噂の騎士の叙任式
アトレイシアが襲撃を受けてから一月後。王都アイオリアにそびえ建つ長大な王城の広間にて、本日、ある儀式が催されようとしていた。
パーティーを開催する際などにも使用されるその広間には、現在数十名ほどの人間が集まっており、あるものはそわそわと周囲の人間と絶えず会話を繰り広げ、またあるものはひたすらに口をつぐみ、その時を今か今かと待ち続けていた。
現在この場に招待されているのは、役職や立場こそ違えど、その全てがアスガルド王国第一王女、アトレイシアを支持する王女派に属する者達である。そのため、当然ながら今回のこの集まりは、彼等王女派に深く関係するものであることにほかならなかった。
「ようやく、我々も噂の騎士殿にお目にかかれるわけですな」
その時、広間の隅に並ぶ一人の中年の男が、隣に立つ男にそう話しかけた。
声をかけられた隣の男は一度頷くと、僅かに皺の目立つ顔に微笑を湛えて、にこやかに返答した。
「ええ、急なことで少々驚きましたが、アトレイシア様がようやく二人目の専属騎士をお決めくださったことは、我々としても大変喜ばしい限りです」
そう。今ここで開催されようとしているのは、僅か一週間前に急遽決定された、王女アトレイシアの騎士の叙任式なのである。
王女が一月前に襲撃されたばかりにしてはあまりに呑気な喜びようだが、それも無理は無いことだった。何故なら、一月前の襲撃事件は極々一部の人間にしか伝わっておらず、いかに王女を支持する王女派と言えども、ほとんどの人間には何も知らされていないのだ。
「確か、一人目の専属騎士であるところのオーレリア殿は優れた纏魔術師であるようですし、順当に行くのなら、恐らく今回の騎士殿は魔道師なのでしょうな」
オーレリアという一流の纏魔術師が既に専属騎士として側についているため、当然次の騎士は魔道師であるだろうと、この場にいる誰もがそう見越していた。
纏魔術師よりも魔道師の方が何かと優遇されがちな実情もあってか、まだ見ぬ二人目の騎士への期待値はかなり高いようだ。
「まあ、そうなるでしょうな。一部では大方の予想もされているようで……確か、最も有力なのはフロード卿だろうと」
「おお、あのフロード卿ですか。いろいろと謎の多い人物ではありますが、確かに彼の実力は王女様の騎士として充分なものでしょう」
フロード卿とは、以前から王女派に力添えしている魔道師であり、謎に包まれた経歴や、常に目元を覆う仮面を着けて素顔を隠したりなど、何かと怪しげな点が目立つ男だ。
しかし、その魔法力だけは実績に裏打ちされた強力なものであり、王都周辺の魔物を定期的に討伐する際などにはかなり重宝されている人物である。
「はい。……なにせ、件の騎士は、あの『光輝の女騎士』と名高いオーレリア殿を凌ぐ実力を持っているらしいですからな」
そして、この場に集まった王女派の面々を、こうして落ち着きなく騒がせている最大の理由がそれであった。
女性纏魔術師部隊『ヴァルキュリア』の隊長であり、アイオリア最強の纏魔術師と名高い王女の騎士、オーレリア・フォン・エデルディアに勝利した人物が、此度、王女の騎士となるらしい。王女アトレイシアの二人目の専属騎士が決まったという知らせと時を同じくして、王女派の関係者たちの間にそんな噂が流れたのだ。
「期待を裏切るようで申し訳ないのですが……残念ながら、噂の騎士は私ではございませんよ」
その時、和やかに会話していた二人の中年男性に割って入るように、背後から柔らかな男性の声がかけられた。
「なっ……ふ、フロード卿!」
「どうしてそなたがこの場に……?」
二人が驚いて振り返ってみれば、そこには、目元を覆う仮面を着け、式典用の礼服に身を包んだ長身の男が立っていた。身長は約180センチメイル、顔を隠しているため正確には判断できないが、恐らく年齢は二十代半ばから後半くらいであろう。
暗めの茶髪を少し長めに伸ばしたその男は、間違いなく先程まで噂されていた王女派の魔術師、フロード卿である。
二人の諸侯の視線を受けたフロードは自身の顎鬚を撫で、薄く笑みを浮かべると、
「どうしても何も、王女派の一員として、私も皆様と同じように招待されたのですよ。この噂の騎士様のお披露目会にね」
と、軽くおどけて答えを返した。
会場に居る他の面々もフロードの姿に気づいたのだろう、彼のいる場所には会場の視線が一気に注がれ、次第に辺りの騒ぎは大きくなっていった。
「……おやおや、皆様、本当に私が二人目の騎士となると期待されていたようですね」
「それはそうでしょう。あのオーレリア殿に一対一で勝てるような王女派の魔道師など、我々にはフロード卿以外には思い当たりませぬ」
「そう高く評価していただけるのは嬉しいのですが、皆様、私を少々買いかぶられているようです」
そう言ったフロードは、困った風に苦笑を浮かべた。
自信がないとも取れるその発言を受け、黙っていたもう一人の中年貴族がフロードに顔を向け、口を開く。
「では、フロード卿ではオーレリア殿に勝つことは出来ないと?」
「そうですね……。あの『光輝の女騎士』が相手では、魔道師の私では少々分が悪いのは確かです。実際に手合わせをしても、そう簡単に勝つことは出来ないでしょう。……無論、絶対に勝てないとは申しませんがね」
最後には意地を見せたものの、フロードは正直に自分の判断を述べた。
「そ、そこまですごいものなのですか……オーレリア殿の強さは」
その答えに驚きを隠せないのか、中年の男二人は目を見張った。恐らく、魔法至上主義で、オーレリアという纏魔術師を侮っているのだろう、とフロードは心中で納得する。
「ええ、彼女は纏魔術師の中でも特別な存在です」
基本的には、例え一対一だろうが、実戦レベルの魔道師と纏魔術師の戦いであれば魔道師の方に軍配が上がることが多いのは間違った知識ではない。何故なら、ある程度習熟した魔道師は、最速の攻撃魔法である無詠唱魔法を修得しているからである。
しかし、その程度の速さでは到底捉え切ることができないというのが、オーレリアという纏魔術師の厄介さである。何度か共に戦い、彼女の纏魔術を間近で見る機会のあったフロードは、その恐ろしく俊敏な動きを目の当たりにし、もしこの力が自分に向けられたら、と冷や汗を垂らしたものだ。
これはフロードの単なる想像であるが、恐らく、後ろに守るものの存在しないオーレリアであれば、数十人の魔道師が一斉に無詠唱魔法を放ってきたところで、その全てを躱しきり、全員を無力化することができるだろう。それほどの恐ろしい速さが、彼女の武器なのだ。
だからこそ、あのオーレリアが敗北したなどという噂はフロードにも信じることができなかった。それ故に、彼は二人目の騎士とやらに激しく興味を惹かれ、こうして珍しく叙任式などに顔を出しているわけである。
「お褒めに預かり光栄な次第ですが……私は特別な存在などではありません」
と、横合いからかけられた凛とした声に振り向けば、桃色がかった金髪を携えた美女が苦笑を浮かべていた。流石にこれには驚いたのか、フロードは表情を凍りつかせた。
胸と腕と脚を守る簡単な防具と、指先から二の腕までを覆うアームカバーに身を包み、背中にはその身ほどもある長大な大剣を背負った女性は、『光輝の女騎士』として広く知られる、オーレリア・フォン・エデルディアその人であった。
周囲にも彼女と同じように防具を着けた騎士は居るのだが、そんな中でもひときわ目立つ少女である。外見や声、佇まいなど、それらの全てに華がある、と表現するべきだろうか。
「……これはこれは、私のような愚物からの評価はお気に召しませんでしたかな? オーレリア殿」
「そのようなつもりは毛頭ありません。私には過ぎた評価だと、そう言ったまでです」
年長者であるフロードに物怖じすることなく、オーレリアはその堂々たる態度を崩さずに対応した。
当然、噂の中心であるフロードとオーレリアが並んで会話をしているのだから、ただでさえ多かった周囲からの注目は増すばかりである。しかし、そんなことはお構いなしに、フロードはざっくりと切り込んでいった。
「実は先ほど小耳に挟んだのですが……今回選ばれたという王女様の二人目の騎士が、オーレリア殿に勝利したというのは真ですかな?」
その噂の本人に対してあまりに踏み込んだフロードの問いに、ざわ、と周囲で聞き耳を立てていた王女派の面々に緊張が走り、全員が息を呑んだ。
オーレリアは質問者であるフロードの仮面、その眼窩から覗く瞳を覗き込み、
「……やはりその話ですか」
息苦しくなるほど重い沈黙の後、そう一言だけつぶやいた。
緊張で呼吸を忘れていたのか、オーレリアが口を開いた一瞬の隙に周囲の面々が一気に息を吐き、その音が広間に響く。気づけば、思い思いに口を開いていた王女派の人々は全員が黙りこみ、その二人の会話を聞くことだけに集中していた。
「……では?」
「ええ、事実です。私は彼に敗北しました」
問いかけるフロードに頷き、オーレリアはそうはっきりと明言した。しかし、やはり彼女なりに思うところがあるのか、その表情は悔しげに歪められている。
そう意識したのかは分からないが、オーレリアは最後の一言を大きめの声で告げたため、彼女の凛としたよく通る声は広間中に響き渡り、またしても王女派たちの間には衝撃が走った。
「まさか本当だったとは……。オーレリア殿、その者は一体どんな人物なのですか? 彼、ということは、少なくとも男性なのでしょうか?」
「わかりません。実際に手合わせしたのは確かですが、彼はフロード卿のように仮面で素顔を隠していまして……それゆえ声音で男だと判断したのですが、体つきは小柄な上に細身だったため、実際のところがどうなのかはわからないのです」
興味深い、とずけずけ立ち入った話を追求するフロードだったが、オーレリアから返ってきた返答は、残念ながら彼の知識欲を満たすにはかなわなかった。
だが、フロードはそこでめげることはなかった。少し考えるように自身の顎を撫でると、ふむ、と頷き、
「仮面ですか……では、質問を変えましょう。あなたが手合わせした例の騎士は、魔道師なのですか? それとも纏魔術師なのですか?」
と、オーレリアに別の問いを投げかけた。
いくら得体が知れないといえど、実際に彼と戦ったオーレリアならば、件の騎士が纏魔術師か魔道師かくらいの判断は容易に可能なはずである。フロードはそう考えて問うたのだが、しかし、次のオーレリアの返答は、またしてもあまり要領を得ないものであった。
「魔法も纏魔術もかなりの腕前でしたが……恐らく、魔道師であるはずです」
「恐らく、とはなんとも信憑性に欠ける物言いですね」
「申し訳ありません。……決着の瞬間、彼が何らかの魔法を使用したのは確かなのですが……情けないことに、いったいどのような魔法だったのかわからないうちに、気付いた時には勝負が決まっていたのです」
フロードは自信なさげに目を伏せるオーレリアを視界に収め、その普段の凛然さからは考えられない態度に驚き、仮面の奥の瞳を見開いた。当然、彼女の発言内容も簡単に受け止められるようなものではない。
他の追随を許さぬ瞬速の纏魔術師が、何をされたのかすら把握できずに敗北したなどと、当の本人の口から聞かされたところで理解に苦しむ内容である。周囲の面々も同意見なのか、驚きよりも困惑が先立っているような面持ちの者が多かった。
「オーレリア殿が知覚できぬ魔法など、にわかには信じ難いことですが……一体どのような術であったのですか? 私とて魔道師の端くれです。その時のことを詳しくお話いただけたら、何かわかるやも知れない。……おっといけません。美少女に近づきすぎて少し興奮してきてしまいました」
「……はい?」
ぼそり、とフロードが最後に付け加えられた一言が聞き取れず、オーレリアは反射的に聞き返した。何を言っていたのかわからなかったにも関わらず、背筋が寒くなったような気がするのは気のせいだろうか。
「いえ、なんでもありません。ささ、お話の続きをお願いします」
「詳しく、ですか……」
フロードに詰め寄られたオーレリアは、難しい問題を突き付けられたかのようにそう唸ると、フロードから少し距離を取り、探り探りといった風にゆっくりと話しだした。
「私が手合わせを申し込んだ時、彼は最初、自身が持ち込んだ直剣を手にとりました。そして、訓練用の鉄剣を構える私にこう言ったのです。後で言い訳されるのが面倒だから、その背中に背負っている剣を使え、と」
「ほう……件の騎士は、その時点でオーレリア殿の光剣の“秘密”に気づいていたというわけですね。……ああ、すみません、続けて」
癖なのか、自身の顎を撫でながら感心した風に口を挟んだフロードは、オーレリアの話に割り込んでしまったことに詫びると、続きを促した。
「はい。……私は彼が指示する通りにこの光剣を抜き、万全の態勢で試合に挑みました」
オーレリアがそう言って柄を掴んだ背中の長剣は、アスガルド王国が所持している宝具の一つだ。材質は僅かに透き通った黄金、金剛鉱である。
「かつて伝説の鍛冶師が生み出したとされる七つの聖剣――『七聖剣』の内の一つ、《光剣・ラディウス》。持ち主と認めた者の身体能力を向上させるという、特別な力を持つ聖剣ですか」
七つの属性の内、『光』を司るラディウスは、ただ硬度と魔力伝導率が高いだけの武器ではなく、その内に特別な力を秘めた魔道具なのだ。自然、《黄金の円環》よりも『宝具』としての格は上となる。
そのフロードの言に無言で頷くと、オーレリアは続きを話しだした。
「彼は優れた纏魔術師でもあるらしく、ラディウスを手にした私の攻撃にも平然とついてきました。……そして、数度の打ち合いの後、決定的瞬間を迎えたのです」
敗北を喫した屈辱に顔を歪めながら、オーレリアはその時のことを詳細に思い出し、フロードやその周囲で聞き耳を立てている王女派の者達に語り聞かせた。
 




