仮面の男 前編
王女アトレイシアの二人目の騎士、その叙任式が開催されるちょうど一週間前のこと。
「そのようなこと、断じて認められません!」
時刻は午後二時を少し過ぎた頃。晴れ渡った青空から暖かい日が差す王都アイオリアの王城に併設された練兵場にて、凛々しい女性の怒鳴り声が鳴り響いていた。
辺りで各々訓練に励んでいた兵士たちが、何事かと声の方向に顔を向ける。
額と胸を覆うヘッドガードとプレートメイルに、腕と足を保護するガントレットとグリーブ、背中には150センチメイルは越えようかという長剣を担ぎ、桃色がかった金髪を携える凛々しい女騎士――オーレリアが、その澄んだ水色の瞳を怒りで歪め、正面に立つ少女に怒鳴っていた。
「そう駄々をこねるものではないわ、オーレリア。まあ、あなたが素直に納得するはずもないと思ったから、こうして式の前にこちらから紹介をしに来たのだけど」
対面に立つ少女は、そのような怒鳴り声など慣れたものだと言わんばかりに涼しい顔で受け流し、小さく嘆息しながらそう返した。
いっそ眩しいほどに陽光を反射する美しい白金の髪に、まるでその中に青空を閉じ込めたかのような輝きを放つ碧眼、練兵場などという汗臭い場所にはあまりにも場違いなドレスに身を包み、一目見ただけで誰もが息を呑むような美貌を持ったその少女は、アスガルド王国第一王女、アトレイシアであった。
「お、おい……あのオーレリアさんが怒鳴ってる相手、もしかして王女様じゃないか……?」
屈強な男たち(無論、女性兵士も存在するが)が汗水たらして鍛錬を行う暑苦しい場所に王女がいきなり現れれば、周囲の兵士たちが騒ぎ出すのも無理も無いことだろう。一人がその存在に気づけば、二人、三人と訓練の手を止める者が増えていった。
「マジすか!? ……うおお! 本当にアトレイシア様だ!」
「はぁ……オーレリアさんとアトレイシア様、美しいお二人を一緒に見れるとは、今日はなんていい日なんだ!」
「おい、そこの新人二人! うるせえぞ! さっさと訓練に戻らねえか!」
呆けたように立ち尽くしていた若い兵士二人が怒鳴りつけられ、しぶしぶと言った風に訓練に戻っていく。しかし、それでも視線はオーレリアやアトレイシアの方を向いたままだった。
「しっかし、いくら王城の敷地内だからって、護衛の一人も付けずに歩きまわるとは不用心な……ん?」
その時、ようやくというべきか、新人兵士を怒鳴りつけた三十代ほどの兵士が、眩しい女性二人の影に隠れるように立つ一人の人物の存在に気付いた。
影のように黒い髪をもつその人物は、上下を黒い衣服に身を包み、ただ黙って王女の斜め後ろに突っ立っていた。
身長はアトレイシアと同じくらいで、恐らく160センチメイル程度。七分丈の黒いジャケットから覗く細身の左腕には黒いラインが印象的な黄金の腕輪が着けられており、よく見てみれば、履いているブーツまでもが黒で統一されている。
そして、最も印象的なのが……、
「仮面……?」
顔全体をピッタリと覆い隠す、口元に笑みを浮かべた白と黒の仮面だ。視界を確保するために空洞であるはずの眼窩は、陽の光を受けているにも関わらず不自然なほど暗く、その奥に存在するであろう双眸を覗くことは敵わない。
見るからに不審な人物だが、アトレイシアが側に置いている以上ヘタに口出しするわけにもいかず、三十代ほどの兵士は、ことの成り行きを静観することしかできなかった。
「駄々をこねる? どうして私が駄々をこねていることになっているのです!? それはアトレイシア様の方ではありませんか!」
もう何度も経験してきた事態ではあったが、毎度毎度、この王女様はいったい何を考えているのだろうか。長年アトレイシアに仕えてきたオーレリアであったが、王女がこうしてとんでもない行動を起こす度、そういった思いが胸中を駆けまわるのだった。
「そうかしら? 王子派との争いも激しくなってきたことだし、早急に二人目の専属騎士を決めて欲しいと言ったのは他でもないあなただったはずよ? 他の職務でどうしても護衛に付けない時があるからって、そう言ったじゃない。それとも……もしかして、彼に嫉妬してるの?」
眉を釣り上げ、まさに鬼の形相で喚くオーレリアだったが、対するアトレイシアは後ろにいる仮面の人物を首で指し示し、あくまで平静に対処し続けた。
「なっ!? 私が反対しているのはそのような理由ではありません! 二人目の専属騎士を任命すること自体は大いに結構です! 私が言っているのは、そんなどこの馬の骨とも知れない黒ずくめに、アトレイシア様の騎士を任せる訳にはいかないと言うことです!」
終始アトレイシアのペースであることに苛立っているのか、声を上げる度にオーレリアの顔が赤くなっていく。このままでは、ブチ切れしてしまうのも時間の問題だろう。
「失礼なこと言わないでちょうだい、彼は馬の骨なんかじゃないわ。私がこの目で見て選んだ、信頼できる騎士なのよ」
「そこが問題だと言っているのです! 戦いに関しての知識もないくせに、何が信頼ですか! 騎士は強くなければ意味が無いんですよ!」
「なんですって!? 今のはちょっと聞き捨てならないわ! 謝りなさい!」
戦いとは無縁の世界で育ってきたアトレイシアが、一人で騎士の選定などできるはずがない。それはオーレリアからすれば当然の言い分なのだが、どうやらアトレイシアはお気に召さなかったようだ。
今にも取っ組み合いにでもなりそうな雰囲気に、周囲の兵士たちも気が気ではない。唯一、口論の原因であろう仮面の人物だけが平然としているのがどこか滑稽であった。
「全く、選ぶにしたってもっとマシな人間がいるでしょう。……えーと、ほら、フロード卿なんてどうですか? 彼ほどの魔道師でしたら私も納得できます」
しかし、流石は長年アトレイシアの騎士を務め上げてきただけあるというべきか、オーレリアは引き際をわきまえているらしく、話題の転換によってアトレイシアの怒りをうまく往なした。
「フロード? ……まあ、確かに強さに問題はないのかもしれないけれど、あの人は性格が少しね……王子派とは関係なしに、私やオーレリアの身が危うくなってしまうもの」
「はい?」
後半部分が聞き取れず、オーレリアはアトレイシアに問い返した。今、彼女は何かとても聞き逃してはならないようなことをつぶやいていた気がしてならない。
「な、なんでもないわ。……とにかく、フロードは無しよ。私の騎士は彼で決まりなの」
後ろにいる黒ずくめの人物の腕を引き寄せ、決して離しはしないとばかりにしがみつくアトレイシア。それを見たオーレリアの眉がまたしても斜めに釣り上がった。
「駄目です! いい加減聞き分けてください!」
「嫌よ。わがままを言わないでちょうだい」
「わがままはどっちですか!」
再び激しさを増し始めた両者の口論を見つめ、今度こそつかみ合いの喧嘩になってしまうのかと周囲の兵士達が息を呑んだその時、
「二人共、その辺りにしておいたらどうだ。兵士たちも見ている」
仮面の人物が、その小柄な体格にしては少し大人びた男性の声を発し、両者を止めに入った。自然、口喧嘩を邪魔されたことで更に顔を歪めたオーレリアと、少し驚いた風のアトレイシアの視線が仮面の男に向けられる。
「そ、そうですね、ごめんなさい。……私としたことが、少し熱くなってしまったみたい」
「問題の原因である貴様に言われたくはないが……確かに、少し頭に血が上っていたようだ」
アトレイシアは少し恥ずかしそうに顔を赤らめて謝罪をし、オーレリアは頭痛を抑えるかのように右手を側頭部に添えながらしぶしぶ引き下がった。
「……それで、あんたはどうして俺が専属騎士になることに反対しているんだ?」
意気消沈してしまったアトレイシアに代わり、今度は仮面の男がオーレリアに問うた。
「フン……王都で騎士として過ごしていれば、ある程度力がある者達の噂は自然と耳に入ってくるものだ。しかし残念ながら、私は貴様のような人間には心当りがない。そんな目立つ格好をしていれば噂などすぐ立ちそうなものだが、それでも何の話も聞こえてこないということは、貴様はその程度の取るに足らない存在であるということだろう。……経歴は謎、強さも未知数。それでどうして、王女の騎士などという重職を貴様に任せることができるというのだ?」
話を整理するためにとりあえずといった気持ちで聞いてみたのだが、しかし、思いのほか理路整然とした答えが返ってきたため、仮面の男は若干気勢をそがれた気分になった。
もっとも、実力の如何に関わらず、オーレリアが仮面の男のことを知らないのは当然のことである。何故なら、仮面の男がこの格好をして外に出たのは、今日が初めてなのだ。
「そうか。では、俺はどうしたらあんたに認めてもらえるんだ? 王女直々の推薦だというのに、実力も見ずに門前払いなどということはないだろう?」
「む……いやに冷静なやつだな。……では仕方ない、ここに居る兵士と手合わせでも――」
と、何かを言いかけたオーレリアは何故か唐突にそこで言葉を止め、大きく目を見開いた。美しい水色の瞳が向けられた先には、仮面の男の左手首に着けられた黄金の腕輪が光り輝いている。
「き、貴様……それは《黄金の円環》ではないか! アトレイシア様……まさか……ッ!」
黒ずくめの男の手にある王国の宝、『宝具』を指差して戦慄するオーレリアは、驚愕で見開かれた目でアトレイシアを射抜いた。
いくら所有権が自身の手にあるからといって、周りに何の相談もせず勝手に騎士を選んだばかりか、その者に宝具を手渡してしまうなど、独断専行にも程があるというものだ。オーレリアの言い分ももっともだと言えるだろう。
「私の騎士を務めようというのです、それに見合った装備を与えるのは当然でしょう。第一あなただって、その背中に宝具を所持しているではありませんか」
「私の光剣は正当な手順を踏んで手に入れたものです! 一緒にしないでもらいたい!」
オーレリアはそこで一度言葉を切り、強い意志の灯った瞳でアトレイシアを睨みつけた。
「……アトレイシア様、今回ばかりはお譲りするわけには行きません」
「では、いったいどうしようというのです?」
「その仮面の男に、私が直接手合わせを申し込みます。そして、私が勝ったら、《黄金の円環》を置いて、ここから立ち去ってもらいます。無論、アトレイシア様の騎士になるという話も認めません」
「何を勝手に――」
一人で話を進めていくオーレリアに食って掛かろうとしたアトレイシアを手で制し、仮面の男は口を開いた。
「あんたが負けたら?」
「フッ……そうそうあり得んことだが……私が負けたら、貴様が《黄金の円環》を所持することにも、アトレイシア様の騎士になることにも一切口を挟まないと約束しよう」
オーレリアの嘲笑に、周囲で見守る兵士たちも同意するように頷いた。訓練であろうと、実戦であろうと、オーレリアが敗北する姿など想像することすらできなかったのである。
この練兵場でよく彼女と顔を合わせる彼等は知っているのだ、『光輝の女騎士』と呼ばれ恐れられる、オーレリアの人間離れした強さを。
「あなたが自ら戦うというのは、少し大人げないのではないかしら……」
あれほど仮面の男を自らの騎士に推していたアトレイシアですら、オーレリアが直接手を下すと言った途端にこの態度である。一対一では決して敵わないのだと、暗に認めているようなものだ。
「わかった、条件はそれで構わない。では、さっさと始めようか。……『開門』――《ロイ・ソード》」
だが、ただ一人、仮面の男だけは違った。オーレリアがアトレイシアに気を取られている内にどこからともなく両刃の真剣を取り出すと、具合を確かめるように左右に軽く振り回す。
「ほう。……では、私も剣を準備してこよう」
僅かに感心したように頷くと、オーレリアは剣を探すためその場を離れた。どうやら、背中の剣を使う気はないらしい。
その隙を利用し、アトレイシアが仮面の男に顔を近づけ、至近距離で耳打ちを行った。
「ちょっと、レイン。大丈夫なのですか? 見てくれは可愛らしい少女でも、オーレリアは騎士になってから負け知らずの、ものすごく強い纏魔術師なんですよ?」
「大丈夫ですよ。前に一度オーレリアさんの凄さは目の当たりにしてますし、きちんと策もあります。任せてください」
心配そうに覗き込んでくるアトレイシアに普段通りの口調で返し、黒ずくめの男は力強く頷いてみせた。
そう、仮面の男の正体は、レインハイトだったのだ。仮面で素顔を隠し、厚底のブーツで身長を5センチほど誤魔化し、更には魔法によって声まで変えて、誰にもレインハイトだと悟られぬよう変装しているのである。
「おい貴様! アトレイシア様から離れんか! 先程から思っていたが、この国の王女に対して馴れ馴れしすぎるぞ!」
周囲で見物している兵士から拝借してきた訓練用の鉄剣の切っ先を向け、その場に戻ってきたオーレリアがアトレイシアと密着する仮面の男、もといレインハイトに顔を赤くして怒鳴った。
傍観者である兵士達もそれに同調し、レインハイトに向けて軽くブーイングが巻き起こる。
「すまないが、文句なら俺に勝ったあとにしてくれないか? ……それと、あんた仮にも女だろ? 何でもかんでもいちいち大声で喚いて、はしたないぞ」
「なっ!? ……き、貴様!」
怒りと羞恥がないまぜになり、ぷるぷると肩を小刻みに揺らすオーレリア。そのあまりにも命知らずな発言に、見物する兵士たちばかりか、隣に立つアトレイシアでさえあわあわと狼狽えている。
しかし、当事者であるレインハイトは特に気にした風はない。そればかりか、仮面で素顔を隠していると、面と向かっては気を遣って言えないような刺のある発言も簡単にできるから不思議だ、とまるで他人事のようにそんなことを考えていた。
「女だからといって馬鹿にして……ッ! 貴様と会話するのは不愉快だ。お望み通り、手早く始めるとしよう」
「ああ、そうそう。せっかく準備してもらったところ悪いんだが……後で言い訳されると面倒だから、そんなナマクラじゃなくて、その背中に背負ってる剣を使ってくれよ」
オーレリアが背負う黄金の長剣を指差し、レインハイトは不敵にそう言った。
アスガルド王国の宝具である、《光剣・ラディウス》。それを手に持ったオーレリアは、王都最強の纏魔術師、『光輝の女騎士』としての力を遺憾なく発揮することができるようになる。
それは事前にアトレイシアから聞かされていた情報であり、こうして直接《ラディウス》を術式を通して観測たことにより理解できた事実でもあった。レインハイトの見立てが間違っていなければ、あの『宝具』は、何か特別な能力を秘めているに違いないのだ。
しかし、レインハイトがそれをわかっていながらオーレリアに《ラディウス》を持てと指示したことを知らない外野の面々は、そのほとんどが恐れを知らない異常者を見る目を向けていた。
突如開催されたオーレリア対仮面の男の手合わせにかこつけ、凄まじい順応力で賭け事を始めていた胴元の兵士は、大穴を狙ってレインハイトに賭けようとしていた者達が一斉にオーレリアに賭け直し始めたのを眺め、これでは賭けにならないと頭を抱えている。このままオーレリアが勝利してしまえば、足りない払い分は彼一人が支払わなければならなくなるだろう。
一応はレインハイトの味方であるアトレイシアも、流石にこれには黙ってられなかったようで、周囲の目を気にすることなく再度レインハイトに詰め寄った。
「ちょ、ちょっとお待ちなさい! いくらなんでも、《ラディウス》を抜いたオーレリアと戦って勝つというのは無茶よ!」
「無茶かどうかはやってみなければわからないだろう? ……それに、王女派の連中に俺がアトレイシアの騎士になることを認めさせるためにも、全力のオーレリアを倒さなければ意味が無い」
「それは……そうかも知れないけれど……」
「むしろ、これはチャンスだと思うべきだ。『光輝の女騎士』を倒したことが広く知れれば、俺の強さに文句を垂れる奴は誰もいなくなる。幸い、周りには必要以上に証人もいることだしな」
レインハイトは周囲を取り囲む兵士たちを顎で示し、まだ何か言いたそうにしているアトレイシアの肩に手を置いた。
「アトレイシア。俺はもう誰にも負けないと、あの時に言ったはずだ。……それとも、俺の言うことは信じられないか?」
「……! ……いいえ、私が間違っていました。私は、あなたを信じています」
ハッとして顔を上げたアトレイシアに頷きだけを返し、レインハイトは彼女を安全な位置まで下がらせると、己が仕える王女と仮面の男の謎の信頼関係を目の前で見せ付けられ、今にも爆発寸前と言った様子のオーレリアに向き直った。
因みに、今の男らしいレインハイトの言を聞き、超大穴である仮面の男に賭ける物好きが数人現れたのはまた別の話である。
「待たせたな、こちらの準備は完了だ」
「フン……この私に《ラディウス》を抜かせたこと、後悔させてくれる……!」
背中からその身ほどもある長大な剣を抜き、オーレリアは静かにレインハイトを見据えた。全身から大量の魔力が放出され、一瞬で臨戦態勢へと移行したのはやはり流石というべきか。
しかし、その圧倒的なオーレリアの魔力を受けたところで、レインハイトが不敵な態度を崩すことはない。挨拶を返すかのように自身も魔力を滾らせ、右手に構えた《ロイ・ソード》――エルフの村を出る際に、シエルの兄であるロイから受け取った銀色の剣を人差し指に見立て、オーレリアに見せつけるように左右に振ると、
「そう怖い顔をするなよ、綺麗な顔が台無しだ」
「……ッ! 斬るッ!」
その挑発が、開始の合図となった。
長くなったので例のごとく分割します




