ場所ですよね?」


「私が倒れてたところだよ、ここ」


 どうやら、サニアははっきりと場所を覚えていたようだ。


「別の扉もあの鍵で開けられるのかな? そうしたらまた此処と繋がる?」


「検証は後にしてまずサニアが異世界人だっていうことについて恋子先輩の意見を聞かせてくれ」


 事前に翔子とサニア自身から身の上話を聞いていたんだと思うが、恋子先輩が普通にサニアのことを受け入れているので、オレ自身ちょっと驚いている。

 信じてくれるに越したことはないんだけどな。

 少し考え込んだ恋子先輩は、オレに振り向いて自分の顎に左手の人差し指を当て、宙を睨む。

 考える時の恋子先輩の癖だ。


「……うーん、まあ、限りなく確信に近い疑惑かな。実際中に入って歩き回れば異世界かどうかははっきりすると思うわよ」


 完全に信じているわけではないらしい。

 とはいえ、これくらいの反応なら予測範囲内だしその中では良い方である。


「探索はそのうち行う予定だ。そのための準備を今している。出発は次の休みだな」


「オッケー、何曜日?」


「日曜日」


 システム手帳を取り出して自分の予定を確認する恋子先輩に、オレもシステム手帳を取り出して答える。


「あ、じゃあ私も行けるわね。翔子はどう?」


「私も死ぬ気でその日は休み取ってあるので大丈夫ですよ」


 手帳を取り出すまでもないのか、翔子は両手を空けたままだ。

 オレが休みなのは一ヶ月前から伝えてあったから、元々合わせるつもりだったのかもしれない。

 お互い休みは貴重だから、できるだけオレも翔子と重なるようにしているしな。


「直前で会社から仕事の電話が来ないことを祈る」


「うう、私もです」


「あはは、頻繁に呼び出される職種の人は大変だね。私保育士で良かったわ」


 今から戦々恐々としているオレと翔子に、恋子先輩は笑いながらも若干引いている。

 仕方ないんだよ。実際今まで散々邪魔されてきたし。


「四人で行ければいいな」


「私もショーコやコイシと一緒が良い!」


 元気よく飛び跳ねるサニアは出会ったばかりの印象が薄れて幸せそうで結構なんだが、スラム出身だからか行儀作法が行方不明になっている。


「年上を呼び捨てにすんな」


「なんで?」


 注意したら不思議そうな顔をされた。

 そこからかよ。

 唖然としていたら、翔子と恋子先輩が笑顔でフォローしてくれた。


「サニアちゃんが呼びやすい呼び方でいいですよ?」


「私もいいよー、気にしないし」


 フォローはフォローでも、オレのフォローじゃくてサニアの方かよ!

 畜生、女三人で男がオレ一人だと味方がいない。


「リュージ、細かいこと気にしてると禿るよ!」


「うるせえ」


 あと禿げねぇ。


「ところで、お前ら電車大丈夫か。急がないと終電無くなるぞ。ていうか本当に今すぐ走らないと間に合わないんじゃないか?」


「んー? 大丈夫だよ。今日は隆二の家に泊まる予定だから」


「は?」


 さらっと言われて聞き流しそうになったが、初耳だぞ、それ。


「すみません、その方が面白いからと恋子さんに口止めされてまして……。私は言った方がいいって止めようとしたんですけど、力及ばず」


「泊まること自体は一応客用の布団があるし構わないんだが。着替えとかメイク道具は大丈夫なのか?」


「明日は遅番だから、私は電車が動き出してすぐに帰れば着替える時間あるよ」


「実は、メイク道具一式と着替えを用意してきちゃいました」


 どうやら翔子もお泊りを期待していたようで、最初からそのつもりだったらしい。


「確信犯じゃねーか」


「す、すみません。やっぱり駄目ですよね。帰ります……」


「待て待て。カレー食わせてもらったし、その礼としてならいい。夜遅いから今さら帰すのも危ないしな。ただ次からはちゃんと事前に言ってくれ」


 ……今夜は理性との戦いになりそうだ。

 翔子も恋子先輩も美人だからな。


「わーい! やったー!」


 まあ、サニアが喜んでるならいいか。


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