第二章:双極の誓い④
スカアハは魔法の名家に生まれた長女であった。その才能は歴代最高とまで謳われる程の才能を持っていた。だがそんな彼女にはある欠点があった。
極度の人見知り。親兄弟以外の人間や亜人、特に男性に対して緊張から満足に面と向かって話す事が出来ない。それどころか屋敷の外へ出る事すらスカアハにとっては地獄でもあった。
従ってスカアハは生まれてから屋敷の外に一度も出る事のないまま、自分の部屋に篭もり続けた。必要な物があれば従者に命令し、部屋に引き籠もる生活に心配した両親には家を継ぐ者として恥じないよう魔法の研究に没頭したいと言い訳をして過ごした。
スカアハにとって屋敷に引き籠る生活は充分に満足だった。欲しいものは使用人が用意し、周囲の人間と接触する必要もなく、好きな時に好きなだけ魔法に関する書物を読む事が出来る。これも立派な魔道士になる為、と言う理由を口にすれば両親も注意する事もない。
やがて両親が死に、自分が当主の座に着いたある日――スカアハは人生最大の危機に陥った。
当主の座に着いた時、スカアハは年齢四十歳を迎えていたにも関わらず子供も夫もいなければ異性と交際すらしていなかった。引き籠もり生活を続け、ラブストーリーを題材とした物語のヒロインに己を重ね妄想しては一人部屋でにやつく日々を過ごしていたのだから、当然の結果である。
今から結婚相手を探そうにも既に四十歳を超えている身。スカアハが抱く理想の男性は強く心優しい、即ち物語の中に登場する主人公のような男性を結婚相手として求めていた。だが人との接触を極度に避け続けていた彼女がいきなり外に出て他者と交流出来る筈もなく。
玄関の前まで行っては恐怖心から部屋へと引き籠り、悪戯に時間を費やし五十歳を迎えたある日、スカアハは禁忌を犯した。
両親が頑なに読む事を禁じた魔道書を彼女は読んでしまったのだ。
当主となり誰一人反論しない事より生じた慢心が、結婚も出来ず明るい家庭を築く事も出来ぬまま一人寂しく死を迎える事から生じた焦りが、幼少期より耳にタコが出来る程聞かされていた両親との約束を破った。
禁忌を犯した者に待ち受けていた罰は不老と言う名の呪い。万物に宿る時を失う代わりに絶頂期であった二十歳の若々しい肉体を永遠に保つ――スカアハは血涙を流しながら魔道書に感謝した。
それから何度か玄関の前で引き返す事実に二百六十五回目――遂にスカアハは外の世界へと足を踏み出す。人見知りと言う理由で人との接触を避け続けてきた彼女にとって難解な魔法を会得するよりも達成感溢れる出来事であった。
それから近くの村に赴き、理想の男性に近い若者と出会う。彼こそ相応しいと早速コミュニケーションを図ろうとして、直ぐに口篭る。身内以外と、それも外観年齢が同年代程である異性と会話など当然した事がない。そんな人間がいきなり、周囲のように普通に会話など出来る筈もなく。
目線は泳ぎ、口篭もり、必死に作り笑いを浮かべせめて愛想良い印象を与えようとしたが相手に恐怖を与えてしまう結果となってしまった。若者は逃げ出そうとし、スカアハもまた理想の男性が逃げられこれ以上婚期を逃してなるものかと追い掛ける。
結局若者からは逃げられ、周囲からは魔女として恐れられ、人間を捕まえては魔法の材料にしていると根も葉もない噂まで立ち、討伐隊まで派遣される始末。
それから百年の時が経ち、屋敷を捨てて深闇の森に新たな住処としたスカアハはそこで第二の引き籠もり人生を送っていた。魔女と恐れられている以上下手に外界に赴けばまた討伐隊に命を狙われる危険性を回避する為の策である。
かと言ってスカアハは結婚相手を手に入れる事を諦めてはいなかった。
自分が行くよりも相手から来てもらう。魔法に関する知識や技術を求めている人間を対象に弟子入りを呼びかける張り紙を最寄りの村の掲示板に貼り付けた。紙には剥がされようが破かれようが、時間と共に自己再生し掲示板に再び張り付く魔法まで施して。
貪欲に魔法を求める男なら、絶対に何がなんでも力を欲する。多少の危険も承知の上だろう。その心理を利用し、上手く知識を教えるフリをしながら男女としての仲を深めていき、そして虜にする。禁忌を犯し人としての寿命を超越した彼女が本気で魔法を使えば相手の心を魅了する事など造作もないが、そこは普通の女子として……本に登場するヒロインのような燃える恋がしたいと言う乙女心が勝った。
何年経っても心は乙女なのである。
そんな作戦から五十年の歳月が過ぎたある日、遂に記念すべき第一弟子希望者が館へと訪れた。
「はぁ……」
スカアハは深い溜息を吐きながら水晶を眺める。
訓練に使う空き部屋で一人剣術の修行を行っている一人の青年――一週間前に弟子入りを志願してきた龍彦の姿が水晶の中に映し出されている。遠くを見通す千里眼の魔法を用い別室より監視……もとい観察をしていた彼女の中には焦りが生まれていた。
性格良し。容姿良し。優れた魔力を持ち、また剣術に秀ている。年齢も己の外観年齢と同じ。そんな彼はスカアハにとって正に本の中に登場する主人公のような存在であった。五十年も待ち続け、ようやく掴み取る一歩手前まで来ている以上失敗は許されないと、勇気を振り絞り日常会話と魔法の指導に熱を入れた。
日常会話の中で飛び出た異世界から来たと言う興味深い話。その内容はこの世界とは大きく異なる文明や文化に満ち溢れ全く興味が尽きない。趣味として執筆し一人隠れて読んでは顔をニヤけさせている、実に作者ご都合主義な展開が繰り広げられている小説のネタにもなる。
ただそこまで会話を続けられるのは全て、龍彦のフォローがあっての事だった。
緊張から何を話し掛けていいかわからず口篭っていても龍彦は機嫌を損ねない。此方が話し掛けるまで優しい笑みを浮かべながら静かに待ち続けてくれている。
聞きたい事があれば遠慮なくなんでも聞いて欲しいと言うフォローも入り、呟くようにスカアハは答えていた。それが積み重なり、いつしか彼に対する緊張も薄れ言葉も流れるように口から出てくるまでに異性に対する免疫を身に付けた。
身内以外と満足に会話が成立する……それは禁術を我が物とした時と同等の喜びをスカアハに与えたのであった。
異性と会話を交える事が楽しいと感じている、となれば最早それが龍彦に対する恋心であると自覚するのに時間は必要なかった――同時に、想いを告げる時間が無くなりつつあった。
龍彦の要望は武術大会が開かれるまでに魔法を扱えるようになる事。その為にはどんな努力も惜しまないと言う彼の意思をスカアハは……無理とわかっていながら承諾した。個人差にもよるが初級の魔法一つ覚えるだけでも平凡な人間であれば一ヶ月以上は費やす。
龍彦の場合、優れた魔力こそあれど魔法は全て人間が生み出した想像上の力として認識されている異世界の住人。そんな人間がいきなり魔法を扱える筈がない。従って指導するにはまず魔力そのものの出し方を教える必要があった。
だから武術大会には間に合わないとスカアハは思っていた。今年は諦め来年に向けてここで修行をすればいいと誘い、そこから当初の計画通り仲を深めていき最終的に結ばれる……我ながら完璧な作戦と明るい未来設計――と、スカアハは直ぐにそれが驕りだったと思い知らされる。
「反則よ……あんなの」
刀を振るう手を休め大の字に床に寝転がる龍彦にスカアハは愚痴を零した。
修行を開始してから僅か五日。己の経験から魔力の扱い方を一度説明した翌日には龍彦は問題なく使いこなしてみせた。そこからは更に驚くべき速さで魔法へと運用する術まで身に付けた。
反則、と口にしたのは自身をも超えるその才能である。
魔力には大きく分けて二種類の使い道がある。
一つは魔法。世界を司る四大属性である火、水、地、風へと変換させる技術である。
もう一つは異能。生まれ持った血統や体質によって魔法とは異なる力を発揮する。
魔法と異能の違いは、魔法は術者の想像力とそれを補助する詠唱によって発現されるのに対し、異能は詠唱や想像力と言った面倒な手続きが不必要なのだ。それこそ呼吸をするのと同じ感覚で発現する事が出来る。そして最大の特徴はその者にしか扱えない、と言った事だろう。
ただデメリットとして魔法が使えない。それは才能や修行と言った過程に関わらず、異能を持つ者は魔法の類が一切使えない。魔力がそちらにしか働かないように身体が自動的に作り上げられてしまうからだ。
ただしこれは人間の場合、と言う話であり亜人達は独自の運用方法によって魔法とは似て異なる形として発現する。そう言う意味では異能と部類しても可笑しくはないだろう。
この技術を人間が扱う事は出来ない。人間と亜人、姿が似て異なる種族であるように魔力の素質もまた異なっている。故に双方の技術を取り入れて行使する事は不可能なのだ。
さて、その龍彦の反則と言うのはまず異能が“二つ”と言う事もある。
一つは獣と言う獣に好かれる魅了の異能。女性にではなく亜人や動物のみが対象と言う彼の話を最初こそスカアハは信じていなかった。そんな異能は見た事も聞いた事もなかったからである。
しかし実際に館の外に出て、飛んできた鳥が龍彦に求愛の舞を披露した瞬間彼女は納得した。その鳥は雌が雄に求愛の舞を披露する変わった習性を持っている。それを人間に、しかも一匹だけではなく数十羽が一斉に踊り出す事はまず有り得ない。
更にこの異能は、術者の意思とは無関係に働くと言う厄介な性質を持っていた。呪いと言った方が的確である。
そしてもう一つは彼の持つ刀に大きく作用する効果を発揮する。具体的にそれがどのような能力なのか、本人の口から語られていない為スカアハは知り得ない。彼女が目にしたのは刃から柄まで全身が雪のように純白な色に染まったかと思えば、今度は対照的に血を浴びすぎてしまったかの如く黒く染め上げる。
能力の詳細は確かに興味を抱くものの、この第二の異能について“思いついたら出来た”と説明した龍彦にスカアハは驚愕を隠せなかった。そもそも異能とは生まれてから一人につき一つまでが絶対とされており、いかに優れた魔道士の血統や天賦の才を持っていようとであろうと異能を二つも、それも後天的に作り出すなど彼女の数百年と貯蓄してきた膨大な情報の中にも記載されていない。
それを思いつきだけで成し遂げたのは、龍彦が異世界の人間だからとしか、スカアハは思い浮かばなかった。
彼に対する驚愕はまだ続く。
異能者は魔法が使えない……その絶対的法則すらも龍彦は崩壊させた。
昨晩、楽しく会話をしながらお茶を楽しんでいたところ自分も魔法が使えれば、と呟いた直後彼の指先に小さな水球が現れた。それだけでも驚いたと言うのに、それをどのように運用させるか教える間もなく、龍彦は物体を切断し更には爆砕させると言う絶技を見せつけた。
水の魔法を操る者は、相手を押し潰す事を主体としている。
例えば普段は穏やかな流れを見せている小川も、豪雨に晒されれば瞬く間に濁流と化し木々や大地を削り取っては飲み込んでいく。水とはそれ程の破壊力を秘めているのだ。
破壊と拘束。それが水を操る魔道士の理であり同系統の魔法で戦い場合如何に相手よりも多くの水を魔法によって生み出す事が求められる。
しかし龍彦がやってみせたのはその理から大きく外れた事象。
同じ破壊でも火薬を用いた爆弾のように水が爆発し、切れ味の鋭い剣のように水が物体を切断するなど有り得ない。数百年と言う時を生きるスカアハですら、その事象を理解する事が出来ず逆に教えを乞いた。
魔法を幻想と捉えれている異世界の住人……だからこそ想像力に関しては我々よりも遥かに優れているのかもしれない。己の中に浮かんだ結論に彼女は恐れながらも、同時に関心を抱いた。
「ってこんなの私の計画の内に入ってないのにぃ……一体どうすればいいってのよぉぉぉぉ!」
驚くべき速度で魔法を我が物とした龍彦。その才能によって計画が全て台無しとなってしまった事にスカアハは頭を掻き毟り水晶に何度も額を打ち付ける。八つ当たりにも似た頭突きを何度も受けた水晶は、三度目にして粉々に砕け散った。
魔法を習得したのなら龍彦がもうここにいる理由はなくなる。そうなれば楽しかった同棲生活も再び一人寂しい独居生活へと戻ってしまう。かつての自分の生活を思い出し、スカアハは顔を青ざめさせ身体を小刻みに震わせる。
独居生活は、それだけはなんとしてでも避けなくてはならない。
「こうなったらもうなりふり構ってられないわ! 実力行使よ!」
机に立て掛けていた長槍を手に取り、スカアハは龍彦の元へと放たれたた矢の如く部屋から飛び出した。