第二十三話
まずは正治さんから起こしに行くことにした。
部屋を訪ねると、既に扉が開いている。ということは、もう起きているようだ。
一応寝ている間は扉を閉めてもいいことになっている。寝ている間も開けておくのは、それはそれで問題がある。
それにこの方法なら起きてるのかそうでないのか一目で分かる。
廊下から部屋の中を覗いてみると、案の定誰もいない。
どこにいったのかと思っていると、廊下の先にあるトイレが開いて中から正治さんが出てきた。
もうしっかり身支度を終えた姿だ。
ズボンは鼠色のスラックスで、白いワイシャツの上に模様入りで黄土色のセーターを着ている。
年配者らしく、私服姿ながらけっこうきっちりとした格好だ。
「おや、工藤さんにサニアさん、おはようございます。お二人とも早いですね」
「おはようございます、正治さん。菖蒲ちゃんから伝言です。六時半から朝食だそうですよ」
「セイジ爺ちゃんおはよう!」
何がどうしてそうなったのかは知らないが、いつの間にかサニアは正治さんのことをセイジ爺ちゃんと呼ぶようになっていた。
正治さん本人もサニアに呼ばれたら嬉しそうに返事をしているので、あえて訂正するようなことはせず、そのままにさせている。
「ありがとうございます。では、私はぼちぼち向かうことにしましょう。お二方はどうしますか?」
「オレたちは悠太と春日君の様子を見てきます」
「なら、私は蒲原さんの手伝いでもしていますよ。料理はほとんどしたことはありませんが、皿を並べるくらいならできますからね」
あまり自慢にならないことを笑っていいながら、正治さんが食堂に向かうのをサニアと二人で見送る。
次に向かうのは悠太の部屋だ。
「ユータの部屋、閉まってない?」
「ああ、閉まってるな。まだ寝てるみたいだ」
閉ざされている扉を見て、ひそひそとサニアと話し合う。
「どうする? 叱る?」
「いや、別にそこまではしなくていいだろ。まだ一日目だしな。でも菖蒲ちゃんを待たすのも悪いし叩き起こすぞ」
「私やる!」
マスターキーで鍵を開けると、案の定悠太がベッドの上でだらしなく口を緩ませて寝ていた。
随分と幸せそうに寝てるなコイツ。
「ふっふっふー」
悪戯っぽく目を半眼にしたサニアが、無防備な悠太を目にして何もしないはずがない。
部屋の端まで助走距離を取って、ベッドの上の悠太目掛けてジャンプしてダイブする。
フライングボディープレスだ。
「くっらえー☆」
「ごふぅ!」
文字通りサニアに叩き起こされた悠太は目を白黒させて咳き込んでいる。
「い、一体何が……サニアちゃん?」
周りを見回した悠太は、布団の上に座っているサニアを見てがばっと状態を起こした。
「わっ?」
「あれ! 何でサニアちゃんが俺の家にいるの!? 夢!? これは夢!?」
「落ち着け。あとここはお前の部屋だが家じゃない。元々の部屋と混同してないか」
「あっ、工藤さん。……なんだ夢かー」
オレの顔を見て、悠太は露骨にがっかりしている。
何を期待したんだよ。気になるだろ。
「悪かったな、オレで。菖蒲ちゃんが朝食作ってくれてるから、六時半までに食堂に来いよ。皆で朝食だ」
「分かりました。着替えて向かいます」
「私たちはカスガの様子見てから行くから、またねー!」
悠太を起こしたその足で、今度は春日君の部屋へ向かう。
それが終われば、オレたちも食堂に集合だ。
ほどほどに時間が経っているので、時間的にもちょうどいいだろう。
向かっていたオレとサニアの目の前で、春日君の部屋の扉が開いた。
「あ、おはよーカスガ! タイミングいいね! 六時半から朝食だよっ」
ててててと小走りで走ったサニアが、春日の前でしゅたっと手を上げる。
「おはようございます、サニアちゃん。工藤さんも、おはようございます」
穏やかな笑顔で、春日君がサニアとオレに挨拶を返す。
「おう、おはよう」
オレも春日君に挨拶を返すと、春日君は不思議そうな表情でオレとサニアに尋ねてきた。
「そういえば、先ほど隣で大きな音がしたんですけど、何かありましたか?」
「ああ、悠太のやつをサニアが起こした音だ。気にすんな」
「随分大きな音でしたけど……まあ、気にしないことにします」
苦笑した春日君はそれほど詮索するつもりはなかったらしく、深くは突っ込まずに流してくれた。
「菖蒲ちゃんが今朝食を作ってくれてるから、六時半に食堂に集合な」
「分かりました。わざわざありがとうございます」
礼を述べて着替え始める春日君の下を辞し、今度は翔子と恋子先輩の様子を見にいくことにした。
「本命だね、リュージ!」
「何のだよ」
サニアと漫才のようなやり取りをしながら、翔子に宛がわれた部屋に向かう。
一応中を確認しておくのだ。
翔子の部屋はオレたちの部屋と同じ、職員の部屋が集まる一角にある。
正確には、何故かオレの隣だ。ちなみにもう一つ隣は恋子先輩である。
どちらもオレが廊下に出た時には扉が開いていたので、起きていることは分かっており、後回しにした。
「翔子、いるか?」
「はい、いますよ。先輩の後ろに」
「ヒェッ」
廊下から翔子の部屋を覗こうとしたら背後から翔子の声が聞こえたので、思わず驚いてしまった。
心臓に悪い登場の仕方はやめてくれ。
■ □ ■
翔子は既に病院にいる時と同じ白衣姿だった。
既に身支度も整え終わっているらしく、うっすらと化粧しているのが分かる。
まあ、翔子の場合は元々があまり化粧しない性質だから、ナチュラルメイクですらないナチュラルなメイクなのだが。
似たような表現でも、その内容は多いに違う。しっかり手を込ませてナチュラルに見せられるほど、翔子に化粧スキルがあるわけではない。残念ながら。
朝食について伝え、その後も多少談笑を続ける。
「あ、そうだ。先輩、菖蒲ちゃんの研修を引き受けてくれた管理栄養士さんが、午後に来てくださるらしいですよ」
「おう、分かった。菖蒲ちゃんには俺から伝えておく。お前の医院についてはどうなってる?」
「設備等の手配は済んでますから、後は人員の配置ですね。看護士の方を雇いたいのですが、まだ希望者は来ません」
「そうか。来るまでは春日君に兼任させるか?」
「まだ正式に開いたわけではないので大丈夫ですよ。私もしばらくはサニアちゃんの診療に専念するつもりですから。異世界ですし、些細なことからどんな病気が持ちこまれるかも分かりません。逆に既に存在する病気がサニアちゃんにとってどんな影響を与えるかも不透明なので、目が離せませんよ」
「あー、そりゃ、確かにそうだなぁ。こまめに定期健診をやった方が良さそうだな」
「そうですね。その方が早期発見に繋がりますし、発見が早ければ色々選択肢がありますから」
昔はほとんど知識量に差がなく、むしろオレの方があるくらいだったが、もはや比べ物にならないくらい翔子とオレの医学知識には差が開いている。
だから、オレは医療に関しては完全に証拠に一任するつもりでいた。
もちろん相談などがあれば乗るし、助けが必要ならいくらでも手を貸すつもりだが。
「ところで、これからは一緒にお休みが取れますね?」
ニコニコと満面の笑顔で翔子が嬉しそうに身体を寄せてくる。
「ああ、そうだな。今までは全然取れなかったから、何だか新鮮だな」
「というわけで、次のお休み一緒に出かけませんか?」
何がどういうわけなのかさっぱり分からなかったが、見るからに浮かれている翔子を見ているとこっちも楽しくなってくるし、翔子とは一緒にいて苦にならない。
翔子の誘いはオレにとっても正直渡りに船だった。
「いいぜ。次の休日な」
「やった! じゃあ、詳しい話はまた週末が近くなったらしましょうね!」
「おう」
会話を切り上げ、機嫌良さそうに去っていく翔子を見送り、オレは続いて恋子先輩の部屋に向かう。
「海峰さん、起きていますか?」
扉が閉まっていたので寝ているのかと思いノックをすると、中から不機嫌そうな声で返事があった。
「海峰なんていう人は寝ていますが、恋子お姉さんは起きているわよ、せやかて君」
苗字で呼びかけたせいか、酷く不満そうな声が返ってきた。
納得してたんじゃなかったんかい。
あとせやかてはヤメロ。
仕方ないので、一時的に言葉使いを元に戻した。
「他の人の目もあるんだから、きっちりしておかないと恋子先輩が低く見られるだろ。嫌だぞ俺は、そんなの」
「……はあ。これだからアンタはトウヘンボクなのよう。翔子ちゃんも苦労するわね、これは」
トウヘンボクいうな。
一応理解はしているつもりだぞ。翔子に好意を抱かれてるっていうのは。
「だったら私にもちゃんと気を使いなさいよ。始業時間前ならいつも通りでもいいじゃない」
オレは未だに、恋子先輩がオレにタメ口を叩かれて喜ぶ理由が分からない。
だから、オレにとっていまだに恋子先輩の不満の理由というものが理解し難い。
仕方ない。このまま不満を溜め込まれてもこまるし、ここは恋子先輩の言う通りにしよう。
「分かったよ、恋子先輩。これでいいだろ? ったく、その代わりオフの時以外はやらないからな?」
「十分よう。あんたの敬語は聞いててこそばゆいのよ。そのままでいいわよ」
割とひどい言い草だなオイ。
まあいいが。
「とりあえず、開けるぞ。今大丈夫か?」
「どうぞー」
暢気な恋子先輩の許可を得て、オレは扉を開けた。
恋子先輩が下着姿で着替えていた。
無言で扉をそっと閉じる。
「全然よくねえじゃねえか!」
「えー? 別に今更見られて恥ずかしがる歳でもないし、工藤に覗かれたところで気にしないわよ」
おかしい。
むしろ呆れたいのはオレの方の筈なんだが、なぜかオレが呆れられている。
「よっし準備できた。さあ、行きましょ。ご飯なんでしょ?」
「おう、六時半だ。今から行けばちょうどいい時間だな」
「それじゃあ行こう! リュージ、コイシ!」
「あはは。サニアちゃんは朝から元気だね。良いことだよ」
翔子と恋子先輩の二人に遠慮していたのか、黙っていたサニアがオレと恋子先輩を急かす。
そんなサニアの手を自然に手に取り、恋子先輩は歩き出す。
物凄く自然で手馴れた動作だった。
うーん、やっぱり子どもの扱いについては恋子先輩が一番上手いな。さすが保育士。
正治さんとか悠太も悪くはないだろうけど、まだよく知らないし、何より二人は教育者としての側面が強そうだ。
「とりあえず、オレも行くか」
全員に声をかけ終わったので、オレもサニアと恋子先輩の後を追うことにした。