第二話
何とか仕事を終わらせて、日付が変わる前に家に帰ることができた。
勤めているのが夜は遅いが朝も早いというブラックな会社だから、当然今朝オレが起きた時あの子どもはまだ寝ていた。
もちろん子どもが使っているのは布団だ。そして家主の自分は床で雑魚寝だ。クソッタレ。
布団洗いたいけど休みが無い。くそ上司死ね。
自分の仕事まで部下に押し付けようとしてくるいけ好かない上司に呪詛を吐きつつ、扉を開ける。
昨夜は妙なことになっていたが、きちんと仕事中に児童相談所に連絡を入れておいたから、昼間のうちに職員が子どもを連れて帰っているはずだ。
「お腹空いた」
「何でまだ居るんだよ……」
扉を開けたらワイシャツ姿の褐色肌の美少女が居た。
確かに電話したはずだぞ。仕事しろよ。
「児童相談所の職員はどうした。来なかったのか」
「知らない」
「知らないってお前な」
「知らないものは知らない」
「オーケー、言い換えてやる。オレが留守にしている間にチャイムが鳴らなかったか? こういう音だ」
外に出て実際にチャイムを押して実演してやる。
子どもの目が泳いだ。
「……あったんだな?」
「……うん」
気まずそうな顔だった子どもは、それでも好奇心で目を輝かせる。
「それがこの部屋に人が来た合図の音?」
「そうだ。まずこいつが鳴るから、扉の覗き穴から外を確認しろ」
「私の背じゃ届かないよ」
「椅子でも何でもいいから使え。確認せずに開けるなよ。ていうかチャイムの音聞いたことないのか」
「うん。聞いたことの無い音だったから昼間は怖くて隠れてた」
「……原始人か?」
「それはさすがに失礼だと思う」
子どもが不満そうにぷくぅっと頬を膨らませる。
浮浪児みたいな姿だった昨日とは違い、今の彼女はどこから見ても外国人の美少女だ。
髪の色はくすんだ金髪で、肌色に近く、瞳の色ははしばみ色をしている。
元々の持ち物らしいぼろぼろの髪紐でちょろっと伸びた後ろ髪を括っているのが歳相応に子どもっぽい。
親兄弟も親類も保護者すら居ないという外国人の少女。
普通なら知っている常識を知らない。
どこからどう見ても普通じゃない。
「お前、どこで生まれた」
「……多分、此処」
「日本生まれなのか? なら探せば戸籍があるかもな」
「ニホン? なにそれ」
「マジかよ……」
いくら外国人とはいっても、日本すら知らないってどういうことだよ。
おかしいってレベルじゃねーぞ。
そもそも知らないならどうやって日本に来たし。
「ニホンってどこの国?」
「お前が今立っている場所の国だよ」
「えっ」
二日目になってどこかのほほんとしていた少女の顔色が初めて変わった。
「エルナミラじゃないの?」
「そんな国地球上にあるのか? 初めて聞いたぞ」
「ル・テラじゃ一番栄えてる国だよ。まあ私はエルナミラ生まれでもスラムの孤児だから、その日の食事にも困るくらい貧乏だけど」
ちょっと待て。新しい情報がいろいろ出過ぎてさすがに理解が追いつかん。
考える時間をくれ。
「ここ見慣れない場所だし、やっぱりおじさん人攫い?」
「オレはおじさんじゃねえし人攫いでもねえ。人聞きの悪いこと言うな」
「おじさんエルナミラ語上手いね」
「そんな謎言語喋った記憶はねーぞ。オレが使ってるのは日本語だ」
「え?」
「え?」
事の異常さにお互いが気付いて口を噤んだ。
子どもが言うには、オレは出会った時からずっとエルナミラ語という言葉を流暢に話しているのだという。
でもオレは日本語しか話せないし、子どもが話しているのも日本語にしか聞こえない。
どういうこった。
誰かの腹が鳴った。
「……まあ、とりあえず飯にするぞ。難しい話はそれからだ」
「賛成。お腹空いた」
「テレビでも見て待ってろ。すぐ作るから」
昨日と違って調子は良さそうだし、今日は普通に作るか。
でも子どもって何が好きなんだ。
ハンバーグとか、エビフライとかそんなの?
でも今から作ると確実に日付変わるな。
……オムライスにしよう。
子どもならオムライス好きだろ。たぶん。
オムライスを二人分作って居間に持っていったら、子どもがテレビを見ていた。
電源を入れずに。
「ねえ、このテレビってやつ全然面白くないんだけど」
「テレビを見ろとは言ったが、そのまま見つめる奴をオレは初めて見た」
「見ろって言ったのそっちじゃん」
「……電源をつけろ、電源を」
「何それ?」
「ここか、こっちのリモコンのこのボタンだ」
「うわっ、何これ小人がいっぱいいる!」
電源を入れてやるとたまたまサッカーの中継が流れていた。
子どもは興味津々のようだ。
つか小人ってサッカー選手のことか。
「あれ!? 巨大化した! え!? 元に戻った!」
「とりあえず戻ってこい。飯食うぞ」
テレビにかじりつく子どもを手招きすると、名残惜しそうにしつつも素直に座卓までやってくる。
にしても、二人で食うだけで面積がぎりぎりだな。明日は休みだし、もう少し大きいタイプを買うか。幸い金はあるしな。
「わあ……!」
オムライスを見て、子どもは目を見張り、うっとりとして唾を飲み込む。
「こ、これ食べていいの? 返さないよ?」
「そりゃそのために作ったからな。遠慮なく食え。ほら、スプーンだ」
「あ、ありがとう!」
スプーンを固く握り締めて、緊張した表情で一口目を掬って口に入れ……一心不乱に食べ出した。
おー、よく食うよく食う。
表情が緩んで、子どもの顔に笑顔が浮かんだ。
……そろそろ、聞きたかったことを聞いちまうか。
「お前、なんて名だ?」
「う? サニアだよ?」
「そっか。オレは工藤隆二だ」
苗字のせいで自己紹介するとよく「せやかて工藤!」とか言われてからかわれたりしたんだが、まあ当然というか、サニアはオレの名前で某小さな探偵漫画を連想したりはしなかった。
ていうか、多分漫画自体を知らなさそうだな、こいつ。
「クドーリュージ?」
「隆二が名前で、工藤が苗字だ。呼びにくけりゃ隆二でいい」
「じゃあリュージって呼ぶね! リュージ、リュージ!」
嬉しそうに笑顔でオレの名前を連呼するのは良いんだが、微妙に発音がおかしいぞ。まあ気にするほどじゃないが。
オレの方が先に食べ終わり、サニアが粗方オムライスを食べ終わるのを待って、オレは本題を切り出す。
「警察に連絡するなり児童相談所に相談するなり任せちまうのが、一番良いと思ってたんだがな」
「私、リュージの邪魔? なら出て行く……」
「話は最後まで聞け。他人に任せても、一人で出て行っても、お前は元居た場所に戻れない。多分だけどな」
「何言ってるの? 来た道戻ればいいじゃん それともやっぱりリュージは奴隷商で私を売り払うつもりなの? それでもいいよ。リュージ優しくしてくれたし。拾われてなかったら私死んでたかもしれないし」
「だから最後まで聞けって。お前がいたエルナミラとかいう国だけどな。たぶんどこにも存在しねーぞ」
「……私たち、普通に今エルナミラにいるじゃん。リュージがエルナミラ人かどうかはまでは知らないけど」
「だったらこの景色をお前が言うエルナミラで見たことはあるか?」
サニアを連れてベランダに出て、外の風景を見せてやる。
道という道はアスファルトで舗装され、街灯が闇を照らし、遠くではビル群が立ち並びネオンが煌く現代日本の夜を。
「……何これ。こんな景色、知らない」
「これがオレが住み、お前が今いる日本っていう国の景色だ。どういうわけだか知らないが、お前はお前の言うエルナミラとかいう国から、日本に迷い込んだ。お前が嘘を言ってなければだけどな」
「私、嘘なんてついてない!」
「分かってるさ。嘘にしちゃお前は知らないことが多過ぎる。演技してるようにも見えないしな」
しゃがみ込み、泣きそうな表情でオレを見上げていたサニアに視線を合わせた。
「一つ聞く。お前、帰りたいよな?」
まあ、嫌って言われても困るんだが。このままじゃオレは身元不明の外国人女児を部屋に連れ込んだ犯罪者になる。
「……此処にいたい。あんな場所よりは、此処の方がいい。私、何でもするから!」
そーかそーか、帰りたくないか。まあそうだよな。最初凄い汚れてたしな。そんな生活から抜け出せると思うのも無理ないよな。
……ジーザス。
まあその前に、試しておこう。選択支は多いに越したことはない。
「お前を置いておくかはともかくとして、お前がいた場所に戻れるか検証するぞ。ついて来い」
「う、うん」
クローゼットからコートを引っ張り出してサニアを連れて玄関から外に出る。
夜の空気は冷たい。
オレはともかくサニアは寒そうだな。
「その格好だと寒いだろ。これ羽織れ。ホラ」
ビジネススーツ用のコートをサニアの肩にかけた。
「あったかい……」
喜んでくれるのはいいんだが、裸ワイシャツ下トランクスの外国人美少女にさらに自分のコート着せるとか、犯罪的過ぎて人に見せられん。さっさと済ませよう。
懐から取り出すのは何の変哲も無い家の鍵。それを、部屋が真っ暗なお隣さんの玄関扉に差し込む。
普通に考えたら合うわけが無い。
でも、鍵は最後まで入り込み、捻ると軽い手応えと共に開いた。
昨夜と同じだ。
合わないはずの鍵が、合う。
扉を開く。
中はお隣さんではなく、昨日の路地に繋がっていた。
相変わらず、外は明るい。
何で昼間なんだよ。
「此処が、お前が言ってたエルナミラって国のスラムか?」
「……うん。そうだよ。昨日、此処で倒れたの覚えてる。目が覚めたら知らない場所になっててリョージが居た。実は誘拐されたかと思ってた」
「洒落にならんから止めろ」
オレはまだ退職するつもりはないし、警察に捕まるのもごめんだ。
サニアの肩に手を置く。
身体は強張り、行くものかとばかりに下半身に力を込めてサニアは踏ん張っていた。
それでも子どもである以上、抵抗力はたかが知れている。やろうと思えば、向こう側に突き飛ばして強引に扉を閉め、鍵を掛けることは可能だろう。
ちょっと肩に置いた手で突き放せば、それで日常が戻ってくる。
……でもなぁ。強行できねーよちくしょう。
そんな、泣くほど帰るのが嫌なのか。
仕方ねぇ。
「戻るぞ」
「ふぇ?」
てっきり帰されると思っていたのだろう。
泣き顔のまま、後ろにくいと引かれたサニアはきょとんとした顔でオレを見上げた。
肩から手を離して今度は手を繋ぎ、エルナミラのスラムに繋がっていたお隣さんの扉を閉め、鍵を掛けて部屋に戻る。
座卓にサニアと向かい合って座り直した。
「お前を此処に住まわせるには、色々と問題がある。どうにかしないと今の生活そのものが崩壊するヤバいものばかりだ」
具体的に言えば、主にオレの世間体とか社会的地位とかが死ぬ。
それに今のサニアには戸籍がないし保険にも入ってないから、万が一怪我や病気に掛かりでもしたらとんでもない治療費が掛かる。最悪治療が受けられない可能性もある。
サニア自体は子どもだし、身元不明で帰る国も無いのだから色々騒動はあるだろうが、最終的に児童擁護施設行きか里親制度が適用されるだろう。そうなれば戸籍も保険も何とかなるとは思う。
……自分で児童擁護施設を開いてこいつを引き取るって手もあるな。
幸い大学時代の女友達で医者になってる奴がいるし、高校時代の女友達で保育士になってる奴もいる。相談には乗ってくれるはずだ。
問題は金だが、異世界に行けるのなら個人貿易で稼げるかもしれない。
「これらの問題を解決するのは一日二日で終わるもんじゃない。それは分かるな?」
サニアは腕でごしごしと顔を擦り、頷く。
「何となく……」
どこからどう見ても分かってなさそうな顔だったが、追求してたらきりがない。
「お前を養うには色々な根回しと金が必要だ。協力できるか?」
「やるっ! 私、何でもする!」
凄い食いつきっぷりで、座卓を叩いて身を乗り出してきたサニアを、オレは押し留めた。
「……おい。今回はいいが、次からは男に対して簡単にそんなこと言うなよ」
「何で?」
首を傾げるサニアは異世界のスラム出身で孤児だが、とんでもない美少女だ。
ん? 今、何でもって言ったよね? とか冗談以外で言い出す馬鹿が絶対いるからだよ。