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初めての面接

 ベルード邸訪問から数日後、残りの容疑者二名との会談を無事に終えたジョーカー、もといレインハイトは、昼下がりのアイオリア魔法学院の学院長室前に一人で突っ立っていた。

 本来、学院の生徒ではないレインハイトには縁遠い場所であるが、しかし、今日のレインハイトにはこの部屋に訪れなければならない用事があるのだ。


「面接かあ……」


 そう、面接である。


 先日頼んでいた魔法学院の寮を融通してもらう件について、アトレイシアは約束通り院長に話を通してくれたらしいのだが、いくら王女の頼みとは言え見ず知らずの人間を二つ返事で学生寮に住まわせることは難しいので、最低限の面接をして問題がないか判断させてもらいたいとのことであった。


 レインハイトとしても相当な無茶を言っている自覚はあったため、面接程度のことであれば断る理由はないとそれを承諾。王女を間に挟むという贅沢極まりない交渉の末面接の日時が決定し、今に至るというわけだ。


 詳細を伝えてくれたアトレイシアが去り際に『あの方が同性に興味を示すだなんて……面接の際はくれぐれも気をつけてくださいね!』などと非常に気になることを言っていたのだが、本当に大丈夫なのだろうか。王女の口添えがあるため八割、いや九割方問題はないとは思うのだが、何しろ面接というのが初体験であるため、レインハイトは少なからず緊張していた。


 とは言え、いつまでも部屋の前で立っているわけにも行くまい。意を決したレインハイトは、コンコンと手の甲で扉を叩いた。するとすぐに「どうぞ」という落ち着いた男性の声が返ってきたため、それに促されるままレインハイトは学院長室の扉を開いた。


 中で待ち受けていたのは、質の良い横長の机に肘をついた男であった。机には何枚かの資料が無秩序に散乱している。男の髪色は暗めの茶髪で、顎鬚を生やし、美形ではあるが、少し垂れたやる気のなさそうな目をしている。年齢は、学院長という割にはだいぶ若い。おそらくは二十代後半から三十代前半辺りだろう。


 思っていたよりも話しやすそうな印象だが、しかし、レインハイトはその男からどこか胡散臭い雰囲気も感じていた。魔法学院の院長というよりも、詐欺師と言われたほうがしっくり来るくらいだ。


「待っていたよ。レインハイト君……だったかな? 私はこの学院の院長をさせてもらっている、クラヴィス・フォン・クローバーだ」


「はじめまして。名前を覚えていただいているとは思いませんでした、クローバー院長。本日はお時間を作っていただき、ありがとうございます」


 柔和な笑みを浮かべるクラヴィスに、レインハイトは後ろ手で扉を締めながら返答した。


「王女様からはもちろんだが、アリア先生からも君の話は聞いていたからね。以前から気になってはいたんだ。なんでも、使用人でありながらとても勉強熱心な少年だと、アリア先生にしては珍しく感心していたよ。……ああ、すまない。立たせたままだったね。とりあえずそこにかけてくれたまえ」


「いえ……失礼します」


 興味津々といった風に前のめり気味のクラヴィスに対して、レインハイトは若干引き気味に返答しながらも指し示されたソファに腰掛けた。流石は院長室の調度品と言うべきか、想像していた以上に柔らかく、レインハイトの腰は深く沈み込む。ここ最近はこういった質の良いソファに腰掛ける機会が増えたな、とレインハイトはつい先日まで行われていた貴族邸宅訪問ツアーのことを思い浮かべながら心中で呟いた。

 ――最も、彼がソファに座れたのは相手が“黒”だと判明し、尋問を開始するフェーズに移行してからであったが。



「いやあ、昔から興味を惹かれると周りが見えなくなってしまう質でね。お恥ずかしい」


「はあ……」


 ははは、と笑いながら魔法具と思しきティーポットで紅茶を淹れるクラヴィスに、レインハイトは気のない返答を返した。


 そんなレインハイトの態度を気にした風もなく、クラヴィスは二つ用意したティーカップの片方をレインハイトに差し出し、その対面に腰掛けた。魔法具で淹れただけあって、火を使用していないのにも関わらずカップからは白い湯気がたっている。


 便利な道具だな、と感心したレインハイトは、さり気なく『解析方陣(アナライザー)』を使用しティーポット型の魔法具を解析させた。構造の情報だけ持ち帰ってあとで模倣品を作成しようという魂胆である。


 しかし、『解析方陣(アナライザー)』が作動した瞬間クラヴィスの眉がピクリと動いたような気がするが、もしや勘付かれたのだろうか。レインハイトは確認するようにクラヴィスの目を覗き込んだが、その奥の感情は窺い知れなかった。


「――さて、楽しい世間話を続けたいのは山々だが、残念ながら少し立て込んでいてね。早速だけど面接を始めさせてもらうよ」


「はい、お願いします」


 少し真剣な顔つきになったクラヴィスは、レインハイトの返事に頷くと、紅茶で少し唇を湿らせてから本題に入った。


「では、レインハイト君にいくつか質問をさせてもらおう。まず一つ目、レインハイト君は今年三年生になる本学院の生徒、シエル・フェアリードさんの使用人である。これは間違いないかな?」


「はい」


「彼女とはどういった関係なのかな? ……いや、この学院に使用人を雇っている生徒は少なくはないんだけど、フェアリードさんは貴族ではないはずだよね? 何か特殊な事情でもあるのかなと少し気になってね」


 どういった関係か、という不躾な問いに少し顔をしかめたレインハイトに目ざとく気付いたクラヴィスは、質問の意図を告げることで必要な問いであると言外に説明した。


 確かに、そう言われてしまえばレインハイトとしては答えざるを得ないが、シエルの使用人という肩書は彼女を近くで見守るための方便であるため、できれば深く掘り下げてはほしくない話であった。


「シエルとその家族には恩があるんです。使用人に関してはシエルの父親から頼まれました」


「それは素晴らしい。その歳で受けた恩を返そうとする姿勢を持っていて、それを実践しているなんて、幼いころは良い家庭で育ったんだろうね」


「…………」


 クラヴィスの言葉に、レインハイトは沈黙を返す他無かった。自身が良い家庭で育ったのか、そうでないのか、シエルと出会う以前の記憶が無いレインハイトにはわからなかったからだ。安易に面接など受けるんじゃなかった、とレインハイトは既に後悔し始めていた。


「失礼、少し立ち入ったことを聞いてしまったかな? ……では、次の質問だ。レインハイト君は、どうして自分の部屋を欲しいと思ったのかな? フェアリードさんが入学したときから今まで使用人として生活してきているはずだけど、なぜ今になって急に?」


 黙り込むレインハイトを見かねたのか、クラヴィスはそれ以上の追求するのをやめ、次の質問に話を移行した。助かった、とレインハイトは心中で胸をなでおろす。


「自室に関しては、実は以前からあったほうが良いだろうとは思っていたんですが、金銭的な問題で踏み切れずにいたんです。現在もそうなのですが、僕はシエルの部屋で一緒に生活させてもらっていまして……その、使用人とは言え同年代の男女なので、あまり近すぎるのもどうかと思いますし、女子寮に男の僕が住んでいるというのも他の女生徒たちに不安を与えてしまうかもしれないので……」


「何? 年頃の少女と寝食を共に!? しかも女子寮で!? くそ、なんてうらやま――じゃない、由々しき事態だね! これはレインハイト君に部屋を提供するかどうかはともかくとして、私が学院長として早急に対処せねばならない問題のようだな!」


 突如血相を変えて身を乗り出し、先程までの余裕のある態度が嘘のようにまくし立てるクラヴィス。熱心になってくれるのはありがたいが、レインハイトにはその熱の矛先がどこかおかしいような気がしてならなかった。


 レインハイトの心配を他所に、クラヴィスは「なんてこった……普通、貴族の使用人は同性である場合が多いし、そうであっても同室で生活することなどは無いものだが……まさかそんな手があったとは……盲点だったな……」などと一人でブツブツと呟いている。


「……あの、クローバー院長?」


「ん? ……ああ、申し訳ない。少し考え事に没頭してしまっていたようだ。話の途中だったね」


 コホン、とクラヴィスは咳払いし、一度言葉を切ると、


「うん。君が自室を欲しがっている理由はよーくわかった。さて、では最後の質問だ――」


 直前のふざけた空気を一瞬で吹き飛ばし、レインハイトを戦慄せしめる問いを投げかけた。



「――君は、ジョーカーと言う人物の名に心当たりはないかい?」



 全く脈絡のないその質問に、レインハイトは困惑と驚愕で思いがけず数瞬硬直した。


「――と言うか、私は君がそのジョーカー本人であるのだと思っているんだけどね。……しかし驚いたな、小柄だとは思っていたけど、あの驚異的な力を持った魔道師の正体がこんなに年若い少年だったなんて。実物を目の当たりにしても未だに信じられないよ」


「……すみません。一体何のお話なのでしょうか? 僕にはさっぱりわからないのですが」


「そりゃあ当然しらばっくれるよねえ。……まあ良いさ、こうすればすぐに真相がわかるだろうから――ねッ!」


 言うが否や、クラヴィスはいつの間にか右手に持っていたナイフをレインハイトに向けて投げつけた。ナイフと言っても武器としてのナイフではなく、食器の方だ。机を挟んで向かい合わせに座っているこの超至近距離で不意に放たれたそれを回避することはほぼ不可能である。纏魔術による身体強化も間に合う速度ではない。迫りくるナイフの勢いは当たれば冗談で済むような速度ではなく、衣服と肌を突き破り体に深々と突き刺さるであろう。一応急所は外しているようだが、すました顔で狙いをつける余裕があるとろこが余計に腹立たしい、とレインハイトは感情の伺えぬ表情のクラヴィスを睨みつけた。


「く――ッ!」


 苦悶の声を上げながらも、反射的に頭部を守るように右腕で防御姿勢を取ることしかできないレインハイト。その内心は、クラヴィスの奇襲に大いに焦っていた。


 本来のレインハイトの実力を持ってすれば、いくら凶器となりえると言えど、たかだかナイフの一本程度にそこまで取り乱す必要はない。本人が具体的な対処をするまでもなく、常駐起動している《魔法の門(マジック・ゲート)》の防衛機能が作動し、例え全方位を殺傷能力抜群の魔法に囲まれても無傷で生き残ることができるからである。


 しかし、今回はその自動防衛機能が逆にレインハイトの首を絞める事態を招いていた。


 ナイフを放ったクラヴィスには殺気がなく、先程までの態度からも殺意は感じられない。では、彼の狙いは一体何なのか。


 答えは、レインハイトとジョーカーが同一人物であるという彼の仮説の証明だ。恐らく、クラヴィスは先日の『おびき出し作戦』の際、何らかの形でジョーカーと襲撃者の戦闘を目撃したのだろう。あの場にはそれなりの数の野次馬が集まっていたし、偶然見かけていてもおかしくはない。


 そこで見た『異次元空間(ディメンション・ゲート)』の特性を理解したクラヴィスは、ジョーカーの正体と思われるレインハイトにナイフを放つことで同じような現象が起こるのではないのかと考えたのだろう。突如として魔法陣が現れ、それにナイフが飲み込まれればそれが動かぬ証拠となるというわけだ。


 だが、レインハイトにはどうしても腑に落ちない点がある。何故クラヴィスはレインハイト=ジョーカーと言う仮説に至ることができたのか、その理由に全く見当がつかないことだ。


 レインハイトとジョーカーを結びつけることができたということは、当然ながらクラヴィスはその両側面の情報を得られる立場にいるということになる。すなわち、シエル・フェアリードの使用人としてアイオリア魔法学院で生活する少年と、つい最近になって王女の騎士として名乗りを上げた仮面の魔道師というレインハイトの二つの顔を知る人物であるということだ。


 前者については既にクリアしていると見ていいだろう。クラヴィスはアイオリア魔法学院の最高責任者であり、その気になれば使用人としてのレインハイトの情報などいくらでも調べることができる立場にいるからだ。


 問題なのは後者の方である。まず第一に、レインハイトがジョーカーとして活動を始めたのはつい最近のことであり、王都アイオリア内でその存在を知っている人物は数少ない。加えて、『異次元空間(ディメンション・ゲート)』を実際に見たことがある人物となると、その数は一気に激減する。


 それこそ、王女派の関係者で、レインハイトの両側面を知るアトレイシアに相当近い人物であるとか――


 そこまで思い至ったその時、レインハイトの脳に電流が走った。


(あの顎髭……まさか――)


 同時、気を張っていなければ到底気付かぬほど微細な魔力の揺れが起こり、次の瞬間、レインハイトに向けられて放たれたナイフが虚空に消え失せた。『観測方陣(オブザーバー)』が術者に危険が及ぶことを察知し、『異次元空間(ディメンション・ゲート)』を作動させたのだ。


 魔法陣が発生しなかったのは、レインハイトがジョーカーと同一の魔法を使用していると悟られぬよう『透過』の術式を組み込んでいたためである。他にも、レインハイトとして活動する際には左手首に装着していた《黄金の円環(ドラウプニル)》をアームレットとして左の二の腕の辺りに移動させ隠していたりと、偽装工作には余念がなかった。


 最も、そこまで策を講じてもこうしてクラヴィスに正体を見破られてしまっているのだから、その努力も無駄だったのかもしれないが。


「――素晴らしい! 今回は魔法陣を消しているようですが、今のは間違いなく先日この目で見た神秘そのものです!」


 いきなり凶器を投げつけておいて何を喜んでいるんだこの男は、と頭にきたレインハイトは、躊躇すること無く反撃を敢行した。


「……『反転放出(リバース)』」


「どわあッ!? いきなり何をするんです! 殺す気ですか!?」


 空間の歪みから現れた先程のナイフがクラヴィスに向かって直進したが、レインハイトの行動を予期していたのか、クラヴィスは器用に体を捻ってそれを回避した。


「そのセリフ、そのナイフごとお前に返してやるよ」


「ははは、嫌だなあ。ちょっと手が滑っただけですって」


「つまらない演技はやめてもらおうか、フロード卿」


 白々しい言い訳をかましたクラヴィスに、レインハイトは確信を持ってフロードと呼びかけた。単なる勘ではなく、以前オーレリアのものと一緒に採取していたフロードの魔力とクラヴィスの魔力のパーソナルパターンを照合した結果、それが一致したのである。もう既に後の祭りだが、学院長室に入る前に室内を『解析方陣(アナライザー)』で精査しておくべきだったとレインハイトは後悔した。


「あら、バレちゃいました? でも、私の予想も見事的中したみたいですね」


 そもそも隠す気はなかったのだろう。大して驚くこともなく、クラヴィスは自身がフロード卿であることを認めた。むしろ、最初からレインハイトに己の正体を知らせるような言動を取っていた節さえ伺えるほどである。


「……何故俺の正体に気付いた?」


「あなたの――ああ、レインハイトという少年としてのあなたのことは、実は数年前からマークしていたんです。ほら、あなたは以前アトレイシア様に禁書庫への出入りを口利きしてもらったことがあったでしょう? 無論、魔法学院の学院長としては国の機密に関わる魔本の管理には注意せねばなりませんので、アトレイシア様にあなたのことを聞いたんです。そうしたら、あなたに命を助けられたと言うではありませんか。この国の宝であるアトレイシア様を身を挺して守り抜くとは、なんと立派な少年だろうか、とその時からあなたを密かにリスペクトしていたのですよ。王女様の頼みと言えど、普通なら当然断るべき案件でしたが、反対意見を押しのけてあなたに禁書庫の出入りを許可したのもそのためです」


 ふざけている風もなく、真剣な顔つきで語るクラヴィス。どうやらレインハイトのことは本気で一目置いていたらしい。


「そしてつい最近になって、あなたはアトレイシア様の騎士として活動を始めました。あのときの私には、オーレリア殿に勝利できるほどの魔道師に検討もつきませんでしたが、注目すべきはそこではなかったのです。そしてそれは、あの場にいた王女派関係者のうち、私だけが到達し得る答えでした」


 右手の人差し指を立て、クラヴィスは得意げに微笑んだ。


「オーレリア殿は、アトレイシア様が全幅と言っていいほどの信頼を寄せる人物です。そして、それと全く同じ立場に抜擢されたジョーカーという人物は、そのオーレリア殿に負けず劣らずの信頼をアトレイシア様から寄せられている存在ということになります。

 そこまでたどり着いたら後はもう簡単でした。日々の権力争いで疲弊し、滅多に他人を信用することのなかったアトレイシア様が、自身には何の利益もないにも関わらず、何故かある一人の少年のために行動を起こしているではありませんか。それも、一度ならず二度に渡って。ここまでの情報があったら、流石に気付かないほうがおかしいというものです」


「そういうことか……クソ、学院と王女派の両方に精通した人物が居る可能性は想定していなかった」


 クラヴィスの演説を聞き終えたレインハイトは、そのあまりの理不尽さにため息をついた。いずれはオーレリア辺りに勘付かれるのではと危惧していたが、まさか彼女の他にも学院と王女派双方に密接に関係した人間が居たとは思いもしなかったのである。


「変装は完璧だっただけに、運が悪かったですね」


「アトレイシアはあんたの正体も知っていたんだよな? だったら教えてくれても良かったものを……」


「それはできませんよ。私の正体を何人にも漏らさないというのが、私が王女派に協力する条件なので。その代わりと言ってはなんですが、アトレイシア様は私が何度聞いてもジョーカー殿の正体があなただと口を割られることはありませんでしたよ」


「条件はあくまで対等だったってわけか……チッ、降参だ。負けを認めよう」


 クラヴィスは「私は別に勝負をしていたつもりはないのですが……」と前置きした後、「ではお互いの正体がわかったところで、そろそろ交渉を始めましょうか」と言って微笑んだ。


「交渉だと……?」


「ええ、あなたに学生寮の一室を提供することを条件に、一つやっていただきたいことがあるんです」


 てっきりクラヴィスの目的はジョーカーの正体を見破ることだけだと思っていたが、どうやらまだ望みはあるらしい。レインハイトは早合点して諦念が支配しつつあった脳内を切り替え、集中力を高めた。


「内容によるな」


「はい。ですが詳細に移る前に、厚かましいお願いですが、誰よりも早くあなたの正体にたどり着いたことへのご褒美をいただけないでしょうか」


「……何が望みだ?」


「魔道師にこの質問をするのはタブーだとわかってはいるのですが……先日ジョーカー殿が使用していた高速移動術……恐らく自己加速魔法ではないかとお見受けしましたが、あれは一体どういったカラクリで作動していたのでしょうか? あれからずっと一人頭を悩ませてきたのですが、どうしても答えが見つからないのです。……もし術の内容を話すことができないのであれば、ヒントだけでもどうか教えていただけないでしょうか?」


「……あんたが聞きたいのは、魔法による自己強化における生体干渉抵抗力の問題についてだな?」


 やはりフロードに加速(アクセル)を見せるのではなかった、とレインハイトは今更ながらに後悔した。


「はい! その通りです! 魔導歴が始まって以来、魔道師界における永遠のテーマの一つであるそれが解決するかもしれないとあっては、例え恥知らずと罵られようと問わざるを得ないというものです!」


 興奮のあまり、クラヴィスはソファから腰を上げ、レインハイトの方へと顔を近づけていく。一見クラヴィスのその態度は大げさなようだが、しかし、それも無理からぬ事であった。


 多少なりとも魔道に精通した人間であれば、『自己強化魔法』は術者自身の生体干渉抵抗力によって阻まれてしまう故、現在では実現不可能とされていることを知っているだろう。そして、もしもその問題が解決するのであれば、身体能力強化という点で勝る纏魔術てんまじゅつをも超える圧倒的な力を得ることができるのだ。歴史的背景から纏魔術を毛嫌いしている魔道師たちにとっては、喉から手が出るほどに知り得たい技術なのかもしれない。


「残念だが、俺にはあんたが満足する答えを返すことができない」


 しかし、レインハイトはクラヴィスのその質問に答えるわけにはいかなかった。なぜなら、レインハイトの使用する自己強化魔法は、彼の持つ理から外れた特殊な魔力を使用して強引に生体干渉抵抗力の問題を解決しているからである。


 クラヴィスの予想通り、レインハイトが自己強化における生体干渉抵抗力の問題を突破していることは事実であるが、その方法は現在レインハイト本人にしか使用することができないため、おいそれと公言するわけには行かないのだ。


「……何故です? もし方法を世間に公表すれば、巨万の富と名声が得られるかも知れないというのに。よろしければ、私もお手伝いしますよ?」


「別に術式の秘密を守りたいってわけじゃないが……とにかく、それについて何かを話すつもりは一切ない」


「そんな……」


「ただ……ヒントになるかどうかは分からないが、どうしてもと言うのであれば一つだけ教えよう。――俺は既に世界を欺いている。……あんたならこの言葉の意味がわかるだろう?」


「世界を……欺く……? ――ッ!? あなたは、まさか――」


 へたり、とクラヴィスは力が抜けたようにソファに座り込んだ。恐らく、レインハイトが言わんとしたことに気付いたのだろう。


 すなわち、生体干渉抵抗力を含め、レインハイトがこの世界のありとあらゆる理から逸脱した存在であるという事実を、直接的な表現でないとは言えクラヴィスに明かしたというわけである。彼が勘の良い人物であれば、《魔法の門(マジック・ゲート)》の構造にも気付くかもしれない。


「まあ無いとは思うが……これ以上何か俺の魔法について聞き出そうとするのであれば、あんたを消すことになるとだけ言っておこう」


「はは……は……流石にそこまで愚かではありませんよ。……わかりました、今聞いたことは墓場まで持っていくと誓いましょう」


 口止めも一緒にしておくべきかと思案するレインハイトだったが、クラヴィスにはもともとそのつもりはないようだった。


 もっとも、万一情報を漏らされたとしても、レインハイトの魔法を直接見たことがない者たちには戯言として一笑に付されて終わりだろうが。


「すまないな。あんたにとっては期待はずれな回答だったろう?」


「……いいえ、そんなことはありません。……おっしゃる通り私が欲しかった答えとは違いましたが、それでも、あなたのそれも確かに魔道の到達点の一つなのでしょう。ジョーカー殿のお陰で、私は人の可能性を、魔法によって人はその領域にまで至ることができるという希望を知ることができたのです。私とて魔道を極めんとする者の端くれ。喜びこそすれ、期待はずれだなどと思うわけがありません」


「……そりゃ良かったな」


 最近の出来事で、自身が人族ではなく吸血鬼であるらしいことを知ってしまったレインハイトは、クラヴィスの言う『人』というカテゴリには己が含まれないのではないかという思いから、少々複雑な表情を浮かべた。


「不躾な質問をしてしまい、申し訳ありませんでした。……では、交渉のお話に戻りましょうか」


「まだ誰にも教えていない秘密を話してやったんだ、対価として無条件に部屋を提供してくれるということにはならないのか?」


「確かに情報の価値は大きかったですが、それとこれとは話が別です」


「言っておくが、気乗りしない条件だったら断らせてもらうからな」


 とんでもない要求をされたときの予防線として、レインハイトはそう断りを入れた。

 しかし、続くクラヴィスの言葉により、張った予防線は虚しく突破され、レインハイトは窮地に立たされることになった。


「ええ、それはもちろんです。……ところで、フェアリードさんは、あなたがジョーカーとして王女殿下に仕えていることはご存知なのでしょうか?」


「なっ!? お前、シエルに話すつもりか!? さっき秘密は墓場まで持っていくって――」


「確かにジョーカー殿の魔法について他者に語ることはしないと言いましたが、あなたの正体を漏らさないとは一言も言っていませんよ」


 全くもってその通りであった。返す言葉もなく、レインハイトは絶句したまま口をパクパクと開閉させる。もしも相談もせず内緒でアトレイシアに協力していた事がバレれば、シエルは確実に面倒な拗ね方をするに違いない。焦るレインハイトの背中を冷や汗が伝う。


 今のレインハイトは《魔法の門(マジック・ゲート)》の開発により武力面では敵無しという状況であるが、そんなレインハイトを持ってしても、シエルというウィークポイントを突かれてしまうとまるっきりお手上げであった。


「……わかった、とりあえず条件を聞こう」


「そう身構えなくても、ジョーカー殿であれば簡単にこなせる内容ですよ」


「調子のいい野郎め……それと、今はレインハイトだ」


「おっと失礼。ではレインハイト殿、あなたにしてもらいたいのは、二週間後に行われる本学院の入学試験への潜入です」


 クラヴィスの語った条件がいまいちピンとこず、レインハイトは首を傾げた。


「……試験に潜入なんてしてどうするんだ?」


「レインハイト殿には受験生として潜り込んでいただき、そこである人物よりも好成績を取っていただきたいのです」


「なんだそりゃ? ……そんなことをして一体何の意味があるんだ?」


「……今回、とある有名貴族の三男がこの学院の入学試験を受けるそうなのですが、その者が相当な使い手らしく、今年の最優秀成績候補の筆頭だという噂が流れています。レインハイト殿には、それをどうにかして阻止していただきたいのです」


「はあ? 阻止して何の意味があるんだよ? そんなの放っておけばいいだろ」


 クラヴィスの発言の意図を理解できないレインハイトは、苛立ちからか少々言葉遣いが乱暴になってしまっていた。


 だが、クラヴィスはそんな態度を取るレインハイトに怯むことなく、両手をテーブルに打ち付けて勢い良くまくし立て始めた。


「それはなりません! もしも彼を野放しにすれば、本学院に主席で入学し、注目の的になってしまうことでしょう! それは実に危険な事態です!」


「別に全く問題ないように思えるんだが……何がどう危険なんだ?」


「はい。心してお聞きください。……件の三男は、誰もが認める美少年だそうです」


「……で?」


 レインハイトは苛立ちを堪えてクラヴィスに先を促す。美少年だから一体何だというのか。


「ここまで言ってもわからないのですか!? ただでさえ優れた容姿をしているというのに、魔法の腕も優秀で、おまけに貴族でありながら物腰も柔らかく気持ちの良い性格をしているとか! 彼が主席で入学すればもうこの学院の女子生徒は彼の虜になってしまうことでしょう! ……十二歳になっても入学試験を受けに来なかったので安心していたのですが、まさか成人となる今年になって受験しに来るとは思いもしませんでした。……ああ! 奴のせいで俺のオアシスが汚されちまう!」


「おい、口調が乱れてるぞ」


 必死の形相でまくし立てるクラヴィスは、右手で顔を抑えながら天を仰いだ。一方でレインハイトは、クラヴィスが本気で危機感を感じているらしいということは理解したものの、その高すぎるテンションにはついていけずに冷ややかな目を向けるだけであった。


 因みに、アスガルド王国での成人は十五歳のことであり、つまりはその三男とやらはレインハイトやシエルと同い年ということになる。魔法学院には十二歳から入学可能なため、一般的な貴族であれば十二歳で入学試験を受けに王都に訪れるのだが、その三男には何かしら受験ができなかった理由があったのかもしれない。

 もっとも、十二歳以上であれば基本的には年齢制限などはないため、今年で十五になろうが特に問題はないだろう。


「失礼……少しヒートアップしすぎてしまいました。……というわけで、レインハイト殿、やっていただけますね?」


「断る」


「な、なぜです?」


「俺はレインハイトでいるときに極力目立ちたくないんだ。最近になってようやく注目されなくなってきたっていうのに、その最優秀成績候補とやらより良い点なんて取ったらまた騒ぎになっちまうだろうが」


「それでしたら心配ありません。レインハイト殿ならそう言うだろうと思いまして、事前に変装手段を用意してきたのです。……こちらをどうぞ」


 そう言ってクラヴィスが懐から取り出したのは、怪しげな小瓶が二つと黒縁の眼鏡だった。


「眼鏡はわかるが、この怪しげな小瓶は一体……」


「染髪効果のある魔法薬が入っています。流石に仮面を被って試験を受けていただく訳にはいきませんから、次善の策という訳です。黒い小瓶に変装用の薬剤を、白い小瓶にそれを元に戻す薬剤をそれぞれ仕込んであります。高級品ゆえ予備がありませんので、くれぐれも慎重に扱ってください」


「へえ、そりゃ便利な薬だな。いくらぐらいするんだ?」


「そうですね……二つ合わせてトーレ金貨五枚ほどでしょうか?」


「金貨五枚!? あんた、どんだけ本気なんだよ……」


 あまりの値段に仰天するレインハイト。トーレ金貨が五枚と言えば、魔道師用の金製の杖(装飾用の純金製ではなく、ある程度硬度のある合金製である)が買えるくらいの金額である。王都に暮らす一般市民の生活費で換算すれば、半年分以上はありそうだ。それを使い捨て同然に使わせるなど、とても正気とは思えない暴挙である。この金持ち貴族め、とレインハイトは心中で悪態をついた。


 ジョーカー変装時に使えるかも知れないなどと軽い気持ちで尋ねたレインハイトだったが、どう転んでも破産する未来しか見えなかったため、流石に断念せざるを得なかった。


「本気も本気、今の私は手段を選びません。もしもレインハイト殿に断られていたならば、私自ら変装して試験に乗り込む腹づもりでしたので」


「それは流石に大人気なさすぎるだろ……。そもそも、あんたは何故そうまでしてそいつの邪魔をしたがるんだ?」


「だって、彼に女子生徒たちの興味が向いてしまったら、私がモテなくなってしまうじゃないですか」


「……本気で言っているのか?」


「ああ、勘違いなさらないでください。もちろん、本気とは言っても私は学院長という立場ですので、生徒である彼女らに手を出そうなどとは考えていませんよ? ですが、ちょっとくらいチヤホヤされたいなあと思ってもバチは当たらないと思いませんか? せっかく魔法学院の院長になれたのですから、女子生徒たちに『キャー! クローバー院長素敵!』なんて黄色い声を掛けてもらいたいと思うのは自然の摂理でしょう!?」


「そんな摂理は存在しない」


 俺が聞きたかったのはそういうことではないんだが……とげんなりしながら突っ込みを入れるレインハイト。このクラヴィスという男は本当にあのフロード卿と同一人物なのだろうか、と猜疑心に悩まされかけている。


「では……二度目になりますが、レインハイト殿、やっていただけますね?」


「……報酬は忘れていないだろうな?」


「もちろんです。成功の暁には、無償かつレインハイト殿の気が済むまで寮の一室を提供すると約束しましょう」


「仕方ない……気は向かないが、引き受けよう」


 クラヴィスの動機に関しては気に食わなかったが、シエルを人質に取られていたことに加え、無期限かつ無償での部屋の提供という餌に釣られたレインハイトはしぶしぶといった形で了承の意を示した。


「流石はレインハイト殿です。私はそう言っていただけると信じていましたよ」


 交渉成立の証のつもりか、右手を差し出してくるクラヴィスに胡乱げな視線を向けた後、レインハイトはため息をつきながらその手を握り返した。

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