お兄ちゃんのおせっかい
「ごちそうさまでした」
レインハイトはふうと息を吐くと、食器を片付け始めた。
ミレイナの作った料理は初めて口にするものが多かったが、どれも美味しく、不思議と口に合うものばかりだった。
世話になってばかりではさすがに悪いと思い、早めに食事を終えたレインハイトは席を立つと、皿洗いをするために食器がたまった水溜に向かった。
「あっ! こらこら、レインハイトくんはお客さんなんだからそんなことしなくてもいいのよ?」
「これくらいはやらせてください。僕は一文無しですし、しばらくご迷惑をお掛けすると思うんです。できるだけ早く出て行くつもりではいるんですが、すぐには無理なので、せめて皿洗いくらいはと」
ミレイナが慌ててこちらに駆け寄ってきたが、こうなることは予想済みだった。レインハイトは予め用意しておいたセリフを口に出しながら皿洗いを続けた。
「もう、レインハイトくんは子供なんだから、迷惑くらいかけてもいいのよ? すぐに出て行かなくてもいいの。……あ、そうだ。何ならうちの子になる?」
ミレイナはレインハイトに微笑みを向けると、優しく彼の頭を撫でた。
流石にこの展開は予想してなかったので、レインハイトは少々面食らった。てっきり迷惑がられていると思っていたのだ。
嬉しさと恥ずかしさで顔を赤くしていると、「やーん、レインくんかわいい!」と何やら興奮しながらミレイナが抱きついてきた。顔の左半分が胸に埋まり、ガッチリとホールドされている。皿洗いしづらい。
ミレイナは美人だ。とても二人も子供を生んでいるようには見えない。レインハイトは努めて冷静に皿洗いを続けているように見えるが、でれっとしたにやけ顔にならないように必死であった。
「ちょっとお母さん! いつまでくっついてるの!」
胸を当てられながら頭を撫でられ続け、流石に変な気分になってきたころ、ようやくシエルから助け舟が出された。
「あら、ごめんね、レインくん」
ミレイナがぱっと離れる。レインハイトは解放されたと安心する反面、少し残念に思った自分を殴り飛ばしたくなった。
「何だシエル、一丁前に嫉妬か? 俺が気付かないうちに随分と大人になったなあ」
言ったのはロイだ。先程まではエリドもいたのだが、夜も仕事があるらしく、夕飯を食べたらすぐに出て行ってしまった。
その一方、ロイは本日の仕事は終了したようで、ゆっくりと夕飯を食べながらシエルをからかっていた。仲の良い兄妹である。
「お兄ちゃん!」
シエルが対面に座るロイを睨みつける。が、そこで思わぬ伏兵が現れ、シエルを窮地に追いやった。
「そうなのよ。ロイ、ちょっと聞いてくれる? 実はさっき買い物から帰って来たら、シエルとレインくんがいちゃいちゃしてたのよ」
横から掛けられたその声には流石に動揺したのか、シエルはほんのりと頬を赤くした。
「ちょっ! お母さん! あれは事故だって言ったでしょ!?」
「おいおい……君たちまだ十二歳ですよね? 大人の階段登るには早すぎやしないか?」
それを聞いたロイは、軽く引きながらレインハイトの方を見てきた。
レインハイトはそれを無視をしようとしたのだが、このまま話がこじれるのも面倒だと思い直し、ロイを見つめ、首を横に振った。
「ほら! レインだって首振ってるじゃない!」
「ふーん……じゃあ、シエルはレインのことが好きでもなんでもないと?」
ロイが真剣な表情でシエルに問うたが、レインハイトは見ていた。ロイがにやけた口元を必死に手で隠しているのを。
「そ、それは! ……その……そう……だけど。……でも、嫌いってわけじゃなくて……それに、レインは私の事助けてくれたし……あっ!」
耳まで真っ赤にしたシエルが俯きながら何か言っていたが、途中でロイの口元がにやけているのに気付いたようだ。羞恥と怒りにより、シエルの顔が更に赤くなった。
「信っじられない! お兄ちゃんのばか! そんなんだから彼女ができないのよ!」
「うっ」
「そうねえ。ロイもそろそろ彼女の一人や二人、お母さんに紹介してくれてもいいのよ?」
「お、お袋まで……」
すると、優勢から一転し、劣勢へと転じたロイが見ている方が辛くなるような悲しい表情でレインハイトに視線を寄越した。
きっと助けを求めているのだろう。しかし、レインハイトは家族水入らずの会話に入っていくほど無粋ではない。空気を読み、そっとロイから目を逸らした。
助けを望めないことを察したロイは、少し俯いて考えたあと、急に元気よく立ち上がった。額に悩ましげに手を当て、格好をつけている。
「……俺にはシエルの兄としてやらねばならないことがある。それが終わるまでは、自分の恋は後回しさ」
「お兄ちゃんにしてもらうことなんて何もないけど」
「そう冷たいことを言うなマイシスターよ。たった二人の兄妹じゃないか」
よよよ、と泣いたふりをするロイにシエルがたじろぐ。
「う……私のためにやらなきゃいけないことって何なの?」
シエルはロイの話を聞いてあげることにしたようだ。
実際には泣いていないことがバレバレの猿芝居だが、それで大抵のことは許してしまうほどシエルは優しいのだ。こういったところも彼女の魅力の一つだろう。
「うむ、俺はシエルの兄として、レインが本当にシエルにふさわしい人物か試さねばならん」
どうやらロイはレインハイトを巻き込むつもりらしい。
先程目を逸らしたことに対する恨みだろうか。そのことなら後で謝るのでどうか許して欲しい、とレインハイトはうんざりしながら兄妹の会話を見守った。
「ふさわしいかどうかなんてお兄ちゃんに関係ないでしょ!」
「よし、では行くぞレインハイトよ。お兄ちゃんがお前を試してやる」
「こらバカ兄! 人の話を聞け!」
「ロイ。ちゃんと食器を片付けなさい」
ロイは華麗にシエルとミレイナを無視し、レインハイトのそばまで来ると、肩に手を回し、そのまま強引に家の外へと連れ出した。その手には何故か木でできた剣を二本持っている。
今からこれでボコボコにされてしまうのだろうか、とレインハイトは不安になりつつ、抵抗せずにロイに従った。
家の外は真っ暗だった。ロイの持つ松明の僅かな明かりを頼りに、二人は静かに歩みを進める。
「……どこに行くんですか?」
沈黙に耐え切れなくなり、レインハイトはロイに小声で尋ねた。
あれほど騒がしかったというのに、家から出たきりロイは一言も喋らなくなってしまったのだ。遅い時間ということもあり、周囲の民家を配慮して静かにしているのだろう。
「ん? ああ、悪い。行き先を言ってなかったな。もう少し歩くと村の道場があるんだ。そこに向かっている」
ロイは後ろに振り返り、レインハイトに合わせるように小声で返事をしてきた。
「道場? そんなところに行って何をするんです?」
「さっき言っただろ? お兄ちゃんがお前を試してやるってさ」
ロイは冗談めかしたようにそう答えた。松明に照らされた事により、ロイのにやけ顔がかなり不気味なものに仕上がっている。レインハイトは己の表情が引きつるのを感じた。
「まあまあ、そんな顔するなよ。別にいじめたりするわけじゃない。ただ、あの主を倒したっていうお前の実力を知りたいだけさ」
あなたの不気味な顔にビビったんです、とは流石に言えまい。レインハイトは沈黙を貫くことにした。
「使うのも木の剣だしな……お、着いたぞ」
そうこうしているうちに、どうやら目的地に到着してしまったようだ。
ロイが指し示すのは木造の大きな建物だ。恐らく、族長の家より大きいだろう。道場と呼ばれる長方形の建物は、周囲の民家とは作りが大きく違っており、暗闇の中で異質な存在感を放っていた。
レインハイトは夕食前に武器の形成の練習をしており、疲労が蓄積されていた。時間が空いたため少しは回復できたが、そんな微々たる時間では解消しきれないほどの疲労を体全体から感じる。できれば食後の運動などしたくないというのが本音だ。
「さて、じゃあ入るか」
とレインハイトが入り口でうじうじしていると、ロイは一人で道場に入っていってしまった。無視して帰ってしまうわけにもいかず、レインハイトも仕方なくロイの後に続いた。
外観から想像できるように、道場の中はかなり広い。二人で使用するには広すぎるほどである。地面は土でできており、外の土とは違うものなのか、踏ん張りのきく良い土だ。踏み込みの際に滑ったりすることはほとんど無いだろう。
これなら思う存分戦えそうだ、とレインハイトは一応真剣に分析したのだが、できれば今回は道場の下見だけで済ませたいところであった。疲労を蓄積しまくった今の彼には、運動をするような元気は一滴たりとも残っていないのだ。
そんな事情など露ほども知らず、ロイは壁周りに設置されている照明用の魔法具に光を付けて回っていた。俺はここの常連なんだよ、と何やら楽しそうにしている。どうやら本気で模擬戦闘でも行う気らしい。
魔法具とは、魔力を与えると反応する素材などを使用して人工的に作られた道具の総称である。照明の魔法具は、魔力によって光を放つ道具だ。
レインハイトの知識では、照明用の魔法具は高級品だったと記憶している。素材の光石や、燃料である魔石も高価なものだったはずだ。
この長耳族の村はそれほど裕福そうには見えないのだが、この道場には特別に魔法具を備え付けるほどの力を入れているということだろうか。もしそうであれば、道場の常連であり、族長の警護もこなすロイは、かなりの手練ということになるだろう。
レインハイトは心底げんなりとしたが、これも無一文の自分がこの村で世話になるための対価である、と無理やり自分を納得させ、足元に置いてあった木剣を拾い上げた。
することもないので、剣を左右に振って具合を確かめる。レインハイトには少し軽い剣だが、相手と同じ条件の武器だ。文句は言うまい。
「お? 少しはやる気になってくれたのか?」
と照明を付け終えたらしいロイが嬉しそうに言うので、レインハイトは一応頷いておいた。内心では、仕方なくという気持ちが大半だが、それをあからさまに態度に出すというのは失礼だろう。
「準備はいいな? じゃあ、これからこいつを使って俺と勝負だ」
ロイが手に持つ木剣を指さしながら説明を始めた。使うのは木剣のみ。魔法は使用禁止。相手に大きな傷を負わせるような攻撃も禁止。予め考えていたのだろう。素早く細かい条件を確認していく。
「勝敗の条件はどうするんですか?」
「そうだな……相手に参ったと言わせるか、相手の武器を叩き落とすか。で、どうだ?」
レインハイトもそれで特に異論はなかった。真剣勝負というわけでもない。実力を計るための手合わせだ。気楽に行かせてもらおう。
「わかりました。……お手柔らかにお願いします」
「よし。じゃあ始めるか。先に打ち込んでこい!」
ロイは木剣を両手持ちで正面に構えた。隙の無い構えだ。素人のレインハイトにさえ、ロイが熟練者であることが即座に理解できるほどの自然な構えだった。
「では、お言葉に甘えて」
レインハイトはロイに向かって走り出した。あまり体の疲労は感じなかったが、いきなり全速力を出すことはないだろう。ロイも打ってこいと言っていることだし、ゆっくりと間合いまで詰めさせてもらおう。
ロイが木剣の射程範囲に入ると、レインハイトは右足を前に踏み込み、剣を左の腰辺りに構えた。
「――はあッ!」
流れるような動作で左手を剣の柄に添え、左から右に、両手持ちから横薙ぎの一閃を放った。
レインハイトが攻撃の動作に入る直前、ロイはそれを木剣で受けるつもりでいた。理由はもちろん、レインハイトの実力を見極めるためだ。しかし、レインハイトが横薙ぎの動作に入った直後、ロイは全身が総毛立つのを感じた。この斬撃は受けてはならない。ロイの剣士としての勘が、そう激しく警告を鳴らしていた。
「……くッ!」
ロイは己の勘に従い、すぐさま行動を起こした。レインハイトの横薙ぎを受ける為に構えた体を無理やり崩し、自分へと攻撃を仕掛けるレインハイトをその視界に収めながら、勢い良くその場にしゃがみこんだ。
その直後、ゴオッ! と、ロイの頭上から恐ろしい風切り音が聞こえた。凄まじい音だ。少なくとも、自分が全力で木剣を振り回してもあんな音は出せないだろう。
空を切り、木剣を振り抜いたレインハイトは隙だらけだったが、ロイはその隙に対して反撃の一撃を放つことはしなかった。いや、できなかったのだ。直前のレインハイトの攻撃がロイの脳内を支配し、反撃をするという意思が入り込む隙をなくしていた。
最終的にロイが取った行動は、その場から後ろに数歩飛び退くことだった。
「……ふう」
と、息を吐き呼吸を整える。俺はあんなものを木の剣で受けるつもりだったのか。戦慄と共に、ロイの背筋に冷たいものが流れた。
もしあれをまともに受けていたら、手に握った己の木剣は砕かれ、そのまま顔面に一撃を食らっていただろう。それほどの威力があの一閃にはあった。
運が良くて脳震盪、運が悪ければ大怪我だ。あんな凄まじい攻撃を仕掛けてくるということは、この少年は自分のことを殺すつもりだったのだろうか。
だが、とロイは疑問に思う。不思議なことに、レインハイトの攻撃にそのような悪意や殺気を感じることはなかった。この至近距離で殺気を隠すことなど、剣の達人であってもそうそうできるものではない。それに照らして考えれば、彼に殺意はなかったということになる。
つまり、あの凄まじい破壊力を秘めた一閃は、「打ってこい」という言葉を真に受けたレインハイトが、何の気なしに放った小手調べの一撃だということになる。
恐ろしい話だ。見た目は妹と同じ年のひ弱そうな少年だというのに、あの小さな少年の細い腕は、きっとこの村の誰よりも強く、速く剣を振るえる力を持っているに違いない。
シエルからは魔法でダークガルムの主を倒したと聞いていたため、魔法が上手いだけで剣の腕は大したことはないのではと思っていたのだが、とんでもない誤解だった。思い返せば、シエルはこうも言っていたではないか。『レインは獲物を全部一人で村まで運んだ』と。
実際に目の当たりにしたのだから、あの獲物の塊がとてつもない重量だということはわかっていたはずだ。もしあれを純粋な筋力のみで運び切ったのだというのなら、この少年はドワーフどころではない化け物級の力を持っていることになる。
(おいおい……親父から実力を試せとは言われたが、こんな面倒な奴の相手をするなんて聞いてないぞ……模擬戦に命を賭けるなんてバカらしいし、降参しちゃおうかな……)
内心ではこのようにかなりビビっているロイだが、その恐れは年長者としてのプライドでなんとか飲み込み、顔面に精一杯の笑みをたたえ、レインハイトを挑発した。
「どうした? かかってこいよ」
「……余裕ですね」
対するレインハイトは、ロイのその張りぼての余裕にまんまと騙され、動揺した。
レインハイトの一撃は、ロイの手から木剣をたたき落とすつもりで放ったものであった。木剣を破壊し、そのまま相手にダメージを与えられるほどの力が己の腕にあることを彼は知らなかったが、相手が手に持つ木剣を振り落とすくらいはできると思っていたのだ。
しかし、現実はレインハイトのイメージ通りとはならなかった。渾身の一撃はロイによって軽々と回避され、そればかりか「お前の狙いなどわかりきっている」と嘲笑うかのように挑発されたのだ。蓋を開けてみれば両者ギリギリの攻防だった訳だが、レインハイトには知る由もなかった。
「まあでも、お前がすげえってことは今の攻撃で分かった。主を倒したってのも、今なら納得できそうだ。……さて、俺もちょっとは真剣にやるとするか」
ロイはその場で目を瞑ると、片手で木剣を持ち、左手を刀身に添えるように構えた。
ロイが何をしているのかレインハイトには全くわからなかったが、それを機に、ダークガルムの主と対峙した時とはまた別種の圧力が彼を襲い、一気に警戒レベルを跳ね上げた。
「……おおッ!」
気合の声に呼応するように、ロイからの圧力が増した。
己の感覚が正しければ、圧力の正体は魔力である。レインハイトは魔力に鋭敏だ。魔法として形をなさない程度の微かな魔力の流れでさえ仔細に感じることができる。
その感覚が告げているのだ。ロイは現在、間違いなく魔力をその体から発している。これほどの魔力を練り上げているということは、もしや魔法を使うつもりなのだろうか。
そんなまさか、魔法を使うのは反則だったはずだ。レインハイトは脳裏に浮かんだ考えを即座に否定した。
では、彼は一体何をしようとしているのだろうか。背筋にねっとりと絡みつくような不安が押し寄せてきたが、相手の出方がわからない以上、レインハイトにはただ見ていることしかできなかった。せめて何か些細なものでも見逃すまいと、更に己の感覚を鋭敏にし、レインハイトはロイの魔力を感じ取ることに集中した。
「よし、準備完了だ」
静かに目を見開いたロイは、先程までの彼とはまるで別人のようだった。
集中して観察した成果だろう。レインハイトはその変化の原因を捉えることに成功していた。圧力の正体である魔力、ロイは自らの身体にそれを纏っていた。
内側から発し、体を覆うように張り巡らされた魔力は霧散すること無く、安定した状態で肉体に定着している。
ロイが行ったのはそれだけである。しかし、たったそれだけの事のはずなのに、ロイからは言い知れぬ圧力の波動が放たれ、道場内の空気までもが変化しているように感じる。
いつの間にかレインハイトの両手には汗がべっとりと付いており、微かにだが、体も震えていた。本能的に恐怖を感じているのだ。「所詮は模擬戦だ」というような生半可な覚悟では、恐らく一瞬で叩き伏せられるだろう。そう直感できるほどの圧力が、不敵な笑みを湛えたロイから発生しているのだ。
レインハイトがロイの変化に戦慄いている一方、ロイは臨戦態勢に入ると同時に、レインハイトに対して僅かな後ろめたさを感じていた。この技は父親から教わった奥義のようなものであり、魔力を全身に纏う事により、非常に強力な身体能力を得ることができるというものだ。厳密には魔法ではないが、限りなく魔法に近い反則技だとロイ自身は思っていた。
この魔力を体に纏う技は、一見単純なように見えるが、極めて繊細な魔力コントロールが要求される。六歳の時から剣術を学んできたロイでさえ、この技を習得するのには約一年かかった。
たった一年で習得できるのはかなり優秀な方らしいが、先程のように精神を集中し、少し時間をかけなければ魔力を定着させることはできない。更に、この技は魔力の消費も激しく、ただ状態を維持しているだけでも、魔力保有量が一般的な自分ではすぐに魔力の底が尽きてしまう。強力ではあるが、リスクもそれなりにある技だ。これを出したからには、素早く勝負を決めなければならない。
と、あまり時間を掛けられないロイが仕掛けようとした直前、レインハイトは、空いた距離を急速に詰めるように前進した。今のロイに先手を打たれるのは不味いと考えた末の、直感的な行動である。
先手を取られた事により動揺したロイの反応が一瞬遅れ、図らずもレインハイトが不意を突いたような形になった。結果的に見れば好判断だったといえよう。
レインハイトは小さく踏む込み、先程とは違う小さな振りで左から右へと一閃を放った。素早さを重視したコンパクトな一撃ではあるが、その威力は通常の斬撃とは比べ物にならない。
しかし、容易にロイの手から木剣を奪い去るだろうと思われたその一閃は、それを待ち構えていたかのように受け止めたロイの木剣により、いとも簡単に弾かれることとなった。
「……くッ!」
(剣にまで魔力が……!?)
武器同士をぶつけた事により、ロイの体を覆う魔力にのみ集中していたレインハイトは、ようやく彼の木剣にも魔力が流れているのを認識した。これが敗北につながる致命的な見落としであることは、もはや疑いようもない。
木と木のぶつかる鈍い音がし、放った斬撃の威力を殺される事無く受け流されたレインハイトは、大きく体勢を崩し派手に尻餅をついた。慌てて立ち上がろうとしたが、喉元には木剣を突きつけられており、その先には不敵な笑みを浮かべるロイが立っていた。
「俺の勝ちだな」
「……参りました」
素直に降参したレインハイトに対し、ロイは右手を差し伸ばした。レインハイトは無言でその手を取って立ち上がり、尻についた砂を払い落とす。
とても鮮やかな受け流しだった。素人同然の自分とは比べ物にならないほど洗練された動作で攻撃を弾かれたところまでは分かったが、その後はよくわからないまま喉元に剣を突きつけられていた。
あのように完璧な受け流しをされたということは、恐らく動きを完全に見切られていたのだろう。冷静に考えてみれば、力任せに剣を振り回すだけでは勝てるはずがない。
今後は魔法の修行と同時に剣術の修行もしていこう、そうレインハイトが決意する一方、ロイはレインハイトに気取られぬように胸を撫で下ろしていた。
(なんとか年長者としての威厳は保たれたか……)
レインハイトが素人だったから良かったものの、反則技を使わねば負けていたのはこちらだったかもしれない。村では優秀だと言われ調子に乗ってしまっていたが、世界は広いのだ、と己の慢心を痛感するロイであった。
「レインハイト、付きあわせて悪かったな。さて、帰るか」
これからはもう少し気合を入れて修行に励もう。ロイは焦燥感に駆られそう決意しつつ、レインハイトと共に帰路についた。