序章
Pixivでも投稿しているオリジナル小説です。
微妙にPixiv版と異なる部分が御座いますw
葉桐龍彦は緊張と期待と言う、二つの感情に支配されていた。
翌朝いつものように学校へと登校すると下駄箱の中に一通の手紙が上履きの上に置かれていた。ハート型のシールで封緘されているそれが何かを意味しているのか。それがわからない程愚鈍ではない。
恋文、つまりラブレターだ。
まだ周囲に生徒の姿がいない事を確認し、素早くラブレターを鞄の中へと押し込み上履きに履き替えるとそのまま男子トイレの個室へと入った。周囲から冷やかされるのを避ける為であり、また差出人の気持ちを考慮しての行動である。
封筒の中に収められていた本文。達筆な字で好きになった経歴と交際して欲しいと言う告白、そして返事を聞かせてほしいと時間と場所が記されていた。
携帯電話と言う便利かつ今の人類が手放せない文明の利器があるにも関わらず律儀な性格をしている事が伺える。
それもその筈、何故ならラブレターの差出人は教師や男女問わず人気があり生徒会長を務めている人物だからだ。
成績優秀、文武両道、容姿端麗と正に完璧を体現したような存在であり更には家は超が付く程の富豪で家も総額何十億もする豪邸に住んでいる、と龍彦は噂程度に耳にしていた。
そんな相手からまさか自分が告白されるとはまず思わないだろう。相手は富豪で己が一般市民となれば当然住む世界も価値観も大きく異なる。
従って冷静に思考を働かせ、龍彦は友人が仕掛けたドッキリではないかと推測した。
浮かれて指定場所に向かうが誰もおらず、その様子を仕掛け人が影で忍び笑う……学校だからこそ可能であり典型的とも言える内容だ。特に差出人が差出人であるだけにその線が極めて高い。
だがこれ程の達筆を書ける輩を友好関係の中から検索し、誰一人として該当されない事を龍彦は確認し改めて考察する。
このラブレターは本物か、それとも偽りか。
トイレの中で五分間ラブレターを凝視し――本物であると龍彦は結論を下した。本物であると決定付ける根拠は何ひとつ無い。そうであって欲しいと言う気持ちだけで彼は本物だと信じた。
ラブレターを鞄の中へ雑に入れると龍彦はトイレから飛び出すと大急ぎで階段を駆け上がる。
ラブレターに指定されている場所は通っている母校の屋上。
屋上は普段立ち入り禁止とされ施錠されているが、ちょっとしたピッキング技術があれば簡単に開けられてしまう旧式の鍵が使われている。その為男子生徒がこっそりと屋上を使って授業をサボったり、また告白をする舞台として使われている事を教師達は知らない。
尤も、人気のある彼女ならばピッキング技術がなかったとしても一言言えば、教師も信用して屋上の鍵を渡すだろう。
何十と言う階段を駆け上がり、遂に屋上と校舎を繋ぐ境界線たる扉の前に龍彦は立った。
この扉を潜り抜けた先に待っているだろう彼女の姿を想像しただけで緊張から心臓が激しく鼓動し、顔に熱が帯び始めると伴ない一筋の脂汗が頬を伝う。
(落ち着け……! 落ち着け俺……!)
落ち着きなく高鳴る鼓動を落ち着かせる為深呼吸を何度も繰り返し、覚悟を決めた表情を浮かべ龍彦はドアノブを握った。
回して押せば施錠されていない扉はゆっくりと開かれる。
雲一つない快晴。何処までも続く清々しいまでに青一色に染められた大空を小鳥達が優雅に泳ぎ、同じく浮かんでいる太陽は燦々と輝き地上に暖かな陽光を射している。
扉を抜けた先。心地良い風が吹く屋上に一人の女子生徒が立っている。
(マジで本物のラブレターだったのか……)
龍彦の存在に気付くと、女子生徒は一瞬身体を小刻みに震わせ、顔を俯かせた。その頬は林檎のように赤らんでいるのがよくわかる。
「き、来てくれたんだ」
「あ、あぁ。え、えっと……とりあえず手紙に書いてた通り来た訳だけど、コレ……本当に俺宛でいいんだよな?」
念の為に確認する。
今ならばこれは夢だと、手違いだったと言われても納得出来る。
しかし女子生徒は静かに首を、縦に振った。
即ち肯定。このラブレターは紛れもなく自分宛であるとたった今、送り主より証明された。
その瞬間、込み上がってくる気恥ずかしさを紛らわせる為に痒みを訴えてもいない頬を掻きながら、龍彦は咳払いを一つ零す。
ラブレターが真実であるとわかったのなら、ここでやるべき事は最早一つしかない。彼女の想いはあのラブレターに全て込められている。
その想いに対し、自分の答えを彼女へと伝えなければならない。
龍彦の答えは、既に決まっていた。
「お、俺みたいな奴でもいいなら、その……こっちこそ――」
よろしくお願いします。そう続ける筈の言葉は、予想外の乱入者によって阻止された。
「な、なにコレ……烏!?」
青空より女子生徒に強襲する烏。
その数は一羽、二羽どころではない。空を覆い尽くすさんとする程の烏が周囲を飛び回り、激しく鳴き声をあげて威嚇し時にその鋭い嘴で突く。
校舎から悲鳴が上がるのは当然だ。まるで世界の終わりが訪れたかのような異様な光景を目の当たりにすれば誰しもが不安と恐怖を抱く。
「な、なんなのよコレェェェェッ!!」
烏達からの強襲に必死に身を守りながら屋上から逃げていった女子生徒。
すると烏達はぴたりと動きを止めた。
鉄柵に留まりまるで監視するように逃げていく彼女の後ろ姿を見送り、屋上の扉が閉まると一斉に大空へと向かって勝利の雄叫びだと言わんばかりに鳴き声を上げた。
「…………」
その光景に呆然としていると、龍彦は恐怖で身体を大きく震わせる。
鉄柵に座っている烏達が一斉に視線を此方へと向けている。次の獲物はお前だ、そう思わせる視線は獲物を冷たく鋭い目で狙う猛禽類のようにすら感じさせる目だ。
烏達が空へと飛び立たず鉄柵から地面へと降り立ち可愛らしい動きで歩み寄ってくると、龍彦の足に自ら顔を摺り寄せた。その行動は犬や猫が甘えるような仕草と全く同じである。
当然この烏達は野生である。人の手によって飼い慣らされていない以上懐く事はまずない。
それでも烏達は初対面である龍彦に対し、心を完全に許していた。
ただ、何十羽と言う烏達に懐かれる光景は当事者から見ても、第三者から見ても異様な光景である事には変わりない。黒一色に支配された屋上に一人取り残された龍彦は、驚愕と困惑からホームルームを告げるチャイムが鳴り響くまでただただその場に立ち尽くしていた。