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アイオリア魔法学院入学試験 3


 次の試験の内容は、ヨシュアが予想していた通りのものであった。アリアの説明を適当に聞き流したレインハイトは、先程の一次試験と同じように前の組の試験が終わるのを待っているところだ。唯一の会話相手であるヨシュアはイリーナと五人目の少女に捕まっているため、先程と同じようにひたすら無言で待ち続けていた。


 総魔力量を測定する試験というだけあってか、瞬間魔力出力量の方に比べて試験の進行にかなり時間がかかっているようだ。待ち時間が長すぎて疲れてきそうだが、レインハイトは特別枠なだけかなりマシだろう。


 一般枠の方に目を移せば、遅々として進まない長蛇の列が形成されており、傍から見ているだけでも気が滅入りそうだ。もしもあちら側で試験を受けることになっていたら、早々に投げ出していたかもしれない。レインハイトはそんなことを考えながら試験の順番を待った。

 そして、それからしばらく経ち――


「最終組の皆さん、交代ですわ」


 と、先程の際と同じく、前の組の少女の声が待機場所に響いた。暇を持て余しすぎて《魔法の門(マジック・ゲート)》の改良案について脳内で思案していたレインハイトは、待ちわびていたその声を機に意識を思考の海から浮上させる。


「ありがとう。皆、行こうか」


 先刻と同じようにヨシュアが礼を言い、最終組の皆を先導した。ぞろぞろと動き出した面々に混ざり、レインハイトもその後を追う。因みに、相も変わらず偉そうな少年は先行しているようだ。そのブレない姿勢にだけは少々感心するレインハイトであった。


「お待たせしました。皆さん揃って……いるようですね。はい、では魔力総量測定試験を開始します」


 今回も特別枠の試験官はローレンのようだ。この組には先程凄まじい記録を出したヨシュアとレインハイトがいるからか、心なしか表情が強張っているように見受けられる。


「今回の試験も、前回と同じく魔石を使って試験を行います。行っていただく作業も代わりません。魔力を魔石に注ぎ込んでいただき、最終的な魔石の色を見て評価を決定します。試験終了時に魔石が黒色であればA評価、赤色でB評価、紫色でC評価、青色でD評価、緑もしくは色を変えることができなかった場合はE評価です。前回の試験とは違い、事前に魔力を生成しておいて頂いても結構です。準備が完了したら魔石に魔力を流し込んでいただき、魔力の流れが途切れた時点で終了となります」


 そこで一度言葉を切ったローレンは、右手の人差し指を立てて注目を集めた。


「ただし、今回は先程よりも大量の魔力を蓄えることができる魔石を使いますので、当然色を変えるのに必要な魔力も桁違いです。張り切りすぎて限界を超えないように気をつけてください。事前説明で既に注意を受けたとは思いますが、無理な魔力生成は大変危険な行為ですので、もし気分が悪くなったらすぐに試験を中止するようにお願いします。……では受験番号十一番の方はこちらに」


 指示を受け、偉そうな少年がローレンの正面に歩み出る。ローレンはテーブルの脇から大振りの魔晶石を一つ持ち上げると、ゴトリという重い音とともに偉そうな少年の前にそれを置いた。魔石の魔力許容量は大きさだけで決まるわけではないが、先程使っていたものよりは遥かに大量の魔力を貯蔵できるだろうということは明白だ。


「事前準備時間は最大五分です。準備が完了したら、自分のタイミングで魔石に魔力を流しはじめてください。……それでは、試験開始です」


 ローレンが試験の開始を告げたのを確認した偉そうな少年は、すぐに魔晶石に魔力を流すことはせず、事前にある程度魔力を生成することにしたようだ。静かに目を閉じた少年は、体の内側からゆっくりと魔力を練り上げ始める。事前準備に最大で五分の時間が与えられているためか、焦ること無く時間をかけて魔力を生成することにしたようだ。


 これは長くなりそうだと判断したレインハイトは、集中している様子の偉そうな少年を眺めながら、退屈を体現するように腕を組んで姿勢を崩した。前方で直立不動のまま行儀よく待機しているヨシュアとは大違いである。


 もっとも、レインハイトは育ちの良い貴族の子女達が集う特別枠の中では数少ない平民であるため、彼にそういった振る舞いを求めるのは少々お門違いではあるのだが。

 それから二分ほど経過した頃だろうか、ゆっくりと息を吐いた偉そうな少年がついに動き出した。


「……ふぅ――ハッ!」


 次の瞬間、偉そうな少年は、数分かけて体内に溜め込んだ魔力を一気に魔晶石に放出し始めた。前回とは段違いの勢いで流し込まれる魔力は、大振りな魔石へと吸収されていく。ローレンが言っていた通り、今回の魔石は前回のものよりも魔力許容量が多いものであるため、なかなか発光色の変化が起きないようだ。


「……フッ!」


 一向に色を変えない魔石の様子に焦ったのか、偉そうな少年は少々出力を上げ出した。その甲斐あってか、大振りな魔石が徐々に緑色の光を発光し始める。その後も順調に魔力は流れ続け、魔石の色は緑から青に変わった。

 しかし、調子が良かったのはそこまでであった。偉そうな少年から生成される魔力の量が少しずつ減り始め、魔石に注がれる魔力の流れが弱々しくやせ細っていくのをレインハイトは感じた。魔石はようやく青から紫へと変化したが、このペースだと赤に変化させることは難しそうだ。


 少年もそれを察したのだろう、どうにか魔力を捻出できないかと体にさらに負荷をかけるが、既に限界が近いのか、増加した魔力は微々たるものであった。顔色も悪く、これ以上続けるのは危険だろう。

 自らの退き時を悟った偉そうな少年は、魔石への魔力の供給を断った。途端、魔石が発していた強い光が弱まっていき、仄かな紫色に変化した。魔力の流れが止まった証拠である。


「……そこまでです。魔石から手を離してください。魔石の発光色は紫、よってC評価となります」


「ハァッ……ハッ……くそ……っ」


 ローレンから結果が記録された受験票を受け取った偉そうな少年は、洗い息を吐きつつ悔しそうに唇を噛みながら待機場所の方へと去っていった。C評価は決して悪い評価ではないのだが、彼にとってはあまり喜ばしい結果ではなかったようだ。


「では次、十二番の人は前に」


「はい」


 落ち着いた声で答えたヨシュアは、ローレンの前に立ち受験票を手渡した。さて、先程はA評価を叩き出したが、今回はどうなるだろうか。レインハイトは試験を受けるヨシュアの様子を視界に収めた。


「準備時間は五分です。……それでは、試験をはじめてください」


 ローレンに頷き、ヨシュアは魔力生成の準備に入った。真剣な面持ちのヨシュアは、下腹部の辺りに力を込め、ゆっくりと魔力を練り上げていく。彼も準備時間はしっかり取ってから試験に挑むつもりのようだ。

 前回の試験と同じく、ヨシュアは持ち前の優秀な魔力生成技術を発揮し、三十秒も経たぬ内にかなり高密度の魔力を作り上げた。既に偉そうな少年を遥かに超える圧力を持った魔力が、ヨシュアの体内で放出の時を今か今かと待ちわびている。


 これは今回も好成績を叩き出しそうだ。できればC評価くらいの程々な結果にしてもらえるとこちらとしてはありがたいのだが、とレインハイトは自分勝手な思いを抱きながら行く末を見守った。


「フ――ッ」


 開始からちょうど一分ほど経過した頃だろうか、ついにヨシュアがせき止めていた魔力を放出し始めた。時間をかけて生成した大量の魔力が、大ぶりの魔晶石に勢い良く吸収されていく。


 そして、やはり発光色の変化は早かった。魔力を流し始めてから数秒も経たぬ内に魔石が緑色の光を放ち始めると、そこから順調に青、紫へとスムーズに変わっていく。瞬く間に変化をしたのはそこまでであったが、それまでより少々時間をかけつつも、魔石は高充填率を示す赤にまで変わっていた。この時点でヨシュアはB以上の高評価が確定したことになる。


「くッ……」


 このままあっさりとA評価を取るのではないか、という空気がレインハイトを含めた周囲の見物者達から発せられ始めたその時、まだ余力を残しているかに思えたヨシュアの顔色が曇り始めた。事前準備で蓄えておいた魔力が尽きかけているのだ。


 ここからは魔力を生成し次第すぐさま魔石に流し込むという作業に突入するため、ストックがあった今までと同じ出力を保った場合、ペースは一気に落ちることになる。一般的に長期戦になればなるほど魔力の生成効率は下がっていくと言われているので、ヨシュアは悲鳴を上げる自身の体にムチを打って出力を上げる必要があった。当然ながら肉体にかかる負荷も大きくなるため、ヨシュアにとってはかなり辛い時間の幕開けとなる。


 魔道師でない人間にもわかるように言うならば、長距離走の終盤、体力の残り少ない場面で全力疾走をするようなものである。ローレンが最初に注意したように、ここで無理をすれば意識を失い、場合によっては何らかの後遺症が残るなどということもあり得るのだ。故に、引き際を見誤らぬようにするため、試験官を務めるローレンの目線は厳しく、危険とみなせばすぐに試験を強制停止できるように準備していた。これは大げさな話でも何でもなく、現に一般枠の方では気分を悪くしたのか座り込んでいる者や、数は少ないが気を失って担架で何処かに運ばれている者もいた。


 そんな壮絶な光景を目の当たりにし、自分の順番を息を呑んで待つ受験者達がいる中、試験場の脇に置いてあった担架はこの時のためだったのか、とレインハイトはそんな感想を心の内で漏らした。確かに、異常なほどの魔力保有量を誇り、魔力不足による気絶など縁のないレインハイトにとってはまさしく他人事に映るのだろうが、それにしても呑気なものである。


「……ヨシュアくん、それ以上は――」


「すみません……あともう少しだけやらせてください!」


 その時、ローレンとヨシュアの緊迫した様子のやり取りが耳に入り、レインハイトは逸れていた思考を試験場の方へと戻した。よく目を凝らしてみれば、ヨシュアが手をかざしている魔晶石が放つ赤色がより濃く変化していることがわかる。


 このまま魔力を流し続ければそう遠くない内に黒に変色しそうだが、しかし、ヨシュアの顔色は先程よりも悪くなっていた。顔全体が血を抜いたかのような蒼白で、額からは大量の汗が吹き出している。ローレンが止めようとしたのも納得の状態だった。レインハイトの後ろで固唾を呑んで見守っているイリーナは今にも飛び出していきそうだ。


 魔力感知に優れたレインハイトの見立てでは、ヨシュアの魔力量にはまだ余裕がありそうなのだが、しかし、何故か魔力が魔晶石に送り出されるペースが徐々に落ちていっているのだ。

 普通であれば、時間の経過とともに生成される魔力量が落ちていき、それが尽きたところで終了となるだろう。先の偉そうな少年がまさにそれである。しかし、ヨシュアの場合は、魔力の生成速度と量は全く問題がないにも関わらず、何故か魔力を送るペースだけが徐々に落ちていっているのだ。


 もしや実力を隠すための演技か、ともレインハイトは考えたが、それにしては試験を受けるヨシュアの様子はあまりに切迫しすぎている。


(……なるほど、魔力の生成量はかなり多いようだが、それを送る回路の方が釣り合っていないのが原因みたいだな)


 気になったレインハイトがこっそりと『観測方陣(オブザーバー)』を使用してヨシュアの様子を調べてみたところ、どうやら魔力回路の方に問題があるらしいことが判明した。他の魔道師たちと比べてヨシュアの魔力回路が特別細いということではないのだが、魔力を生成する力が優秀であるが故に、一般的なその魔力回路が足を引っ張っているのだ。


 源泉からは大量に水が出ているのに、それを通す水路が貧弱なためうまく流れていかない……というところだろうか。それならば、無理をせず魔力回路に合わせた速度で魔力を送ればいいという話になりそうだが、それも得策とはいえないだろう。


 回路に合わせた適切なペースで魔力を流そうにも、時間経過による疲労の蓄積によってヨシュアの魔力回路はどんどんと狭くなってきており、回路を通りきれなかった魔力が徐々に周囲へと漏れ始めている。これでは送る魔力を回路に合わせたところで次第に先細りしていってしまうため、どちらにせよ魔道師であれば極力避けたい長期戦を強いられることになるだろう。魔力量にはまだ余裕のあるというのに、結果的にヨシュアは厳しい局面に立たされているというわけだ。


 もっとも、魔道師が実際に魔法を使う際には現在のように魔力回路に大量の魔力を流し続けるという状況は滅多にないため、今回の試験が魔石に魔力を流し込むような形式ではなく、どれだけ連続して魔法を撃てるかというような計測方法であれば何の問題もなかっただろう。これに関してはヨシュアに運がなかったとしか言いようがあるまい。


 魔力回路の性能の高さは、どちらかと言えば全身に高密度の魔力を巡らせる必要のある纏魔術(てんまじゅつ)を使用する際に重要になってくる部分だ。彼が纏魔術を習得しているのかは不明だが、仮に習得していたとしても、レインハイトのように大量の魔力に物を言わせ力でねじ伏せるというような戦法は物理的に取ることができないだろう。


 単に魔力量が多いと言うだけではこういった問題が起こることもあるのか、とレインハイトは今までは考えもしなかった点について静かに黙考した。ヨシュアがもたらしたその問題は、無尽蔵といえるほどの莫大な魔力量に加え、それを意のままに放出することができる自分の存在はやはり異常であるのだという再確認をさせるとともに、それは自身が吸血鬼という化物であるための恩恵なのだろうか、という新たな疑問をレインハイトに与えたのだった。


「く……ああっ!」


 レインハイトがまたも思考の海に沈みかけたその時、苦悶に満ちた表情のヨシュアが、最後の力を振り絞るようにして全力で魔力を放出した。当然魔力量に釣り合っていない魔力回路による減衰はあるものの、あの状態からよくそこまで……と思わずレインハイトが感心してしまうほどの魔力が魔石に流れていった。


 それに呼応するように、もうこれ以上の変化は絶望的に思えた魔石の発光色が、はっきりと黒を帯びていくのが見て取れた。長く苦しい時間を乗り越えたことを悟ったのか、ヨシュアの顔を覆っていた暗い影が、魔石が黒く染まっていくのとは対照的に晴れ上がっていく。


 もちろんまだ油断は禁物であるが、あそこまで持っていってしまえばもうA評価はほぼ確実だろう。レインハイトがそう判断したのと時を同じくして、ヨシュアの手元の魔晶石が完全に漆黒に染まった。


「そこまでです! 魔石から手を離してください」


「はぁっ……はぁっ……」


 ローレンに返答もできないほど疲弊したヨシュアは、荒い息を吐きながらその場に膝をついた。あれほど無茶な負荷を体にかけたのだから無理もない。むしろ、終了と同時に気を失ってもおかしくないような状態だったのだから、よく耐えている方だろう。


「魔石の発光色は黒。よってA評価となります」


 ねぎらいの表情を浮かべつつも、ローレンはあくまで平等な試験官としての姿勢を持ってそう告げた。本人に自覚があるかは不明だが、いくら平静を取り繕おうと、全身から奮闘したヨシュアを気遣うオーラがにじみ出てしまっているのはご愛嬌と言ったところだろうか。

 ローレンの告げた試験結果が耳に届いたのだろう、遠目に様子をうかがっていた受験生たちが、


「またA評価が出たってよ」


「あいつ、さっきの試験でもA評価出してたぜ。やっぱ特別枠の奴は違うな」


「あの金髪もすげーけど、その次の白髪頭のやつはもっととんでもないぞ。一見の価値ありだ」


 などと言って騒ぎ出した。試験を終えたヨシュアが満身創痍な様子であるためか多少はボリュームを抑えて話しているようだが、それでもレインハイトを含めた特別枠の面々には丸聞こえである。


「では、受験票をお返しします。……ふらついているようですが、大丈夫ですか? ヨシュア君。もしも気分が悪いようなら、救護テントまで案内しますが」


「いえ……大丈夫です。ありがとう……ございました……」


 息も絶え絶えになりつつも何とか礼を言ったヨシュアは、若干ふらつきながら立ち上がると、ローレンから受験票を受け取った。


「待ってください、ヨシュアさん」


 本人は大丈夫だと言っているが、やはり心配なのだろう。イリーナがヨシュアに駆け寄り、彼に付き添いながら待機場所へと移動していく。

 その光景を眺めながら、レインハイトは辟易とした表情を浮かべる。それは、イリーナとヨシュアのやり取りを見たことによる不快感などではなく、もっと別の要因からくる倦怠感からであった。


 試験との相性が悪かったために相当な苦戦を強いられたが、結果だけを見れば、ヨシュアは今回も無事A評価という高成績で試験をパスしている。つまり、クラヴィスからの依頼を完遂するためには、面倒なことに今回もレインハイトは規格外(S評価)を目指す必要があるのだ。これが、彼の気怠げな表情の原因である。


 もっとも、試験の内容だけを見れば、今回の総魔力量測定は底なしの魔力を持つレインハイトの得意とするところであり、不安な点は一切ないと言い切ってもいいだろう。

 ならば、レインハイトは一体何を危惧しているというのか。それは、ただでさえ目立っているヨシュアの好成績を超え、既存の評価基準に収まらない規格外な成績を叩き出すことによって生まれる、必要以上の周囲からの注目である。


 まず第一に、レインハイトは単純に目立つのが好きではない。過去、不慮の事故により何度か学院を駆け巡る噂の話題を提供してしまったことはあるが、それだってレインハイト本人としては不徳の致すところであったし、できることであれば、ひっそりと慎ましやかに日々を送りたいと常に思っているくらいだ。


 そして第二に、――これが今回の問題の最も大きな不安要素だが――周囲の注目を集めることにより、現在レインハイトが起動している『認識阻害魔法』の効果が薄れてしまうのではないかという懸念があった。物理的な変装も行っているため大丈夫だとは思いたいが、アリアやエリナを始めとする顔見知りも多少存在するため、確実に見破られないという保証は無い。そのため、レインハイトは先程からアリアやエリナが目の前を通り過ぎる度に心臓が過剰に脈打ち、常に気が休まらない状態が続いているのだ。


 クラヴィスからの依頼がある以上、『ヨシュアより目立つ』ために周囲から注目を集めるのは避けては通れない道だが、レインハイトはまさかここまでハイレベルな戦いを繰り広げなければならないとは思ってもいなかったのだ。もしも時を戻せるのなら、適当に手を抜いて簡単に切り抜けようなどと考え、軽はずみに依頼を受けた過去の自分を殴り飛ばしたい気分である。


 このままではいずれ試験どころではなくなるのではないだろうか、と持ち前の心配性を発揮するレインハイトだったが、しかし、どうやら時は彼の心が落ち着くのを待ってはくれないようだ。


「では次、十三番の方はこちらに来てください」


 淀みなく試験を進行するローレンの呼びかけに応じ、レインハイトは焦る心を抑え込みながらそれに従って前に歩み出た。直前にヨシュアが高評価を出したことによる熱がまだ冷めていないのだろう、順番待ちをする周囲の受験生たちからの熱視線が一挙にレインハイトへと集まり、無言の圧力が試験場の周りを包み込む。


 勘弁してくれ、と思わず呟いてしまいそうになりながら、レインハイトは表面上は平静を装ってローレンに自身の受験票を提出した。僅かにズレた変装用の眼鏡を左手の中指で元の位置に戻し、数秒瞑目して意識の安定を図る。


「準備時間は五分です。……それでは、試験をはじめてください」


 どこか落ち着かないレインハイトの様子を『試験を前にした緊張によるもの』とでも勘違いしたのか、ローレンは優しさを含んだ柔らかな声音で試験の開始を告げる。まさか、目の前の少年が試験に対しては全く緊張しておらず、『どうすればあまり目立たずにヨシュアの記録を超えられるか』などというわけの分からないことを考えているとは夢にも思うまい。


「……ふぅ」


 レインハイトは全身の力を抜くように口から息を吐き出すと、すぐに試験に取り掛かるようなことはせず、五分間の事前準備時間を使用して態勢を整えることにした。先程は焦って少々失敗してしまったため、急いては事を仕損じると心中で己に言い聞かせ、静かに魔力を高めていく。


 注目を集めるのは確かに怖いが、既に依頼を受けてしまっている以上、うだうだと悩んでいても仕方ないだろう。こんな中途半端なところで投げ出すくらいなら、あのいけ好かないクラヴィスを黙らせるためにも、ぐうの音も出ない完璧な結果で任務を終わらせてやる。そう割り切ったレインハイトは、今回の試験でも規格外の評価を取得するための準備に入った。


 そして、レインハイトが動きを見せないまま、準備時間は残り一分を切ろうとしていた。


「お、おい……まだ始めないのか……?」


「大丈夫か? このままでは時間超過で失格だぞ」


「さっきの試験で無理しすぎたんじゃないか? きっともう魔力が残ってないのさ」


 動く気配のないレインハイトに対し、流石に時間をかけすぎだと、順番待ちで暇を持て余した受験生たちが好き勝手に話し出した。確かに事前に魔力を高めておくのは重要だが、規定時間を過ぎてしまうようでは意味がない。失格になるくらいなら、準備ができずとも少しでも魔力を込めたほうがいいに決まっている。誰が口にしているかは不明だが、そんな声があちこちから聞こえてくる。


「……準備時間、残り一分です」


 と、その時。時間を正確に測る試験官のローレンにより、レインハイトに残された時間が一分を切ったことが知らされた。もしやこのまま何もせず試験が終わってしまうのではないかと、徐々にギャラリーがざわめき出す。


 しかし、そういった周囲の反応も含め、それらは全てレインハイトの作戦の内であった。


(……さて、そろそろいいかな?)


 充分な注目は集まっただろう。そう判断したレインハイトは、余裕のあるゆったりとした動きで右手を大きな魔石にかざした。ギャラリーたちを焦らしに焦らしたおかげか、たったそれだけの行為だけで小さなざわめきが起こる。


 レインハイトは、あえて制限時間ギリギリまで動きを見せないことにより、様子を見守るギャラリーたちに程よい焦燥感を与えたのだ。その結果、生まれた焦燥感は周囲に伝播していき、やがてレインハイトに興味を示していなかった者たちにまで到達するようになる。その者たちは思うだろう、周囲のこの異様な空気は一体どこから来ているものなのかと。そしてたどり着くのだ、眼鏡をかけた白髪の少年――ダウトの元へと。


 魔石に魔力を込める前に、レインハイトは満足気に周囲を見渡した。眼前に広がるのは、先程のヨシュアの試験時よりも遥かに多いギャラリーたちの姿である。彼らは一様にレインハイトの方へ目を向け、どのような動きも見逃すまいと注意深く両の目を見開いている。

 先程も記述した通り、レインハイトは注目されるのが嫌いだ。しかし、自らの思った通りに事が運ぶという現在の状況は、その不快感を補って余りある充足感をレインハイトに与えてくれていた。


 口元に薄く笑みを浮かべながら、レインハイトは静かに感覚を研ぎ澄ませる。既に準備は整った。後は引き金を引くだけで、最高評価であるA評価を超えたS評価を得ることができるだろう。

 その確信を持って、レインハイトは準備しておいた魔力を、一息に放出した。


「な、何ですか……この異常な魔力放出量は……!」


 先程を上回る勢いで放出される魔力を目の当たりにしたローレンが驚愕の声を上げるが、その程度で驚いてもらっては困ると、レインハイトは更に出力を上げる。急激な魔力の流入に悲鳴を上げるように、大量の魔力を貯蔵できるはずの大振りな魔石が目まぐるしく発光色を変えていった。


 レインハイトがその気になれば、先程のように一瞬で魔石の貯蔵限界まで魔力を充填させることすら可能である。しかし、負荷をかけすぎてまた魔石が壊れてしまっては敵わないと考え、最速よりも少し

落としたペースで魔力を放出しているのだ。


 更に、先程の失敗を踏まえ、レインハイトはペースを少し緩めるという他にも一つ対策を行っている。それは、ヨシュアが試験を受けている際に密かに『解析方陣(アナライザー)』を使用し、彼の魔力放出量を測定することで、今回の試験で使用する魔石が黒く変色するまでの必要魔力量を算出したというものである。これにより、レインハイトは前回のような魔力許容量超過による魔晶石の破壊を気にすること無く、安心して魔力を放出することができたというわけである。


「……終わりだな」


 レインハイトが呟いたのと同時に、彼が手をかざしていた魔晶石の発光色が赤から黒へと変化した。まだ魔力を込め始めてから一分も経過していないというのに、異常とも言える驚異的な速度である。その光景を目にしていたものたちは、誰ひとりとして声を発することができない。


「試験官殿」


 仕方ないので、レインハイトは周囲の見物者たちと同じように呆けているローレンに声をかけた。


「え? ……あ、ああ! 申し訳ない! ……魔石の発光色は黒。よってA評価と――」


「――いや、少し待って欲しい」


 ローレンの言葉を遮るように、レインハイトは上から言葉をかぶせた。一体どうしたのかというローレンの視線に目を合わせたレインハイトは、とんでもないセリフを繰り出した。


「試験官殿の判断では俺はA評価ということだが、実はまだ余力があるんだ。この魔晶石は既に許容限界が来ているようなので一度魔力を止めてしまったが、試験を継続しても良いのなら、予備をいくつか出してもらいたい」


「なッ――」


 あれ程の魔力を放出しておいて、まだ魔力が残っているというのか。眼前の少年を驚愕の視線で見つめるローレンの背筋に、冷気を伴った戦慄がぞくりと流れていく。


「それとも、この試験はA評価までしか基準がないのだろうか」


「わ、わかりました。すぐに用意しましょう」


 畳み掛けるようなレインハイトの圧力に押され、ローレンは条件反射するように諾意を返してしまった。口に出してから、自己判断のみで勝手に試験ルールを変更するようなことをしてもよいのだろうかという疑問が湧き上がってきたが、一度言ってしまったことを覆すわけにも行かず、机の下に両手を突っ込んだローレンは、手近にあった二つの魔晶石を取り出し、レインハイトの前に置いた。当然、魔石の大きさはレインハイトによって既に黒く染められたものと同程度の大振りなものだ。


 ローレンが二つの魔石を取り出したのは、一つはレインハイトに、もう一つは次の試験を受けるイリーナに使用してもらおうと考えたためである。


(それにしても、「A評価までしか基準がないのだろうか」とは……単なるA評価では不服ということですか。全く、何という少年だ……)


 ヨシュアという存在でさえ驚嘆に値するというのに、その上を行くこのダウトという少年は一体何者なのだろうか、とローレンは必死に自らの記憶を呼び起こす。

 それというのも、ローレンはヨシュアの名は以前から何度か耳にしたことがあったのだが、それに対し、ダウトという少年の名は微塵も聞いたことがなかったためである。これほどの存在が今まで埋もれていたとは信じられなかったため、単に自分が忘れてしまったのだろうと思いたかったローレンだったが、しかし、これほどインパクトのある存在を果たして忘れることなどできるのだろうかという疑問がどうしても残り、思案のため俯いた顔をあげることができない。


 そのため、次のレインハイトの行動を止められる者は誰もいなかった。


「フッ……」


 口端を僅かに歪めて笑うレインハイトは、ローレンが新たに取り出した二つの魔石に両手を伸ばすと、その両方に対して同時に魔力を流し始めた。その大胆な行為と、レインハイトが放つ濃密な魔力の波動に、未だ試験場の様子を伺っていた周囲の受験生たちの間に動揺が走る。


「何を騒いで……ッ!? ば、馬鹿な! このサイズの魔石を二つ同時に!? ダウト君、それは無茶です!」


「ほう、無茶だと言ったな? ……ではこの二つの魔石を黒くさせられれば、試験官殿に規格外たるS評価を貰えると思って良いということだな」


 周囲の空気の変化から異変に気づいたローレンが制止の声を上げるが、それに対するレインハイトの返答は余裕に満ちたものである。


 レインハイト――ダウトの言を受け、ローレンはしばし思案する。確かに彼の言う通り、あのヨシュアでさえ一つが限界であった魔石を、先程のものも合わせて三つも許容限界まで至らせる魔力を保有しているとなれば、それはまさしくその者が規格外であるという証明となるだろう。いや、例えそれが二つだったとしても、充分にS評価を得るにふさわしい成績だといえるはずだ。


 しかし、果たしてそんなことが本当に可能なのだろうか。もしもこれでダウトが無茶をして倒れでもしようものなら、試験官でありながら事前に止めることのできなかった自身の責任となるだろう。ローレンは今からでも試験を強制的に止めるべきか、と僅かに逡巡する。


 しかしながら、責任が何だと考えてはいるが、ローレンは別に自己保身を行いたいわけではない。彼はただ単純にダウトのことを心配しているだけなのだ。


 第二試験開始前にローレンが説明した通り、今回の試験は無理をすれば体に害がある危険なものである。そして、当然であるがローレンはダウトが――レインハイトが無尽蔵とも言える莫大な魔力を保有していることを知らないのだ。そのため、ローレンは今回のレインハイトの挑戦が十中八九失敗すると考えており、その際の無茶によりレインハイトが気を失ったり、後遺症が出るようなことがあったら大変だと危惧しているというわけである。


 無論、それらは全てローレンの思い過ごしに終わるのだが。


「こ、こんなことが……ありえん……」


 驚愕を通り越し、もはや蒼白となった顔色のローレンの視線の先にあるものは、この短時間で赤色にまで発光色が変化した二つの魔晶石であった。あまりの非現実的な光景に、ローレンはその場に尻餅をついてしまう。


 それとほぼ時を同じくして、レインハイトが魔力を込めていた二つの魔石が同時に黒く染まった。それを確認したレインハイトは魔力の放出を止めると、地べたに座り込んでしまっているローレンに見えるように、漆黒の二つの魔石を持ち上げた。


「これでS評価を貰えるな? 試験官殿」


 もはやローレンに口を開く気力はなく、ただ力なく頷きを返すことしかできなかった。

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