第十九話
人事については最低限の目処がついた。
土地と建物についても確保できている。
資金についても、銀行の融資があれば何とかなるし、なくても案外問題なさそうなくらい貯まってきている。
音声読み上げソフトについてはまだまだ掛かる。
まあそう簡単に個人で作り上げられるなら世の音声読み上げソフトを作っている会社は苦労しないだろうし、時間がかかるのは仕方がない。気長にやるさ。最悪、施設開設後でもいいしな。
販売の他に、施設内でのアナウンスとかに使おうかと考えている。
オレと翔子が昔いた施設はブザーだったが、それよりは絶対いいはずだ。
まあ、肉声での連絡と使い分けだな。子どもとコミュニケーションを取るなら肉声の方が絶対いいだろうし。
さすがに人数が増えて、全員の休みが重なるということはもうほぼないと思っていたのだが、案外そんなことはなかったようだ。
もう有給休暇に入っている、というかどうせ退職なので堂々と消化に入ったオレと翔子、恋子先輩に比べ、菖蒲ちゃんは学生、正治さんは定年退職済み、悠太はニートと、見事に時間がある人間しかいない。
例外は看護士の春日君だが、彼も今まで使っていない有給休暇がたまっているらしく、翔子に諭されて使うことになった。
……たぶん、翔子のことだから自分だけだと使い辛かったのだろう。
この機会を利用して、皆でエルナミラで行くことにした。
今回は、新年度からエルナミラホームになる予定の建物でいく。
改装工事が必要ないくらい綺麗なので助かる。特に間取りを変える必要もないし。
少々サニア一人だけだと広すぎる印象もあるが、今後受け入れる人数が拡大する可能性も考えると、余裕はあるに越したことはないので問題ない。
職員として働くことになる菖蒲ちゃん、正治さん、悠太、春日君の四人には、エルナミラのことは話してある。
皆半信半疑あるいは一切信じなかったが、実際エルナミラに繋がる光景を見せてやると、驚きを露にしつつ信じてくれた。
オレとサニアに翔子と恋子先輩は事前に集まって準備だ。
皆に配る護身用具とか、トランシーバーとか、必要なものは色々ある。
「今日は絶好のエルナミラ日和ですね!」
「時間の関係上、こっちは夜だけどね」
翔子と恋子先輩の間で、ボケとツッコミが成立している。
昼のエルナミラに行こうと思ったら、どうしてもこっちじゃ夜になるからなぁ。
まあ、そのお陰で昼間に諸々の仕事を終わらせてエルナミラに出かけられるから、助かってるといえば助かってるんだが。
「おっはよー!」
最初にやってきた正治さんを見て、サニアが元気よく手を振る。
「おはようございます、サニアさん。今日も元気そうで何よりです」
正治さんは穏やかな微笑みを浮かべ、腰を屈めてサニアと目線を合わせる。
些細なことだが、自然な気遣いで、彼の子どもに対する慈しみと、臨床心理士という資格が必要な児童相談所職員という前歴が窺える。
「あれっ、皆さん早いですね」
次に来たのは春日君だった。
さすがに翔子やオレみたいに休日にスーツみたいな暴挙に出ることはなく、普通にラフな私服だ。
え? 今のオレと翔子の服装? スーツだ察しろ。
というかいざ仕事が始まっても、制服とか特に決めてないから、皆私服通勤になるだろうしな。まあオレと翔子はどうせスーツになるだろうが。
オレは一応施設の代表者ってことになってるし、翔子も医者なので、きっちりした格好の方がいいだろう。
春日君が来て少し経った後に、菖蒲ちゃんがごついバイクで駐車場の方へ走っていくのが見えた。
へー。菖蒲ちゃんばバイク通勤の予定なのかな。っていうか菖蒲ちゃんみたいな子がああいう排気量の大きいバイクに乗ってるなんて意外だ。
偏見かもしれないけど、翔子に似て上品な雰囲気だから、何だか原付みたいなのに乗ってた方がしっくりしてしまう。
いや、翔子よりかは活動的だから、返って似合っているのか?
まあ、見た目は上流階級っぽい翔子は、何だかんだ自分の車も高級車にしてるし、案外菖蒲ちゃんとは違うかもしれない。
「皆さんおはようございます! 眠れなくて寝坊するところでした!」
少しして、駐車場から菖蒲ちゃんが歩いてきた。
今日も元気にポニーテールが揺れている。
そして最後に、悠太が歩いてやってくる。
「あれっ、俺が最後ですか」
そういう悠太はスーツ姿だった。
年配者らしい落ち着いた様相の私服を着ている正治さんは不思議そうな表情だ。
「……隆二くんと翔子さんもそうだけど、悠太くんもスーツ姿なのはなんでかな? 私もフォーマルな格好の方が良かったかい?」
「スーツで揃ったのはたまたまなんで気にしないでください」
翔子と顔を見合わせ、代表してオレが答えておく。
三人揃ったのはたまたまでもオレと翔子が揃うのは確定事項だったけどな!
「あ、いえ、着ようと思ってた服のサイズが合わなかったので……」
何か悠太が陰を背負い始めた。
もしかして、ニートしてた期間で太ったのか……?
確かに多少小太りだとは思うが、先生ならそんなものじゃないか? 大学の教授なんかはもっと凄いのがザラにいたしな。
■ □ ■
エルナミラへ行く最終準備をしている最中、笑顔で翔子が携帯電話の電源を切っていた。
「おい、大丈夫なのか」
「平気ですよ。代診は立ててありますし、回診も他の先生に頼んでありますから。それに、今日は次の仕事の準備で遠出するから物理的に不可能だってきっちり断っておきました」
せいせいした、とでもいうような晴れ晴れとした表情の翔子は、いかにもこれからのエルナミラ訪問が楽しみで仕方ない様子だ。
まあ、確かにそうかもしれない。
オレは結構頻繁に通っているとはいえ、翔子は医者という職業柄なかなか職場を休めなかったから、オレたちとはほとんどずっと別行動だったからなぁ。
「そうか。じゃあ、楽しんでいこうぜ」
「はいっ!」
翔子とハイタッチをかわすと、恋子先輩が聞き捨てならないセリフを吐いているのが聞こえた。
「さて。他の皆はせやかて君から護身装備を受け取ってね」
「せやかていうな。広まったらどうしてくれる」
きっちり恋子先輩に苦情を入れつつ、悪戯っぽく笑う恋子先輩から話のバトンタッチを受ける。
「じゃあ、正治さんから。防弾チョッキと、スタンガン、警棒、催涙スプレーに、トランシーバーです。防弾チョッキは上着の下に着込んで、スタンガンと警棒、催涙スプレ、トランシーバーは専用のホルダーに入れてベルトに付けて、いつでも抜けるようにしておいてください」
「随分と物々しいね。異世界というし、やっぱり危険なのかな」
チョッキを広げた正治さんが難しい顔をした。
「店があって人通りが多い場所なんかはまず安全ですけど、スラムとかに迷い込むと保証できません。逸れないように気をつけて、万が一逸れたトランシーバーで連絡を取ってください。徒歩で移動する程度の距離なら問題なく繋がるはずです」
一応安全に過ごせるようにオレたちの方でも現地のエバス商会側と協力して取り計らっているが、まあ何事も完全な確約はできない。
もしもの備えはいつだって必要だ。
「何だか、警備員になったみたいですね」
「まあ、間違ってないわよ。実際全部警備員が持っててもおかしくないからね」
着替えて各護身道具を装備した菖蒲ちゃんの感想に、同じ姿の恋子先輩が肩を竦める。
「拳銃とか、刀とかはさすがに手に入りませんか? そっちの方が武器としては心強いと思うんですけど」
「あの、坂本さんさすがにそれは」
物騒なことを言い出した悠太を、春日が顔を青くして止めようとする。
「拳銃じゃないが、猟銃ならあるぞ」
「は?」
オレが口を挟むと、春日君が唖然として目を点にした。
「春日君には話してなかったっけ? 私、猟銃なら免許持ってるから、持ってきてるの。ほら」
翔子がケースにしまった猟銃を、ケースを少しだけ開けてちらりと見せる。
担いでもいいと思うのだが、さすがに目立つので翔子はしないようだ。
「すげえ、本物なんですよね!? 触っていいですか!?」
「だーめ。セーフティ掛かってるし、装填もまだしてないけど、本当に危険だからね。下手したら本当に一撃で死んじゃうんだから」
目を輝かせる悠太の提案を却下して、翔子はケースをしまい直した。
「翔子のいう通り、猟銃は護身用の道具が通用しない場合の最後の手段だ。使用判断については翔子に一任してる。翔子以外は間違っても触れるな。オレもそうする。皆、いいな?」
説明をするオレは、しっかりとサニアにも釘を刺しておく。
「もちろん、サニアもだぞ?」
「ちぇ」
「とにかく、行くぞ。エバス商会の一室に繋いであるからな」
オレが仕切らないといつまでも喋り続けて出発できなさそうな状態だったので、面々に手を叩いた音で注意を向けさせ、鍵の掛かった玄関口を開けた。
よしよし、事前に確認した通り、エルナミラホームの中ではなく、代わりにエバス商会建物の入り口に繋がったな。
これなら向こうからは、オレたちが外から入ってきたようにしか見えない。
「こんにちは」
「あら、リュージさんじゃないですか!」
にこにこと愛想笑いがいっぱいの顔で、リセルカ・エバスが一室から飛び出してきた。
部屋からは、呆れ顔のリセルカさんのお父上が顔を覗かせている。
娘の商談相手については娘に全権を任せているようで、オレとは挨拶をし合っただけの関係だが、それでも中々やり手なのだろうというのは窺える。
「ああ、そうだ。リセルカさんこれを」
以前に視力を測らせてもらっていたので、彼女の度に合う眼鏡を買ってきた。当然サービスだ。
末永いビジネスパートナーになるのだし、これくらいはしないとな。
「これは……?」
「眼鏡ですよ」
「め、眼鏡ですか? これが?」
エルナミラにも眼鏡があるみたいだが、デザインは違うんだろう。もしかしたら、まだ手持ち式のしかないのかもしれない。
地球でも調べれば初期の頃の変な眼鏡がずらずら出てくるし。
「す、凄い! 凄くよく見えます! デザインも全然うちで扱ってるものとは違うし、何より手に持つ必要がないというのが素晴らしい! これ、もっとありませんか!? 絶対売り物になりますよ!」
「恋子先輩、よろしく」
「そのためにはまず、各人に合ったレンズを用意する必要がございます。前段階として、視力検査が必要です」
「あ、それこの前やりました! あの丸の欠けた記号のものですね! あれもとても画期的な検査方でした! ……リュージさんが許してくれませんので、まだ商品化はできておりませんが」
そこで上目遣いで恨めしげにオレを見られても困るんですが。
ものには順序って奴がありましてね。
恋子先輩は鞄から眼鏡ケースを一杯取り出してみせた。
中を開くと、当然全て眼鏡だ。
「これらは見本品ですので、気に入ったデザインの眼鏡のフレームとレンズをこちらで用意させていただくという形になります。私たちとエバス商会側の手数料がそれぞれ上乗せされますから高値にはなるでしょうが、どうせ買うのは金を持つ貴族でしょうし、構わないでしょう?」
「ええ、全く問題はありませんね。せいぜいふんだくってやりますよ」
恋子先輩とリセルカさんは、悪い笑みを浮かべて固く悪手を交わしたのだった。
まるで悪役だなと思ったのだが、オレはその感想をそっと胸の内にしまった。