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第十五話

 そろそろ本格的に開園に向けて準備が忙しくなってきたので、溜まりに溜まった有給を消化することにした。

 ちょうど二ヶ月近くあるから、ほぼ丸々休みを取れる。

 普段は全く取らせてくれないのに、辞めるとなると慌てて消化させてホワイト企業を装うのが、オレの勤めている会社の性質なので、申請はすんなりと通った。

 ……最後にちゃんと取らせてくれるだけマシだってことは分かってるんだが、それでもそこはかとなくブラック臭が漂うのは、会社の日ごろの行いのせいだろうか。

 社員とそれ以外の待遇差も酷いしな。社員以外は社員食堂を利用できないしオフィスに持ち込んで昼飯も食えない。交通費も給料コミコミでそのくせ労働時間は社員も契約社員もアルバイトもほとんど変わらないときたもんだ。

 残業代も申請しないと出ないし、残業時間も言わない限り記録しない。同僚とも基本顔を合わせないし合わせたら妙な空気になってギスギスする。

 立場が下になればなるほど入れ替わりが激しく、三秒退社で伝説になっているアルバイトも過去にいた。

 あれは心底驚いた。初出勤と同時に辞表届けを出して帰られたからな。しかもしわ寄せが何故か全部俺に来て数日会社に泊まりこむ羽目になったし。

 まあ会社自体がネット上に悪評轟いてる会社だし、出向地獄なオレみたいな社員がいる一方で、投獄でもされてんのかと思うくらい、会社に拘束されて死にそうな顔で仕事している社員もいる。

 そんな会社ともついにおさらばできると思うと、感慨深いものがあるな。


「面接に来てくれる人、どんな人でしょうね!」


 翔子の幻聴が聞こえた。

 やべえ、働きすぎたか。

 実際には翔子はこの場にいない。当たり前だ。医者である翔子はオレ以上に休みが取れない。有給休暇すらもだ。

 オレは自分の会社をブラックブラック言ってるか、職業でいえばシステムエンジニアなんかよりも医者の方がよほどブラックだろう。実際休日日数も翔子の方が少ないはずだ。


「まさか、匿名掲示板から情報が拡散して面接希望者が激増するなんてなぁ」


「希望者が多いのは良い事よ。あんまり臭いのは最初の書類審査で弾けるし、後は私がしっかり面接でチェックしてあげるから。せやかては面接中にこれをしっかり書くこと」


 恋子先輩が片手に面接記録票をつまんでひらひらさせる。

 会社に勤めていた期間が長い割には役員でなかった俺とは違い、恋子先輩は主任保育士として保育園の人事も担当してきた面接のベテランだ。

 保育園も保育園でそれなりに入れ替わりが激しい職場で、特に若手の顔ぶれが変わりやすく、どこの保育園も後任の育成には苦労してるんだとか。

 ベテランが退職するだけでも、保育園としては結構な大打撃だそうだ。

 おかげでうちの保育園も、私みたいな若者が主任保育士なんて役に就いちゃってるのよね、とは恋子先輩の弁だ。

 でもまあ、オレにいわせれば、恋子先輩が役職に就いているのは当然の結果だと思う。

 高校時代から要領のいい人だったし、人間関係もそつなくこなす人だった。

 気配りが上手で他人のことをよく見ていて、本人の能力も上々。

 上からは一目置かれ、下からは懐かれる、恋子先輩はそんな人だ。

 だから、通常は四十代を過ぎないと中々なれない主任保育士を、三十三歳という若さで立派に勤め上げている。

 引継ぎ業務も既に済ませており、やることは全部やったしこれ以上自分が園にいるとかえって新しい主任保育士が萎縮したり今までみたいに皆が私を頼ったりして悪影響が出ちゃうからと、実にスパルタな理屈で後輩保育士たちを千尋の谷に突き落とした女傑だ。


「せやかていうな。で、今回面接の希望入れてきたのは、調理師と栄養士のダブル資格持ちか。年齢は……うお、まだ二十歳じゃないか」


「卒業見込みの子よ。昼間は栄養士の授業、夜は調理師の授業って分けて受ければ不可能じゃないけど、ちゃんとやり遂げて卒業が決まってるんだから相当な子には違いないわね」


「でもどうするんだ。うちは新規発足だから新人教育もオレたちがやるんだぞ。この子の方が専門知識についてはよほど詳しそうなんだが」


「それについては大丈夫よう。翔子ちゃんがきちんと都合つけてくれて、病院の管理栄養士に頼んでくれてるわ。調理師については私の高校時代の友達に某ホテルで働いてる子がいるから、そっちに頼んであるのよ」


「なら、実務経験なしでも問題ないか。まあ、面接の結果次第だが」


 ちなみに、面接のために一時的に例の物件の一室を借り受けている。

 オーナーが良い人で、面接をしたいという話をしたらどうせ購入が決まっているのだからと快く貸してくれた。

 これはますますポシャらせるわけにはいかない。

 気合を入れ直し、オレは面接官として面接に臨んだ。



■ □ ■



 予定よりも十分早く、面接希望者がやってきた。

 時間を守れるのはいいことだ。

 いや社会人なら当たり前のことなんだが、案外これが苦手な奴は割といる。

 通勤にバスを使っている場合なんか、特に。

 道路事情にもよるから仕方ないとはいえ、厳しい人は遅れる可能性も加味して動けって普通にいうからな。

 実際取引先との打ち合わせがあったりする場合には、どんな理由があろうとも遅刻したって時点で先方にとっては印象マイナスだから、いっていることは間違ってない。


「どうぞお掛けください」


 猫を被った恋子先輩が、にこやかに微笑んで着席するように促すと、その子はどこかギクシャクした動きで歩き、座った。

 基本的な着席のマナーはできている。

 座る時に椅子に足をぶつけてもいないし、動作に硬さが見られるものの着地する際の姿勢にもだらしなさは見られない。

 椅子に座っている姿勢もぴんと背筋が伸びていて、緊張感が伝わってくる。

 ……でも、ちょっと緊張しすぎなような気もする。

 恋子先輩も同じことを思ったのか、微笑が少し苦笑に変わった。


「お名前をどうぞ」


か、蒲原菖蒲(かんばらあやめ)です」


 答える声も顔も身体も全部がちがちに固まっている。

 本題の質問に入る前に、恋子先輩は菖蒲ちゃんの緊張を解くことにしたらしく、軽い雑談から入った。


「調理師と栄養士の資格を両方取るなんて、凄いですね。私も介護福祉士と保育士の資格は持ってるけど、在学中に取るのは無理でしたよ」


「がば、頑張りましたの、ので!」


 いきなり噛んだ菖蒲ちゃんが「ひうっ」と小さく声を上げ、表情が強張る。

 緊張しているのが丸分かりで最初からほぼ無表情でなのに、失敗したと顔に書いてあるように表情の変化が伝わるのは何故だろうな。


「ところで、昨日はよく眠れましたか?」


「じ、実はあまり寝れませんでした」


「それはどうしてですか?」


「次の日面接だと思うと緊張してしまって……」


 まあ、そうだろうな。

 この現在進行形で狼に睨まれた子羊みたいにがちがちに固まっている姿を見れば分かる。

 菖蒲ちゃんはサラサラな茶髪を首の辺りまでのポニーテールで縛っている子で、きっちりと着込んだレディスーツ姿が真面目な印象を与える。

 でも髪型のせいか、同じように真面目でお嬢様っぽい翔子よりかは活動的に見えるな。背は今はもちろん、二十歳の頃の翔子と比べてもまだ小さいが。

 よく見ると目の下にうっすらと隈があったり、肌がやや荒れていたりと、調理師と栄養士の免許の取得用件を同時に満たすだけの努力をした痕跡が窺える。

 化粧が上手いとこういうのは割と上手く隠せるのだが、まだ若い菖蒲ちゃんはそこまで化粧技術が高くないようだ。こういうところは翔子とよく似ている。

 あいつも目の下にくっきり隈をつくりながら「これ? ええ、ナチュラルメイクですが何か?」とか平気でいうからな。実際はただのナチュラルに限りなく近いメイクで、全く勤務による疲労を隠せていない。日勤当直日勤の三連コンボを喰らった直後は特に酷い。

 それから起床時刻や朝食の内容、今日の天気など他愛無い雑談を重ねて菖蒲ちゃんの緊張を解したところで、恋子先輩が合図を送ってくる。

 次の質問からは面接記録表に記入しろという恋子先輩の合図だ。


「ではこれから面接を行います。いくつか質問をしますので、緊張せずに思ったままを聞かせてください」


「はいっ!」


 歯切れのいい返事を菖蒲ちゃんが返す。どうやら緊張は取れたようだ。菖蒲ちゃんの表情も自然で柔らかい。

 ……可愛い子だな、この子。


「志望動機を教えてください」


「サニアちゃんをクンカクンカしたいからです! ぁ」


 訂正。変な子だ。


「ち、ち、ち、違うんです! 今のは違います! 女の子を救いたいから養護施設を開こうとしているあなた方の努力と、サニアちゃんのそんなあなた方の力になりたいという思いが動画からよく伝わってきて感動して、私も力になれたらとずっと思ってて、でも関わりなんてないしと諦めてたところに元ニート氏の書き込みがあって、慌てて探してみたら本当に募集があったのでいてもたってもいられなくなったというかあのそのですね……!」


 顔を真っ赤にした菖蒲ちゃんは思わずガタッと立ち上がってあたふたとしながら何故か俺に詰め寄ってくる。

 おい、言葉の端々に地が出てるぞ!

 ってか何でこっちに来るんだよ!

 思わず身構えたら、テーブルの足に自分の足を引っ掛けた菖蒲ちゃんが見事に転んでパンツ丸出しになった。


「そぉい!」


「何故オレを殴る!?」


 恋子先輩が物理的手段でオレの目を逸らさせ、菖蒲ちゃんを助け起こす。


「大丈夫ですか!?」


「だ、大丈夫です。ごごごごめんなさいぃ……」


 何かの衣擦れの音と、ドタバタという物音が聞こえ、恋子先輩に耳元で「もういいわよ」と囁かれた。

 顔ごと逸らしていた目を向けると、顔を真っ赤にした菖蒲ちゃんがもう見るからにいっぱいいっぱいな顔をして座っていた。

 相変わらず着座の姿勢は良いんだが、完全に固まっている。

 それから恋子先輩は菖蒲ちゃんに予定していた質問をしていったのだが、これでは菖蒲ちゃんは自分が質問に何て答えたのかすら思い出せないだろうなとオレ自身思うくらいのうろたえっぷりだった。

 ……えっと、じゃあ、面接済んだことだし、一週間かけて菖蒲ちゃんを雇うか決めないとな。


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