ジョーカーの策略
それから十数分後。アトレイシアを乗せた馬車は平常に運行を続けていた。
先頭を行く豪奢な馬車によって既に充分すぎるほどに目立っているのだが、その後ろに続く不審な仮面の男二人組の存在がより強烈な異様さを演出しているため、道行く町人達は我先にと馬車から距離を取り、その進路を妨げるものは誰ひとりとして存在しなかった。
何を言わずとも道が開けるのはありがたいことではあるが、自分達が必要以上に避けられている現状をまざまざと感じさせられるというのは微妙な気分だ。
「こうなることはある程度予想してあったが……」
「少し目立ち過ぎかもしれませんね。敵側がこれをどう捉えるかが問題です」
ジョーカーの言を引き継ぐような形で、考え込むように自身の顎を撫でるフロードが返答した。
「今回の方法がダメならまた別のアプローチを考えたほうが良さそうだな」
「ええ。常に失敗した場合のことを想定しておくのは指揮官としてとても重要なことです。流石はあのオーレリア殿を下した仮面の魔道師、『仮面を被りし者』殿ですね」
「グリ……? 何だそれは」
初めて聞く単語に首を傾げ、ジョーカーはオウム返しにフロードへ尋ねた。彼の発言から察する限りでは、その単語はジョーカー自身のことを表しているらしい。
「ジョーカー殿の二つ名ですよ。”仮面を被りし者”という意味を持つ言葉です。最近になってよく聞くようになったので、恐らくジョーカー殿とオーレリア殿の模擬戦を観戦していた騎士たちが広めたのではないかと」
「チッ……余計なことを……」
自身の特殊な魔力のことがあるため、なるべく目立たないようにアトレイシアの騎士を務めていきたかったジョーカーだったが、どうやらその計画は早くも頓挫してしまったようだ。
「仕方がないことですよ、王女派に所属していない者達にはまだジョーカー殿の名は浸透していないでしょうからね。そういった場合、そのようにして自ずと誰かが話をしやすいように勝手に名を作り出すものです。確か、オーレリア殿の二つ名が出来た時もそうしていつの間にか定着していたように思います」
「ああ、あの恥ずかしい二つ名か。まあ、あれに比べればその『仮面を被りし者』という名は多少はマシだな」
オーレリアの持つ『光輝の女騎士』という二つ名を思い出し、自分もあのような名をつけられることがなくてよかったと心中でホッと息をつくジョーカー。
「それ、本人に聞かれたら殺されますよ」
「本人が居ないから言ってるんだ」
「そ、そうは言ってもですね、どこで誰に聞かれているかわからないですよ? 本人には直接聞かれなくとも、人づてに伝わってしまうことも無いとは言い切れないでしょう」
「どうしてあんたがそんなに不安そうなのかは分からないが、まあその時はその時だ」
何故か陰口を叩いた張本人でないにもかかわらずビクビクと挙動不審な態度を取るフロードに対し、ジョーカーは「仮に本人に聞かれていたとしてもどうということはない」とでも言わんばかりにあっけらかんとした態度で返答した。
「そんなことより、そろそろ気を引き締め直しておけ」
ジョーカーは既に目に捉えられるようになった目的地の建物に視線を向け、フロードへ注意を促した。
「……レオーネ商会。王都ではそこそこ名の知れた商会の一つですね」
「ああ。アトレイシアがつい三日前に王女派への“支援の約束を取り付けた”商会だ」
眼前に近づきつつある大きな建造物は、王都アイオリアに拠点を構える中規模商会、レオーネ商会の本館であり、今回の作戦の目的地である。
「……取り付けた? 今から交渉に入るのではないのですか?」
事前に聞いていた作戦内容は、レオーネ商会に接触し王女派への資金援助を取り付けるとともに、それを阻止しようと目論む王子派からの襲撃に備えアトレイシア第一王女を護衛、そしてあわよくば襲撃者を捕縛し、王女派内部に潜んでいるであろう間諜を暴き出そうというものだったはずだ。
「既に話はついている。今日は交渉をする必要はない」
「それは……聞いていない情報ですね」
「当然だ。これは俺を含む限られた人間しか知るはずのない情報だからな」
唐突に未確認の情報がもたらされたことにより動揺するフロードだったが、ジョーカーの返答を聞くと、自身の顎鬚を撫でながら納得の声を上げた。
「なるほど、そういうことでしたか。自分も犯人候補の一人であると疑われているのは少々残念ですが、いっそやるなら徹底的にという方針には好感が持てます」
優れた洞察力を発揮し、僅かな情報から自身がジョーカーに疑われていることを察したフロードだったが、表面上では消沈することも激昂することもなく、あくまで余裕のある態度を押し通した。
「今回の作戦を実行するに当たって、オーレリアが不在という好条件を整えるのはもちろん、王子派にはレオーネ商会の支援によって王女派の力が増すことに対して危機感を持たせ、奴等が手を出してくる確率を上げる必要があった。無論、その前に既に商会との交渉が済んでいることが王子派に知れれば、奴等がちょっかいをかけてくる確率が下がってしまう。故に、こうして直前まで協力者であるあんたにも真実を語らずにいたというわけだ」
「その話を聞かせていただいたということは、私への疑いは晴れたということでしょうか?」
フロードの問いかけに、ジョーカーは否であると首を横に振った。
「残念だがあんたはまだ容疑者のうちの一人だ。実際、あんたは急遽かけられたアトレイシアの呼びかけに食いついて安々とこの作戦へ協力し、あまつさえ他の護衛の選抜も請け負っていると来た。これはどう考えても不自然だろう」
「それは残念です。では、どうして私にその話を……?」
「ここまでの道中、悪いが勝手にあんたの魔力を観測させてもらった。結論を言えば、あんたは限りなくシロだ。加えて、こうして直接揺さぶってみても悪意が顔を出さないのだから、そこまで警戒する必要はないかと思ってな」
「魔力を見る……? そんなことが可能なのですか? というより、そんなものを見ただけで私が裏切り者かそうでないかがわかるというのですか?」
「確証はない。だが、外面をどれほど取り繕っていたところで、漏れ出す魔力は持ち主の精神状況を如実に映し出してしまうものだ」
この世界ではありふれたと言っても良い魔力という存在は、その実、とても不可思議な力である。
一般的な考え方では、魔力は所有者の意志に応え世界の情報を一時的に改変し、魔法や纏魔術といった形となって初めてその真価を発揮していると思われがちだが、しかしジョーカーの考えはそうではない。
実際に他者の情報を読み取るための術式を開発するまでは彼自身も気づかなかったことだが、魔力というものは、魔法や纏魔術といった『明確な形』に変化する以前に、ただそこに存在している時点で持ち主の様々な情報を内包したエネルギーであったのだ。
事実、以前アトレイシアが王都内で襲われた際、相手の嘘を見抜くために使用した術式には、対象の脈拍、血圧、脳波、発汗量など、他にも様々な要素を計測する機能が備わっているが、それらの膨大な情報をまとめ上げ、最終的な答えとして昇華させる工程において最も高い比重が置かれているソースこそが、解析対象の魔力情報なのだ。
「魔力から感情を読み取る……ですか。確かに、他者の心情を読み取るというような能力を持つ魔道師が過去に存在したという伝承は聞いたことがあります。にわかには信じ難いことですが、あり得ない話ではないのでしょう」
底知れないジョーカーのポテンシャルに衝撃を受けつつ、しかしフロードはそれを否定することはしなかった。
魔法という神秘を探求するいち魔道師であるフロードは、己が知らぬ神秘だからといって、それを検証もせずに否定するのは最も愚かしい行為であるということを正しく理解しているのだろう。
「……ところで一つ疑問なのですが、何故既に支援を確約したレオーネ商会を作戦の目的地にしたのですか? 支援が決まっていようがいなかろうが、それを秘密にしていては特に意味が無いような気がしますが……」
「片側からしか状況を見ることのできないあんたからすればその通りだが、盤面全体を見渡すことができる立場にあった俺にとっては大いに意味があったのさ」
「ふむ……もう少し詳しくお話を聞かせて頂いても?」
「……良いだろう。このまま何も知らずに作戦が始まってしまっては気持ちが悪いだろうからな。移動が終わるまでは話を続けよう」
承諾の意を返したジョーカーはそこで一度言葉を区切ると、続けてあっさりとネタばらしを始めていった。
「俺は今回、この作戦を利用して王女派に関係する人間全てをふるいにかけた」
「私だけではなく、すべての王女派関係者を……?」
「そうだ。……先程、アトレイシアが既にレオーネ商会と交渉を終えたという話は限られた人間しか知らないと言ったが、その限られた人間というのは王女派の中でもよりアトレイシアに近しい数名の人物たちの事だ。そして逆に、その限られた人間達には現在行われているこの作戦についての情報は一切伝えていない」
ジョーカーはそこで一度話を区切ると、一拍置いて再び口を開いた。
「ここまで言えばもうわかっただろう? 今回の作戦で王子派が仕掛けてくれば、裏切り者はこの作戦を知る王女派の関係者の中に、仕掛けてこなければ、レオーネ商会との交渉の件を知る限られた人間の中に存在する確率が濃厚というわけだ。……もっとも、どちらの情報を得たとしても、実際に動くか動かないかは王子派の連中が判断することなのだから、それで確定というわけではないがな」
「いやはや、まさかそこまで見据えた作戦だったとは、感服いたしました」
感嘆するフロードに「世辞はいい」とぶっきらぼうに言い放つと、ジョーカーは眼前の目的地に目を向けた。
「……さて、ようやく目的地に到着したな。それでは、手筈通りに頼む」
「ジョーカー殿からすれば私はまだ容疑者なのですが、予定通りアトレイシア様のエスコートを担当するということでよろしいのですか?」
「問題ない。変な気を起こせばすぐに始末してやる」
「おお怖い……では、行って参ります」
冗談混じりで嫌味を吐いたフロードだったが、ジョーカーにすげなく一蹴され、大人しく馬車の方へ体を向けた。
「わかっているとは思うが、アトレイシアには一人でレオーネ商会まで向かわせろ。……獲物は既にこちらの様子をうかがっているようだ」
「――! ……なるほど、だからジョーカー殿は先程私に種明かしをしたのですね」
恐らく、ジョーカーが今回の作戦の真の目的を話し始めた頃には、彼は既に敵の気配を感知していたのだろう。
フロードは、ジョーカーが言う魔力で相手の感情を読むという話が嘘だとは思っていないが、それだけではリスクを犯してまでわざわざ種明かしをする理由としては弱い気がしていたのだ。
あえて真相を語ることで圧力をかけるのと同時に、魔力を測定することで様子をうかがう敵との繋がりを探っていたに違いない。
そして、もしもフロードが敵と繋がっていたならば、突如語られた真実に激しく動揺し、裏切り者であると断定されていたというわけだ。
ジョーカーの行動の意図を知りようやく得心のいったフロードは、己が全く信用されていなかったことを知ったにも関わらず、仮面で隠されていない口元に笑みを浮かべていた。
「おい――」
余計な返答に苛ついたジョーカーが強引に話を戻そうと少々声を荒らげるが、背を向けたままのフロードはそれを遮るようにして声を上げた。
「わかっています。……ですがもしも襲撃があった場合は、何と言われようとアトレイシア様の身をお守りさせていただきますよ」
今日に至るまでどれほど念入りに準備をしてきていようと、アトレイシアの護衛が確実に成功するという保証はない。
これが現実である以上、それは理外の魔力を持ったジョーカーとて同じことだ。
回数はあまり多くないにしろ、《魔法の門》が動作不良を起こした例も多少はある。あまり自身の能力を過信していては、いつか足をすくわれる恐れもあるだろう。
そういった点を踏まえて考えれば、フロードのその申し出は非常にありがたいのは確かだ。
「……勝手にしろ」
しかし、今の今までフロードを裏切り者であると疑い続けていたという事実があるため、素直に感謝をする気にもなれず、ジョーカーは仕方なく高慢な物言いで許可を出した。
ジョーカーの返答を背に受けたフロードは、そのまま前方の馬車へ向かって行く。
そして、横扉の方へ回りこむと、そのまま右手で馬車の扉を開け放った。
「アトレイシア様、お手をどうぞ」
左手を胸に置き恭しく頭を下げたフロードは、馬車から降りようとするアトレイシアに右手を差し出した。
アトレイシアは一度フロードの手を取るかどうか躊躇うような素振りを見せたあと、意を決したように手を伸ばして静かに降車した。
地に足を着けたアトレイシアは、やや歩きづらそうにしながらレオーネ商会の本館に向かって歩き始める。
そして、ジョーカーはその様子を仮面の奥から食い入るように見つめていた。
(ここだ……この瞬間に全てが懸かっている)
ジョーカーが心中で漏らしたその一言は、決して誇張された表現ではなかった。
馬車からレオーネ商会までの距離である約十数メイル、この僅かな道程をあえて護衛を同行させずアトレイシア一人で歩かせる。今行われているのはただそれだけのことである。
時間にして数十秒間という短い間隔だが、先程からこちらを覗き見している刺客にとっては、アトレイシアを襲撃するこの上ない好機であるはずだ。
一歩、アトレイシアが踏み出す。襲撃はまだない。
三秒が経過した。アトレイシアと馬車の距離が徐々に開いていく。
襲撃に備えてか、フロードが自身の魔力を練り上げる気配を感じるが、それ以外に周囲に変化はない。
五秒経過。まだ動きはなく、ただ静寂がその場を支配していた。
失敗したところでまたやり直せばいいだけのことだと理屈ではわかっているのだが、それに反して緊張はとどまること無く増していき、肉体はその余波を受け静かに強張っていく。
ジョーカーは使用する魔法の制御のほとんどを《魔法の門》に任せてしまっているため、一般的な魔道師のように精神状態の悪化による魔法の乱れを恐れる必要はない。
しかし、そんな情報はジョーカーの心を落ち着かせる要因にはならなかった。たった一秒が何十倍にも長く感じ、はやる気持ちは正常な思考を阻害する。
もう何秒が経過したのかもわからず、ジョーカーはただアトレイシアの背中だけを無心で眺めていた。
アトレイシアの正確な位置は分からないが、目測では大体商会までの距離の半分を切ったところだ。
ここまでお膳立てをしても仕掛けてこないということは、今回の作戦は恐らく空振りという形で終わるのだろう。
少しづつ諦観が思考を支配し始めると、先程までの緊張は嘘のように消え去っていた。張っていた気が弛緩し、硬直していた体が脱力を始める。
これはまずい。まだアトレイシアはレオーネ商会に到達していないのだ。油断をしている場合ではない。
ジョーカーがそう自分に言い聞かせた次の瞬間、
「……ッ!」
周囲に張り巡らされた『観測方陣』はまだ何の異常も観測していないにもかかわらず、ジョーカーの全身は総毛立ち、緩み始めていた集中力がまるで時間が逆行したかのように一瞬で研ぎ澄まされた。
そして、それから数瞬後、
「かかったな……!」
確信とともに、ジョーカーは静かにそう呟いた。
うまく切れなかったため、今回はちょっと短いです。ごめんなさい。
 




