アイオリア魔法学院入学試験 2
「君たちが最終組だね、全員揃っていますか? ……はい、では早速十一番の人から始めてもらいます。受験票をこちらに」
試験場でそう指示を出したのは、白髪交じりの髪と人当たりが良さそうな顔が特徴の五十代ほどの男性教師だった。一年以上にも渡る禁書庫通いで学院中の教師達と顔見知りになっていたレインハイトは、試験官はローレン先生か、と男性教師の名を心中で呟いた。
ローレンは落ち着いた物腰の人物で、禁書庫の立ち会いをお願いした数々の教師たちの中では珍しく、最初からレインハイトを奇異な目で見ることがなかった人間だった。魔法議論をするほど仲が良くなったアリアとまではいかないが、たかだか使用人風情であるレインハイトを見下すこと無く、勉強熱心で感心な若者だなどとよく褒めてくれたのだ。今回は粗相のないようにしよう、とレインハイトは声を出さずにそう決心した。
「今回君たちの試験を担当します、ローレン・フォン・ラグネスです。よろしくお願いします」
ひとまず自己紹介したローレンは、次いで試験の解説をはじめた。
「では、試験についてお話をさせていただきます。先ほど簡単に説明は受けたと思いますが、私が合図をしたらこの魔石に魔力を流し込んでもらい、高充填率を示す赤色の光を発するまでの時間を計測して評価を行います。既にご存じの方もいるかもしれませんが、これは皆さんの瞬間魔力出力量を測ることで、どれだけ短い時間で魔法を構築するための魔力を練り上げられるかを調べるための試験です。十秒以内に赤に光らせられればA評価、三十秒以内でB評価、一分以内でC評価、三分以内でD評価となり、それ以上かかった場合や赤く光らせることができなかった場合はE評価になります。因みに、この魔石は一般的な魔道師が扱う下級魔法三回分程度の魔力をストックできるとされていますので、試験の際には参考にしてみてください」
説明しつつ、ローレンは前に歩み出た偉そうな少年に手のひらサイズの立方体の水晶体を手渡した。試験に使用する魔晶石だ。
魔晶石、略して魔石とも呼ばれるこの物体は、魔力に対して強い親和性を持っており、魔力を蓄え、それを放出する事ができるため、主に魔法具等の動力として多用される物質である。
アスガルド王国は魔晶石が採掘できる魔石鉱山に恵まれており、世界有数の魔石保有量を誇っている。扱える者の限られる魔法とは違い、魔法具は動力となる魔石や魔力さえあれば誰にでも使用可能な技術であるため、今後はますますその需要は拡大していくだろうと言われており、いずれは現在覇権を握っている自然魔法すら押しのけ、軍事、商業双方に多大な影響を与えていくだろうと提唱する学者も居るくらいだった。
そのため、実はこのアイオリア魔法学院にも、魔法具を設計したり、管理運用を行える技術者を育成するための『魔法技術科』という学科が存在しており、レインハイトの『魔法の門計画』に協力してくれている魔鉱錬金部部長のオルスがこれに所属している。
因みに、学院の大多数が所属している学科は『魔法科』と呼ばれており、こちらがレインハイトを始め他の多くの受験生たちが現在試験を受けている学科である。
「……では、計測を行いますので、手のひらの上にして魔石を置いてください。私が合図をする前に魔力を練り上げるのは禁止ですので、注意してください。魔力を込める際に力を入れすぎて割ってしまう危険があるので、魔石は握らないよう指は広げた状態を保ってくださいね」
いよいよ試験が始まるようだ。ローレンの注意に頷きを返した偉そうな少年は、若干強張った表情を浮かべながら合図を待つ。
試験官のローレンは手元に時間を計測するための魔法具を準備し、開始の合図を告げた。
「それでは……用意――始め!」
「ふんっ!」
合図を受け、偉そうな少年は鼻から息を吐き出しながら右手の魔晶石に魔力を流し始めた。
開始から数秒経って、すぐに魔晶石に変化が起きた。先程まではうす青く透き通った色だった魔晶石に淡い緑色の光が宿ったかと思うと、その色は時間の経過とともに徐々に変化していく。
緑から水色を経てやがて深い青色に、そして、そこに徐々に赤みが入り始め紫へと色を変える。魔石に魔力を流し込んだ経験のないレインハイトは、演技を忘れその幻想的な光景に目を奪われていた。
それから程なくして、偉そうな少年の持つ魔石に、鮮やかな赤色の光が宿った。
「――そこまで! 記録は……二十五秒。良いタイムです。B評価ですね」
そう言うと、ローレンは偉そうな少年の金属製の受験票に判子らしきもので刻印をした。インクを使っていないことから見て、アリアが受験票に番号を刻印したときのものと同じような効果を持った魔法具なのだろう。
「このくらい、選ばれし特別枠の貴族ならば、当然だ」
額から汗を流し、息を切らしながらも偉そうな少年は得意気な表情で見物していたレインハイトたちの方に顔を向けた。その視線を向ける方向には、兎獣人のイリーナが立っている。きっと彼は根に持つタイプに違いない。
ローレンの口ぶりからして、『B評価』は恐らく平均よりは上の評価なのだろう。態度はともかくとして、偉そうな少年の成績はそれなりに良いようだ。
「では次……十二番の人は受験票を出してください」
「はい、よろしくお願いします」
礼儀正しく浅く頭を下げ、ヨシュアは一歩前に出た。ローレンは頷くと、偉そうな少年が魔力を込めた魔石を使用済みの箱に仕舞い、魔力が充填されていない新たな魔石を取り出した。無論、大きさは全く同じである。
因みに、今回試験で使用した魔力充填済みの魔石は学院で回収し、院内設備に充てたり、余ったものは王都に卸したりして有効活用することになる。
魔法具の動力となる魔石は貴重であり、いくら採掘量が多いアスガルド王国と言っても大量に用意するとなればかなりの値が張るのだが、使用後は魔力を込めて返却することを条件に、魔石を扱う王都の商会などから無償で提供をしてもらっているという背景があったりする。魔法学院は自腹を切らず魔石が用意でき、商会は空の魔石が充填済みとなって返却されるので、互いに利のある取引なのだ。
「それでは、私が合図をしたら魔力を流してください」
先程と同じ説明を告げ、ローレンはヨシュアに確認を取る。無言で首肯したヨシュアは、右の手のひらに魔石を置き、準備を終えた。彼の記録を抜かねばならないレインハイトは、差し出されたヨシュアの右手に視線を集中させる。
「用意――始め!」
「……!」
開始と同時、ヨシュアは凄まじい勢いで魔力を練り上げた。先程の偉そうな少年とは比べ物にならない魔力の波動が、隣で見物しているレインハイトに打ち付けられる。
(なるほど……主席入学候補と言われるだけはあるみたいだな)
感心したように胸中で呟くレインハイトの視線の先には、まだ試験が開始してすぐだと言うのにも関わらず、既に紫の光を放ちだした魔晶石の姿があった。この様子だと、偉そうな少年の記録を大幅に塗り替えることになりそうだ。
「――そこまでです! 記録は……三秒! 素晴らしい成績です。これは文句なしにA評価ですね」
「ありがとうございました」
自身の高評価に浮かれること無く、ヨシュアは試験官のローレンに頭を下げ、記録を終え差し出された自身の受験票を受け取った。
「すごいです! ヨシュアさん!」
すかさず、レインハイトの背後から回り込むように飛び出したイリーナが称賛の声をあげる。流石は獣人と言うべきか、野生動物を思わせる素早い身のこなしだ。
「ありがとう、イリーナさん。ちょっと緊張しちゃったけど、うまく行ったみたいでよかったよ」
イリーナに礼を言いながら、ヨシュアは照れくさそうに謙遜した。そのやり取りを横目に見ながら、B評価で自慢気に鼻を鳴らしていた偉そうな少年が、様々な感情が折り重なった複雑な表情を浮かべている。彼のプライドは間違いなくズタズタになってしまっているだろう。
「いやあ、ここ数年は毎年試験官をしていましたが、今の記録はその中でもずば抜けたタイムですよ。謙遜もいいですが、これは素直に誇って良い成績だと思います」
「そ、そんな、先生まで……ありがとうございます」
興奮した様子で褒めちぎるローレンに、ヨシュアは恐縮したように両手を胸の前で振りながら首を振った。騒ぎを聞きつけてか、周囲からの視線も集まり、早くも「おい、A評価が出たってよ」とか「三秒って言ってたぞ今!」などというざわめきが起こり出していた。
「盛り上がっているところ悪いが、後がつかえているんだ。話なら試験後にしてくれないか」
このままでは開始早々ヨシュアに注目が行ってしまう、と判断したレインハイトは、少々強引であるがヨシュアとローレンの会話に割って入り、テーブルの上に自身の受験票を差し出した。これでは空気を読めないやつだと思われそうだが、背に腹はかえられまい。
「ああ、私としたことが、申し訳ない。……ヨシュア君、引き止めて悪かったね。次の試験も楽しみにしているよ」
「はい、ありがとうございました」
最後にローレンにもう一度頭を下げたヨシュアは、「ごめんダウト、ありがとう」とレインハイトの肩を軽く叩きながら囁くと、気まずそうな顔で待機している偉そうな少年の隣に並んで口を閉じた。レインハイトにそんなつもりはなかったのだが、大方、周囲から注目を浴びてしまい困っていたところを助けてくれたとでも思ったのだろう。実に人のいい少年である。
「……それでは、私が合図をしたら魔力を流してください」
既に手順を把握していたレインハイトは、右の手のひらに空の魔石を置き、ローレンの言葉を聞きながら脳内で作戦を立てる。最初は適当に加減をしておこうかと考えていたのだが、ヨシュアが三秒などという記録を出してしまったため、そうも言っていられなくなってしまった。
ローレンは魔石に充填できるのは下級魔法三回分程度の魔力と言っていたが、人によって魔法の必要魔力量は変動するため、レインハイトの使う下級魔法三回分で満たせるかどうかは未知数である、様子見をしている余裕はない。
そもそも、レインハイトは今まで魔石に魔力を充填するという作業をした経験がないため、こうなってしまっては作戦も何もないのだ。つまり、開幕から全力でぶっ放すくらいしか取れる手段がないのである。そのことに思い至ったレインハイトは、覚悟を決め、ローレンの合図を待った。
右手の魔石に集中していたせいか、レインハイトは右手の感覚が鋭敏に研ぎ澄まされていっているのを感じた。これから魔力が流されることを察知した魔力回路が右肩から指先まで広がっていき、その瞬間を今か今かと待ち受けている。
事前に魔力を練り上げているわけではないため反則には当たらないのだが、期せずして開始前に事前準備のようなことをしてしまったレインハイトは、自分が軽い不正をしているような罪悪感を覚えた。
(それにしても、さっきから体が強張ってるな……思った以上に緊張してるみたいだ)
緊張から来ているらしい全身の硬さを感じながら、レインハイトは心中で独白する。思考が若干逸れてしまったことで、極限と言っていいほどまで高められていた集中が僅かな綻びを見せる。
「用意――始め!」
「……ッ!」
その時だった。まるでその瞬間を狙いすましたかのようなタイミングで、ローレンが試験の開始を告げた。当然、余計なことに気を取られていたレインハイトは出遅れてしまう。
時間にすれば一秒に満たない僅かな遅れだったが、ヨシュアの見せた三秒という記録を抜かねばならないレインハイトには痛すぎる間隙である。焦るレインハイトは、すぐさま立て直そうと体に力を入れると、全身から魔力を練り上げ、力の限り右手の魔石に魔力を流し込んだ。
それは、慎重なレインハイトにしては珍しい、完全な悪手であった。
(あっ……まずい……!)
自身の迂闊な行動に気づき、慌てて魔力の生成を止めるレインハイトだったが、直前に作り出してしまった魔力はすでに右手から魔石へと放出されてしまった後であった。
いや、魔石にだけではない。本来であれば右手を通り魔石にのみ注がれるはずだった魔力は、調整を忘れたレインハイトによって全身から周囲一帯へと流れてしまったのだ。
にわかに発生した強大な魔力の波動は、レインハイトを中心にして試験会場であるアイオリア魔法学院全域にまで伝わって行った。そのあまりに強烈な衝撃に、試験会場に存在していた全ての人が作業を止め、その発生源の方へと視線を向ける。それは興味を惹かれての行動ではない。ただ純粋に、圧倒的な存在に対する防衛本能がもたらす『反射』という生理反応である。気付けば、先程までは騒がしかった試験会場が、まるで水を打ったように一瞬で静まり返ってしまっていた。
その直後、――ピシリ。という乾いた音が、静寂に包まれた会場に小さく鳴り響いた。音の発生源はレインハイトの右手。許容限界を超え、無残にも砕けてしまった立方体の魔石であった。
「……すまない、加減を間違えてしまったようだ」
「……は?」
何か喋らなくては、という強迫観念からなんとか謝罪の言葉を絞り出したレインハイトだったが、それを受けたローレンは呆けたように口を開け、首を傾げるだけであった。どうやら彼の魂はまだ現実に帰ってきていなかったらしい。
しかし、幸い……と言うべきか、レインハイトの一言を皮切りにして、異様なほどの無音空間を形成していた空気が弛緩し始め、徐々に声を発するものたちが現れ始めた。
「何だったんだ……今の」
「す、すげえ魔力波だったな……」
「……俺、ちょっとチビッちゃったかも」
と、顔中に冷や汗をかきながら呟く少年たちがいれば、
「あの白髪頭が原因か……?」
「バカ! あそこは特別枠の試験場だぞ! あっちは名門貴族の子女ばっかりなんだ、迂闊なことを言うんじゃない!」
「す、すまん……って、さっきの三秒の奴と同じ組じゃないか! とんでもないな、特別枠ってのは」
などという会話を戦慄の表情で繰り広げる少年たちもいた。
そこからは皆こぞって会話をし始め、それぞれの発言を聞き取ることが難しくなっていき、やがて静まり返る前と同じような喧騒に包まれていった。何とか空気を変えることが出来たようだ、とレインハイトは静かに胸をなでおろす。ついでに、ヨシュアから注目を奪う作戦も成功しているようだ。
「い、今のは君がやったことなのですか?」
「ああ、少し力みすぎてしまってな。……魔石を割ってしまったが、これでは失格だろうか?」
右手のバラバラに割れてしまった魔石を見せながら、レインハイトはローレンに問うた。計測機器を破壊してしまったため、試験官の裁量によっては失格もあり得ると思ったのだ。
「いや、失格ということはないですが……あ」
とその時、狼狽えながら返答したローレンが何かを思い出したように硬直した。その視線の先には、右手に持った時間計測器がある。
「も、申し訳ない! あまりの衝撃で時間を測るのを忘れていました。恐らくA評価は確実だとは思いますが、これでは正確なタイムが……」
目に見えて焦っている様子のローレンに申し訳無さそうな視線を向けながら、レインハイトは自身の方に近づいてくる気配を捉え、大きなため息をつきたくなった。
「なにかお困りですか? ローレン先生」
「おお、クローバー院長! いらしていたのですか」
ローレンが振り返った先にいたのは、アイオリア魔法学院の院長であるクラヴィス・フォン・クローバーであった。多忙な彼がこうして校内に姿を現すことは珍しいことであるため、ローレンは驚きを込めてそう声をかけた。
「ええ。ちょこっと抜け出して試験を見物していたのですが、先程ものすごい魔力波を感じまして、気になって見に来たんですよ。……そちらの彼が発生源ですか?」
「は、はい。先程は瞬間魔力出力量の測定を行っていたのですが、なんでも、加減を間違えてしまったとのことで……」
「ハハハ、面白い。今年は活きがいい受験生がいるようですね」
大げさなぐらいに声を上げて笑うクラヴィス。彼はダウトの正体がレインハイトであることを知っているため、恐らくわざとだろう。お前は味方のはずではないのか、とレインハイトは眉間にしわを刻みながらクラヴィスを睨めつけた。
「それでその……先程の試験の際、私の不徳でこの少年の記録を計測し忘れてしまいまして。A評価は間違いないのですが、一体どうしたものかと」
「それならもう一度計測してもらえばいいでしょう。……そちらの少年はそれで構いませんか?」
ようやく助け舟を出す気になったのか、そんな風に話を向けてくるクラヴィスにレインハイトは返答した。
「ああ、問題ない」
「だそうです、ローレン先生。……せっかくなので私もここで見学させてもらいましょうか」
何かを企んでいるのか、意味深な笑みを浮かべて見学を申し出るクラヴィス。もしかすると、レインハイトがきちんと作戦を実行できているかを確認しに来たのかもしれない。
「それは是非に。……しかし、これでは私のほうが緊張してしまいそうですね」
「ハハハ、今は仕事を抜け出した身なので、私のことはただの鑑賞客と思って気楽にしてください」
楽しそうに談笑する二人を無視したレインハイトは、砕けた魔石を音を立ててテーブルにばら撒くと、やるなら早くしてくれと言う視線をクラヴィスとローレンに向けた。
その願いが届いたのか、レインハイトと目が合ったローレンはクラヴィスとの会話を切り上げ、試験官としての職務に戻った。
「失礼、試験の途中でしたね。……それでは、こちらの魔石を手のひらに置いて待機してください」
とレインハイトに指示すると、ローレンは気合のこもった目つきで右手の測定器を見つめた。次こそは見逃さず時間を計測しようという意識の現れだろう。真面目な彼らしい仕草だった。
レインハイトは新たに差し出された空の魔石を手に取ると、ローレンと同じように集中した顔つきになった。周囲の受験生達の視線がレインハイトに向けられるが、それらも全て意識からシャットアウトする。
幸いにして面と向かって突っ込む者はいなかったが、先程は「魔石にだけ魔力を込めればいいのに、全身から魔力を放出してどうするのだ」と嘲笑されてもおかしくないほどの凡ミスをしてしまったのだ。あのような失態を繰り返すわけには行くまい。レインハイトは雑念を振り払い、極力心中を無で保つように心がける。そして――
「それでは……用意――始め!」
ローレンの合図に合わせ、レインハイトは身体中から魔力を練り上げ、右腕を通して魔石に魔力を放出した。猛烈な勢いで魔石に注ぎ込まれる濃密な魔力に、近くで見ていたローレンとクラヴィスが息を呑む。その桁外れな瞬間魔力出力量は、魔石が色を変える速度すら置き去りにするほどだ。
まさに一瞬の出来事であった。一秒に満たないその瞬間に、レインハイトの右手の魔石は緑や青、果ては赤でさえ飛び越えて許容限界を示す黒へとその色を変化させた。あまりの速さに静止の言葉をかけることができなかったローレンだったが、しかし、右手に持った計測器の停止ボタンを押すことには成功していた。
「そこまでです」
それと時を同じくして、絶句しているローレンに代わり、見学していたクラヴィスがレインハイトに声をかける。魔石が赤くなったのを目で確認したら魔力の放出を止めようと考えていたレインハイトは、そのクラヴィスの声を受けて慌てて魔力を止めた。まさかいきなり黒くなってしまうとは予想していなかったのだ。危うく二個目の魔石破壊を行ってしまうところであった。
「ローレン先生、タイムは?」
「一秒……以下です」
「素晴らしい……歴代最高成績ですね」
静寂に木霊したクラヴィスの呟きを聞きつけたのだろう。試験を密かに盗み見ていた周囲の受験生達が色めき立った。もしかしたら、クラヴィスはこれを狙ってあえて周囲に聞こえる音量で喋ったのかもしれない。
「しかしクローバー院長……この場合、一体どのように評価をすれば良いのでしょうか? タイムは一秒以下、しかも魔石は赤色を通り越して黒色まで一気に変化させてしまっている。こんな規格外な成績に対して、ただA評価とするのもどこかおかしいような気がします」
「そうですね。ローレン先生の仰る通りだと思います。……わかりました。今回の少年の成績は、新たな評価基準として、『規格外』を示すS評価という項目を設けることで手を打ちましょう」
ローレンの疑問に、クラヴィスは予め用意していたかのような淀みのなさでそう答えた。十中八九、いや確実にこうなることを予測していたに違いない、とレインハイトはクラヴィスを迷惑そうに睨みつけながらそう決めつけた。
「ローレン先生はひとまず少年の受験票にタイムの記録を行っておいてください。私は急いでS評価を記録するための魔法具の準備をしてきます」
「そのような雑事、わざわざ院長が自らやらずとも……」
「良いのですよ。他の教師の皆さんは手一杯でしょうし、たまには私も働いているところを周りに見せないとね」
「そ、そうですか。……わかりました」
ローレンにそう告げると慌ただしくその場をあとにしようとしたクラヴィスは、去り際にレインハイトに向けて片目を瞑り、握った拳の親指を突き立てサインを送った。どうやら、今回のレインハイトの働きは彼の気に召したものであったらしい。いきなりここまで目立つつもりはなかったレインハイトは複雑な心境になりながらも、ひとまずはノルマを達成できたと前向きに考えることにした。
「それでは……えーと、ダウト君。申し訳ないがクローバー院長がお戻りになるまで君の受験票はこちらで預からせてもらいます。そう長くはかからないでしょうから、あちらで他の皆さんと一緒に待っていてください」
受験票でダウトの名前を確認しながらローレンは事務的にそう指示を出し、試験を再開した。
「……それでは試験を続けます、十四番の方はこちらに来てください」
「は、はいっ」
ローレンの指示に首肯したレインハイトは、背中越しに緊張した様子のイリーナの声を聞きながらヨシュアと偉そうな少年が居るテーブルから数メイル離れた待機所へと移動した。そこへ辿り着く前に、待ちきれないと言った様子でヨシュアが駆け寄ってくる。
「ダウト、すごい成績じゃないか! おめでとう!」
「ああ。魔石を壊してしまったが、下されたのが寛大な処置で助かった」
惜しみない称賛の言葉をかけてくるヨシュアに適当な返答をしながら、やはり少し目立ちすぎたなと反省するレインハイト。一般人よりは遥かに魔法に精通した者たちが集まる場であのようなことを繰り返せば、いずれはクラヴィスのようにレインハイトの異常性に気付く者が出てきかねない状況である。
「はは、余裕そうだね。先生方もまさか一瞬で魔石を破壊してしまうような受験生が居るとは思っていなかっただろうし、故意にやったわけでもないんだから当然の対応だと思うよ。もしも失格だなんてことになっていたら、僕は講義しに行っていただろうね」
「そりゃどーも」
どこか興奮した様子のヨシュアの正義感あふれる発言に感心しつつ、レインハイトは軽く礼を言った。隣を見れば偉そうな少年が「落ちればよかったのに」とでも言いたげな視線を寄越していたので、同じ特別枠に推薦されるほどの貴族だと言うのにこうも違うか、などと両者を見比べながら心中でぼやくレインハイトであった。
「それにしても、一回目であれだけ噴かしてたのに、よく魔力が残ってたものだね。僕だったら二回連続で黒にまで持っていける自信はないなあ」
「……そういうものなのか?」
吸血鬼である影響なのか、レインハイトは他人に比べて大量の魔力を持っているため、ヨシュアの言っている感覚がいまいち理解できなかった。レインハイトはこれまでに魔法の鍛錬や実験などで何度も膨大な魔力を使用してきたが、疲れることはあっても魔力切れや出力不足などを起こしたことがなかったのだ。その時の消費魔力に比べれば、先程の試験で使用した魔力などまさに氷山の一角――いや、それにすら満たない。底の見えない深い泉のたった一滴。レインハイトにとって見れば、その程度のものであった。
そもそも、レインハイトが常駐起動させている多重魔法《魔法の門》は、非戦闘時であっても毎分試験用魔石一個分――下級魔法三回分を大幅に超える魔力を消費しているのだ。そして、レインハイトの体内ではその消費分を遥かに上回る速度で魔力が生成され続けている。これが並の魔道師程度の魔力量であれば、起動後十秒を待たずして魔力欠乏に陥ることだろう。
しかし、レインハイトには自身のそれが世間一般の常識からかけ離れた異常事態である自覚があったため、ヨシュアには慎重に探るように問いかけたのだった。
「そういうものなのかって……そりゃあそうだよ。瞬間的に魔力を作り出すのは体にかなりの負荷をかける作業なんだから、連続で行おうものなら格段に生成効率は下がるんだ。あの魔石は下級魔法三発分だって話だから、いきなり無詠唱魔法を休まず六連続で使うのと同じって言えば大変さがわかるかな? ……いや、先生の説明では赤色の時点で下級魔法三発分って話だったんだから、黒色まで魔力を注ぎ込めば四発……もしかしたら五発分も必要かもしれない。だとすると十連続で下級魔法を使ったのと同じことになるよ」
「そ、そうだったのか……言われてみれば少し気だるいような気がしてきたな」
まるで常識知らずを諭すような調子で説明を始めたヨシュアの勢いに押され、レインハイトは全く感じていない疲労感を強引に表情に滲ませ、首筋あたりを少し揉んでみた。下級魔法の無詠唱魔法など何千発連続で撃とうが魔力切れになる気はしなかったが、レインハイトは空気が読める少年なのだ。
「ほら、言わんこっちゃない。それに、ダウトは一回目に余計な魔力を大量に放出してしまっていただろう? 人一人が一日に作り出せる魔力には限りがあるって言うのに、次の試験は大丈夫なのかい?」
「次の試験の内容を知っているのか?」
そう言えば、ヨシュアはイリーナと話していたときにも「番号が近いから一緒に回ることになるだろう」などと始まる前の試験の内容を知っているような発言をしていたし、もしかしたら次の試験についても情報を持っているのかもしれない。そう考えたレインハイトは、自身の魔力量の話から話題を変えるためにもヨシュアに質問してみることにした。
「確証があるわけじゃないけど、例年通りなら次の試験は『総魔力量』の測定を行う試験のはずだよ。さっき使った魔石よりも大きな魔石を使って、自分が生成できる限界まで魔力を放出するんだ。瞬間魔力出力量の試験とは違って時間がかかっても問題ないし、開始前に魔力を練り上げておくのも有りって話だよ」
レインハイトの予想は的中したらしい。思っていたよりも詳細な情報を忘れないよう頭の中でメモを取りつつ、レインハイトは得心がいったように頷いた。
「なるほどな。最初は『魔力』に重点を置いた試験が連続するわけか。だが、それだけ魔力を搾り取る試験が続いたら魔法が使えなくならないか?」
「うん。だから例年通りなら一日目の試験は次の魔力総量測定で終了で、二日目から実際に魔法を使うような試験に移行していくみたいだよ。……もっとも、今日の試験結果でここに居る受験生の半分以上は振り落とされるだろうから、もしも僕達が次に進めなければ確かめるすべはないけどね」
最後の一言は冗談だったのか、軽く笑いながら告げるヨシュア。確かに、かなりの高評価らしいA評価のヨシュアとその更に上を行くS評価のレインハイトが不合格になるとは考えにくいだろう。
「あ、おつかれイリーナさん。試験はどうだった?」
と、その時。何かに気付いて視線を外したヨシュアが、レインハイトの背後の方に声をかけながら軽く手を振った。
ヨシュアの視線の方へ目を向けると、ちょうど試験を終えたらしいイリーナがこちらに向かって歩いてくる姿を捉えた。周りをよく見ているやつだな、という感想を思い浮かべながらレインハイトはさり気なくヨシュアと距離を取ってスペースを作り、イリーナが入って来やすいように空間を作り出した。
「緊張しましたが、何とかB評価をもらえました!」
ヨシュアに声をかけられ、嬉しそうに飛び跳ねるようにして駆け寄ってきたイリーナはそう報告した。自分と同じ評価だったからか、耳をそばだてていた偉そうな少年があからさまに不機嫌そうにしている。
「あれ? A評価かと思ってたよ。ここから見てたけど、タイムは十秒台だったんじゃない?」
レインハイトと会話しながらもイリーナの試験の様子を確認していたらしいヨシュアは、意外そうな表情でそう尋ねた。
「み、見てたんですか? ちょっと恥ずかしいです……あ、タイムは十二秒でした」
「やっぱり。あとちょっとでA評価になるくらいのいいタイムじゃないか、おめでとう」
「えへへ、ありがとうございます……」
イリーナとヨシュアが桃色空間を作り出す中で、イリーナのタイムが十秒台だったことを知った偉そうな少年が形容し難いものすごい表情を浮かべながら落ち込んでいる。試験では当然計測時間の方も受験票に記録されるため、同じB評価であってもタイムに差があれば成績は違ってくるのだ。
桃色のオーラと暗澹とした空気の混ざり合う混沌空間を傍観し、げんなりと肩を落としたレインハイトは彫像のごとく固まり空気に溶け込むことにした。試験はあと残すところ十五番の少女一人であるため、そう長くはかからないだろう。
「ダウト殿、お待たせしました」
と、その時。先程言っていた記録用の魔法具の調整を終えたらしいクラヴィスが受験票片手にそう声をかけてきた。レインハイトは無言それを受け取り、用が済んだらさっさと消えろと言うように顎をしゃくった。
「先程の試験はお見事でした。次も期待していますよ」
そんなレインハイトの不遜な態度を気にした風もなく、クラヴィスは満面の笑みを浮かべながら小さくそう告げると、片手を上げて去っていった。なんだかクラヴィスの手のひらの上で踊らされているような気がして非常に癪であるが、他に選べる道はないレインハイトは力なく肩を落とすと、五人目の少女が試験を終えるのを待った。
そしてそれから数分後。レインハイトは試験を終え合流した五人目の少女と共に、最終組全員で最初の待機場所へと戻っていった。




