アイオリア魔法学院入学試験 6
アイオリア魔法学院入学試験の二日目、全員が第一試験を終えた特別枠の面々は、引率のアリアの指示に従い、昼食をとるために食堂へと移動しているところであった。一般枠の受験生たちはまだ試験中なのだが、流石は特別枠と言うべきか、こんなところまで特別待遇というわけらしい。
レインハイトの属する最終組の面々は相変わらずの様子で、偉そうな少年は我が物顔で先頭を行き、二番手をヨシュアとイリーナと五人目の少女が横並びで進み、最後尾にレインハイトと言った形をとっていた。
「みんなお疲れ様。午後の試験も楽しみだね」
「私はこれから食べる昼食が楽しみです!」
「うふふ。イリーナさん、昨日もとても美味しそうに昼食を食べていましたものね」
ヨシュア、イリーナ、そして五人目の少女の三人は、仲良く談笑しながら食堂へと進んでいく。会話に参加する気のないレインハイトは、手慰みに金属製の受験票を片手で軽く放り投げたりして弄びながら、静かに彼らの後をついていく。
だが、少々要らぬ気を回したヨシュアが振り返ったことで、レインハイトは知らん顔を続けることはできなくなった。
「――しかし、もはや毎回のことになっている気がするけど、ダウトの規格外さには本当に驚かされるよ」
「そうですよ! たくさん魔力を持っている上に制御技術までずば抜けているなんて、ずるいです! 反則です! ダウトさんはきっと何か不正をしているに違いありません!」
ヨシュアの発言に全肯定の姿勢を見せるイリーナは、後ろを振り返ると、ぴょこぴょことウサギ耳を動かしながらそう言った。
「……いや、俺は不正など――あっ」
イリーナに弁明しようと慌てて口を開いたレインハイトだったが、彼女の言が正鵠を射ていたことに動揺したためか、軽く放り投げて遊んでいた自身の受験票を取り損ねてしまった。
「あはは、珍しくダウトが慌ててる」
「いきなり話しかけられて驚いただけだ。俺をおもちゃにして遊ぶんじゃない」
楽しそうなヨシュアに苦言を呈したレインハイトは、コロコロと横に転がっていった自身の受験票を取りに向かった。
落とした際の角度によるものか、思いのほか遠くまで転がり進んだ受験票だったが、その進路上に現れた何者かの足にぶつかることでようやく停止し、地面に倒れた。レインハイトは慌てて拾おうとするが、ぶつかった足の持ち主が受験票を取り上げるほうが少し早かった。
「……はい、どうぞ」
「ああ、申し訳ない――ッ!?」
息を呑むという反応を晒すだけで済んだことに安堵しながら、レインハイトは目の前の少女に差し出された受験票に手を伸ばした。
不自然な態度をとってしまったためか、少し不思議そうな目をレインハイトに向けてくる緑がかった銀髪の少女は、特徴的な横長の耳を持っており、その点から、彼女が長耳族であることが伺い知れる。
しかし、レインハイトが動揺したのは、眼前の少女が人族の都市では少々珍しいエルフだったからではなく、記憶を無くしたレインハイトの恩人――シエル・フェアリードであったためである。
「あっ、君は――」
その時、何かに気づいた様子のシエルがレインハイトの顔をまじまじと覗き込み、声を上げた。レインハイトの内心の動揺はピークに達するが、魔法まで使用した自身の変装がそう簡単に破れるはずがないと信じ、外面的には無表情を貫いた。
「――さっきの試験ですごい成績を出してた子だよね?」
「あ、ああ……」
「あっ、急にごめんね。私はシエル。この学院の二年生で、今日は試験のお手伝いをしに来てるんだ」
知ってます、と反射的に出そうになった言葉をぐっと飲み込み、レインハイトは微妙な笑顔を浮かべるだけにとどめた。
「君が入学してきたときには三年生になってると思うけど、その時はよろしくね!」
「いや、まだ俺が入学できると決まったわけではないが……」
「ふふ、あれだけすごい実力があったら大丈夫だよ。意外と謙虚なんだね」
にこにこと笑っているシエルの相手をしつつ、レインハイトの内心は、あれ、こいつ人見知りじゃなかったっけ、という戸惑いに満ちていた。学院に入った当初とは比べ物にならない成長ぶりである。
しかし、変装により身分を偽っている現在のレインハイトには彼女の成長を悠長に祝っている余裕はなく、むしろ、認識阻害の効力が解けやすい知人との会話は極力避けるべきものであり、どうやってこの状況を切り抜けようかと苦心していた。
「おーいダウト、何かあったのかい?」
と、その時。レインハイトの背後から思わぬ助け舟が出された。レインハイトはこれ幸いと振り向くと、声の主である金髪の美少年――ヨシュアへと目を向けた。
おそらく、なかなか戻ってこないレインハイトの様子を見に来たのだろう。良い判断だ、とレインハイトは内心でヨシュアの行動を褒め称えた。
「いや、受験票を拾ってくれた先輩と少し話していただけだ。先に行っていてくれても良かったのだが、待たせて悪かったな」
本当に先に行かれてしまっていたらもう少し困っていたのだろうが、レインハイトは体面上そう言ってヨシュアに謝意を示した。
「気にしなくて大丈夫だよ。ダウトならそう言うと思って、他の皆には先に行ってもらっているから」
朗らかな笑みを浮かべながらそう告げるヨシュア。最終組のメンバーとレインハイトの両方に配慮した流石の対応である。彼が自然とグループのリーダー的ポジションとなっているのも納得できよう。
「お友達を待たせてたんだね。引き止めちゃってごめんなさい」
二人の会話を聞き、シエルは申し訳なさそうに目を伏せた。心なしか長い耳も力なく垂れ下がっているようにも見える。
「気にするな。シエルは何も悪くない」
そんなシエルの姿を目の当たりにしたレインハイトは、なんだかいたたまれない気分になり、彼女を慰めるべく励ましの言葉をかけ、右手を軽くシエルの頭に乗せた。己が別人に変装していることは綺麗サッパリ忘れてしまっているようだ。
「……へ? あ、うん……ありがとう……ございます……?」
レインハイトの唐突な行動に困惑したシエルは、頭の上に疑問符を浮かべながらぎこちない返答を返した。
眼の前の白髪の少年がレインハイトであると知らない彼女からすれば、初対面の少年にいきなり馴れ馴れしい態度を取られたように感じられただろう。当然の反応である。
「……ダウト、先輩に対してその態度は流石にまずいんじゃ……」
「――ハッ!? 俺は一体何を……?」
控えめなヨシュアの指摘により、ようやく己がしでかしたことに気づいたレインハイトは、凄まじい勢いでシエルの頭に置いた右手を引っ込めると、そのまま数歩後ろに飛び退った。
「す、すまない! その……シエル、先輩は俺の妹にとても似ていたので、つい馴れ馴れしい態度をとってしまった。申し訳ない!」
「なあんだ、そういうことだったんだ? いきなり頭を撫でられたから、びっくりしちゃったよ」
我ながら苦しい言い訳だ、とレインハイトは咄嗟に口から出た弁明に辟易するが、どうやらシエルは信じてくれたらしい。小さく息をつき胸をなでおろしたレインハイトは、無意識のうちに緩んでしまっていた緊張の糸を引き締め直す。
「へえ、ダウトって妹がいたんだ?」
「さて、あんまり他の皆を待たせても悪いし、俺たちはこのあたりでそろそろお暇させていただこうか、ヨシュアくん?」
ヨシュアの呟きを完全に無視し、レインハイトはすぐさまシエルからの逃亡を図った。これ以上この場に長居したところで無駄にリスクが増えるだけなので、妥当な判断と言えよう。




