第十七話
物は試しで、ついでに異世界への扉開閉装置と化しているオレの部屋の鍵がどの扉でも通用するのか確認することにした。
で、結果として分かったことは、この鍵は、鍵が掛かっていて鍵穴があれば、扉を異世界に繋ぐことができるというとんでもない事実だ。
しかも、オレはてっきりあのスラムの、しかもサニアが倒れていた場所にしか繋がらないのかと思っていたのだが、そんなことはなく一度訪れた場所であれば問題なかった。
エルナミラから帰る時も同じだ。
きちんとイメージすれば、オレの部屋でも、この購入予定の物件でも、どこにでも出ることができた。
……これ、世界中どこでもワープできるじゃん。
「ここは、どこなのでしょうか……」
エルナミラの商業区の、鍵が掛かっていた店舗の扉に児童養護施設予定の建物の玄関扉を繋げて開くと、外に出た笹倉さんは、回りに広がる情緒豊かかつ時代錯誤な異国の風景に、唖然とした表情で腰を抜かした。
「ここ、商業区だね。エバス商会の近くだよ」
続いて出てきたサニアが、周りを見渡して居場所の検討をつける。
合ってる? と目で問い掛けてくるサニアに、オレは頷きを返した。
もっとも人通りが多く賑わっている大通りよりは落ち着いているものの、この道も決して人通りがないわけではない。
変な注目を浴びる前に、オレは笹倉さんに肩を貸して立ち上がらせ、開けたばかりの扉を潜り地球の児童養護施設に戻った。
面談を行っていた部屋に戻った途端、放心した様子で椅子に腰掛けてうなだれる笹倉さんに、オレは未開封の缶コーヒーを一つ手渡す。
社畜仕事のおともとして、缶コーヒーは箱買いして備蓄していたりする。
いや、あるとないとじゃ効率が違うんだよ。
ちなみにサニアが来てから少しだけ減るペースが上がった。
どうやらこっそりサニアが飲んでいるらしい。別に怒らないのにな。きっちり洗って証拠隠滅しているようだけど、その空き缶がカンビンの袋に捨ててあるのでバレバレだ。
子どもらしい可愛い失敗なので、あえて見逃している。
それどころか甘いカフェオレやジュースも用意してみたりしている。
コーヒー飲み過ぎて成長に関わってもまずいし。
太ってもサニアが可哀想だから、自分で節制できないようなら見てやらないとな。
「信じてもらえましたか?」
「……手品では説明つきませんね。いやはや、まさか七十過ぎて、このような体験をすることになるとは」
笹倉さんは手の中で缶コーヒーを転がしつつ、何かを考え込んだ。
「工藤さん。このことを公表するつもりはおありで?」
「まさか。そんなことは、オレもサニアも望んでいません。オレたちの望みは世間を騒がせずひっそりと生きることです」
「それがいいでしょう。本当に異世界だろうと、それか地球上の別の場所であろうと、条理を無視した理屈が働いていることは疑いようがありません。もし外国だったなら、簡単に他国に忍び込むことが可能になる。世間に知られれば世界中が黙っていないでしょう」
「……当然、守秘義務は守っていただけますね?」
「もちろんです。サニアさんが健やかに育つ環境作りこそが、最優先すべき事柄ですよ」
オレと笹倉さんは立ち上がり、がっちりと握手をした。
「合否の連絡は、一週間以内にさせていただきます」
「ははは。楽しみに待たせていただきますよ」
お互いの内心を半ば確信しつつ、オレと笹倉さんは和やかに笑い合った。
■ □ ■
そんなこんなで人材の確保は無事に進み、大体必要な人員が揃った。
翔子が医者で、恋子先輩が保育士と家庭支援専門相談員を兼任、菖蒲ちゃんが調理師と栄養士、笹倉さんが臨床心理士だ。
他の人員は、掲示板に初めに書き込んでコンビニで張っていた青年、坂本悠太がいる。
オレと同い年で、本人はニートだって恥ずかしそうにしてたけど、実際は小学校を辞めたばかりだった。
何か問題を起こしたわけではなく、忙しさに耐え兼ねてだそうだ。
……まあ、教師も激務だって聞くしな。
何だかんだで十年間は勤務してたんだし、あまり心配はしていない。
残る一人は、翔子が選んだ看護士だ。
雇うかどうかは翔子に一任していたので、彼の採用に際しては口出ししておらず、後から彼の履歴書を翔子からもらった。
名前は高崎春日、翔子の三つ下で二十八歳、看護士としては七年目だという。
計算すると卒業年齢が二十一歳になってしまうが、履歴書を見れば高校を出てから看護学校に三年間通って資格を取ったのだと分かるので間違っていない。
本当はこれだけじゃなくて、例えば他にも翔子が開く小児科クリニックの看護士なんかも募集しなきゃならないんだが、翔子は後回しでいいといってくれた。
募集するにしても、異世界関係は特に色々外部に漏らせないから、普通の会社以上に守秘義務がきつくなって採用の足枷になる。
翔子もそれは承知で、焦ってもいいことがないから、児童養護施設が軌道に乗ってから、募集をかけてじっくり見定めるつもりのようだった。
で、問題は資金だ。
人事関係でドタバタしているうちにかなり月日が過ぎていたので、ネットショップもサニアの寄付も結構な額になっている。
しかも気付いたら家に置いてあるオレの私用パソコンに見慣れぬフォルダが増えていて、開いてみたら無数の動画ファイルが出てきた。
どうやら、オレたちが外で色々動いている間に、サニアはサニアでこっそり動画を撮ってネットに投稿することを続けていたらしい。
当然、ネットショップの品物紹介とは別の動画をだ。そっちはオレも把握してるからな。
広告費を別の口座にしていたらすぐに分かっただろうが、ネットショップの売り上げと同じ口座にしてたのが仇になった。
「で、どんな動画を上げたんだ」
「えっとお、最初は色んなことをネタにしてたんだけど、今はこれを中心にやってる。結構人気なんだよ?」
サニアがオレに教えたのは、競技性の強いMOBAというジャンルのゲームだった。
しかもサニアがプレイしているゲームをオレは知っていて、しかも学生時代にハマッていたタイトルだった。
……まだ続いてたどころか、新しく日本サーバーができて昔より盛り上がってやがる。
世界中でプレイされていて日本の人口は少ないが、世界にはプレイヤーが大勢いる。世界規模で見ると、プレイ人口は決して馬鹿にできない。
「それでさ、今リョージが作ってる音声読み上げソフトって奴、早くできないかな。世界中の人たちがコメントくれるんだけど、分からなくて返事できないんだ」
「……急いで作ってやる。声のサンプリングを誰にするか考えてたんだが、サニア、お前の声にしてみるか?」
「いいの!? やるやる!」
表情を輝かせ、サニアは諸手を挙げて身を乗り出してきた。
録音機材を準備して、サニアの声をサンプリングする。
普段はあまりやったことのない作業だから何度かしくじって取り直しになったが、何とか無事に済んだ。
「それでねー、今はT○it○hっていう動画サイトでやってるんだけど、見る? 見るよね?」
サニアは嬉しそうに、オレからマウスを奪ってクリックし、ブラウザを立ち上げて動画一覧を出してくる。
……そういえば、最近サニアに全然構ってやれてなかったな。
いくらサニアのためでも、それにかまけて放置していたんじゃ本末転倒だ。
ここは付き合って思い切り遊んでやるとしよう。
「ほほう、なるほど。そのゲームは昔オレもやってたからそこそこ上手いし詳しいぞ。最終ランクは白金だ」
「凄い! 私まだ銀になったばかりだよ!」
動画を再生しながら、サニアが興奮した様子で見上げてくる。
悪くないかもしれないな。こういうのも。
温かい気持ちになる己を実感しつつ、オレはサニアの動画を見た。
題名は文字が読めないサニアだから、オレが最初に投稿したネットショップ紹介動画のタイトルがそのままコピペされていた。
だが、ナンバリングが何故か零から始まって九、八、七と減っていくのにはちょっと笑う。
何気なくコメントを見て、オレは固まった。
『サニアちゃんペロペロ』
『○ン○見せてよ』
『アドレス教えてよ』
『幼女ハァハァ』
日本語のコメントの内容はおおよそそんなのばかりで、肝心なゲーム内容に触れているのは最初の方の動画しかなかったのである。
しかもそのコメントの内容も、ヘタクソだのプレイするなの、刺々しいものばかり。
英語のコメントも似たようなものがほとんどで、ファックだのシットだのスラングの嵐。
他の外国語も同じだ。
しかも、荒らしのコメントを書き込むユーザーとそれを責めるコメントを書き込むユーザーに視聴者が別れ、コメント欄の中で罵り合っていることで、事態が複雑化している。
「おい、サニア。お前、コメントちゃんと消してるか?」
「え? せっかく書き込んでくれてるのに消しちゃうの?」
あ、駄目だ。サニアの奴日本語が分からないから、コメント欄が荒れまくってるのに気付いてねぇ。
こりゃ、先にフリーソフトでもいいから音声読み上げソフトをコメント読み上げ用に用意してやらないといけないな。
……ショックを受けなきゃいいが。