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第一章:獣に好かれる程度の魅力②

 目覚めて直ぐに視界いっぱいに飛び込んできた見知らぬ天井に龍彦は激しく狼狽した。

 いつの間にか掛けられていた布団を勢いよく跳ね飛ばし起き上がると周囲を確認する。

 一人分の座布団と机と言う最低限の家具しか置かれていない殺風景な六畳の和室。開かれた窓からは眩しくも暖かな陽光と共に肌を優しく撫でる微風が入り込んでくる。

 実家は築百年以上の武家屋敷である。現代になって住みやすいようにリフォームを繰り返し行っているが、当時の外観は勿論中も当時の姿のままである部屋も少なからずある。

 その中に、今布団の上で横たわっている和室は存在しない。


「…………」


 視線を下へと向ける。

 布団の横には龍神山で試練を受ける為に纏っていた衣装一式が丁寧に畳まれており、代わりに白の寝巻を今は纏っている。

 模造刀や竹光ではない真剣の大小の刀。一晩明かす為に持参してきた寝袋や軽飲食、現代の若者なら手放せないスマホを詰めた旅行用鞄が置かれていた。

 中を確認するが特に荒らされても盗まれた形跡も見られない。

 一先ず纏っている寝巻を脱ぎ、己の服へと着替えながら憶えている限りの記憶を呼び起こす。


(思い出せ……)


 膨大な記憶の中から昨日の出来事に関する情報を脳裏に蘇らせる。

 龍神山にて龍の麗香との戦い、とは言い難い内容ではあった。彼女の放った水龍が一斉に牙を剥いて襲い掛かり死を覚悟した、その直後であった。

 突然身体から眩い光が放たれ水龍を吹き飛ばした。

 光の正体は首から提げ着物の中に隠していた首飾りだった。

 『WILD BLOOD FIGHTER』――第四世代ゲーム機である『Neo Dream Computer』……通称ドリコン専用ソフトでジャンルは格闘ゲーム。

 独自のシステムと操作性の高さ、そして登場キャラが皆亜人――獣人達と言う事で当時からすれば非常に珍しく斬新なアイディアが盛り込まれていると話題になったゲームソフトでもある。

 登場キャラは全部で八人、隠しボスを入れて九人登場する。

 ストーリーは王都エルデニアで開かれる武術大会で優勝者にはどんな望みでも叶えると言う褒美に腕の立つ武術家達が参加すると言う設定であり、各キャラ毎に決まったエンディングがある。

 当時では珍しかった空中ダッシュに始まり、ボタンをタイミングよく押す事で連続攻撃を可能とするガトリングコンボと言ったシステムを導入し爆発的な人気を得た。

 続編の話もあったが開発に携わっていたスタッフが解雇されたりと色々問題が発生し結局続編が出る事のないまま終わってしまっている事が少しばかり寂しい。

 そんなゲームを龍彦も幼少期よりプレイし、かつて開かれた『WILD BLOOD FIGHTER』の大会に参加した事がある。

 当時最年少の挑戦者として大々的にカメラに撮され、後日テレビでも放映されて一時有名となった。龍彦がオタクと呼ばれるようになったのもその頃からである。

 大会に参加した理由は優勝賞品にあった。通常ゲームの大会はあくまでイベントであり優勝してもせいぜい賞状かトロフィーが贈呈されるのみ。しかしその大会は賞金、それも五十万と言う大金が与えられる大会だった。

 それ故に腕に自身のある猛者プレイヤーが数多く集い熱い戦いを繰り広げた。特にゲームを人生に捧げまともな就職に就いていない輩からすれば何がなんでも手に入れたい大金だ。

 しかし龍彦は賞金ではなく、もう一つの景品が欲しいが為に参加していた。

 優勝者に与えられるトロフィーと賞金五十万円、それは別に用意されている特賞。

 それはゲームの主人公ヒロインであるエルトルージェ・ヴォーダンのフィギュアである。

 完成度は極めて高く、また世界でたった一つしかない水着仕様と言う非常にレアな一品である。それを手に入れたいが為に龍彦は参加した。エルトルージェは幼き彼にとっては初恋の人でもあったからだ。

 初恋の人を誰の手にも渡したくないと言う想いを胸に大人達に混じり参加した龍彦は見事優勝を手にし、彼女エルトルージェを連れて帰る事に成功し――なかった。

 フィギュアが貰えると思ったのは龍彦の勝手な思い込みであり、正確にはそのフィギュアの首の提げられている首飾り本当の景品だった。エルトルージェが身に付けている物を本物の金や宝石を使って再現された、ゲーム大会の商品としては超が付く程の高価なそれは特賞として相応しいと言えよう。

 装飾品の類にまだ興味を示す年頃でない子供が持つにはあまりにも高価であるが、初恋の人とのお揃いとして龍彦は肌身離さず首飾りを身に付けた。

 それは成人した今でも続く習慣である。ただ単に何百万もする高価な物と言う訳ではなく、それだけ『WILD BLOOD FIGHTER』に……エルトルージェ・ヴォーダンに対し思い入れがあるからであった。


「この首飾りが……俺を守ってくれたのかな」


 不意に麩が開き、一人の女性がやってくる。


「……ッ!」


 龍彦は息を飲む。

 華奢な体躯、しかしこれでもかと象徴するように胸部が膨れ上がった巫女服。

 頭部とその臀部からは毛並みと触り心地が良さそうな金色の体毛を生やした耳と尻尾。

 瞬く間に驚愕に思考が混乱に陥る。


「あの、お気分の方はどうですか?」


 カエデ・クズノハ――人狐ウルペス族の少女で性格は礼儀正しく心優しい。夢に現れた先代里長より“武術大会に出場せよ”と言う命令に従い得意の呪符による呪術を武器に武術大会に参加するべくエルデニアへと向かう――それが彼女に与えられた設定ストーリー

 龍と言う非現実的存在と邂逅を果たした時以上に龍彦は激しく狼狽した。

 ゲームと言う人間の手によって作り出された架空の世界観シナリオと、その中に生きる人物キャラクター達。その一人が今、目の前にいる。

 夢や幻覚ではない。古典的ではあるが己の頬を抓れば正常に痛みと熱が帯びる。

 彼女は、カエデ・クズノハは本物だ。


「あ、あの……貴女は? それにここは何処ですか!?」

「落ち着いて下さい――私の名前はカエデ・クズノハ、このクズノハの里の長をしている者です」

(やっぱり、カエデは本物のカエデなのか……)


 本来なら此方から名乗るのが礼儀ではあるが困惑している様子を見て気を利かせてくれた。まだ思考回路は混乱しているが今度は此方が名乗り返す番である。


「俺は……龍彦。葉桐龍彦と言います。名前が龍彦です」

「タツヒコさん、ですが。ではタツヒコさんに幾つかお話を伺いたいのですが……」


 瞬間、温厚な笑みを浮かべていたカエデの目が鋭くなった。

 警戒心を剥き出している。敵意は今のところ感じられないがそれも答えによって大きく左右されるだろう。答えを誤ってはならない。龍彦はカエデの瞳を真っ直ぐと見つめ返す。


「まずタツヒコさんはどうしてあの雷轟の滝の前で倒れていたのですか? あの場所はこの里にとって神聖な場所でもあり私の許可を出さなければ立ち入ってはならない場所です。貴方が私に許可を申請されたと言う記憶は、私にはありませんが……」

「……その雷轟の滝と言う場所が何かは知りませんが、正直にお話します。カエデさんにしてみれば信じ難い内容でしょうが、これから俺が話す事は全て真実だと言う事だけは、どうか信じてほしいんだ」


 龍彦はこの世界が己にとってゲームの世界である事を伏せつつ、素性からこの世界に来るまでに至った経緯を包み隠さず話した。

 幸いカエデは違う世界から来たと言う話を信じてくれた。

 決め手となったのは文明の利器である携帯電話。たった一つの機械の中に音楽プレーヤーやカメラと言った多彩な機能を実演すれば警戒心は直ぐになくなり、まるで幼い子供のように興味津々に目を輝かせながらあれこれと質問攻めをしてくる程に、携帯電話はカエデの心を掴んだのだ。


「……なるほど。確かに信じられない話ではありますが事実でしょう。貴方の言うそのスマホも私が知る限りこの大陸中を探しても存在していないでしょう」

「信じてもらえて何よりです」

「ですがタツヒコさん、貴方はこれからどうされるおつもりですか?」

「……わかりません。ですが何かしらの原因でこの世界に来たのなら、帰る方法もきっと何処かにある筈。それをいつ見つけられるのか、方法があるのかすらわからない状態ですが……やるだけの事をやってみようと思います」


 元の世界に帰る。これが自分に課せられた課題だ。

 その方法をどうすれば見つけられるのか。現時点で思い浮かぶ方法は一つだけある。

 武術大会に参加して優勝する。優勝賞品である願いを一つ叶えてもらえる権限を使って、元の世界への帰還を果たす。ならばこれから向かうべき場所は何処か、それはこの世界に来た時点で既に決まっている。

 全ての武術家キャラクター達が集い戦いを繰り広げる舞台……エルデニア。

 エルデニアへ行けばきっとエルトルージェにも逢う事が出来る。直接話す事が出来なかったとしてもゲームでしか目にする事の出来なかった姿を、そして勇姿をこの目に焼き付けカメラに収めたい。そう思うと自然と笑みが溢れた。

 エルデニアまでのちょっとした冒険がこれから始まる。日本のように電車やバスと言った公共交通手段は勿論自電車や自動車もこの世界には何一つ存在しない。

 昔のように己の足で目的地までの長い距離をひたすら歩く。これが現時点で最大の移動手段だ。馬でもあれば楽だろうが、一度も馬に乗った事がない龍彦に騎乗スキルは備わっていない。慣れていない者が乗れば返ってそれが枷ともなる。ならば自分で歩いた方が数倍早いと龍彦は結論を下した。


「カエデさん、この大陸で何処か一番大きな町はありますか?」


 わかりきってはいるが下手に知識を出せば相手に要らぬ警戒心を抱かせる。何も知らないフリをして龍彦は尋ねる。


「それならばエルデニアですね。エルデニアは私達のような亜人や人間が数多く住んでいる大国で一ヶ月後には武術大会も開かれると聞きます。ここからならば、最短で二週間には着く事が出来るかと」

「二週間か……なんとかなりそうだな」


 目的は決まった。時は金なり……時間を無駄にしている暇はない。

 龍彦は立ち上がり大小の刀を腰に差してカエデに深く頭を下げる。

 これ以上ここに迷惑を掛ける訳にはいかない。


「ま、待って下さいタツヒコさん!」


 裾を掴まれカエデに引き止められた。


「あ、あの……何か?」

「そ、そんなに急がなくても大丈夫と思います! そ、それに外には魔物がいます。一人で向かうのは危険です!」

「魔物? この世界には魔物がいるんですか!?」

「え、えぇそうです! それはもう恐ろしい魔物が跋扈しています。この里は我々クズノハ一族が特殊な結界を張っている為安全ですが、一度外に出れば恰好の餌食となってしまいます」


 カエデの言葉に龍彦は驚愕と関心が入り混じった色を顔に浮かべた。

 自分が知っているこの世界に対する知識はあくまでゲームのみ。設定資料集などは特に販売もされておらず、その為ステージ背景などから世界観を想像するしかなかった。

 現実での『WILD BLOOD FIGHTER』の世界にはカエデを含む亜人ばかりではなく人間も、そして異世界の王道とも言える魔物が共存した世界観のようだ。

 カエデの言う通り魔物が存在しているのなら、一人で行動するのは危険である。ゲームのように死んだら教会に行って蘇生されその町からやり直し、等と言う都合のいいシステムは現実では搭載されていない。

 死ねばそれまで、それが生命の理である。それを捻じ曲げる事は断じて許されない。


「見た限りタツヒコさんも相当腕の立つ剣客と見受けられますが、それでも魔物と戦った事もなければこの世界に対する知識が疎いタツヒコさんが一人で行動するのはあまりにも危険すぎます」

「…………」


 カエデの言う事は正論である。

 どんな魔物が存在しているのかはさておき。それらに対する知識や対処方法、経験の差は当然現地の住人の方が遥かに上を行く。その経験豊富な者からの忠告を下手なプライドを振り翳しては長生きする事は出来ない。

 長い物には巻かれろ。今はこの諺に従う事こそが得策に違いない。


「でも、カエデさんに迷惑を掛ける訳には……」

「私なら構いません。タツヒコさんが悪しき心を持った方ではないとわかったのなら、私は客人として貴方をもて成す義務があります」

「いえ、介抱してくれたのにそこまでしてもらう必要は……!」

「いいからお構いなく。私がもてなしたいのです!」

「は、はい……そ、それじゃあ、お言葉に甘えて……」


 気圧されて、思わず承諾してしまった。

 カエデは満足そうに頷いた後、手を叩いた。

 程なくして麩が開き、ウルペス族の女性が二人入ってくる。この屋敷で働く女中だろう。


「今日から暫く滞在されるタツヒコさんです。直ぐにお食事の準備をお願いします」

「かしこまりました」


 一礼し去っていく女中達。心なしか熱を帯びた視線を向けられた。


「その、何から何まで有難うございますカエデさん」

「お気になさらないで下さい。今日は一先ずゆっくりと身体を休め、また明日にでも今後の方針を一緒に考えていきましょう。私は少し里長としての務めがあるので失礼しますね」


 優しく口元を緩めながら去っていくカエデにもう一度深く礼をしながら見送り、龍彦はその場に座した。


「……可愛かったなカエデさん」


 メインとして使っていたのがエルトルージェであり、サブで使用していたのがカエデであった。魔法や呪術と言った後方支援を行うキャラは戦士や格闘家と言った前衛で戦うキャラと比べて身体能力は低く設定されている。その設定にカエデもまた防御力が低いキャラとして設定されている。

 その防御力の低さを補う為に与えられた、四属性のそれぞれ決まった型を持つ技を使い分けながら敵を圧倒する火力に惹かれ龍彦は第二のキャラとして使用していた。後はその優しい性格も使用する切っ掛けでもある。

 ゲームのキャラクターを現実で見る。コスプレでは体現する事の出来ない美しさは正に芸術品。カメラに収めておきたい被写体として相応しい。

 だが一番目に撮影するのはエルトルージェと決めている。彼女を最初の被写体としてカメラに収めるまで誰も撮らない。

 一ヶ月後に開かれると言う武術大会が待ち遠しい。

 だが、果たして自分が優勝出来るのか。龍彦は鞘から刀を三寸程抜き刃に映し出される自分に問う。

 参加者は皆人外ばかりだ。中には格闘ゲームの三種の神器である牽制技、対空技、突進技を兼ね備えた者もいる。それらを通常必殺技として保有し、更にゲージを消費した超必殺技を誰しもが常備している。

 対して龍彦はごく普通の、少々剣術が出来るだけの人間だ。波○拳や闇○いのような飛び道具を放つ事も出来なければ何か特殊な力を持っている訳でもない。ゲームを何度もプレイする事によって技の発動掛かるまでの時間や動作、性質などを全て頭の中に叩き込んでいるとは言え、実際に戦う場合ゲームで目にするものとは大きく異なる。

 そんな自分が大会に出場したとして優勝出来るのか――その自信はないに等しい。

 そもそも武術大会は本家のキャラクターで既に出場枠は埋まっている。その誰かに交渉して替わってもらえる可能性は極めて低い。力ずくで出場権を手に入れるとしても、結局のところ彼らと渡り合える実力が必要不可欠だ。

 だが、大前提として。


(斬れるのか……俺は)


 ゲーム内でも武器を持ったキャラクターは登場している。

 国王の血を引く勇ましき騎士――レオ・グラディウス。

 残虐非道の暗殺者――レティヘロ・ゴーマ。

 武器を使う事自体は反則にはならない。ただ彼らの場合、相手に攻撃を与えた際演出として血が出るようになっている。

 レオの得物は剣、レティヘロの得物は無数のナイフ。斬撃、刺突を可能とした刃を持つ武器を携帯している二人が攻撃を与えた時効果音も打撃のそれとは異なり、血が噴出するような音が使用されている。

 ただそれらはゲーム上の演出にすぎない。だから気にする事はなかった。

 それが現実としてなった今、果たしてゲームと同じ感覚で彼らの前に立ち、腰に差した刀を抜く事が出来るか否か。

 葉桐の剣は基本流派と言う流派はない。強さを求めて適当に刀を振る、他流派が耳にすれば怒りを買ってしまい兼ねない理由より道場が創設された剣。

 現代に入った今でも刀の握り方と基本技を教えた後は実戦を想定して模造刀を用いての試合を主体として行う事を風習としている。長男である龍彦もその風習に従って幼少期より師範代を務めている父親と模造刀を用いての試合を行い続けていた。

 そして月に一度は真剣を用いた試合を行う。命の奪い合い、本物の殺し合いをする。

 真剣を用いての試合は死への恐怖を知りそれを克服する勇気を身に付ける事、そして相手を斬る……命を奪うと言うその重みを理解する事だと父、晃は口にする。

 真剣で斬られた時の痛みは身体に刻み込んでいる。その対称として、まだ斬る事への恐怖を知っていない。父の刀をこの身に受けたからこそわかる痛み、恐怖……それを相手にも与えると言う事への葛藤が生まれ、いつも防戦一方に回り続けていた。

 この世界を生きる住人達はそれを理として認識している。だから相手を斬る事に……殺生をする事に躊躇いを抱かない。生きる為に闘う……真の弱肉強食がこの世界の全て。だが人を傷付ける事を、斬る事をまだ龍彦は知らない。


「……早く、元の世界に帰りたいな」


 そうしている内に部屋の外から物音と共に鼻腔を擽る香りがしてきた。合わせるように腹部から空腹である事を告げるなんとも情けのない音が鳴り始める。

 麩が開き先程の女中が戻ってくる。手に持った御膳の上には見た目も匂いも食欲を促進させる料理が並んでいる。立ち昇る白い湯気が今出来たばかりである事を教えていた。


「どうぞ、召し上がって下さい」

「あ、有難うございます。じゃあ……頂きます!」


 手を合わせ料理と女中に感謝の言葉を述べ、龍彦は料理に視線を降ろす。

 白い握り飯に焼き魚、葉物の味噌汁に漬物……至ってシンプルな普通の日本食に思わず頬が緩む。

 大抵ラノベやアニメで見る異世界は中世時代の西洋である事が多く、その為食生活もパンや肉が主流として描かれている。クズノハの里が昔の日本を思わせる生活である事は、日本生まれである龍彦にとっては有難い環境であった。

 おにぎりを手に取り口へと運び咀嚼すれば、いい塩梅の塩加減と米の甘味が口腔内に広がっていく。味噌汁を啜れば濃くもなく薄くもなく、まるで自分の好みを知っていたかのように整えられた上品な出汁と味噌、そして葉物独特の甘味が相互に引き立て合う。


「美味い! こんな美味いおにぎりと味噌汁飲んだのは初めてかもしれないな」


 焼き魚に箸を伸ばした時。隣で面白そうにクスクスと微笑んでいる女中に気付いた途端、妙に気恥ずかしさが込上がり照れ臭くなった。それを紛らわすように龍彦は咳払いを一つ零し頬を掻く。


「申し訳ありません。随分と美味しそうに召し上がられるので、つい……」

「余程お腹を減らしていたのですね」

「い、いえ。まぁこの世界に来る前が丁度昼前だった物ですから。本当に美味しくて感謝してますよ」

「ふふふ。あら? 口元にお米粒が付いてますよ」


 女中が口元に手を伸ばし付いていると言う米粒を、取らずそのまま後頭部に手を回すと優しく自分へと引き寄せる。そして舌を伸ばし口元を舐めた。


「なっ……!?」


 予想外の行動に龍彦は豆鉄砲を喰らった鳩のように目を丸く見開いた。

 指で取ってくれるのかと思いきや女中は大胆にも舌で舐め取った。彼女の舌先には白い米が一粒付いている。それを飲み込み妖艶な笑みを浮かべる女中に戸惑っていると、もう一人の女中がいつの間にか隣を陣取り身体を密着させてくる。


「ふふ、剣術をされているだけあって鍛えられ……でも整った綺麗な身体をされていますね」

「あ、有難うございます……」

「……この腕に抱かれる女性は、さぞ幸せでしょうね。私もタツヒコ様のような殿方にいつか、抱かれる時が来るのでしょうか」


 上目遣いを向けてくる女中達。

 この視線を龍彦は知っている。

 敵意や警戒心ではない。かと言って興味でもない。

 異様なまでに懐いてくる動物達が円な瞳で向けていたあの視線。それと全く同じ視線ものを女中が向けているのだ。


(おいおいマジかよ……!?)


 龍と言う幻獣すらも惚れさせてしまう獣に好かれる程度のこの体質は、獣としての特徴を一部持った人間……亜人にも通用してしまうらしい。


「さぁタツヒコ様、まだお食事が残っております。よろしければ私が食べさせて差し上げます」

「まぁ、それなら私も」

「えっ? いや、あの……」


 二人の女中に戸惑う様子を見せる龍彦の頬はだらしくなく緩みきっていた。

 動物達が皆人間であったのなら……、叶わぬと理解しながら幾度と願い続けてきた夢が遂に叶ったのだ。

 これがエルトルージェだったなら最高だった。その時は嬉しさのあまり気絶しているかもしれない。けれどもようやく、動物以外からモテる事が出来たのだ。亜人である以上普通の人間ではないが、だからこそ人間にはない魅力を持っている。それが亜人だ。

 照れ臭さが今まで以上に込み上がるが、同時に幸福感も得られる。

 エルトルージェを含む亜人が好きな龍彦にとって、これ程嬉しい事はなかった。


「さぁタツヒコ様、あ~んして下さい」

「そ、それじゃあお言葉に甘えて……」


 女中に促されるがまま口を開き――荒々しく襖が開かれる。


「そこで貴女達は何をしているのですか?」


 腕を組み仁王立ちしているカエデ。笑顔こそ浮かべているが額にははっきりと青筋が浮き怒っている事を物語っている。

 里長の怒りに触れた女中達は短い悲鳴を上げ、慌てて立ち上がり一礼するとそそくさと退室する。カエデが怒るとどんな目に遭わされるか、それを彼女達はよく知っているようだ。尤も、殺意と言い換えても違和感のない程の怒気を向けられれば例え自分でも裸足でこの場から逃げ出すしていた。

 怒りを鎮め呆れた様子で女中達を見送り小さく溜息を吐いた後、カエデが隣に腰を下ろした。


「申し訳ありませんタツヒコさん。どうやらご迷惑をお掛けしてしまったようで……」

「い、いえ気にしないで下さいカエデさん。あの人達も良かれと思ってしてくれただけですので、寧ろ俺としては嬉し――」

「はい?」

「い、いえ! なんでもありません!」


 怒気を放ち始めたカエデに龍彦は姿勢を正し即答する。


「そうですか。それならばいいんです」


 何がいいのか。怒気を収め優しい笑みを浮かべるカエデに尋ねる勇気は、今の龍彦にはなかった。

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