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第二章:双極の誓い①

 クズノハの里――カエデの屋敷。

 静寂が流れる客室にて龍彦は己の右手を見つめながら沈思していた。

 今も尚手に残っている人を斬った感触。それが人を殺したと言う事実を忘れさせない。

 普通の人間ならばその罪悪感に耐え切れず精神を患い、満足に食事をする事も出来ないだろう。人を殺めるとはとても恐怖を感じる事なのだと、龍彦は思っていた――だが、その当事者としての感想は……虚無であった。


「…………」


 人をこの手で殺めたにも関わらず、恐怖も罪悪感も湧いてこない。

 寧ろその逆であった。もっと己の力を試してみたいと言う欲望が、今まで抱いた事もなかった高揚感が沸き上がってくる。

 戦士とは強い者と闘う事を生き甲斐としている生き物……かつて、カルナーザが言った言葉が脳裏に過ぎる。今ばかりは、その言葉を肯定出来る。


「……葉桐は鬼の一族……か。今ならその言葉、なんとなく理解出来る気がするよ」

「失礼するぞタツヒコ」


 不意に襖が開きカルナーザが入ってきた。その手には旅用の荷物が携えられている。


「カルナーザ、もう傷はいいのか?」

「認めたくはないがカエデの薬は何処の薬よりも良く効く。それに我はこう見えても打たれ強いからな。あんな駄狐如きの攻撃など問題ない」

「カエデが聞いたらまた喧嘩になるからそう言う発言は控えてくれ――ところで、行くのか?」

「うむ。これ以上長居をするつもりはない。まぁ本音を言えば主と別れるのが非常に辛いが、武術大会で駄狐やあの者に勝つ為にも少しでも修練を積んでおかなくては」

「……そうか」

「だが、今年の武術大会で我は新たな目標が出来た」

「それって……」


 カルナーザが武術大会に出場する目的はライバルキャラであるエルトルージェとの決着を着ける為である。

 エンディングではその事について語られ、いつか強くなった彼女と再戦する事に楽しみにしている様子が描かれている――だが、「我が探し求めているものを見つけられるのは、果たしていつになるのやら……」とこの後でカルナーザを持ちキャラとする全国のプレイヤーが気になる台詞を残している。

 果たしてそれが何なのかは、作中で語られず。続編でそれが明かされると期待していたが打ち切りにより、結局真相は闇の中に沈んだままに終わっている。

 その誰にも語られる事がなかった真相と何か関係しているのか。湧き上がる好奇心に耐えられず、龍彦はカルナーザに尋ねる。


「どんな目標なんだ?」

「知れた事。我が優勝した時にはタツヒコ、主を婿としてもらい受けるぞ」

「へぇ~俺を婿としてねぇ……って、はぁっ!?」


 カルナーザの口から飛び出した言葉は、龍彦にとって予想外なものであった。

 武人として更なる高みを目指す事を生き甲斐としている彼女からは考えられない言葉。これに驚くなと言う方が無理と言うものである。


「い、いやいやいやいや! なんでそうなるんだ!?」

「主と出会った時我は直感した。あぁ、この男こそが……と。今まで数多くの武術大会に参戦し我の婿となるに相応しい雄を探していたが誰一人我を満足させる者は現れなかった――そこにタツヒコ、主が現れた」

「…………」

「エルデニアで開催される武術大会に優勝すればなんでも願いが一つ叶えられる。勿論無理難題は許可されないが、結婚式を開くなど造作もない事。エルデニアで盛大な結婚式を行いタツヒコを我が物とする。そ、それから子供を沢山産んで道場を夫婦で経営する……うむ、我ながら完璧すぎるな」


 一人勝手に未来絵図を描きながら満足気に頷いているカルナーザ。

 誰にも語れらなかったカルナーザの探し物。それがまさか婿探しだったとは、全国のカルナーザ使いが聞けばなんと答えていたか。自分のようにエルトルージェに愛着を持っている人間ならば、恋人など許さないと製作者に怒りをぶつけていたかもしれない。

 そしてその婿として選ばれた事に龍彦は狼狽する。


「と言う訳だタツヒコ、我が主を迎えに行くまで暫しの別れだ。だが案ずるな、主は必ずこのカルナーザが迎えに行く。だからそれまで生きて待っているのだぞ」

「い、いやいやいやいや! ちょっと勝手にそんな事言われても困るんだけど……って行っちゃったよ」


 慌てて追い掛けるが、既にカルナーザは里の門を潜りその後ろ姿は遥か遠くにあった。


「こ、これはマズい事になったぞ……!」


 違う格闘ゲームでもヒロインがラスボスを倒し、叶えてもらった願いが想いを寄せている主人公との結婚式を開くと言うエンディングがある。主人公はまだ結婚したくないと嘆きラスボスから男ならば約束は守れと拳骨を落とされる……そんなエンディングを、龍彦はふと思い出した。

 どんな願いでも叶えられる事が約束された武術大会。

 世界征服や王位継承は無理だとしても、結婚式を開く事ぐらいならばカルナーザが言った通り問題ない。そして願いを叶えると約束した以上主催者側も何がなんでも叶えようとしてくる。そこに巻き込まれる者の意思などお構いなしに、きっと。

 カルナーザは確かに魅力的な女性だ。しかし自分の心には既にエルトルージェと言う想い人がいる。その彼女に想いを告げられるまま望んでもいない結婚をさせられる事だけはなんとしてでも避けなくてはならない。

 万が一ここで出場する機会を逃してしまい、カルナーザが優勝してしまえばこの世界にいる間ずっと王都の連中に付け狙われる。そうなってしまえばこの世界にいる以上安息の日々は半永久的に訪れない。

 武術大会に出場し何がなんでも優勝しなくてはならない理由が新たに一つ課せられた。

 痛み出した頭に龍彦は大きな溜息を吐いた。

 窓に視線を向ければ、目が合った人狐ウルペス族の女達が此方の心境などお構いなしに手を振っている。

 一応手を小さく振り返すと、今のは私に対して振ってくれたのだと些細な切欠で口論が起きた。

 女三人よれば姦しい、とは言うが早い話が騒がしくて仕方ない。


(本当に厄介な体質だよな……これ)


 そっと窓を閉じ、若干小さくなった人狐ウルペス族の女達の口論を耳にしながら龍彦は再度大きな溜息を吐いた。


「失礼しますタツヒコさん」


 襖が開く。今度の来室者は家主であるカエデだ。


「カエデ、ユキやハルノの様態は?」

「問題ありません。三日ほど安静にしていれば大丈夫ですよ」

「……そうか、よかった」

「タツヒコさん、私の大切な同胞を……家族を守って下さり有難うございます。貴方がいなければ今頃どうなっていた事か……」

「無我夢中ってやつだ、気にしないでくれ」

「……ところでタツヒコさん、私に話があると言うのは?」

「あぁ、その事なんだけど……カエデ、俺は明日ここを出ようと思う」

「えっ?」


 目を丸くするカエデにタツヒコは言葉を続けた。


「俺は今日、初めて人を斬った。俺の世界じゃ殺人は罪とされてるんだ。だからどれだけ武術を磨こうとも人を殺める事は禁忌とされている。俺自身、人を殺す事はもっと怖いものだと思ってた――でも実際は違った、俺が他の人間と感覚が違ってるだけなんだろうけど……全くその怖さが来ないんだ。それどころか自分の力をもっと、もっと試してみたいとすら思っている」

「タツヒコさん……」

「カエデ、俺はエルデニアに開かれる武術大会に出てみようと思う。その為にも今短い間に俺は強くなる必要がある。多分、今のままだと誰にも勝てない気がするから……」


 龍彦は静かに、床に寝かせている刀に視線を下ろす。

 本来武術大会に参加する筈であったレティヘロが死亡した今、出場枠に一つ空きが出来た。つまり出場出来る可能性が自分にも回ってきた事になる。

 だが、『WILD BLOOD FIGHTER』にはまだまだキャラクターがいる。

 そんな彼ら、彼女達に勝つ為にも強くならなければならない。

 魔力と言うこの世界ならではの設定の中生きていない普通の人間だからこそ、そのハンデを克服する力を、身に付ける必要がある。カルナーザとの結婚を回避すると言う新しい目標も出来たから尚更だ。


「と言う訳でカエデ、本当に今まで世話になった」

「……どうしても、行かれるのですか?」

「あぁ」

「……そうですか」


 何処か悲しげに顔を俯かせるカエデ。

 この体質の所為とは言え、本家の人物に想われる程『WILD BLOOD FIGHTER』を遊び尽くしたプレイヤーとして嬉しい事はない。無論エルトルージェだった場合何がなんでも悲しませるような選択肢は選ばないが。

 暫くして、静かに顔を上げるカエデ。そこにはもう悲しみは帯びておらず、いつもの優しい色が浮かんでいる。


「タツヒコさんがそう仰られるのなら私は止めません。旅のご準備は私共で用意しておきます。この世界の人間じゃないタツヒコさんは、今は無一文ですからね」

「カエデ……本当に今まで有難う」

「今日はゆっくりと身体を休めて下さい――それでは早速ですが今纏われている服を脱いで貰っても構いませんか?」

「えっ?」


 突然の申し出に龍彦は間の抜けた声で返した。


「ですから服を脱いで下さい。今から新しい服を作りますので採寸させて下さい」

「いや、別にそこまでしてもらわなくても」

「……九羅嘛衆!」


 襖が勢いよく開き、天井の板が外れて、治療中であるユキやハルノを含めて全ての九羅嘛衆がこの場に集った。皆鼻息を荒くし獣としての本能を隠す事なく目を輝かせ、何かを揉むようにいやらしく指を動かしながらゆっくりと近付いてくる姿に恐怖を感じた龍彦は短い悲鳴を上げ後退りした。


「タツヒコさん、大人しく服を脱いで下さい……いや脱がさせて下さい」

「お、落ち着け皆……とりあえず暴力はよくな……あぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」





「酷い目にあった……」


 雷轟の滝にて、轟々と流れる滝を目にしながら龍彦は疲れきった顔を浮かべ溜息を吐いた。

 採寸すると言う目的で九羅嘛衆に瞬く間に身包みを剥がされた。

 奪われた着物に顔を埋め匂いをこれでもかと嗅いでいる九羅嘛衆と、そんな彼女達を注意し奪い取り隠す事もせず匂いを嗅いで恍惚とした笑みを浮かべるカエデを目にし、龍彦は二度と己の着物が無事な姿で戻ってこないと悟った。

 今は来客者用の着物を纏い過ごしている。


「ふむ……そこの若いの」

「ん?」


 不意に声を掛けられる。

 振り返れば、年老いた亜人が立っていた。ただ、人狐ウルペス族ではない。


「……どちら様でしょうか?」

「ワシは……まぁ見ての通りただの人狼ウェアウルフ族の老人じゃよ」

人狼ウェアウルフ族……!」


 人狼ウェアウルフ族……狼の特徴を持ち合わせる亜人種。素早いスピードによって相手を攪乱し、鋭い爪と牙による戦闘で速攻で攻める戦法を得意としている――と言う設定の種族だ。

 エルトルージェと同じ人狼ウェアウルフ族がクズノハの里に来た、と言う事は彼もまた雷轟の滝の水を求めにやってきた来訪者なのだろう。無許可でこの雷轟の滝に足を踏み入れる事は許されないのだから。


「貴方もこの滝の水を?」

「いいや、用があるのは滝ではなくお前さんじゃよお若い剣士さん」

「俺に?」

「……あの山での戦闘を偶然じゃが見させてもらっていた。あのゴーマ一族の頭を簡単に倒してしまったその腕前、今度はこのジジィに振るってはみんか?」

「貴方にですか?」


 老人の申し出に龍彦は沈思する。

 人間や亜人に関わらずどの生物でも普通に考えれば、年老いた肉体と無限の成長を秘めた若い肉体とでは当然体力、筋力とありとあらゆる面で大きな差が出てくる。

 だが、そうと理解しながら挑んでくると言う事は彼には人間の若造に負けないと言う絶対の自信があり、相応の実力がある。

 対峙すれば嫌と言う程伝わってくる鋭利な刃物のように鋭い闘気がただの老人ではないと物語っている。外観だけに捕らわれ老人だから手加減をしなくては、などと言う甘い考えの元挑めば、痛手を負うのは此方の方だ。

 とは言え、龍彦の心にそれに応じる闘志は湧かない。


「……いや、折角の申し出ですが今は少し……」

「……ふむ、そうか。じゃがお前さんはワシと戦わねばならない理由がある」

「え?」

「実はワシの村から秘宝が何者かによって盗まれたんじゃ。その秘宝とは黄金で象られ赤き宝玉が埋め込まれた首飾りなんじゃ――そう、お前さんが今首から提げておる物の事じゃよ」

「ッ!?」


 龍彦は刀を抜き放ち戦闘態勢に入った。

 初対面である人狼ウェアウルフ族の老人が何故、エルトルージェと同じ首飾りをしている事を知っているのか。レティヘロとの戦いの中で偶然服から飛び出ていたのを目撃すればそれは簡単に説明が付く。

 それよりも警戒すべきはエルトルージェの首飾りを所持している事を指摘した瞬間、闘気に混ざり爆発的に膨れ上がった殺気。

 温厚そうな老人として演じているもののその裏に隠された素顔が、鋭い牙を剥き出し今にも喉笛に喰らい付かんとする狼としての凶暴な素顔が曝け出されようとしている。


「ほっほっほ、刀を抜いたなお若い剣士よ。それでよい、流石に無抵抗の相手を嬲り殺す趣味はないのでのぉ」

「……説明する時間をくれる感じでもなさそうだな」

「生き残りたくば、このワシに勝つことじゃ――往くぞ!」


 人狼ウェアウルフ族の老人が吼え、地を蹴り上げる。


「何ッ!?」


 人狼ウェアウルフ族の最大の武器は速さ。エルトルージェもその設定がゲームでも生かされプレイヤーは速度を重視した戦い方が求められる。

 その設定通り、老人が動いた瞬間その姿が消えた。

 レティヘロのように姿を隠したのではない。視認速度を超える程の迅さで動いたのだ。

 龍彦は後方へ跳び、続けて刀で防御の構えを取った。僅かに遅れてけたたましい金属音が響き渡ると共に火花が飛び散る。


「ほっほ、よく今のを見切れたのぉ」

「ぐぅ……!」


 刃が受け止めたのは人狼ウェアウルフ族の武器である爪。よく斬れ、曲がらず、美しいと実用性としても芸術性としても名高い日本刀であるにも関わらずその爪の硬度はそれに匹敵している。


「フッ!!」


 押し返し、翻した刃で龍彦は唐竹に打ち込む。

 鋭い風切り音が鳴り、虚空を銀閃が駆け抜ける。討つべき標的は既に、遠くの方で胡座を掻き顎鬚を撫でていた。


「いやいや見事見事。ワシの攻撃を初見であるにも関わらず見切り反撃に転じれるとはのぉ」

「……戦うしかないのか」


 龍彦が仕掛ける。

 人狼ウェアウルフ族の速度は、常人ならばその姿を肉眼で捉える事は不可能。修練を積み鍛えられた動体視力があったからこそ辛うじて視認出来たものの、初撃を防御出来たのは半分は防衛本能とも言うべき勘だ。

 それ程までに人狼ウェアウルフ族の老人の動きは迅い。

 ならばその迅さを以て此方も対応する。全力なのか否かはさておき、先程の速度ならばまだ対応出来る。

 縮地による間合い詰め、そして背後からの強襲を仕掛ける。

 だがまたしても、そこに老人の姿はない。続けて真横から繰り出される爪の刺突を上半身を仰け反らせ回避した。そこから間髪入れず飛んでくる爪撃に龍彦は刀で弾き返す。


「ワシとここまで互角に渡り合える人間は、記憶に間違いがなければおらんかったのぉ。ワシら人狼ウェアウルフ族でないただの人間が修練を積めばここまで成長出来るものとは……長生きしてみるもんじゃのぉ」

「はぁ、はぁ……くっ!」


 攻撃が止んだのを合図に龍彦は大きく飛び退き刀を構え直すと乱れた呼吸を整える。

 その一方で老体であるにも関わらず、疾風の如き速さと嵐の如き猛々しさで攻めていた人狼ウェアウルフ族の老人は、汗一つ掻かいていないどころか呼吸も全く乱れていない。


(これが……人狼ウェアウルフ族なのか!)


 老体でこれだけの戦闘能力ならばエルトルージェはその更に上を行くと考えるのが妥当。年老いた相手にこうも手こずっている人間がエルトルージェに挑み勝つなど夢のまた夢。

 突き付けられる現実に龍彦は歯を強く食いしばる。


「ふむ、合格じゃな」


 突然、老人の口より戦いに終わりが告げられた。殺気も急速に収まり今はもう温厚な老人として龍彦の前に立っていた。


「……どう言うつもりだ?」

「いやすまんの。首飾りが村の秘宝と言うのも殺すと言うのも真っ赤な嘘じゃ、ちょいとお前さんを試させてもらったんじゃよ」 

「試す……だと」


 人狼ウェアウルフ族の老人はその問いに対し言葉ではなく、懐から取り出した一通の封筒を投げ渡す。封緘されている赤い蝋にはエルデニアの国旗である、獅子と交差する剣の紋章が描かれている。


「確かにお前さんは強い……が、力不足なのもまた事実。次に会う時まで魔力ちからを自由自在に使えるようになる事じゃな」

「…………」

「……さて、ワシはそろそろお暇しようかの――そうそう、その封筒はエルデニアで開かれる武術大会の参加許可証が入っておる。それを見せれば予選なしに本戦に出場する事が出来る。まぁ使うか使わないかは、お前さん次第じゃかの」

「何? どうして貴方がこれを……いや、それ以前に赤の他人の俺にくれるんですか?」

「それは……今は語るべき事ではない。ではのお若い剣士よ、更に強くなっている事を楽しみに待っておるぞ」


 心底愉快そうに笑いながら、人狼ウェアウルフ族の老人は雷轟の滝より去っていった。その背中を見送り、一人残された龍彦は改めて受け取った封筒に視線を落とす。

 エルデニアで開かれる武術大会。その参加出来る手段をこうもあっさりと、手にしてしまった。立て続けに起きる予想外かつ非現実的出来事。そして人狼ウェアウルフ族の老人の口振りは、ゲームでは語られる事のなかった裏に何か大きく関わっているようにも見受けられる。

 ともあれ、これから取るべき行動は一つしかない。


「……エルデニアに行くしか、今の俺には道は残されてないみたいだな」


 全ての答えは、エルデニアにある。




◆◇◆◇◆◇◆




 翌朝。

 龍彦は布団から起き、直ぐ傍に丁寧に畳んで置かれていた着物を纏った。

 この世界に来るまでに羽織っていた物ではない。見た目や色合いこそ瓜二つだが、今まで着ていたからこそわかる着心地も匂いも全く違う。だからと言って決して悪い訳ではない。特に着物から香る匂いは気持ちを落ち着かせてくれる。

 一番わかりやすい変化は羽織の方にあった。葉桐一族が纏う白の羽織は、色鮮やかに彩る紅葉を表したかの様な朱色の羽織に変わっている。

 そしてその羽織は今――


「おはようございます、タツヒコさん」


 カエデが纏っていた。


「……カエデ、どうしてお前が俺の羽織を持ってるんだ?」

「これはお手製です……スゥ、ハァ……。実は採寸している時に此方の不手際がありまして……スゥ、ハァ……それで台無しにしてしまったのでタツヒコさんには新しい羽織を用意させて……スゥ、ハァ、スゥ、ハァ……頂きました。でもその羽織は特別製ですよ? 呪術を用いて編み込んでいるから強度は鋼鉄の鎧並、それでありながら羽のような軽さが最大の特徴です」

「……そうか」

「後は少しずつ私に心が……うふふ」

「何か言ったか?」

「いいえ何も言ってませんよ……スゥ、ハァ、スゥ、ハァ……あぁ、タツヒコさんの匂いに包まれてる……」

「…………」


 会話の途中で何度も羽織の匂いを嗅いでいる時点で、今のカエデにはもう手の施しようがないと龍彦は理解した。

 案の定と言えば案の定、しかし堂々と目の前で匂いを嗅がれていると不思議と悪い気はしなかった。


(って俺変態かよ!?)


「……ところでタツヒコさん、本当に行ってしまわれるのですね」


 寂しげな笑みを浮かべるカエデに、龍彦は真剣な表情を浮かべ小さく首を縦に振る。


「……あぁ、俺は一足先にエルデニアへと行かせてもらう」

「……わかりました。本音を言えばまだ里に残ってほしかったのですが、我侭を言って貴方に嫌われたくありませんしね。素直に貴方の意思を尊重します」

「……今まで本当に有難うカエデ。この恩は絶対に、忘れない」

「それでしたらこの里に残って私と一生――」

「さぁ行くとするか。時は金なりってな!」

「……いけず」


 不貞腐れるカエデに龍彦は小さく笑い、屋敷を出る。

 相変わらず雲ひとつない快晴の空。暖かな日差しに心地良い微風はまるで旅立ちを祝福してくれているかのよう。そして屋敷の外には九羅嘛衆を始めとし里の住人達全員が集まっていた。


「タツヒコさん! どうかご無事で!」

「絶対にまた里に遊びに来てよ……じゃないとミカゼが寂しがるからね!」

「……ハルノ、素直じゃない。でも、来ないと呪う……から」

「ユキさんとハルノさんは兎も角お前普通に怖いぞミカゼ――でも、武術大会が終わったらまた必ず寄らせてもらう」

「それではタツヒコさん……エルデニアでまた会いましょう」

「あぁ。エルデニアでまた会おうなカエデ」

「おい兄弟。旅立つ前にその魅力的なケツをもう一度だけ触らせてくれないか?」

「丁重にお断りさせてもらいます!!」


 皆に見送られながら、龍彦は逃げるようにクズノハの里を後にした。

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