第二十七話
それからは各科目の教科書が配られた。
簡単なひらがなで書かれた教科書で、見ていると何だか懐かしさを覚える。
ちなみにサニアの勉強に関して、オレはあまり心配していない。
回りだって、去年までは幼稚園か保育園に通っていた子たちばかりだ。文字の理解度はサニアとどっこいどっこいだろう。
むしろ、精神的には回りよりもはるかに発達しているので、学習スピードは早そうだ。
実際、動画の撮り方とかネットへのアップの仕方とかすぐに覚えたしな。
配布物を受け取り続いて保護者会の役員決めなども行い、二時間程度で解散となった。
「楽しかったー!」
サニアはぐっと伸びをし、両手を上に上げた大の字で万歳をして、身体全体で喜びを表現している。
「そ、そう? 普通じゃない?」
絵璃座ちゃんはこれくらいなんともないのよとでもいいたげな態度を取り繕おうとして、口元がにやけて失敗している。
やはり、子どもにとっては入学式というのは一大イベントなのだろう。
特にサニアにとっては、全てが未知の領域だ。
ランドセル一つにだって、物凄く興味深々だった。
子ども二人はすっかり意気投合したようで、ランドセルを背負った背中が二つ並んで歩いており、その手が片方ずつしっかりと握られている。
日本でできた初めての友達ということで、サニアはいうまでもなく絵璃座ちゃんのことを大切にするだろうし、絵璃座ちゃんも自分と特徴が似ているサニアを受け入れたようだ。
まあ、サニアは金髪なのも小麦色の肌なのも元からで、恐らくは染髪と焼いた肌に色つきのファンデージョンで顔を黒く見せている絵璃座ちゃんとは違うのだが、まあ見た目は似ているといえば似ている。
ただ、絵璃座ちゃんの場合しっかり育美さんに化粧までされているのでアイシャドーがどぎつく完全に子どもに見えないのがアレだが。
後でサニアには絵璃座ちゃんの格好は真似するなよといい含めておこう。山姥みたいになられると色々対応に困る。
「良かったら、これからお昼でも一緒にどうですか?」
靖弘さんがオレたちを食事に誘ってきた。
今はちょうど十一時過ぎで、これから店を探せば見つかる頃にお昼時になっているだろう。
オレは翔子と顔を見合わせる。
翔子は特に反対するつもりはないようだ。
頷いて、任せますとでもいうように微笑んでいる。
「ではお言葉に甘えさせていただきましょう」
「やった。ショーちゃん、どこがいい?」
「ショ、ショーちゃん……? 私ですか?」
育美さんに妙な呼び名で呼ばれ、翔子が目を白黒させた。
「ソソ。翔子ちゃんだからショーちゃん。カワイイ名前だよねー」
「ありがとうございます……?」
一応名前を褒められたのだからと翔子はお礼をいうが、語尾が上がっており。脳内では疑問符が飛び交っているのが察せられる。
「お二人とも、何か嫌いなものとかありますか? あるいはサニアちゃんに食べられないものとか」
靖弘さんが好き嫌いやアレルギーの有無を尋ねてくる。
翔子とは付き合いが長いからお互いの好き嫌いなどは把握しているし、サニアも特に食べられないものについてはないことを最初の頃に確認している。
嫌いなものを間違えて出すくらいならまだいいが、うっかり知らずにアレルギーで食べられないものを食べさせちまったら大変だから、その辺りの対応は真剣に行ったのだ。
「大丈夫ですよ。オレも翔子も特にありません」
「私も何でも食べられるよ! 日本の食べ物って美味しいから私、大好き!」
「サニアちゃん、すごーい! 絵璃座は野菜が嫌いなのよ。ニンジンとか食べられないの」
「マ、ママもセロリとパセリ嫌いでしょ! 一緒だよ!」
オレとサニアが答えていると、育美さんと絵璃座ちゃんの間で暴露合戦が勃発していた。
「おお、凄いですねぇ。俺たちは三人とも嫌いなものが多くて。ちなみに俺は刺身が苦手です」
靖弘さんは苦笑して頭をかいた。
まあ大人でも、好き嫌いの一つや二つあって当たり前だよな。
幸いといっていいのか、オレと翔子にはないしサニアもスラム育ちで何でも食べられるから忘れがちだが、普通は好き嫌いがあって当たり前なのだ。
「あ、そこの焼肉なんてどうっすか」
昼間に子供連れで焼肉か……。
まあ、サニアのためと考えれば何事も経験かな。
翔子と顔を見合わせ、返答はオレが行う。
「いいですね。ならそこにしましょうか」
「えー。もっとお洒落なところにしようよー」
実は内心オレも焼肉はどうなんだと思っていたのだが、どうやら育美さんも同じだったらしい。
「なら、育美さんは何が食べたいですか?」
「んー、イタリアン!」
「だそうですよ、先輩」
聞くのはいいが、どうしてそこでオレに振るんだ。
「どうします? イタリアンの提案も出ましたけど」
「うーん……子どもたちの意見を参考にするのはどうっすか?」
まあ、それが妥当か。
「臭いがつくから焼肉はちょっと……」
「イタリアンって何? 家で焼肉は経験あるけど」
なかなかおませなことをいう絵璃座ちゃんに対し、サニアはそれ以前の問題でイタリアンが何かということ自体を知らなかった。
まあ、異世界人だからな。仕方ない。
ちなみに焼肉は楽なのでオレはよくサニアと一緒にアパートで暮らしていた頃はホットプレートでよくやっていた。
「えっ? サニアちゃんイタリアン食べたことないの? パパ、焼肉じゃなくてイタリアンにしようよ!」
「おう、じゃあ、そうするか」
「やったー! じゃあお店検索するよ!」
育美さんが喜んでスマホを取り出し、ネットで近場の店を探し始める。
携帯端末一つで店を探せるなんて、便利な時代になったよなぁ。
ヒットした店に、皆で向かった。
■ □ ■
真夜中、最後のエンターキーを叩いて、オレは床に寝転がった。
天井を眺めながら、深く息をつく。
「やっとできた……」
ずっと取り掛かっていた、サニアの声を用いた文章読み上げソフトがついに完成したのだ。
上体を起こすと、いくつかの文章を即興で作って読み上げさせる。
『朝だよ。起きて準備しよう。朝ごはんできてるよ』
『お昼だよ。お昼ご飯の時間だよ。皆集まってね』
『夜だよ。晩ご飯ができたよ。お疲れ様』
『お風呂が沸いたよ。順番に入ってね』
『消灯時間だよ。それじゃあ、また明日』
電子音声と分かるものの、元となったサニアの声の特徴が強く残っている声。
もっと電子音声っぽくすることもできたのだが、サニアらしさを残しておきたかったのでこうなった。
「あれ……今の声……私……?」
背後から聞こえてきた声に振り向くと、パジャマ姿のサニアが立っていた。
「ん? まだ起きてたのか?」
「ううん……。トイレに行きたくなって目が覚めて、今行ってきたとこ。そうしたらリュージの部屋がまだ明るかったから」
眠いのか、目を擦りながらサニアが答える。
「そっか。悪かったな」
「そんなことない。それより、何してたの?」
「ああ、前にいってただろ。お前の声を使った文章読み上げソフト。それがついさっき完成してな。テストしてたんだ」
ほら、と使っていたノートパソコンをサニアの方に見せると、好奇心で表情を輝かせて近寄ってきた。
扉は最初から開きっぱなしなので、入ることにも入られることにもお互い抵抗感はない。
「へえ……。だから私の声がしたんだ」
「結構加工してあるから、よく聞いたら違うけどな。似てるのは確かだが」
「そっくりだったよ。本人がいうんだから間違いないよ」
何故か自信満々なサニアは、キーボードと液晶モニターを交互に見ながら文章を打ち込み始める。
どうやらまだブラインドタッチはできないようだ。
まあ異世界人だし、日本に来るまでは触ったこともないのだから当然である。
むしろ、この数ヶ月でここまでできるようになったことこそを褒めるべきだろう。
『私は、工藤サニアです』
ノートパソコンから、サニアが打ち込んだ文章が、サニアによく似た電子音声で読み上げられる。
『日本とは違う世界にあるエルナミラという国のスラムで、孤児として暮らしていました。ある日、リュージが拾ってくれて、私を家族にしてくれました。他にもショーコやコイシ、アヤメやセイジにユータ、カスガ。たくさんの人たちが助けてくれました。絵璃座っていう友達もできました。日本人なのに私に似ててちょっと変だけど、いい子です。ありがとう、リュージ。皆、ありがとう。私、工藤サニアは今、とても、幸せです』
思わず、オレはサニアを見た。
「えへへ。直接口にするのは恥ずかしいから」
オレを見上げるサニアがはにかむ。
驚いたのは内容もそうだが、いつの間にかサニアがパソコンとはいえ、こんな日本語の長文を打てるようになっていたことについてだ。
「勉強は、楽しいか?」
「うん! すっごく楽しいし、面白いよ!」
尋ねたオレに、サニアは満面の笑顔を見せた。
「そっか。良かったな」
サニアの頭をくしゃりと撫でる。
まるで機嫌のいい猫のように、サニアが目を細めた。
「リュージ、これからも一緒にいようね」
「おう。少なくともお前が結婚するまでは一緒にいてやるぞ。義理とはいえ父親だからな」
「もう! そこは嘘でも死ぬまで一緒っていうところでしょ!」
「子どもは親元を羽ばたいていくもんだ。いつまでもオレと一緒にいてどうする。それに、いつか親と子は離れていくもの。だからこそ一緒にいる今が愛しい。そうだろ?」
「……うん。そうかもしれないね。じゃあ、私にお婿さんが見つかるまでは一緒にいてよね。約束だよ」
「おう。しっかり甘えとけ」
「うん! 甘える!」
サニアが抱きついてくるのを受け止めてやる。
その時ふとパソコンの横にある、写真立てが目に留まった。
写真には、タキシード姿のオレとウエディングドレス姿の翔子の真ん中に、子供用のドレスを着て元気いっぱいの笑顔を浮かべたサニアの姿が写っていた。
END