第五話
現在時刻は十二時半くらい。ちょうどシステム保守で出向してる会社が昼休みの時間で、昼飯を食いながらノートパソコンで自衛用の道具を販売しているサイトを見ているところだ。
どうしてこんなサイトを閲覧しているのかというと、まあ、そのうちエルナミラに行ってみたい気持ちがあるからだな。
「警棒と、スタンガン、催涙スプレーは鉄板だな。防弾ベストは要るか? でも銃があるような世界でもないみたいだし、防刃仕様のものなら役に立つか」
素晴らしいことに、この会社は社員じゃなくても社員食堂の利用が可能で、外なら七百円から千円越えまでするメニューを無料あるいは三百円程度で食べられる。
しかも公共のWi-Fiがあってパソコンの持ち込みもOK。もちろん誰でも無線にも繋げられる。
正社員以外は社員食堂でもデスクでも昼飯を食べられないうちの会社とはえらい違いだ。ホワイト様と呼ぼう。
パソコンを操作しながら、電話しつつ昼食を取るなんて、優雅な身分になったもんだ。
まあ実際は、時間に追われて仕事する超絶ブラック会社の社員なんだが。
『さすがに銃は手に入らないですか?』
「手に入るわけないだろ。ここは日本だぞ」
少ない昼休みを費やして、今日も電話で翔子と相談だ。
負担になってやいないかという心配は無用らしい。向こうも良い気分転換になっているみたいだ。声が弾んでいる。
『昔と違って、パーツの輸入でも引っかかるものが多くなりましたもんねぇ』
「むしろオレはお前がそんな知識を持っていることに驚きなんだが」
『実は私、狩猟が趣味なんですよ。銃の許可証も狩猟免許も持ってます。大学時代に取りました』
「貴族かよ。ハイソな趣味だな」
『医者になってからは忙し過ぎてろくに撃ってませんけどね。ああ、仕事のことを意識するだけで手が震える禁断症状が』
怖いことを言われて、本気ではないと思いつつも、つい真剣に突っ込みを入れてしまう。
「おい、大丈夫か」
『冗談ですよ』
電話の向こうで、朗らかに翔子が笑う声がする。
『ところで、私の次の休みが来るまで待つのはやっぱり駄目ですか? 私もエルナミラに行きたいです』
「何時になるんだって話だし、医者のお前が音信不通になるのはまずいだろ。異世界にまで電波は届かないんだぞ。連絡が来たらどうするんだ」
『ですよねぇ。あーあ、先輩が羨ましい。私も現実逃避したい』
「オレは別に現実逃避してるわけじゃないんだがな」
『サニアちゃんのことはどうするつもりなんです? 戸籍も保険証もない状態なんでしょう? 怪我や病気になったら大変ですよ?』
翔子の指摘はもっともだった。
これについては、オレも早急にどうにかしなければと考えている。
飯を食わせるだけの関係で済むならどんなに楽なことか。
「すまん。知恵を貸してくれ」
しばらく、沈黙が続いた。
聞こえるのは、僅かに聞こえる翔子の息遣いと、職場である病院の雑多な物音のみ。
彼女らしくなく言い淀んだ後、翔子は真剣な声で告げた。
『先輩は本気でサニアちゃんを受け入れるつもりですか?』
「もちろんだ。招き入れたのはオレだ。責任がある」
『……なら、児童擁護施設を開きましょう。レストランの帰りにサニアちゃんが言っていたことを鑑みると、これからも第二第三のサニアちゃんが現れる可能性があります』
翔子も、オレと全く同じ考えを持っていた。
オレも翔子も同じ養護施設出身だが、今思えば外れの施設でいい経験は無かったから、正直翔子の提案には驚いた。
「そういや、あいつスラムの友達にも食わせてやりたかったって言ってたもんな。……育てるなら、受け皿が必要だよな、やっぱり」
おそらくサニアはあの時、初めからスラムの友達のところへ持っていくつもりで、わざと沢山料理を頼んだのだろう。
でもそれも空振りに終わって、サニアは未だに帰らずに、アパートのオレの部屋で独りオレの帰りを待っている。
今も。
既存の児童擁護施設じゃ駄目なんだ。サニアが異世界人であることがばれたら、大きく世界の流れが変わる。異世界にだって迷惑が掛かる。そんなことをオレは望んじゃいない。
『手続きや物件探しは私がやります。先輩はお金を集めてください。後は、職員の確保を』
「分かった。具体的に誰を集めればいいんだ?」
『看護師は私が用意します。嘱託医も引き受けましょう。他に必要なのは、保育士と児童指導員、あるいは教員、家庭支援相談員です。臨床心理士や調理師、栄養士の資格を持った方も必要です』
ざっと友人知人の顔を頭に思い浮かべた。
「保育士と家庭支援相談員については心当たりがある」
『となると、残りは教員に臨床心理士と栄養士、調理師ですね。私も知り合いを当たってみますから、先輩も探してみてください。後はとにかく、先輩は異世界を利用してでも何でもいいので、資金の調達をお願いします。一から開くのなら、最低でも二億円以上ないとどうにもなりません。万全を期すならその倍は欲しいです』
「凄い額だな……責任重大じゃないか」
オレとしては、サニアと暮らすことについて、明確なビジョンがあったわけではない。
思っていた以上の大事になりそうで、オレは怖気付きそうになった。
『子どもの人生を左右するんですから当然です。それに、最初は無認可でもいいんです。そうすれば、開設に必要なハードルがぐっと下がりますから。既にサニアちゃんは居るんですし、まずはサニアちゃんの生活を改善するのが最優先です。今もあのアパートで一人なんでしょう?』
「ああ」
『なら早く形にしてください。サニアちゃんに幸せな未来が訪れるかどうかは、先輩の手に掛かっているんですよ』
そんなオレに発破をかけて、翔子は電話を切った。
昼休みが終わる。そろそろ仕事に戻らなければならない。
(必要なのは、資金稼ぎに、人材の調達か。やってやろうじゃないか)
元より、中途半端な思いで相談したわけじゃない。
翔子が言ってた通り、サニアの今後が掛かってるんだ。
大人として、中途半端な気持ちじゃいられない。
決意新たに、オレは席を立った。
「あ、おばちゃん食器返却します」
「あいよ。残飯はそこに流してトレーとかはこっちに置いておいてね」
最後の最後で締まらないオレだった。
■ □ ■
仕事が忙しくて、次の休みまで何もせずに待っていたら二週間近くサニアを放置することになりかねない。
時間の合間を縫ってトイレに駆け込み、個室に篭って大をしながらその三分ほどでメールを作成する。
……大にすら三分くらいしか使えないことに慣れ切ってしまった自分が悲しい。
『相談したいことがある。仕事終わった後で電話してもいいか?』
完全にタメ口な文面だが、仕事で関係あるわけじゃないし、この人の場合私生活の方で付き合いがあるので、こういう時逆に敬語だと怒られる。
翔子は完全にオレに対して大学時代からの延長線上の話し方をするので、この辺りはもう性格だと思われる。
もっとも、翔子の場合はちょっと特殊な事情があり一概には言えないかもしれないが。
返事が来る前に仕事に戻り、当たり前のように上司に残業を押し付けられて頭の中で上司の薄くなった髪を引っこ抜きながら終わらせると、スマートフォンに返信のメールが入っていた。
『いいよー。仕事今終わったからこれからならいつでも大丈夫! 今日のおゆはんはビール片手に焼き鳥です』
メールした相手は、高校の頃お世話になったサッカー部の先輩である。
選手ではなくマネージャーだった人で、名前を海峰恋子という。もちろん女子だ。名前はれんこでもこいこでもなく、こいしと読む。初見ではまず間違えられる名前で、本人もよくネタにする。ちなみに「東方か!」という突っ込みが通じてしまうオタクさんでもある。
大学は短大に進み、現在は主任保育士として私立の保育園でオレや翔子と同じく多忙な毎日を送っている。
ちなみに年齢はオレがブラック会社に勤めて十二年目のサラリーマン三十二歳、翔子が後期研修を終え正式に医者となったばかりの三十一歳、恋子先輩が一つの保育園に勤続八年目でオレより一つ上の三十三歳だ。
もう先輩後輩という間柄じゃないし、会話も大体タメ口なのに、つい学生時代の癖で名前に先輩つけて呼んじまうんだよな、オレ。
着信時刻は夜の八時十七分頃。そして現在時刻は夜の十一時時十七分。
我ながら遅すぎぃ!
会社を出て、寒さで震える手でメールを打つ。
『すまん今仕事終わった。まだ大丈夫か?』
『相変わらず忙しそうだね。もうすぐ寝るから今すぐカモーン』
すぐに返事が帰ってきた。
翔子もそうだが、恋子先輩も反応がクッソ早い。
ブラックな仕事内容に慣れちまうと、日常の細々としたことがやたらと早くなるのは、オレとしても経験済みなので驚かない。職業病みたいなもんだ。
悪いことばかりでもなく、食事にかける時間、メールの送受信、部屋の掃除の段取り、普段の歩くスピードだとか色々早くなり、自宅にいる間の数少ない余暇に当てる時間を増やせる。やったね! 自由時間がちょっとだけ増えるよ!
嬉しくねぇ。
連絡帳から恋子先輩に電話した。
『こんばんはー。珍しいね、せやかてから電話なんて』
「そのあだ名は止めろ」
『あっはっは。で、どうしたのよ隆二』
「保育士を探してるんだが、お前転職する予定とか無いか?」
『責任ある地位にいるのでおいそれとすぐには辞められませんがな! あんたもずっと今の会社に勤めてるんだから似たようなものでしょ?』
「オレにそんなものは無い。クソ上司に手柄全部持ってかれてるからな。未だに平社員だよ。ぶっ殺してぇ」
あのクソ上司は押し付けられた仕事をオレが必死こいて完成させたら自分の仕事成果として回収していくのだ。にも関わらず、失敗したらもちろんオレの責任になる。上司自身がコネ入社で社長の親族だから文句も言えん。
まあ、順風満帆だった大学を中退して、明らかにブラックな中小企業に入社したオレが悪い。
『……御愁傷様。でもそのお陰で出世コースの可愛い後輩には慕われてるんだし、役得もあるんじゃないの? どこまでいった? お姉さんに話してみなさいよー』
「ねーよ。お互い食事して雑談してサヨナラだ」
『え? 服買いに行ったりは? 映画見に行ったりは? まさか食事するだけ?』
「最初の頃にアイツが病院に呼び出されたりオレが会社に呼び出されたりすることが立て続けに起きて、自然とそうなった」
『翔子ちゃん……可哀想な子……!』
まあ、恋子先輩の言う通り、オレもちょっと間が悪かったと当時を振り返ると思わざるを得ない。
本当図ったように、翔子が「この後、服買いに行きません?」とか「今日上映の映画のチケットがたまたま二人分あるんですけど、良かったら一緒に見ませんか?」とか誘ってくる度、オレか翔子かのどちらかが必ず緊急の仕事が入って潰れたからな。
『で、どうして保育士を探してるの?』
「……翔子と話してて、児童擁護施設を開こうって話になってな」
『どうしてそんなことになったの? アンタたち、あんまり施設に良い思い出が無いって言ってたじゃない』
「そうなんだけどな。ちょっと今、オレの部屋で訳有りのガキを預かっててさ」
『は?』
あ、電話の向こうで恋子先輩が絶句してる。
「親類縁者がいない無戸籍児で、戸籍が無いから放っておくわけにもいかないんだよ」
『警察と児童相談所に任せなさいよ。そういうのは』
「訳有りって言ったろ? 異世界人なんだよ」
『……ふざけてるの?』
「ふざけてねーよ。恋子先輩も見れば分かるよ。見た目モロ外国人だし。聞いたこともない、ネットで検索してもヒットしない国から来たっていうし」
『分かった。明日、仕事終わった帰りにアンタの家に寄って直接話聞く』
「オーケー。明日もオレは今日と同じくらいの帰宅になるから、サニアには言っておく。あ、サニアってのはその子の名前な」
恋子先輩との電話を終えたら、間髪要れず今度は翔子から掛かってきた。
『明日休みなんですけど、先輩の部屋でサニアちゃんと遊びたいです。いいですか!?』
「……構わんが、夜から恋子先輩がサニアのこと見に来るぞ。それでもいいか?」
『構いません! サニアちゃんに私が来ること伝えておいてくださいね!』
明らかにウキウキとした声で、翔子が電話を切る。
……さて、サニアに電話するか。